「詳細は、だいたいハルシャから聞かせてもらったよ、リュウジ」
以前、サーシャの時に使った大きな机のある部屋に、ハルシャとリュウジ、そしてジェイ・ゼルの三人だけが入っていた。
自分たちがジェイ・ゼルの事務所へ着いてほどなく、リュウジはヨシノさんに送ってもらったらしく、飛行車で姿を現した。
マシュー・フェルズは、ジェイ・ゼルを待ちかねていたようだ。
姿を見かけると事務室から飛んできて、警察での詳細を訊ね、ガルガーからの伝言を取り次いでいる。
ガルガー工場長は、ハルシャが依頼された駆動機関部は、工場を通して受けたものではないと、断言してきた。
契約の時にいつも、副工場長であるガルガーは同席していたらしい。
おそらく、シヴォルトが単独で受けた仕事だろうと、伝えてきている。
廊下で立ったまま説明を受けてから、ハルシャたちは、会議室と皆がよんでいる部屋へ通された。
ジェイ・ゼルは、手早く話し合いを済まそうとしているのか、単刀直入に切り出した。
「君の機転のお陰で、ハルシャと工場は難を逃れたようだね。礼を言わせてくれないか、オオタキ・リュウジ。心から感謝している」
ふっと、ハルシャはジェイ・ゼルへ視線を向けた。
彼の言葉から、険が消えている。
とても寛いで、落ち着いた口調でリュウジに対していた。
その変化を、リュウジも敏感に感じ取ったようだった。
「ハルシャが、随分言葉を尽くしてくれたのでしょうね」
リュウジの言葉は、やはり、きつかった。
「ですが、あなたのためにした事ではありません。ハルシャのためです。あなたから礼を言われる筋合いはありません」
敵愾心むき出しの言葉を受け流して、ジェイ・ゼルは微笑んだ。
「ハルシャが犯罪者と呼ばれることから、事前に救い上げてくれただけで、礼を言うに十分だよ。
今回のことは、私の監督不行き届きが原因だ。もう、今後こんなことがないように、ガルガーにも気をつけさせておく」
ジェイ・ゼルの言葉に、リュウジは一瞬、黙り込んだ。
「おそらく」
沈黙の後、彼は視線を落として、口を開いた。
「シヴォルトにあの違法な駆動機関部を渡して、ハルシャを陥れようとしたのは、ラグレン政府だと、僕は思います」
ジェイ・ゼルと、同じことを、リュウジが言っている。
長く深い息をついてから、ジェイ・ゼルが口を開いた。
「その可能性は、否めない。だとしたら、政府が本当に引っ張りたかったのは、私だよ。リュウジ」
「違います」
きっぱりと、ジェイ・ゼルの言葉を否定してから、リュウジは顔を上げた。
「イズル・ザヒルの息のかかったあなたに、ラグレン政府は手を出せません」
言い切る言葉の強さに、ジェイ・ゼルは沈黙を続けた。
「彼らの狙いは、ハルシャです」
鋭い刃物を振り下ろすように、リュウジは言葉を放っていた。
「逮捕時に、個人的にハルシャを名指しにしてきました。
何らかの理由で、ハルシャが邪魔になったために、犯罪者の汚名を着せて、刑務所へ隔離することにしたのでしょう。あなたが考えている以上に、事態は深刻で厄介な状況です。看過すれば、ハルシャの身が危険にさらされます」
ハルシャは、信じられない気持で、リュウジを見ていた。
「どうして」
言葉が、無意識に口からこぼれ落ちていた。
「私が、邪魔になったというんだ――私が、何をしたと……」
茫然と呟いた言葉に、リュウジが顔を向けた。
「ハルシャ自身は、何も悪くはありません」
穏やかな、優しい声で彼はハルシャへ言葉をかけてくれる。
「ただ」
ちょと言いにくそうに口ごもってから、彼は続けた。
「惑星トルディアの名家、ヴィンドース家の名が、厄介だと感じる者たちがいる、というだけです」
厄介?
