ほしのくさり

第14話  存在しないはずの人物-01





  
「結論から言う」
 メリーウェザ医師の硬質な声が、医療室に響いた。
「現在惑星トルディアに滞在する旅行者の中に、オオタキ・リュウジという人物は、存在していない」

 一日が経った。
 明日の納入までに、ハルシャはきちんと仕事を終えることが出来た。
 納期に間に合わせることが出来、完成を工場長に告げてから、ハルシャはメリーウェザ医師の医療院へと、急ぐ。
 そこで、彼女が一日をかけて調べた結果を知らされた。

 診療を終え、一人きりで仕事をしていたメリーウェザ医師は、ハルシャを見ながら吐息をついた。
「オオタキというのは、珍しい名字だ。しかも、名字が先に来るのは、惑星ガイアの一部の地域に限られている。
 気になって、オオタキ・リュウジという人物名で、惑星トルディアの情報局に検索をかけてみたが、何も引っかからなかった。
 不法に入星したのでない限り――オオタキ・リュウジは本来なら、惑星トルディアに存在していないはずの人物だ」

 最悪の結果だ。

 ハルシャは、聞かされた結果に、動揺を覚える。
 まさか、何も手がかりがないとは、思ってもみなかった。
 ふうっと、再び、彼女が息を吐く。
「すぐに身元が判明すると、彼に安請け合いした手前、申し訳ない気持ちになってくるよ」
 茶色の髪が、乱れている。今日は一日駆けまわってくれたのだろう。 
 机に肘を突き、額を押さえながら、呻くようにメリーウェザ医師が言葉をこぼす。
「オオタキ・リュウジという名が、彼のものでない可能性だけが、残っているが――それでも、記憶が戻らない限り、どうしようもない」
「彼の記憶は、戻るだろうか?」
 ハルシャの問いかけに、メリーウェザ医師が力なく首を振った。
「わからないな、ハルシャ。
 脳に損傷を受けていないのは、確かだ。
 それでも記憶が飛んだということは、精神的な面が大きいだろう。
 よほど、辛い体験だったんだ。彼の心が現実を拒み、結果、保護のために害悪となる記憶を削除するほどに」
 可哀そうに、と、小さく彼女が呟く。
「もしかしたら、彼のチップの仕業かもしれないが。いずれにしろ、思い出したくない行為だったのだろうな」

 ハルシャが思ったことを、メリーウェザ医師も考えていた。
 自分にも、忘れてしまいたい過去がある。
 彼が心を守るために切り捨てた記憶なら――無理に、思い出させない方がいいのかもしれない。


 沈黙するハルシャに、
「随分元気になったぞ、リュウジは」
 と、気分を盛り立てるように、メリーウェザ医師がいう。
「学校からの帰りに、サーシャも立ち寄って、料理を運んでくれていた。今日は、飲食店のアルバイトだそうだな。仕事が終わったらここへ寄ると言っていた。ハルシャもそこまで居たらどうだ」
 ハルシャは、うなずいた。
 まだ考えに沈むハルシャに、柔らかな声が響く。
「顔を見せてやれ。君のことを、リュウジは気にしていた」
 上げた視線の向こうに、優しい笑みが広がっていた。
「意識を取り戻して、最初に見たのが君だったからか、リュウジは無条件で君を信頼しているようだ。
 惑星ガイアにいるカルガモとかいう鳥類のヒナドリのように、視界に最初に動いたものを親と思い込んでしまったようだ」
 くすくすと、メリーウェザ医師が笑う。
「君がいないと、不安そうにしている」

 意識を戻したときに、交わしたのは短い会話だ。それほど、深い関わりでないはずだ。
 ハルシャの気持ちを汲み取ったのか、
「記憶を失ってしまったオオタキ・リュウジにとって、昨日が生まれた日のようなものだ。何もない中に、君の存在が強く刷り込まれてしまった。
 寄る辺のない中で、自分を助けてくれた君のことが、たった一つ信じられる存在なのだろう」
 と、解いて聞かせるように、彼女が呟く。
「その気持ちは、解らんでもない」
 ぽつんと、メリーウェザ医師が言う。
 彼女の目が、遠い所を見ていた。
 過去を、見つめるように。
 ふっと彼女は笑うと、ハルシャへ視線を向けた。
「行ってきてやれ、ハルシャ。リュウジが待っている」


