ほしのくさり

第144話   『愛玩人形』Ⅰ



※文章中に、男女の情交の描写が出て参ります。苦手な方は飛ばして、三話先の第147話までお進み下さい。



「待たせてすまなかったね」
 バスローブを肩から滑り落としながら、イズル・ザヒルは愛する者の側へ顔を寄せた。

 身にシーツを巻き付けてベッドで待つ、エメラーダに微笑みを与える。
 エメラーダは、彼の唇を素直に受け取り、音を立てて触れ合わせた。

「お兄さまに、何か?」
 唇が離れたとき、心配げに問いかけたエメラーダの言葉に、イズル・ザヒルはすぐには、応えなかった。
 彼女の長い黒髪を、ゆっくりと手で梳く。
「ハルシャ・ヴィンドースが、借金を完済させた」
 驚くエメラーダの額に、軽く唇を当ててから、イズル・ザヒルは呟いた。
「かわいそうに。憔悴していたよ、ジェイ・ゼルは」

 灰色の瞳で、エメラーダはじっと、愛する人を見つめ続けた。
「お兄さまは、ハルシャ・ヴィンドースを諦められたのですか」
 にこっと、イズル・ザヒルは微笑んだ。
「詳しくは聞いていないが、様子からすると、そのようだね」
 するっと、エメラーダの側に、自分の体を滑り込ませる。
「元々、借金を理由に相手をさせていただけだ。完済すれば、関係を続ける理由がない」
 横たわったイズル・ザヒルに、エメラーダは身体を寄せた。
 温もりを腕に抱きながら、
「自由になって、そこから本当の愛が、育まれるのではないのですか。イズル様」
 と、優しい声で問いかける。
「私はそうでした」
 ぽつんと、エメラーダが呟く。

 腕に身を寄せるエメラーダへ、イズル・ザヒルは眼差しを向けた。
「エメラーダ」
 呼びかけに、エメラーダが眼を上げる。
「私は初めて、自分の意思で――イズル様を選ぶことが出来ました。本当の自分の想いが、とても嬉しかったです」
 澄みきった灰色の瞳へ注いだ目を、イズル・ザヒルは逸らさなかった。
 真っ白な陶器のような肌に、そっと触れる。

 イズル・ザヒルは静かに微笑んだ。
「それは、ハルシャ・ヴィンドースが相手だと、とても危険なことだね」
 優しい声で、最愛の人へと言葉をかける。
「ジェイ・ゼルは君と同じで、とても優しく繊細な心を持っているからね。愛するものを、切り捨てることが出来ない」
 頬に触れながら、イズル・ザヒルは呟いた。
「私とは違う」
 灰色の瞳を見つめながら、彼は言葉を滴らせる。
「必要があれば、私は君を殺すことも出来るんだよ、エメラーダ」
 エメラーダはにこっと笑った。
「存じております、イズル様」
 繊細な指で、頬に触れる彼の手を包む。
「その時は、ご自分の手で、私を殺して下さるのでしょう?」

 真摯な問いかけに、イズル・ザヒルは優しく微笑んだ。
「もちろんだよ。エメラーダ」
 顔を寄せながら、イズル・ザヒルは呟く。
「君を誰にも触れさせない。君の命も――この髪も、この眼差しも、全て」
 唇が触れ合う。
「私だけのものだ」
 安心させるように、イズル・ザヒルは呟く。
「君の命を奪えるのも、私だけだよ、エメラーダ」