どういうことだ。
ハルシャの驚きを見つめてから、リュウジは言葉を変えて、説明をする。
「ラグレン政府にとって、ヴィンドース家の名を持つハルシャが、脅威だということです」
リュウジの言っている意味が、解からない。
「私は、何もしていない」
途方にくれた口調で、ハルシャは呟いた。
「そうです。あなたは何もしていない。けれど、ラグレン政府はこう考えたのでしょう。ヴィンドース家の長子は、すでに成人した。
|こ《・》|れ《・》|か《・》|ら《・》、何かをするかもしれない。自分たちにとって、都合の悪い、何かを」
言い終えると、リュウジは労わる様にハルシャを見つめてから、さっと、ジェイ・ゼルへ視線を向けた。
「ラグレン政府が、ここまでハルシャを恐れる理由。
それを、あなたはご存知なのではないですか――ジェイ・ゼル」
思わぬ強さで、リュウジが言葉を放った。
「全ては、五年前。ハルシャのご両親が何者かによって、爆死させれられた事件に起因しているのではないですか」
静かな表情で、ジェイ・ゼルを見つめながら、リュウジが言葉を放つ。
「なぜ、惑星トルディアの父と呼ばれる名家の末裔が、無残に爆死させられなくては、ならなかったのですか? 明らかに爆発物は、ヴィンドース夫妻を狙って仕掛けられています。
なのに、ラグレン警察は犯人逮捕に本腰を入れず、五年経った今も、実行犯は不明のままです。おかしいと思いませんか。ろくに捜査もせずにお蔵入りにするなど。あまりに杜撰で、怠慢です。
ですが、それが意図的に行われたと考えれば、納得がいきます。
ラグレン警察は『犯人を見つけ出してはならなかった』。何らかの上からの力がこの事件にかけられた。だから、今でも未解決ままに放置されている。
一連の経緯を、あなたは――本当は全て知っている。いえ。知っているだけではなく、関わりを持っていた――そうではないのですか。
ジェイ・ゼル」
リュウジは、冷静な顔で一連の言葉を淀みなく言い切った。
随分、長くそのことを考え続けた末に、口に出しているような気がした。
奇妙な確信が、彼の言葉の中にあった。
事件が、わざと未解決のままに放置されてきた。
リュウジの言葉に、ハルシャは凍り付いた。
両親の命が戻らないのはしかたがない。でも、せめて。
犯人だけでも見つかって欲しいと、祈るように過ごしていたことを、ハルシャは思い出した。
借金返済のための苦しい日々の中でも、事件が解決される日が、密かに心を支えていたこともあった。
だが。
リュウジの言うことが真実なら、なぜそんな扱いを、両親はラグレン政府から受けなくてはならなかったのだろう。
両親が一体、何をしたというのだろう。
犯罪などに、決して手を染める人たちでは、なかった。
自分が知る、父と母は――
一体、どうして。
心臓の鼓動が、止まらなかった。
ジェイ・ゼルは、無言でリュウジを見つめていた。
長い沈黙の後、ゆっくりと、彼は口を開いた。
「リュウジ」
穏やかで静かな、余裕すら感じさせる言葉だった。
「君と、二人だけで話がしたい。部屋を変えよう」
立ちあがろうとしたジェイ・ゼルの動きを、鋭いリュウジの言葉が止《とど》めた。
「逃げるのですか」
鋭く、一切を制止する響きで、彼は言葉を放った。
「そうやってまた、ハルシャの耳から真実を隠して――何も知らない彼を、自分の情人として囲い込むつもりですか」
喉元に刃物を突き付けるように、リュウジが鋭い眼で言う。
「あなたは狡猾で、卑怯です。ジェイ・ゼル」
「リュウジ!」
思わず、ハルシャは二人の間に割って入った。
「止めてくれ!」
リュウジの口が、ジェイ・ゼルを非難することが、どうしようもなく辛かった。
「もう、止めてくれ、リュウジ――両親の死に、ジェイ・ゼルが関わっているはずがない!
もういい! 頼む――お願いだ、リュウジ」
懸命に、リュウジの腕にすがり、ハルシャは声を絞った。
はっと、藍色の瞳が驚きに見開かれる。
驚愕に近い表情を浮かべて、リュウジが口を開いた。
「ハルシャは、知りたくないのですか。真実を」
浮いたような言葉に、懸命に横に首を振った。
「両親は、宇宙船を作るつもりで、借金をジェイ・ゼルに申し出た。そう、最初に彼は話してくれていた。
だが、事故で命を失い――借金だけが残された。
それが真実だ、リュウジ」
リュウジの腕を掴む。
「それ以外に真実はない。お願いだリュウジ――もう、ジェイ・ゼルを責めないでやってくれ。
元々は、借金をした両親が悪いのだ。ジェイ・ゼルが悪いのではない」
懸命なハルシャの言葉に、抜け落ちて行くように、リュウジの表情が消える。
「両親の借金は、私が一生をかけて必ず支払う。それが、ヴィンドース家の家長の務めだ。
その責務から逃げるつもりはない」
