ほしのくさり

第134話   真面目な話



 

「おや。リュウジじゃないか」
 新入荷らしい物品を仕分けしていた手を止めて、リンダ・セラストンが白い歯をこぼして、笑顔を向けた。
「イトウさんも、一緒なのか。ずぶん、仲良くなったんだな」
 三時間。
 ジェイ・ゼルから時間を得たリュウジは、元宇宙海賊のリンダが営む廃材屋を訪れていた。
 空いたスペースに飛行車を止めて、リュウジはゆったりとした歩調で、リンダに近づく。
「また、来てしまいました」
 にこにこと笑いながら、リュウジは屈託なく言葉をかける。
「今回も、すごいものが入荷したんですね」
 リンダが手にしていた、縞模様の角に目を止めて、リュウジが呟く。
「それはもしかしたら、サファル・ダルの一角獣の角ではありませんか」
 リンダは静かに口角を上げた。
「相変わらず目が利くね。そうだよ」
 ふふと、彼女は笑う。
「ちょっとルートがあってね、手に入れたんだ」
 深い緑と輝く銀色の縞模様の巨大獣の角は、とんでもない高額で取引されている。
 ちまたでは、万能薬との誉れが高い、逸品だった。
 あまりにも効能が高いために、乱獲されてサファル・ダルの一角獣は、絶滅の危機に瀕していた。そのために、狩猟が禁止されているが、密猟が絶えず、今では、数頭しか生き延びていないと言われている。
 そんな貴重な品が、こともなげに廃材屋のリンダの手の中にあった。
「目利きがいたら、売ってやろうと思ってね」
 彼女は笑みを深めた。
「入荷したてだが、早速リュウジに見切られてしまったようだね」
 リンダはちょっと、リュウジに差し出して見せる。
「どうだ、買うか? お値打ちだぞ」
 小さく頭を振ると、リュウジは笑みを深めた。
「密売に、加担するつもりはありません」

 リンダは、手にしている角へ視線を向けた。
「お堅いことだ」
 くっくと、喉の奥で彼女は笑った。
「由来はともかくとして、とてもきれいだろう?」
 彼女の一つしかない目が、静かに一角獣の角を見つめる。
「飾っておきたいぐらいだ」
 人類の欲望のために、絶滅に瀕している種族がいる。そんな現実を、あえて指摘する無作法を、リュウジは冒さなかった。

 瞬きをしてから、彼女は視線をリュウジへ向けた。
「ところで、何の用だい、リュウジ」
 角を小脇に抱えながら、彼女は首を傾けた。
「イトウさんまで、一緒に伴って、何をしに来たんだい? もう、あんたに売る駆動機関部はないよ」

 わずかに滲む警戒の言葉に、リュウジは静かに笑みを浮かべたまま
「今日は、僕の疑問にお答えして頂きたく、お伺いいたしました」
 と、穏やかな口調で言った。
 リンダは、片方の眉を上げた。
 眼帯のある方だ。
「ほう。この前で私の秘密は、一切合財、あんたにさらしたと思ったけどね」
 リュウジは頭を下げた。
「ええ。その節は、とてもお世話になりました」
 ふっと、リンダが笑う。
「礼もきちんと言えるんだね。感心、感心」

 小馬鹿にしたような言葉を受け流して、リュウジは一つしかない、リンダの瞳を見つめた。
「僕があなたにお尋ねしたいのは」
 藍色の目を細めて、静かにリュウジは問いかけた。
「どうしてあなたが、惑星トルディアで廃材屋を営んでいるか、ということです」
 物事の裏側を見通すような眼差しを、リュウジはリンダに注ぎ続ける。
「広大な銀河帝国の中で、あなたが引退先として、ラグレンをわざわざ選んだ理由――その詳細を、ぜひ、教えて頂きたいと思ったのですよ。リンダ・グランディス」