 *

 
 そっと開いた幕の奥で、医療用のベッドに横たわり、オオタキ・リュウジは眠っていた。
 顔を見せてやれという、メリーウェザ医師の言葉に従ってみたものの、寝ている彼を起こすのは気が引けた。
 椅子を引き寄せて、昨日のように、眠る彼の側に腰を下ろす。
 サーシャが来るまで、まだ時間がある。
 瞼を閉じる、青年の顔を見守る。
 長い黒い睫毛が、顔に影を落としていた。
 随分、彼は元気そうになっている。血色がいい。食事もきちんとしたと、メリーウェザ医師から聞いている。サーシャがお粥を作ったらしい。
 腕を組んで、ハルシャはくつろいだ姿勢になった。

 オオタキ・リュウジという旅行者は、登録されていなかった。
 不法入星という言葉が、ハルシャの中に、重く響いた。
 彼は、チップにもプロテクトをかけている。
 無防備に眠る今の彼からは、想像できないが、犯罪者である可能性も、捨てきれない。

 オオタキ・リュウジ。一体君は、誰なんだ。

 問いかけたい気持ちをぐっと飲み込んで、ハルシャはじっと彼を見守った。
 静寂の中で、様々な思考が、脳裏をよぎる。

 明日、納品に立ち会えと、報告に行ったハルシャに、工場長が告げた。
 惑星サングラからわざわざ契約主が来るらしい。
 よほど重要な相手らしく、工場長は神経を尖らせていた。検品の折、不備があればすぐに修正が出来るようにという理由だが、要するに何かあれば、ハルシャを叱責しようという魂胆なのだ。
 ハルシャが、ジェイ・ゼルに飼われていることを、工場長のシヴォルトは熟知している。欠片も便宜を図られていないにもかかわらず、ジェイ・ゼルに対する当てつけか、ハルシャは折々に手ひどい扱いを受けていた。
 もう、気にしないようにしている。
 だが、納品に立ち会えば、また仕事が遅れる。一つ仕事が終わっても、次の部品が控えている。永遠に自分は、働き続けなくてはならない。
 いつの間にか視線を落として考え込んでいたらしい。
 微かな呻きに、ハルシャは視線を上げた。
 はっと、椅子から立ち上がる。
 
 明らかな苦悶の表情を浮かべて、オオタキ・リュウジが、歯を食い縛っていた。
「どうした」
 身を乗り出して、ハルシャは、リュウジの肩に手を触れる。
「どこか、痛むのか?」
 問いかけに応えず、リュウジが身を突っ張った。
「止めてください」
 うわごとのように、虚空に彼が呟く。
「もう、止めて下さい……」
 首を振り、彼は必死に身を捩る。

