ほしのくさり

第148話  偽りの事実-01





「ハルシャ君のご両親は、貿易会社を営んでいたんだね」
 朝、目を覚ました『アルティア・ホテル』の同じ部屋のソファーに座り、ハルシャはリュウジと並んで、マイルズ警部と向き合っていた。
 ソファーの背もたれに腕をかけて、くつろいだ姿勢のまま、警部が問いかけている。
「そうです。帝星とも取引があって……」
 記憶を手繰りながら、ハルシャは、どんな事業を行っていたのかを、マイルズ警部に話した。
 どうして、そんなことを聞きたいのだろうと、微かな疑問が立ち上がってくる。
 ハルシャの疑念を消し去るように、ほう、なるほど、と巧みに相槌を打ちながら、警部が話しを引き出していく。
 導かれるままに、ハルシャは両親がラグレンの名誉市民の地位にあったことも、話していた。
「なるほど。惑星トルディアの父と呼ばれるファルアス・ヴィンドースの直系の子孫だから、かな?」
 そうだと答えるハルシャに、マイルズ警部は優しい笑みを浮かべた。
「ハルシャ君は、偉大な祖先を持っているんだね」
 何の当てこすりもない、素朴な賛美の声を、マイルズ警部が上げる。

 少し、会話が途切れた。
 何かを、話さなくては、という妙な責任感で口を開こうとしたハルシャに
「そう言えば、ファルアス・ヴィンドースには、惑星トルディアで叶えたい夢が、二つあったようだね」
 と、マイルズ警部が、ゆったりとした口調で問いかける。
 二つ?
 ハルシャは、かすかに眉を寄せた。
 何だろう。
 すぐに答えられない質問に、ハルシャは戸惑いを覚えた。
 紫の森のことだろうか。
 考え込むハルシャに、にこっと、笑ってマイルズ警部が続ける。
「一つは、惑星トルディアの大気を、人が住める状態にすること」
 ああ、そう言うことか、とハルシャは顔を上げた。
 マイルズ警部は、優しい笑みを浮かべたまま、
「この夢は叶えられたね。もう一つの夢――」
 と、ハルシャを見つめる。
 言葉の後を、自分に言わそうとしているようだ。
 微かに肯いてから、ハルシャは後を続けた。
「もう一つは、地中に埋蔵されている偽水を、人類が飲むことの出来る状態にすること、だった」
 ハルシャの言葉に、マイルズ警部は微笑みを深めた。
「さすがは、直系の子孫だね。きちんと、想いが伝えられているのだね」

 不意に、彼は言葉を切ると、ソファーの背もたれに預けていた腕を下ろして、真っ直ぐにハルシャに向き合った。
「ハルシャ君は知っているのかな」
 ヘイゼルの瞳が、じっと自分を見つめている。
 とても重要なことを尋ねる口調で、彼は言葉を続けた。
「亡くなる前に、ご両親がその偉大な祖先の夢を叶えようと、莫大な金額を投資して、研究させていたのを」
 重く静かな声が、部屋に響く。
 警部は、すこし間《ま》を取ってから、付け加えた。
「帝星の研究機関でね」

 ハルシャは驚きを隠せなかった。
 全く知らないことだった。
 一言も、両親から新しい事業について、聞かされたことはなかった。
 表情を読んだのか、マイルズ警部が目を細めて呟く。
「どうやら、知らないようだね、ハルシャ君。ご両親が、偽水を飲料水にするために、努力を積み重ねられていたのを」

 既存の事実のように、警部は自分に告げている。
 なぜ――
 息子の自分も知らないことを、帝星から来た警部は知っているのだろう。
「どうして……それを」
 茫然としたまま、疑問が、口からこぼれ落ちていた。

 ゆっくりと、警部が瞬きをした。
「君のお父さんの、ダルシャ・ヴィンドース氏の借金の使途を探っていたら、そこへたどり着いたんだよ。ハルシャ君。
 君の父親は、祖先が果たせなかった夢を実現させようとして、尽力をしていたようだ」
 少し前屈みになり、膝に肘を乗せると、警部は静かな声で続ける。
「ダルシャ・ヴィンドース氏は、帝星の研究機関に莫大な出資をして、偽水を飲料水に変換する方法を、長年調べさせてきた。七年前、ついに、研究機関は手段を見出して、君のお父さんに連絡を入れたようだ。
 お父さんは、喜んでいたそうだよ。
 これで、水不足のために、幼い命が奪われることがなくなると――」