 うっとりとしたように、エメラーダは頬を赤らめて、呟いた。
「嬉しいです、イズル様」
 白い腕を差し延べて、エメラーダはイズル・ザヒルを抱きしめた。
「私を離さないで下さい。最後の瞬間まで、ずっと」
 彼の背中を抱きしめて、呟く。
「お側にいさせて下さい。お願いです、イズル様」
「エメラーダ」
 初めて出会ったとき、エメラーダは少女だった。
 今はたおやかな彼女の身体を、イズル・ザヒルは引き寄せた。
 優しく唇を重ねてから、イズル・ザヒルは覆うように、彼女の上に身を動かした。
 唇を合わせたまま、指先を下に滑らせ、これからの行為が、彼女に痛みを与えないかを、確認する。
 ジェイ・ゼルからの連絡が入る前まで、丁寧に指で愛撫していた秘所が、甘く熟れたように彼を招いていた。
 準備は出来ているようだ。
 イズル・ザヒルは、彼女の膝を割り裂き、素肌を触れ合せながら、静かに熱い秘部へと入っていく。
「ああっ! イズル様!」
 敏感に反応するエメラーダの身体を抱きながら、イズル・ザヒルは彼女の耳元に呟いた。
「愛しているよ、エメラーダ」
 潤んだ灰色の瞳が、自分を見つめている。

 この瞳は、ジェイ・ゼルと同じだ。
 人の心を掴んで離さない、美しい瞳――

 惑星アマンダでも、極めて高額で取引される『愛玩人形』ラヴリードール
 さらに希少な男女の双子として、エメラーダとジェイ・ゼルはこの世に生を享《う》けた。
 最高級の呼び名の高い二人を、オークションで競り落としたのは、『ダイモン』の先代|頭領ケファルナダル・ダハットだった。
 惑星一個が優に買える代価と引き換えに、二人はナダル・ダハットの所有物となった。
 まだ、七歳という、幼い年齢だったと言う。
 性技は仕込まれているが、未通だったエメラーダの身体を、ナダル・ダハットは、惑星アマンダから連れてきた日に、無遠慮に引き裂いた。
 そこから二人は、ナダル・ダハットの所有物として、手荒い扱いを受けざるを得なかった。
 彼らには、戸籍がない。
 物と同じで、人権すら、与えられていない。
 惑星アマンダでは、売却された『愛玩人形』がどのような扱いを受けようが、感知しないという、体裁を取っていた。
 もし、『愛玩人形』が、肉体的に限界を迎えれば――それはつまり、所有者が新しい『愛玩人形』を購入する機会が巡ってくる、ということに他ならない。
 惑星アマンダは、次々に性の道具として命を生みだし、それを消費することで成り立っている、爛れ切った星だった。

 考えながら、イズル・ザヒルは、愛する人の中で、動き続けた。
「あっ、イズル様」
 知り抜いている、エメラーダの弱い場所を、丁寧に刺激して、彼女を高めて行く。
 頬が上気し、切なげに眉を寄せて、エメラーダがイズル・ザヒルを見つめ続けていた。
 その瞳が――ゆっくりと、緑に変化していく。
 エメラルドのような緑に変じる瞳を、愛しげに見返しながら、イズル・ザヒルは彼女の中で、動き続けた。

 ジェイ・ゼルと、エメラーダは――
 銀河帝国の科学の粋を尽くして、遺伝子から組み上げられた、最高級の『愛玩人形』ラヴリードールだった。
 最高品質の証として、彼らは快楽を得たとき、瞳の色を変じる。
 まさに、性産業のためだけに、産み落とされた存在。
 あまりに高価で貴重なために、特権階級しか手に出来ない。僥倖により所有するに至った者たちは、互いの『愛玩人形』の性能を誇り合った。
 どれだけ、長時間、眼の色を変えていられるのか。
 どれだけ美しく、色を変じるのか。
 所有する『人形』を持ちより、彼らは飽かずに競わせた。

 その時――
 ジェイ・ゼルは、妹のエメラーダをかばって、いつも自分から進んで、その狂乱の宴の贄《にえ》となった。
 淫靡で、無軌道な宴。
 持ち寄った『愛玩人形』に、惑星アマンダの極上の媚薬を仕込み、精神が崩壊する一歩手前まで、複数の人間たちによって、身を弄ばれ続ける。
 どれだけ長く、どれだけ美しく、瞳の色を変じることが出来るのか――
 ジェイ・ゼルはいつも、長時間、彼らの責めに耐え続けた。
 そのことは、所有者のナダル・ダハットを、この上なく満足させ続けたようだ。宴があるたびに、ナダルは自慢げに彼を伴った。
 ジェイ・ゼルが、媚薬をことのほか嫌悪するのは、この時の記憶があるからだ。