 ハルシャは、凍り付いた。
 懸命に抵抗する時の口調だった。
 何から身を守るように、リュウジの腕が振られる。

 今彼は、過去に受けた暴行から、逃げようともがいていた。

 彼の心は、与えられた暴力の事実を、記憶から消そうとした。だが、やはりどこかに残っているのだろう。
 屈辱に身を捩りながら、彼が懸命に、虚空に叫ぶ。
「嫌です!」

「リュウジ!」
 ハルシャは、強く彼を揺さぶって、現実へと引き戻そうとした。
 汗が、彼の額に浮いている。
「リュウジ、目を覚ませ!」
 両肩を掴み、強くゆする。
 ハルシャの手を、彼は払いのけようとした。
 受けた暴力に怯える体を、ハルシャは、咄嗟に引き寄せて、腕に包んでいた。
「大丈夫だ、リュウジ」
 医療用のベッドの隅に腰を下ろし、身をひねるようにして、震える体を包む。
「何も怖くない。大丈夫だ。ここは、安全だ――」
 幼いサーシャを、闇の恐怖から守ってきたように、ハルシャはリュウジを抱きしめた。
「大丈夫だ、リュウジ」
 穏やかな言葉に、次第に彼の身の震えが収まって来た。
 とんとんと、ハルシャは背中をなだめるように、叩く。
 引きつったような、彼の呼吸が穏やかになってきた。
「大丈夫だ、何も怖くない」
 彼が落ち着いたことを感じ取って、ハルシャは腕を解いた。
 苦痛にまだ眉を寄せながら、リュウジが身を離す。
 すぐ近くに、彼の顔があった。
 はっと、ハルシャは、リュウジの瞳の色に気付く。
 昨日は、黒だと思っていた。
 だが、今近くで見た彼の瞳は、黒ではなかった。
 限りなく黒に近い、深い、深い藍色――
 ハルシャが憧れてやまない、宇宙の色だった。

 瞳が、ハルシャを映す。
「ハルシャさん」
 目にしたものを、そのまま口に出したように、彼が呟く。
 目の中に恐怖がないことを確かめると、ハルシャはほっと息をついた。
「怖い夢を見たのか」
 汗の浮いた額に目を止めてから、ハルシャは問いかけた。
 少し荒い息を吐きながら、
「夢?」
 と、聞きなれない言葉のように、彼が問いを返した。
 封印したはずのことが、眠りの中で蘇ってきたのかもしれない。
 ハルシャは、それ以上追及するのを止めた。
「うなされていた」
 ハルシャは汗の浮く、彼の額に手の平で触れる。
「暑かったのかもしれないな。それでうなされたのだろう」
 説明をそれでつけると、ハルシャは身を動かした。
「寝ていたのに、無理に起こしてすまなかった」
 と、詫びを呟く。
「いえ――こちらこそ、すみません。うるさくしたのですか?」
「どこか痛いのかと、勝手に勘ぐってしまったんだ」
 ゆっくりと、リュウジが首を振る。
「すみません。騒がしくしてしまって」
 ハルシャは、瞬きをすると
「体調はどうだ」
 と、話題をかえた。
 にこっと、リュウジが笑う。笑顔になると、途端に彼は幼い顔になった。
「快調です。少し歩くように言われて、廊下を、幾度か往復しました。お昼には、ハルシャさんの妹さんにお逢いしました。美味しいお粥を頂いて、元気になってきています」
 彼は、すらすらと言葉を喋る。
 廊下、や、往復、お粥などの言葉は、忘れていないようだ。
 だた。
 自分の過去のことだけが、きれいに消えているだけかもしれない。
「ハルシャ、でいい」
 彼を見つめながら、ハルシャは呟いた。
「さん、は、いらない」
 
 ゆっくりと、彼は意味を理解したらしい。
「わかりました、ハルシャ」
 素直に、言われたことを口にする。

 それからサーシャが来るまでの時間、ハルシャはリュウジが望む通りに、このオキュラ地域のことを、彼に語った。
 惑星トルディアのこと、都心ラグレンのこと。
 けれど。
 自分が惑星の父と呼ばれる、ヴィンドース家の者だとは、ハルシャは言うことが出来なかった。
 最初に名乗っていたが、出来れば彼の記憶の中に、残しておきたくなかった。


「物騒な場所なのですね」
 ハルシャの説明に、ようやく彼は理解したらしい。
「ああ」
 ハルシャは視線を落として答える。
「君は、幸運だった」
「ドルディスタ・メリーウェザからも、そう伺いました。あなたにお逢いできたのが、幸運だったと」
 無邪気な言葉に、ハルシャの心が痛む。
 どんな状態で自分が放置されていたのか、彼が思い出さないでくれと祈るように思う。
 身に傷跡は残っていない。
 完璧な治療が為されたのだと、ハルシャは知っている。
 だが。
 心の中の傷は、消えない。
 記憶を削除しながらも、彼は眠りの中でうなされていた。





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