リュウジの腕を掴む手が、震える。
もしかしたら、両親の死に、本当はジェイ・ゼルが関わっているのかもしれない。
解からない。
けれど。
信じたかった。
ジェイ・ゼルを――愛する人を。
「私のことを、心から心配してくれて本当にありがとう、リュウジ」
リュウジは、精一杯を尽くしてくれている。
その思いを受け止めながら、ハルシャは想いを伝える。
「今の私は、ヴィンドース家の名を持っているにすぎない。それだけで、ラグレン政府にとって脅威になるなどあり得ない。
きっと今回は、シヴォルトが私を憎んで仕掛けただけのことだと思う」
そこまで、憎まれていたという事実に、ハルシャは、わずかに眉を寄せた。
「同じことがあったとしても、リュウジが側にいてくれるから安心だ」
ようやく笑顔を、浮かべることが出来た。
「最初にリュウジが、駆動機関部が違法であることを見抜いてくれなかったら、私は今ごろ、言い逃れも出来ずに逮捕されていた」
腕を握る手に、力を込める。
「本当にありがとう、リュウジ」
リュウジは、静かな藍色の瞳で、自分を見つめていた。
短い沈黙の後、リュウジが、不意に何かを思い切ったように、口を開いた。
「僕はもう、あの工場で働くつもりはありません」
放たれた言葉に、ハルシャは、胸を殴られたような衝撃を受けた。
リュウジがもう、一緒に働いてくれない。
どうして――ずっと、側にいてくれると言ったのに。
ああ。
もしかしたら――
彼に、甘え過ぎてしまったのだろうか。ジェイ・ゼルと、同じように。
リュウジがせっかくジェイ・ゼルに、自分の両親のことを問い正そうとしてくれたのに、無遠慮に必要ないと言ったことで、リュウジは傷ついたのだろうか。
途方に暮れた顔で、ハルシャはリュウジを見つめる。
表情を変えずに、彼は告げた。
「あの工場には、ハルシャに対する悪意が満ちています。あんな場所に、もう、二度と足を踏み入れるつもりはありません」
すっと、リュウジの眼が滑り、ジェイ・ゼルへ向けられた。
「あなたはあんな環境で、ハルシャを働かせ続けたのですね。
自分の身を守るすべすら持たない、十五歳の少年を――あなたは、蹂躙し、隷属させ、過酷な労働を強いた。そうやって五年間も自分に縛り続けた。
僕の忍耐にも、限界があります」
激しい眼差しを向けて、彼は言い切った。
「ハルシャを、もうあんな工場で働かせるわけにはいきません。非協力的で悪意に満ちた、醜悪な労働条件の職場で。これ以上、ハルシャの才能を空費し、磨滅させるだけの場所に置くことを、僕は許容できないのです」
リュウジは、激怒していた。
深く、静かに、強く、腹の底から憤っていた。
その怒りの激しさに、ハルシャは、圧倒されて何も言えなくなった。
借金がある限り、あの職場を辞められないのだという言葉すら、喉から出ない。
空気が緊迫する中、リュウジがただ、言葉を続ける。
「あなたの側にいれば、ハルシャは、昨今ラグレン政府のいいように扱われ、犯罪者として名を汚され、刑務所で一生を終えることになるでしょう。
そして今度は、サーシャがハルシャの莫大な借金を背負うことになる。
あなた方にとっては、借金さえ返却されれば支払うのが誰でもいい。
そうではありませんか、ジェイ・ゼル」
藍色の瞳が、真っ直ぐにジェイ・ゼルを見る。
「ハルシャがいいと言うので、今はご両親の死については追求しません。ですが、ジェイ・ゼル。あなた自身は全て知っている。
誰が、問いたださなくても、あなたは知っているはずです。全てを」
ふうっと、息をついてから、リュウジは束の間沈黙した。
視線を落とした後、彼は口を開いた。
「あなたが、十五歳のハルシャにしたことは――犯罪です」
ゆっくりと、リュウジは視線を上げると、強い眼差しを、ジェイ・ゼルへ向ける。
「未成年に対する、帝国法違反です。ジェイ・ゼル」
それまで黙していたジェイ・ゼルが、ふっと笑った。
「それなら」
今まで聞いたことのないほど、冷たい声で、ジェイ・ゼルが言う。
「私を訴えるか。帝星の裁判所へでも。法の元で争うことにしようか、リュウジ」
リュウジは静かに首を振った。
「裁判には、費用と時間が相当かかります。そんなまどろっこしいことをしているほど、僕は暇ではありません」
リュウジは視線を、静かにハルシャへ向けた。
二人のやり取りに圧倒されて、口をつぐむ自分を、しばらく見つめてから、にこっと、リュウジが優しく笑った。
「もっと、簡単な方法を、取らせて頂きます。ジェイ・ゼル」
一瞬視線を下に向けると、
「
と、口の中で、小さく呟いた。
独り言であったかのように呟いてから、彼はぱっと、顔を上げて、ジェイ・ゼルへ視線を向けた。
「ハルシャの借金に関する書類を、出して頂けますか。一切合財、全てを。もし故意に残したとすれば僕は法的な手段に訴えます」