 彼女の表情が、ゆっくりと変わっていく。
 穏やかだった眼が、きつく上がり、笑みが口元から、消えた。
 変化を見守りながら、自分の推理が的を外れていなかったことを、静かにリュウジは確信する。
 彼女の心の波風を、なるべく立てないように、穏やかな口調でリュウジは質問を続けた。
「ご夫君のエルド・グランディスが命を落とされたのは、この宙域だそうですね」
 ラグレンの青い空へ目を向けながら、リュウジは呟いた。
「もしかしたら、ご夫君の死と、ここに居を定められたのには、何か関連があるのではないか、と」
 眼差しを戻しながら、言葉を続ける。
「ふと、思いついたのです」
 彼女はかつて、宇宙海賊だった時の顔に、戻っていく。
 その豹変を見つめながら、リュウジは言葉を放った。
「あなたには、この惑星を選ぶ理由があった。それは、ここラグレンに――復讐したい相手がいるから、ではないですか。リンダ」


 *


 ジェイ・ゼルが『エリュシオン』に予約していたのは、とても豪華な部屋だった。
 いつも相応に上質な部屋だが、ここは一層、きらびやかだ。
 贅を尽くしたような調度類が、室内を彩っている。
 入り口近くに、白い綾織りのテーブルクロスがかかった、瀟洒な机が置いてある。向かいあう形で椅子があり、食事に使うようだ。
 さらに奥には、リビングのように落ち着いた色調のソファーが据えられている。
 ベッドルームは、別の部屋になっていた。
 バスルームも入れて、三室もある、贅沢なしつらえだった。
 目の前で扉が開いた途端、ハルシャは思わず足を止めて、ジェイ・ゼルを振り仰いだ。
「い、いいのか、ジェイ・ゼル」
 問いかけが、口からこぼれ落ちた。
「ここは、高価じゃないのか?」
 たった三時間のために、どうしてこんな豪華な場所を選ぶのだろう。
 声が震えてしまう。

 入り口で立ちすくむハルシャの肩を、ジェイ・ゼルは柔らかく包んで室内へ誘《いざな》った。
「元々、別の目的で予約していた部屋でね」
 数歩進んだ後ろで、扉が閉まった。
 うろたえるハルシャを、楽しそうにジェイ・ゼルが見下ろしている。
「キャンセルするにはもう、時間が切れていた。せっかくだから使わせてもらおう」
「だが、三時間だ」
 もったいないだろう、とハルシャは眉を寄せてジェイ・ゼルに訴える。
 ふっと、ジェイ・ゼルが微笑んだ。
「そうだね、三時間だ。リュウジに会うまではね」
 頬に、手が触れる。
「だがね、ハルシャ。ここは、明日の朝まで予約をしている――リュウジとの話し合いの後も」
 ジェイ・ゼルが顔を寄せてきた。
 頬に触れていた手が、顎を柔らかく捉えて、上を向かされる。
「この部屋を使うことは出来るんだよ」

 唇が、静かに重ねられた。
 ジェイ・ゼルの好む角度で、深く唇が触れ合う。
 危惧を溶かすような、熱く穏やかな口づけだった。
 食むように、細かくジェイ・ゼルの唇が動き、ハルシャを陶酔させていく。
 いつの間にか背中で支える彼の手に身を預けて、一心に唇を求めていた。
 触れている場所から、内側が満たされていく。
 不思議だ。
 ただ、唇を合わせているだけなのに。
 彼の優しさが、自分の中に注がれていくようだ。
「ハルシャ」
 微かに引いた唇から、ジェイ・ゼルの言葉が紡がれる。
 眼差しを合わせてから再び、彼の唇に覆われる。
 数度|啄《つい》ばむように触れ、彼がまた、穏やかに名を呼ぶ。
「――ハルシャ」
 忌まわしい犯罪者として、吐き捨てるように警察官に呼ばれた名が、ジェイ・ゼルの口から、宝石のように大切に響いている。
 ハルシャは、眉を寄せた。
 胸の奥が、なぜかとても苦しかった。
 頬を染めるハルシャの顔を、間近で見つめてから、ジェイ・ゼルは優しく微笑んだ。
「話を、聞く約束だったね、ハルシャ」
 瞬きを一つしてから、現実に立ち返り、ハルシャはうなずいた。
 そうだ。
 ジェイ・ゼルに、伝えなくてはならない。
 本当は、違法な駆動機関部を作るところだったと。
「ジェイ・ゼル」
 近すぎる彼に向けて、懸命に呼び掛けたハルシャの唇に、再びジェイ・ゼルが軽く挨拶のように触れる。
「立ち話もなんだ」
 顔を引きながら彼が微笑む。
「落ち着いて座ってから、話をしよう。ハルシャ」

