ほしのくさり

第146話  『愛玩人形』 Ⅱ-02



※引き続き、男女の情交の描写があります。ご注意ください。苦手な方は飛ばして、第147話にお進み下さい。




 痛みを得たように、ジェイ・ゼルが眉を寄せる。
 問いかけに、彼はすぐに答えなかった。
 彼は、迷っている。
 その原因を、イズル・ザヒルは知っていた。

 ジェイ・ゼルは幼少から――ナダル・ダハットに、暴力的な性行為を受け続けてきた。
 愛情の欠片もない行為が、彼の感情を、確実に蝕んでいたのだ。
 自己を抑えようと懸命に努力していても、どこかで感情のたがが外れると、自分が受けてきた行為を返すように、相手を傷つけてしまう。
 その不安が、ジェイ・ゼルを苛んでいた。
 少年たちを仕込む中で、たった一度、ジェイ・ゼルはその片鱗を見せた。
 相手を傷つけかけて、茫然としていた姿を、イズル・ザヒルは憶えていた。
 誰よりも、ジェイ・ゼル自身が、一番自分の衝動に傷ついていた。
 彼らは、相手から快楽を引き出し、幸福を与えるために存在している。
 優しい彼らの心根を、最初の持ち主のナダル・ダハットは、無残に引き裂いてしまったのだ。

 極めて、不安定な心を抱えながら、彼は生きていた。
 それは、エメラーダも、同じだった。
 ほんの少しでも、自分が手荒い扱いをすると、恐怖に身を強張らせる。
 それほどまでに、彼らの心と身体は、ナダル・ダハットに痛めつけられてきたのだ。
 ジェイ・ゼルは、賢い。
 表面上の付き合いなら、いつもそつなくこなしてきた。
 性技を仕込むだけの、体のみの関係なら、彼は迷いなく少年たちを抱いている。
 けれど。
 心をさらすような、個人的な付き合いとなると、彼はとたんに躊躇をする。
 制御出来ない感情のままに、相手を傷つけてしまう自分自身のおぞましさに、彼は嫌悪すら抱いていた。
 だから。
 大切であれば、大切であるほど。
 相手と向き合うことを、彼は恐れる。
 今も、ハルシャ・ヴィンドースを、襲い掛かる未来の運命から守ろうと、恐らく決死の思いで自分に連絡を入れてきたのだろう。なのに、最後のところで、彼はためらう。
 イズル・ザヒルには、ハルシャを遊ばせておく選択肢は、最初からなかった。

 だから。
 イズル・ザヒルはこう言った。

 君がハルシャ・ヴィンドースを、個人的に愛人にしたいと懇願するのなら、考えなくもない。
 そうでないのならば、『アイギッド』に彼らを引き取らせてもらおう。
 よしんば、君がハルシャに手を出さないというのなら、定期的に『アイギッド』へ供してもらうことも視野に入れざるを得ない。
 ハルシャ・ヴィンドースは、それほど価値のある存在だ。
 本来なら、私の手元で巨額の金額にその身を化けさせたいところだ。
 だが。

 イズル・ザヒルは言葉を切って、ジェイ・ゼルを真正面から、見つめた。

 全て承知の上で、それでも個人的にハルシャを囲い込みたいというのなら、君は私の大切なエメラーダの兄だからね。
 融通を付けてあげよう。これは、破格のことだよ、ジェイ・ゼル。

 後は無言で、イズル・ザヒルはジェイ・ゼルの言葉を待った。
 彼は、迷い続けていた。
 イズル・ザヒルは、彼の迷いを放置して、表情を見守る。
 心の傷を乗り越えて、ハルシャ・ヴィンドースを求めることが出来るのか。
 そこまで彼が大切なのか。
 ジェイ・ゼルの本気を、確かめるように待ち続けた。

 彼は無垢です。

 不意に、ジェイ・ゼルが口を開いた。

 男性同士がどうやって交わるのかも、恐らく彼の知識にはありません。
 そもそも、男性から身体を求められること自体が、彼らの倫理に反している行為です。
 たとえ私が望んだとしても、ハルシャ・ヴィンドースは拒否するでしょう。