 イズル・ザヒルは、目を細める。
 醜悪な集まりで、長い時は、三日三晩責め立てられることもあった。
 狂気の宴の後、ジェイ・ゼルは、身も心も酷使され、ぼろ雑巾のようになって、自室に戻ってくることがほとんどだった。
 連れ戻された兄の身を抱いて、エメラーダは、いつも泣いていた。
 自分のために、辛い役を引き受けてくれる兄のために。
 彼が身をもって守ってくれたお陰で、エメラーダは座興に連れ出されることが、ほとんどなかった。
 繊細なエメラーダがもし、三日も責められたら、彼女の精神は壊れていたかもしれない。
 ジェイ・ゼルが、身を張って妹を守り続けたことに、イズル・ザヒルは深く感謝をしていた。
 痩せた兄の身を抱いて、涙で眼が溶けてしまいそうなほど泣くエメラーダに、ジェイ・ゼルはいつも優しく声をかけていた。
 大丈夫だよ、エメル。君が、傷つけられなくて良かった。と。
 美しいものを、見ていると、イズル・ザヒルは思った。極限状態で、懸命に支え合う双子の兄と妹の姿は、天使のようだった。
 作り出され、自由意志を奪われた存在でありながら、彼らはどんな人類よりも、美しく優しい心根を持っていた。

 そんな彼らを、代金を支払った分は楽しませてもらおうと、思っていたのかもしれない。
 醜悪な支配者であるナダル・ダハットは、蹂躙し続けた。
 ことに、ナダル・ダハットが執着していたのは、エメラーダだった。
 幼い身体を、いつも無理やりに彼は抱いた。
 傷めつけられた身を癒すために、最新鋭のメドック・システムが、彼らのために用意されているほどだった。
 ナダル・ダハットは、真性のサディストだった。
 彼は家族にすら、自身の性癖を振るった。
 自分の娘と妻を自殺に追い込み――彼の実の息子である、ライサムが父親の死を願うほどに、醜悪な手段にでた。
 その欲望を――天使のように美しい男女の双子は、一身に受け続けたのだ。

 イズル・ザヒルが、初めて二人に出会ったのは、『ダイモン』に入って間もなくのことだった。
 頭領ケファルの愛人たちの世話係が辞めたために、新人の自分にその役が回ってきたのだ。
 『ダイモン』でのし上がる気でいたイズル・ザヒルは、正直仕事内容が不満だった。愛人たちの世話係とは、つまり、表には出ない裏方の仕事だ。
 野心のあったイズル・ザヒルは、自分の名を売るような仕事を望んでいたのだ。
 だが、頭領ケファルの命令は、絶対だった。
 しぶしぶ赴いた職場――ジェイ・ゼルとエメラーダの部屋で、イズル・ザヒルは信じられないものを見た。
 これほど美しいものが、この世に存在するのだろうか。
 ジェイ・ゼルと、エメラーダを初めて見た時、イズル・ザヒルは打たれたように動けなくなった。
 それほどまでに、清廉な美を双子の兄妹は湛《たた》えていた。
 黒く、艶やかな髪。
 深みのある、灰色の瞳。
 抜けるような白い肌。
 整いすぎるほど、端正な、瓜二つの顔。
 並んでいると、鏡を見ているようだった。

 二人は酷いほどの扱いを受けながらも、優しく愛情深かった。
 夜はナダルの呼び出しがあるため、昼間眠る彼らは、指を絡め、互いを支え合いながら、寝につく。
 懸命にそうやって耐える姿に、いつしか、イズル・ザヒルは心動かされた。
 夜毎、執拗なナダルの加虐を受け、身を傷めつけられながら戻ってくる二人の身を拭い、メドック・システムへと入れる。
 高価なため、一つしかないメドック・システムを、兄は妹に先に使わせようとした。
 エメルを先に治してあげて。私は大丈夫だから。
 いつも、彼はそう言った。
 どんなに身を引き裂かれていても、彼は無言で痛みに耐え続ける。
 メドック・システムに眠る妹を見守る彼の眼差しは、慈愛に満ちて穏やかだった。
 せめて。
 世話係の自分だけでも、彼らを人間として扱おう。
 非道で知られたイズル・ザヒルの中に、そんな感情を呼び起こすほどに、彼らはいとけなかった。
 その気持ちを感じ取ってか、エメラーダが、イズル・ザヒルに身を寄せてくることが、多くなった。
 その日も、ベッドを設え、食事を運んで来たイズル・ザヒルのそばに、彼女は温もりを求めるように、寄り添ってきた。
 眼を遣ると、先日、絞められたナダルの指の痕が、細いエメラーダの首に残っていた。