 それも、そうだ。
 納得した自分の表情を見つめながら、ジェイ・ゼルはハルシャから腕を解いた。
 髪を一撫でしてから、ゆっくりと入口からほどない場所にある、テーブルクロスのかかった机へと向かっていく。
 その椅子に座って、話をするらしい。
 ハルシャも背に従った。
 瀟洒な作りの椅子を大きく引くと、ジェイ・ゼルは優雅な動作で、腰を下ろした。
 近づくハルシャを見上げながら、満面の笑みをたたえて、彼は自分の膝の上を、ぽんぽんと叩く。

 見慣れた動作だった。
 これで、三度目だ。

 どうして。
 向かい合った位置に椅子があるのに、ジェイ・ゼルは自分の膝の上に座れと、ハルシャに言うのだろう。
 ハルシャは固まったまま、動けなくなった。
 眉を寄せて、彼に問いかける。
「話を、聞いてくれるのではないのか、ジェイ・ゼル」

 抗議の声を上げるハルシャに、彼は微笑んだまま、穏やかに言葉をかける。
「どこでもいいと言ったのは、ハルシャだよ」
 彼は片方だけ、器用に眉を上げた。
「それとも、ハルシャの話は、膝の上では話せないような、内容なのかな?」

 膝の上では、話せないような内容、というのが、今一つ理解できない。

「いや、話せるが……」
 素直に応えたハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルの笑みが深まった。
「なら、おいで。さあ――時間があまりないよ、ハルシャ」
 どうして、膝の上に座らせようとするのか、ジェイ・ゼルの発想は良く分からない。
 相変わらず上機嫌な笑みを、自分に向けている。
 ぽんと、膝だけが、再び叩かれた。

 どこでもいいと告げたのは、場所の話だ。
 ジェイ・ゼルの膝の上でもいいと、言ったつもりなどなかった。
 微笑みを浮かべるジェイ・ゼルを、唇を噛みしめて見つめる。
 顔が赤くなる。
 でも。
 彼はサーシャを助けるために、惜しみない努力を注いでくれた。
 今も、真っ先に警察に駆けつけてくれたのだと、ハルシャは思い返す。
 ジェイ・ゼルがそれで喜ぶのなら、膝に座るぐらい、大したことはないのかもしれない。

 心に決めると、頬を朱に染めながら、ゆっくりと、ジェイ・ゼルの側に近付く。
 椅子の背もたれに手を預けて、自分を見つめる視線から目を逸らしながら、ハルシャはジェイ・ゼルの膝の上に、そっと腰を下ろした。
 椅子に、彼に対して横向けになるように、座る。
 筋肉質なジェイ・ゼルの太ももに、遠慮しながら体重を乗せて行く。
 重くないのだろうか。
 困惑しながら座り切ったハルシャの背に、彼の手が支えるように、あてがわれた。
 顔を向けることが出来ない。
 背中の手が、ゆっくりと動く。
「私に話したいこととは、一体何かな。ハルシャ」
 息が触れるほど近い距離で、ジェイ・ゼルが呟く。
「違法な、駆動機関部のことだ」
 至極《しごく》真面目な話のはずだ。
 どう考えても、膝に座ったまま、口にする内容ではない気がする。
 顔の熱が去らない。
 それでも何とか伝えようと、まだ視線は床に落としたまま、ハルシャは語り始めた。

 ギランジュからの依頼の品を納品し終えた後、次にシヴォルトから作成を命じられていた駆動機関部。
 最初から、ハルシャは、駆動機関部に不審なものを感じていた。
「通常の動力源では、宇宙船一機を飛ばすだけの出力が得られない構造だった。これでは宇宙で役に立たない。最初に疑問に思ったのは、そこだった」
 喋ることが得手でない事は、自覚している。
 それでもきちんと伝えようと、ハルシャは言葉を続ける。
 ジェイ・ゼルは黙したまま、自分の説明に耳を傾けてくれていた。