 それが、ジェイ・ゼルの迷いの原因なのだ。
 イズル・ザヒルは、目を細めた。

 『愛玩人形』は、行為を拒否されることを、極端に嫌う。
 全人格の否定と感じ、度重なる拒絶によって、精神が崩壊する者さえ、あった。
 エメラーダたちは、あの醜悪なナダル・ダハットにさえ、拒絶を恐れて、唯々諾々として身を開いてきたのだ。
 それが、惑星アマンダが彼ら『愛玩人形』に仕掛けた、所有者に縛り付けるためのプログラムだった。
 捨てられることを恐れさせ、所有者に従う人形として、生きさせるために。
 だから。
 イズル・ザヒルは、決してエメラーダを捨てないと、宣言していた。
 命を奪うのなら、自分が奪うと。
 誰にも触れさせないと。
 永劫に続く、たった一人との関係。
 それが、彼ら『愛玩人形ラヴリー・ドール』にとっての、幸福だった。

 これほど脆《もろ》いものを、ジェイ・ゼルは内側にはらんでいた。
 大切に思う者から拒否されれば、精神が崩壊してしまうほど、繊細な心。
 それを必死に押し隠し、人として懸命に生きようとするジェイ・ゼルの姿に、イズル・ザヒルは怒りすら、覚えた。
 命を作り出し、巨額の代金を得た後は、彼らに責任を持たない、惑星アマンダの冷酷な経営理念に。
 その後も生き続けなくてはならない、エメラーダたちの人生の過酷さに。
 イズル・ザヒルは、激しい怒りを抱いた。

 その悩みは無用だ。
 拒まぬように、契約を結べばいいだけだ、ジェイ・ゼル。
 問題は、そこではない。

 思わぬ、激しい口調で、イズル・ザヒルは彼に突きつけた。

 答えろ、ジェイ・ゼル。
 お前は、ハルシャ・ヴィンドースを抱きたいのか、抱きたくないのか。
 二択だ。
 抱かないのなら、『アイギッド』に連れてこい。
 即刻遊戯に供そう。
 だが。
 抱くのなら、お前の手元に留め置くことを、許可しよう。
 遊戯にも出させない。
 答えろ、ジェイ・ゼル。
 お前は、ハルシャ・ヴィンドースと性行為を行うのか、行わないのか。
 自分で抱くのか、他人に抱かせるのか!
 きれいごとを言うな、本音を聞かせろ!
 答えろ、ジェイ・ゼル!

 地金を出して、イズル・ザヒルは叫んでいた。
 震えながら自分に抱きついてきた、エメラーダのことが、心に浮かんだ。
 『愛玩人形』として生まれたのは、彼らの責任ではない。
 ジェイ・ゼルは、懸命に生きてきた。
 身を恥じる必要など、どこにもないというのに、彼は自分自身にひるんでいた。
 それがただ、哀れだった。
 生命体として完璧に作り上げられているのに、その精神は脆く危うい。
 いっそ心など与えられなければ、彼らは楽に生きられただろうに。
 彼らの揺れ動く心ですら、商品として惑星アマンダは取り扱う。
 まだ冷めやらぬ怒りを抱いたまま、イズル・ザヒルは言葉を続けていた。

 私の命令が解っていて、それでも楯突いてきたのだろう。
 覚悟は買ってやる。
 お前はどうしたいんだ、ジェイ・ゼル。
 逃げるな。
 本気を見せてみろ。
 欲しいのなら、手に入れればいい。
 一人の人間として、堂々と愛する者を求めればいい。
 ジェイ・ゼル。
 お前は、どうしたいんだ。
 聞かせてくれ、お前の本音を。

 最後は、穏やかに問いかける。
 見つめるイズル・ザヒルの薄青い瞳を、しばらく無言でジェイ・ゼルは見返していた。
 彼は一つの結論にたどり着いたようだった。


 彼を、私以外の、誰の手にも、触れさせたくありません。
 お願いです、イズル・ザヒル様。
 ハルシャ・ヴィンドースを、私の手元に、置かせて下さい。


 迷いを断つ声で、ジェイ・ゼルが言い切った。
 目の奥に、深く静かな炎があった。
 彼の覚悟をしばらく見つめてから、イズル・ザヒルは口を開いた。

 良いだろう。借金の条件の一つとして、ハルシャ・ヴィンドースの身を君に預けよう。
 ただし。
 君が、私の条件を全て満たしていたら、だ。
 条件が破られたら、即刻『アイギッド』へ召喚する。
 いいな、ジェイ・ゼル。