 ハルシャは、胸を突かれた。
 そうだ。
 父ならそう言うだろう。
 利益よりも何よりも、誰かの幸せになる事業をしたいと、常に願っていた人だった。
 大らかな笑みが脳裏に浮かび、懐かしさが、不意に胸を締め付けた。
 けれども、父が密かにそんな事業に着手していたことを、自分は全く聞かされていなかった。
 どうして――

 沈黙するハルシャの耳に、マイルズ警部の深みのある声が届く。
「一年かけて、さらに精度を上げると、君のお父さんは事業化に踏み切ったようだ。
 初期投資として、偽水転換装置の機械の設計作成のための資金を必要とした。そのための莫大な金額を、ヴィンドース氏は、ジェイ・ゼルから借金をしたようだね。当時借用したのは一三五万ヴォゼル。
 それが、亡くなる半年前のことだ」

 ハルシャは、信じられない気持ちで、一杯だった。
 なぜ。
 ジェイ・ゼルは、宇宙船を買うためだと、最初に自分に告げていた。
「そんな……宇宙船を新しく作るためだと……ジェイ・ゼルが……」
 懸命に説明しようとしたハルシャの先を取るように、リュウジが言葉を放つ。
「ジェイ・ゼルは、あなたに虚偽の事実を伝えたのです」

 語気の鋭さに、思わずハルシャは、横のリュウジへ視線を向けた。
 彼は静かにソファーに座っている。
 視線が動き、藍色の瞳が、自分を捉える。
 じっと見つめるハルシャに、彼は表情を動かさずに、告げた。
「あなたは、騙されていたのですよ、ジェイ・ゼルに。五年間ずっと」

 ハルシャは、驚愕を隠すことが出来なかった。
 ジェイ・ゼルが、自分に偽りを伝えていた。
 どうして――なぜ、そんなことをする必要があるんだ。
 動揺したまま、ハルシャは情報源のマイルズ警部に、事実を確かめるように顔を向けた。
「偽水を飲料水にするために、ジェイ・ゼルから父は借金をしていたのだろうか」
 マイルズ警部は静かに頷いた。
「契約から、一年後に返済する予定だったらしい」
 一年。
 そんな。
 ジェイ・ゼルは、十標準年後だと、最初に言っていた。
 それも、違ったのか。
 どういうことだ。
 にわかに突き付けられた言葉に、ハルシャは動揺を隠せなかった。
 混乱するハルシャを前に、マイルズ警部が、穏やかな口調のままで、呟いた。
「その借金を返済する前に、君の御両親は爆破事件に巻き込まれて、亡くなった」

 マイルズ警部は告げてから、親指で額をかりかりと掻いた。
「実はね、ハルシャ君。君のお父さんが帝星で発注した機械は、無事に完成しているんだよ。受注を受けた工場が、完成を目前にして、中間報告をラグレンに伝えた時、ラグレン政府が応答に出たそうだ。
 ダルシャ・ヴィンドース夫妻は、不慮の事故で死亡した。ついては、彼らが受注した機械は必要がなくなっている。その上、もし完成しても、ラグレンへの持ち込みを拒否する。そちらで処分してくれと、申し渡されたそうだ」
 眉を上げて、さらに額をかく。
「一方的に言ってから、通信は切られたようだ。だが、請け負った工場元は、中途半端で受託を放棄せず、お父さんの志を継いで、機械の完成に尽力してくれた。ヴィンドース氏亡き後、五基の機械は、きちんと完成したようだよ」

 自分は――
 何も、知らされていなかった。
 父が情熱をかけて、偽水を飲料水にしようとしていたことも。
 工場の機械の製造を依頼するために、ジェイ・ゼルに借金をしていたことも。
 その機械が完成しているのに、息子である自分には、何の情報も与えられていなかった。
 ジェイ・ゼルは、全てを知っていたのだろうか。
 その上で、自分に偽りの情報を伝え、真実を隠ぺいしていたのか。
 ジェイ・ゼルが……まさか、そんな。
 ハルシャは、動揺のあまり、視線が揺らぎだした。
 足元が、崩れ去っていくような、衝撃が身に広がる。
 心臓の音が、やけに高く聞こえた。