「どうも腑に落ちなかった。自宅に持ち帰って、設計を見直していたとき、リュウジが一緒に構造を見てくれた。それで、指摘してくれたんだ。この駆動機関部は、違法なものだと」
 ハルシャは、ジェイ・ゼルへやっと顔を向けた。
「スクナ人を動力源にする駆動機関部だと。製作に携わっていただけでも、犯罪に加担したことになると、注意を与えてくれた」
 ジェイ・ゼルの灰色の瞳は、真っ直ぐに自分に注がれていた。
 視線が合った時、どきっと、心臓が高鳴る。
 どっどっどと、早まる鼓動を内側に感じながら、ハルシャは言葉を続ける。
「納期までに駆動機関部は、作らなくてはならない。そうでないと、仕事にならない。そのため、打開策として、リュウジが見た目はほとんど変わらない駆動機関部を新しく設計し直してくれて――それを工場で、作成していた。
 依頼の品とは違うものだ」

 ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、じっと自分を見つめている。
「リュウジが、対策を立ててくれたお陰で、今回警察の捜査が入っても、無事に釈放してもらえた」
 上手く、伝えられただろうか。
 眉を寄せながら、ハルシャは続ける。
「シヴォルトが渡してきた設計図は、自宅で保管している。危険だから、工場へ持ち込まない方が良いと、リュウジが忠告してくれた」
 ハルシャは、瞬きをした。
「シヴォルトが通報したとすれば、警察は自分たちがその駆動機関部を作っていたと、思っていたはずだ。知らずに作成に取り掛かっていたら、確実に逮捕されていた」
 ジェイ・ゼルは静かな顔で、話し続けるハルシャを見守っている。
「実際は、違法な駆動機関部を作る予定になっていた。事前に、リュウジが見抜いて、助けてくれたんだ。ジェイ・ゼルに伝えたかったのは、そのことだ」

 膝の上に座るハルシャに眼差しを注いだまま、ジェイ・ゼルが手を伸ばして、頬に触れた。
「どうして、私に尋ねなかったんだ。スクナ人を使う駆動機関部だと、気付いた時に」
 優しい口調の問いかけだった。
 ハルシャは、顔が赤くなるのが止められなかった。
 勇気を奮い起して、彼の質問に答える。
「ジェイ・ゼルが……」
 消えそうな声になる。
「違法と知った上で、私に命じたのかと思っていた」

 不意に痛みを得たように、ジェイ・ゼルは眉を寄せた。
「言い訳に聞こえるかもしれないが――私はそんな駆動機関部を受注したことはない」
 ハルシャは、うなずいた。
「今なら、そう思える」
 唇を噛みしめるハルシャに、ジェイ・ゼルは眉を寄せたまま、穏やかに言った。
「だが、受けたときは私がさせていると、ハルシャは考えてしまったんだね」
 そうとしか、とれなかった。
 少々違法でも、金額が得られる仕事を、ハルシャにあてがってきたのだと。
 自分が抱える、莫大な借金を返済させるために。
「そうか」
 灰色の目を細めて、彼は呟いた。
「だから、私に問いただすことも、言うことも出来なかったんだね。駆動機関部を作るように命令したのが、私だと信じて」
 頬を、ジェイ・ゼルが撫でる。
「シヴォルトは君の誤解を利用して、違法なことをさせようとしたんだな」
 子どもをなだめるような、優しい手つきだった。
「今回のことは、監督義務を怠り、シヴォルトの横暴を許した私のミスだ」
 頬に触れた手が、温かだった。
「すまなかった、ハルシャ」

 ぐっと、ハルシャは唇をますます噛みしめた。
 詫びる彼の言葉が、辛かった。
「ジェイ・ゼルが」
 不器用に、言葉を滴らせることしか出来ない。
「違法な操業をしていたら、罰せられる」

 懸命なハルシャの言葉を、少し驚いたように目を開いて、ジェイ・ゼルが受けとめている。
 しばらくしてから、彼は微笑んだ。
「ハルシャ」
 ひどく穏やかな声だった。
「私が何の仕事をしているのか、忘れているようだね」
 ふふと、彼は目を細めて笑う。
「法を犯すことなど、日常茶飯事だよ」