 頷きながら、彼は安堵していた。過去に自分が受けた醜悪な行為を、ハルシャがしなくてもいいという事実に。
 イズル・ザヒルは、彼が拒まれないように、方策を授けた。
 契約という名目で、行為に従うようにハルシャ・ヴィンドースに、好条件を提示するよう、命じたのだ。
 策は当たったようだ。
 ハルシャ・ヴィンドースは、契約通りに、決してジェイ・ゼルの行為は拒まなかった。
 だが、心の中では、彼を拒否し続けてきていた。
 ハルシャには、きっと、理解出来なかったのだ。
 ジェイ・ゼルは、生まれ落ちた時から、性の道具となる人生しか与えられなかった。だから、初めて愛した人に対しても、過去に得た知識でしか関わることが出来なかったのだと。
 それでも、彼は媚薬も、道具も、かつて彼を傷つけた存在を、ハルシャに何一つ使おうとはしなかった。
 ただ、その身一つで、大切な少年に向き合い続けた。
 もしかしたら、それは幼い頃に、彼が心から望んでいた、情愛の在り方だったのかもれない。

 身を合わせる行為が、彼の精一杯の愛情の示し方なのだと――彼の過去を知らない、ハルシャ・ヴィンドースには、理解出来なかったようだ。
 『愛玩人形』として、性行為を強いられてきた過去を越えて、懸命にハルシャ・ヴィンドースに手を差し伸ばしてきたことを。拒まれることに、恐怖すら覚えながら、それでも必死に彼を求めていたことを。
 ハルシャは、気付かず、ジェイ・ゼルを心で拒み続けた。
 上流階級の倫理観に凝り固まった少年は、彼の行為を恥辱としか、取らなかったようだ。
 ジェイ・ゼルの行為の向こうにあるものを、彼は、見ようとはしてくれなかった。

 五年。
 五年もの間。
 ハルシャは、ジェイ・ゼルの心を、傷つけ続けた。
 無垢な体に押し入ることに、罪の意識を感じていたジェイ・ゼルは、最初の行為の時、拒むハルシャの言葉と態度に、逆上してしまったのだろう。
 過去に受けて来た暴力的な性行為の傷跡が、彼を狂気に駆り立てたのかもしれない。
 そのことを、ジェイ・ゼルはずっと、悔いていた。
 どうして、優しく出来なかったのだろう、と。
 それは――
 彼が、愛情深く抱いてもらったことがないからだ。
 行為を通じて、愛を与えられたことがないために、解らなかったのだ。
 最初のころのエメラーダもそうだった。
 愛を与えられることもなく、ただ、身体を通じて、快楽だけを貪られてきた。
 手法としての快楽の得方を、幼いころから叩き込まれながら、一番大切な、愛情の生み方を彼らは教えられずに生きてきた。
 突然物として売り飛ばされて、買われた者に従う人生しか、選べなかった。
 彼らは、犠牲者だ。
 醜悪なナダル・ダハットによって、彼らは心と身体を引き裂かれ続けていた。
 本来情愛の行為であるはずのものが、彼らを苛んできたのだ。
 ただ。
愛玩人形ラヴリー・ドール』として、この世に生み出された。
 本人たちには何の責任もない、理由で。
 彼らには、人として当たり前の、親の愛情すら、受けることが出来なかった。
 その中で、ジェイ・ゼルは懸命にハルシャ・ヴィンドースを、愛そうとしてきた。
 与えらえたことのない愛を、彼に与えようとして。


「ああっ! イズル様! もう!」

 愛する存在が、自分の下で、色めいていく。
 この幸福を手に入れるためなら、世界を敵に回しても、恐くなどなかった。

「いっていいんだよ、エメラーダ」

 優しくかけた声に、小さく彼女が首を振る。

「どうか、ご一緒に――イズル様」

 甘えるように、すがる様に彼女が言う。
 応えてイズル・ザヒルは動きを変えた。
 激しく彼女の中に、自分を打ち込む。
 身をよじって、エメラーダが美しく乱れる。

 ジェイ・ゼルは、ハルシャを愛していた。
 彼の想いの深さを、受け取ることの出来なかった少年を。
 五年もの間、愛し続けた。

 だが。
 もう、ハルシャは、ジェイ・ゼルから、解放された。
 ジェイ・ゼルが自分から、手を離したのだ。

 ハルシャを手元に置きたいと懇願したジェイ・ゼルのために、イズル・ザヒルは、レズリー・ケイマンに掛け合い、許可を取り付けた。
 もちろん、そのために巨額の献金を余儀なくされたが、些末なことだ。
 ジェイ・ゼルの庇護にある間は、ハルシャに手を出すなとラグレン政府に言っておいた。
 が、借金の返済が終わった今、その規制を外しても大丈夫そうだ。
 出来れば、ジェイ・ゼルが『アイギッド』に滞在している間に、ことが済ませられればいい。
 そうすれば――もうこれ以上、彼が苦しむことは、ない。