 どうして。
 彼らが、こんな扱いを受けなくてはならないのか。

 幼い身を自分に寄せながら、じっと黙りこむエメラーダの姿に、イズル・ザヒルは自分でも解からない怒りが込み上げてくる。
 エメラーダの頭を撫でると、彼女はイズル・ザヒルを見て、微笑んだ。

 イズル・ザヒル様の手は、温かくて優しいね。

 きっと。
 彼女は傷つける手しか、知らないのだ。
 灰色の瞳を見つめたまま、イズル・ザヒルは動けなくなった。
 救いたい。
 彼女を、自分のものにしたい。
 内から激しい感情が湧き上がってきた。
 だが、ナダル・ダハットは二人に執着し、決して手放そうとしなかった。
 だから。
 殺すしかなかった。
 ナダルの息の根を止めたとき、そのまま、エメラーダの元へ向かった。
 彼女は、血に濡れた自分を認めると、真っ直ぐに走って来た。
 迷いも躊躇いもなく、一筋に。
 その時。
 自分の決断は間違っていなかったと、思った。
 彼女の幸せのためなら、この身がどんなに恥辱にまみれてもいい。先代殺し、簒奪者、好きに呼ぶといい。
 自分の手には、エメラーダがいる。

 ジェイ・ゼルは、あの極限の状態の中でも、強く優しく、エメラーダをかばい続けた。
 その恩義を、イズル・ザヒルは片時も忘れていなかった。
 彼が側で支えてくれなければ、自分はエメラーダを失っていたかもしれない。
 恩人に近い。
 だから。
 ジェイ・ゼルの初めての恋を、イズル・ザヒルはあらゆる非難を押しのけて、見守り続けてきた。

 穏やかなイズル・ザヒルの動きに、エメラーダが身を捩りながら、高められていく。
 鮮やかな緑の瞳を見つめながら、五年前のことを、イズル・ザヒルは思い出していた。


 申し訳ありません。頭領ケファル

 必死の面持ちで、専用回線の画面の向こうから、ジェイ・ゼルが言葉を懸命に告げていた。

 ハルシャとサーシャ・ヴィンドースの兄妹ですが――ラグレンにて、私の手元に留め置くことは、出来ないでしょうか。

 意外すぎる言葉だった。
 ジェイ・ゼルが、自分の命令に従わなかったことなど、これまで一度もない。
 ハルシャたちの身柄は『アイギッド』で預かることで、ラグレン政府のレズリー・ケイマンと話がついていた。それを覆すなど、不可能だ。
 冗談かもしれないと、笑い飛ばすようにイズル・ザヒルは彼に応えた。

 それほど、無理なことを、私は依頼したのかな。ジェイ・ゼル。
 私は、ハルシャとサーシャを、『アイギッド』に連れてこい、と言っただけだ。
 競売は好きにしていい。
 だが。
 あの二人は、『アイギッド』に必要だ。すでに、彼ら用の遊戯も計画してある。客たちが楽しみにしているんだよ。
 解るかな、ジェイ・ゼル。

 じわっと、ジェイ・ゼルの額に汗が滲んでいく。
 これは、命令だった。
 背くことなど、あり得ない。
 ジェイ・ゼルは、そのことを、誰よりもよく、知っているはずだった。
 解りました、頭領ケファルという言葉を期待していたイズル・ザヒルの耳に届いたのは、予想を裏切る言葉だった。


 二人の借金は、私が責任をもって、完済させます。
 どうか。
 彼らを、ラグレンにて留め置く許可をお与えください。










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