 顔は微笑みながらも、彼の眼の奥に、深い悲しみが沈んでいるようだった。
 言葉もなく見返すハルシャの眼差しから、つと、ジェイ・ゼルが顔を逸らした。
 彼が取った行動が、胸の奥に、奇妙な寂しさをよび起す。
 まただ。
 こんなに近い場所にいるのに、身が触れ合っているのに――
 ジェイ・ゼルがひどく、遠かった。
 ハルシャに決して触れさせない何かを、彼は身の内に抱えているような気がした。
 そのことが、なぜか無性に、切なかった。

「シヴォルトが渡してきた設計図は、今、ハルシャの自宅にあるんだね」
 ふいに、実務的な声で、彼が問いかけてきた。
 はっと、ハルシャは思いから浮上して、答える。
「そうだ」
 ちょっとためらってから、付け加える。
「リュウジの提案で、データが入ったチップを、砂糖壺の中に隠してある」
 くすっと、ジェイ・ゼルが笑った。
「エージェントのようだね。砂糖壺、とは」
 くすくすと、彼が笑い続ける。
「リュウジという青年は、実にユニークだ」

 しばらく笑ってから、ジェイ・ゼルは瞬きをした。
「しかし。シヴォルトは、一体どこからその駆動機関部を請け負ってきたのだろうね」
 ハルシャも考えていた疑問を、彼は口にした。
「曲がりなりにも、駆動機関部として成り立つ構造はしていたのだろう?」
 問いかける言葉に、ハルシャはうなずいた。
「仮定として、スクナ人を動力源として計算したら、凄まじい数値を叩きだした」
 ふむ、とジェイ・ゼルが考え込む。
「ラグレンの外からとは、考えにくいね。シヴォルトの交友関係はそう広くない。
 ハルシャがシヴォルトから仕事を託されたのは、ギランジュとのことがある前だったね?」
 彼の問いに、こくんとうなずきで応えた。
 ジェイ・ゼルは、しばらく沈黙してから、口を開いた。
「だとしたら、ギランジュ・ロアが絡んでいる可能性は、低いな」
 ハルシャの背を無意識に撫でながら、ジェイ・ゼルが思考をあふれさせるように、言葉を呟く。

「ジェイ・ゼル」
 もう一つの疑問を、ハルシャは彼に伝えようと、思い立つ。
「ラグレン警察は、シヴォルトの通報を受けただけで、違法な駆動機関部を作っていると断言してきた。ほとんど、調査らしいことも、していないのに」
 ハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが眉を上げた。
 興味を引かれたようだ。
 これが、ジェイ・ゼルの膝の上でなければ、とても真面目な話し合いなのだが、とハルシャは思いながら、続ける。
「私達の駆動機関部が違法だと、はじめから知っているような口ぶりだった。
 シヴォルトが設計図を提出していたのかと思っていたが、そうでもないらしい。彼らが強気に出た根拠が、とても気になる」

 ゆっくりと瞬きをしながら、ジェイ・ゼルはハルシャの瞳を見つめていた。
「なるほど」
 短い沈黙の後、ジェイ・ゼルが口を開いた。
「シヴォルトに、違法な駆動機関部を渡して、ハルシャに作らせようとしたのは、ラグレン警察がらみかもしれないと、君は言っているのだね」

 ジェイ・ゼルの返しに、少なからぬ衝撃を受ける。
「そ、そんな」
 そこまで、考えてなどいなかった。
 驚きを隠せないハルシャに、微笑みを与えながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「あらかじめ、シヴォルトと打ち合わせがしてあり、違法性を知りながら、君に駆動機関部を作らせておく。一基作り上げるのに、二、三か月かかるからね、その期間なら、いつでも君を罪に問うことが出来るようになるわけだ。
 そうやって餌をまいておき、シヴォルトが通報したタイミングで、君を連行する。
 ラグレン警察は、君が有罪であることを知っていたから、強気に出たんだよ。
 さまざまな事を考え合わせると、ラグレン警察、もしくはさらに上層部が、今回の一連の出来事に絡んでいる可能性が出てきたね」