 ジェイ・ゼルは、強く優しく、賢い子だった。
 その資質を、イズル・ザヒルは高く評価している。
 後継者に出来ればと考え、今は彼の過去を人々の記憶から消すために、あえて惑星トルディアを任せてある。
 ほとぼりが冷めれば、ジェイ・ゼルにも言っておいたように、手元へ呼び戻すつもりだった。
 何より、エメラーダが喜ぶ。
 生まれたときから寄り添ってきた兄と離れることを、彼女はひどく嫌がっていた。
 それでも目的のために、イズル・ザヒルはジェイ・ゼルを、惑星トルディアに派遣したのだ。

 ライサム・ゾーンは、確かに腕は確かだが、冷酷すぎる。彼がトップとなっても、人はついてこないだろう。
 その点、ジェイ・ゼルには不思議な人望があった。
 彼の側には、自然と人が集まってくる。
 どんな冷酷なことをしても、彼の本質が優しいことを、人は敏感に見抜くのだろう。ラグレンでも、ジェイ・ゼルは部下たちに慕われているようだ。
 ただ、彼の優しさを侮って、つけあがる者がいるのも、事実だ。
 それは、ライサム・ゾーンが、傍らで締めていけばいい。
 イズル・ザヒルは、密かに計画を練り続けていた。
 皆はライサム・ゾーンが後継者だと考えている。
 今は、それで良かった。
 下手にジェイ・ゼルの名を出せば、ラグレンで彼の命が狙われるかもしれない。イズル・ザヒルは、用心深い。

 もう今では、人が入れ替わり、ジェイ・ゼルがナダル・ダハットの所有物だったことを、知る者はほとんどいない。
 元々が、『愛玩人形ラヴリー・ドール』は帝国法違反の人工生命体だ。
 持ち主も公言しないことを、美徳としていた。
 そのため、ジェイ・ゼルも、ただ、自分の愛人、エメラーダの兄としてだけ、名が通っている。
 イズル・ザヒルの思惑通りだった。
 彼の計画の邪魔となる、ハルシャ・ヴィンドースの存在も、思わぬ方法によって、ジェイ・ゼルの人生から取り除かれた。
 借金さえ回収できれば、イズル・ザヒルには何の不満もなかった。
 むしろ、富豪の気まぐれに、感謝したいほどだ。

「あっ、はあっ……イズル様!」
 名を呼びながら、身を強張らせて、エメラーダが頂点を迎えた。
 彼女の中が、甘やかに痙攣している。
 ぴくぴくと誘うような腹部の動きを目に映して、強い一突きで彼女の中に押し入り、イズル・ザヒルは精を放った。
 彼女がそれを、全身で受け入れる。
 脈打つような動きに絞られるままに、中での動きを止めて、エメラーダを抱きしめた。
 彼女の腕が、首にまわされる。

「イズル様」

 吐息のように、エメラーダが呟く。
 絶頂に酔いしれる彼女は、世界で一番美しいと、イズル・ザヒルは思った。

「愛しているよ、エメラーダ」

 言葉に、彼女が微笑む。

「私もです。イズル様」

 もし。
 それでも、ジェイ・ゼルがハルシャ・ヴィンドースを求めたとしたら。
 愛しい存在を腕に包みながら、イズル・ザヒルは考える。
 その時は、ジェイ・ゼルがラグレン政府を潰せばいい。

   自分は何も文句は言わない。
 エメラーダを求めるのに、先代|頭領ケファルを自分が殺したように、愛しい者を、運命から奪い取ればいい。
 レズリー・ケイマンをジェイ・ゼルが殺しても、何一つ問題はない。
 愛する人を腕に抱くために、妨げとなる存在を叩き潰す。
 それほどの想いを、彼が胸の内にたぎらせるのなら――

 万難を排して、ジェイ・ゼルを支援する覚悟は、イズル・ザヒルの中にあった。









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