 凍り付くハルシャの耳に、マイルズ警部の声が響いた。
「お父さんが注文した機械は、帝星で製造主が大切に預かってくれている。彼らは、ダルシャ・ヴィンドース氏の気高い志に敬意を抱いているようでね、ぜひ、完成した製品を、彼の後継者にお渡ししたいと、保管してくれているようだ」
 ハルシャは、前に座るマイルズ警部に視線を向けた。
 彼は優しく微笑んだ。
「お父さんが残してくれた、偉大な祖先の夢の実現の一歩だ。君が相続するべきものだよ、ハルシャ・ヴィンドース君」

 千年の後のこの大地に
 子孫の微笑みがあふれているように

 不意に、常に目にしていたファルアス・ヴィンドースの詩の一節が、浮かんだ。
 父は――不屈の闘志で困難を凌ぎ、人類に新しい故郷を与えてくれた、祖先を敬愛し、子孫であることを、誇りに思っていた。
 だから、自身も努力を続けていたのだろうか。
 実現不可能と思われていた、偽水を飲料水にする事業。
 父は、長年月を費やして、祖先の夢を実現させようとしていた。
 なのに。
 完成を目前にして、命を落とした。
 自分に何も、伝えずに。
 事業を広げようと、一緒に夢を語っていたというのに。
 父が命を落とした後、自分はその高い志すら知らずに、生きていた。

 次々に告げられる事実に翻弄され、ハルシャは理解が追いつかない。
 帝星に、父が依頼した偽水を飲料水に変える機械が、保管されている。
 それを、自分は受け取ることができる。
 父の遺志を、継げるのだ。
 ハルシャは、やっと整理をつける。
 どうして、一四七万ヴォゼルもの金額が、どこにも見つからなかったのか、その理由をようやく理解する。
 父が、帝星の工場へ作成を依頼した機械の初期投資として、支払われた後だったのだろう。
 苦しい中でも、一つ、謎が解けて、ハルシャは何となく安心した。
 長年の疑問が解けたことが、嬉しかった。

「で、だな」
 マイルズ警部が、また額を親指で掻きながら、少し言い難そうに、言葉をかけてくる。
「ここからは、僕がご説明します」
 話そうとした、マイルズ警部の言葉を、不意にリュウジが引き取るように声を放つ。
 顔を向けたハルシャへ、リュウジは静かな視線を向けてくる。
「ご両親の、死の真相について、です」
 すっぱりと、リュウジが言い切った。

 全ては、五年前。
 ハルシャのご両親が何者かによって、爆死させられた事件に、起因しているのではないですか。

 厳しい表情でジェイ・ゼルに迫っていたリュウジの姿を、ハルシャは思い出す。 
 あの時からもう、リュウジは何かを掴んでいたのだろうか。
 ハルシャは、動けなかった。
 身を強張らせてリュウジを見返すハルシャに、彼は静かな微笑みを与えた。

「それとも――やはり、知りたくないですか」

 微笑みを保ちながら、リュウジが自分の言葉を待っている。
 あの時、ジェイ・ゼルが、両親の死に関係していると、リュウジは述べていた。
 今、話を聞けば、きっと、そのことに言及する。
 逃れがたい予感がした。

「坊」
 優しい、マイルズ警部の声がした。
「そう、ハルシャ君を追い込むものではないよ。ご両親が亡くなったということは、とてもデリケートな話題だ。
 触れられたくない傷というのも、人にはあるのだよ」

 助け船を出すような口調だった。

「今、ハルシャ君は環境が激変して、混乱のさなかにある。そう、ことを性急に運んではいけない。
 人の心には、許容範囲というのがあるからね。思いが多すぎると、心から溢れてしまうよ」

 リュウジが唇を噛んだ。

「ですが、警部」
 真っ直ぐにハルシャを見つめたまま、リュウジが呟く。
「ハルシャは、偽りの情報を与えられて、ジェイ・ゼルを信頼するように、しむけられています」
 言い切る言葉の強さが、なぜか、ハルシャの胸を打った。
「身は自由になっても、今の状態では、ハルシャの心は、あの男に捕らわれたままです」