「リュウジ!」
驚いているハルシャと対照的に、ジェイ・ゼルは、平静だった。
「それが、君の個人的な話か」
表情を変えずに、彼は言った。
リュウジはにこりともせずに、
「そうです、ジェイ・ゼル」
と、静かな声で応える。
「今この場で、ハルシャ・ヴィンドースが現在背負っている負債の全額を、精算させていただきます。
借用書を、早く持ってきて下さい――ジェイ・ゼル」
長い、沈黙があったような気がした。
だが、それは、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。
「君は、誰だ。リュウジ」
張り詰めた空気の中で、ジェイ・ゼルの問いだけが、響いた。
にこっと、リュウジが微笑む。
「あなたには、関係ないことです。ジェイ・ゼル」
笑みを浮かべたまま、彼は続けた。
「大事なのは、ハルシャの借金の金額です。早くして下さい。僕は暇ではありません」
ふっと、息をついて、ジェイ・ゼルが立ちあがった。
「私の会計係と話をしてくる。少しここで待っていてくれ」
優雅な動作で、ジェイ・ゼルが動き、部屋を、出て行く。
扉が閉まる音を聞いても、ハルシャは身じろぎすら出来なかった。
「驚かせてしまって、すみません。ハルシャ」
優しい声に、ぎこちなくハルシャは顔を上げた。
藍色の瞳が、穏やかに自分を包んでいた。
「僕の忍耐が限界を迎えてしまいました。あんな悪意しかない職場に、ハルシャを置きたくありません。
借金をこの場で全額返済します。
もう――あんな劣悪な環境で、才能を搾取される必要はないのですよ、ハルシャ」
何を、言っているのか、ハルシャはすぐに、理解できなかった。
借金の、全額?
リュウジが?
一生かかるほどの金額を、どうやって――
「後でご説明します。どうかお願いです、ハルシャ。僕がジェイ・ゼルと話し合いが終わるまで、黙っていて下さい。
かなりきつい事も言うかもしれませんが、あなたを自由にするためです。
あなたのためにならないことを僕はしません。信じて下さい。僕が何を言っても、こらえて頂けますか? お願いです、ハルシャ」
子どもに言い聞かせるように、リュウジが、告げる。
何を言っているのか、それでも、ハルシャは理解しあぐねていた。
リュウジは記憶を失っているのではないのか。
どういうことだ。
記憶はもう、戻っているのだろうか。それとも。
借金の全額?
どこから、その金額を、捻出したのだ?
どうして、そんな金額が……なぜ。どうして、リュウジが……
疑問と困惑が、ハルシャの中に、渦巻いた。
茫然としたまま、口から思いがこぼれ落ちた。
「君に……私の借金の全額を、支払わせるわけにはいかない」
「ハルシャ」
その混乱を理解するように、リュウジはうなずいてから、肩に手を乗せた。
「借金から解放されるということは、サーシャも自由になるということです」
藍色の瞳が、自分をのぞき込む。
「わかりますか」
言葉を強めて、彼は続ける。
「借金を支払えば、あなただけでなく、サーシャも、解放されるのです」
穏やかな声が、ハルシャの中に沁み込んでいく。
「サーシャは女の子です。今は大丈夫でも、いつ何時、性的な搾取の対象となるかわかりません。それを、僕は未然に防ぎたいのです」
ドキンと、心臓が躍った。
ギランジュにさらわられた時、ハルシャはなにより、サーシャが理不尽な扱いを受けないかを危惧した。
サーシャは女の子だ。
心と身体に一生消えない傷を受けざるを得ない未来を、ハルシャは恐れた。
その表情を見て、リュウジが静かに呟く。
「ご理解いただけますか、ハルシャ。
それに、借金は、便宜上僕が全額を支払うだけです。あなたには、何の不利益もありません」
サーシャの名を出されたことで、ハルシャの中に、状況を読む冷静さが戻って来た。
リュウジが、何らかの方法で、借金を支払おうとしている。
それは、サーシャの未来を助けることに、繋がるのだ。
やっと、自分が理解したことが伝わったのだろう、リュウジは静かに微笑んだ。
「全て、僕に任せていて下さい。見届け人として、マイルズ警部も同席して下さいます。
法的に正式な手続きを踏んで、あなたを自由にして差し上げます。
いいですね、ハルシャ。あなたは、立ちあうだけで結構です。
後は、僕たちがします」
邪魔をしないでくれと、言外に告げられているような気がした。
「わかった、リュウジ」
かすれた声で、ハルシャは言うことしか出来ない。
サーシャも自由になる。
兄としての責任が、ハルシャの理性を呼びもどして行く。
にこっと、リュウジが微笑んだ。
「もう、マイルズ警部達が来て下さいます。あと少しですよ、ハルシャ。
一時間後には、あなたは自由の身です」