 微かに、リュウジの身が震えていた。
 どうしようもない悔しさを、必死に堪えるように、彼は唇を噛み締めて、自分を見つめている。

「僕は、ハルシャに、真実を、伝えたいだけです」

 ずっと。
 心の奥に抱え続けて来た、苦い思いを、今、リュウジが懸命に吐露しているような気がした。
 彼が苦しんでいるのは、自分のせいだと、ハルシャは気付く。
 ジェイ・ゼルに借金で縛られているときは、真実を告げても、ハルシャは彼から離れることが出来ない。
 嫌悪の情を抱かせたら、側に居るハルシャが気の毒だと、リュウジは思い遣りをかけてくれていたのかもしれない。
 心安らかに日々を暮らせるように、手にしていた真実を伏せて、ずっとリュウジは辛い思いを飲み込んできたような気がする。
 ジェイ・ゼルから離れた今、言えなかった言葉を、彼は必死に伝えようとしている。
 そんな気がした。

「ありがとう、リュウジ」
 彼の優しさを、ハルシャは、真っ直ぐに受け止めようと決意をする。
「どうやら、私の勇気が足りなかったようだ」
 自分だけではない。
 サーシャの両親でもあるのだ。彼女に、父と母の死の真相を伝えてあげることは、兄としての義務のような気がした。
 必死に勇気を奮い起こす。
 きちんと事実を見つめようと、覚悟を決める。
 きっとそれを、両親も望んでくれるはずだ。
「教えてくれ、君が知っている両親の死の真相を――」
 胸が、焼けた鉄を飲み込んだように、熱く、痛んだ。
「ジェイ・ゼルが、両親に何をしたのか、を」

 表情を引き締めてから、彼は、よく考えられた言葉で告げる。
「憶測の面があることは、否めません。ですが、僕は今からお話しすることが、ほぼ、真実であると、考えています。警部たちが調べてくれた、事実を繋ぎ合わせて、たどり着いた結論です」

 前置きをしてから、リュウジは口を開いた。

「あなたのご両親を殺害したのは」
 殺害という、きつい言葉を使って、彼は話し始める。
「ラグレン政府です」

 頭を殴られたような、衝撃が走った。
 ラグレン、政府?
 どういうことだ。
 頭が真っ白になる。
 動きを止めるハルシャに、リュウジは静かに語り続けた。

「正確には、現ラグレン政府の最高責任者、レズリー・ケイマン|執政官コンスルです。
 彼は、ご両親の高潔な事業、偽水を飲料水にするという行為を、阻止する必要がありました。
 なぜなら、現在飲料用の水は輸入に頼っており、それを独占し高額な関税をかけ、収益を得ているのは、ラグレン政府だからです。
 飲料水は、人類にとって必要不可欠なものです。
 それを独占することで、政府……いえ、レズリー・ケイマンは、莫大な収益を上げています。
 実際、首都ラグレンでの飲用水の価格の高さは、異常です。
 ですが、供給口が一つしかない以上、市民はいくら高価でも、買うしか選択肢はありません。
 独占企業に、良いように価格を操作され、市民は従うしかない――それが、現在のラグレンの飲料水事情です」

 歯切れ良い言葉で、リュウジが淡々と語る。
 確かに。
 帝星に父に伴われて行ったとき、あまりの水の安価さにびっくりした覚えがある。異常と言われれば、そうかもしれない。
 リュウジは、納得するハルシャの顔を見つめながら、言葉を続けた。

「ところが、そこに、あなたの父上、ダルシャ・ヴィンドースが事業に参画しようとした。
 ヴィンドース氏は、惑星トルディアに住む人々のために、飲料水の確保に奔走していました。事業が軌道に乗ったとしても、彼は市民を第一に考え、恐らく価格設定も、皆が求めやすい値段にしたでしょう。
 そうなると、政府管轄の高価な飲料水は売れなくなる。それによって、ラグレン政府――いえ、レズリー・ケイマンは非常な打撃を受ける。
 予測される脅威を防ぐために、彼らは――ダルシャ・ヴィンドース夫妻を、事故に見せかけて、殺害したのです」






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