 心臓の鼓動が、収まらない。

「私を罪に、問うために?」
 ハルシャは、声が震えそうになりながら、ジェイ・ゼルに尋ねた。
「シヴォルトは、違法だと知っていて、駆動機関部を作らそうとしたのか? ラグレン警察の差し金で……」
 するっと、ジェイ・ゼルの手が、ハルシャの頬を撫でる。
「狙いは、恐らく私なのだろう。相当違法なことをしているからね。理由をつけて、警察に引っ張る予定だったのだろうね」
 穏やかな声で、彼は続ける。
「シヴォルトはそこまで見抜けずに、短絡的にハルシャを陥れようと、協力をしたのだろう」
 声だけでなく、身が、震えだした。
 理不尽さと、憤りで。
「どうして――」
 ハルシャは、ジェイ・ゼルの瞳に向けて、絞り出すように呟いていた。
「どうして、シヴォルトに、私はそこまで憎まれなくてはならないのだ」
 理解できない。
 ただ、悲しみが胸を引き裂きそうになる。
「与えられた仕事は、きちんと責任を持って果たしてきた。拒否したことなどない」
 震える身を、ジェイ・ゼルが支えてくれている。
「なのに、どうして――」
 不意に、ジェイ・ゼルが強い力で、腕に包んで身に引き寄せた。
「私のせいだ、ハルシャ」
 言葉が、耳元に呟かれる。
「シヴォルトの表面上の忠誠を過信した、私の浅慮のせいだ。君があそこで、どんな扱いを受けているか、気付くことも出来ずに」
 腕に力がこもる。
「君を、傷つけ続けた」

 悪意に引き裂かれた心が、悲鳴を上げていた。
 すがるように、ジェイ・ゼルの首に腕を回し、彼の肩に顔を押しつける。
 辛かった。
 苦しかった。
 この五年間。
 職場で守ってくれる人など、誰一人いなかった。
 それでも。
 耐えるしかなかった。
 ジェイ・ゼルが割り当てた仕事をこなすことでしか、借金を返済出来なかったから。
 だから。
 耐え続けるしかなかった。

「すまない、ハルシャ」
 震える身を腕に包んで、ジェイ・ゼルが呟く。
「私の配慮が足らなかった――言葉で大事にしてくれと言うだけでは、人は動かない。そこの見切りを、間違えていた。私が悪いのだ、ハルシャ」
 言葉が、髪に触れる。
「辛い思いをさせた」

 もっと。
 早くに。
 こうして話が出来ていれば。
 苦しみ続けることは、なかったのだろうか。

 ジェイ・ゼルはいつも、身を合わせながら、仕事は辛くないか、大丈夫かと、訊ねてくれていた。
 あの時は、ただ、恥辱に満ちた行為を、させられているという思いしかなかった。
 だから。
 大丈夫だと、答え続けていた。
 本心を、ジェイ・ゼルに見せたくなかった。
 弱い自分を。
 辛い思いを。
 彼になど、さらしたくなかった。
 それが、自分のなけなしのプライドだったのだ。
 拒んでいたのは、自分だ。
 ジェイ・ゼルは、いつも――
 手を差し伸べてくれていたのに。

 何かが――
 五年間、必死に保ってきた何かが。
 ハルシャの中で崩れ落ちた。
 絞り出すように、押しあてたジェイ・ゼルの肩に、ハルシャは言葉を滴らせていた。
「つら……かっ……た」
 畳みかけるように身に起こった事件によって、心も体も限界だった。
 抜き差しならないところまで追い込まれた心が、均衡を崩して、隠し続けていたもろさを、露呈する。
「ジェイ・ゼル」
 すがるように、彼の名を呼ぶ。
「ずっと、本当は、辛かった」

 初めてこぼした、本当の痛み。
「職場で、誰も助けてはくれなかった」
 蓋をして、閉じ込めていた想いが、あふれだして止まらない。
「リュウジが――」
 ハルシャは、顔を押しあてたまま呻きを漏らす。
「リュウジだけが、側にいてくれた」
 だから、リュウジに頼らずには、いられなかった。
 真の闇の中で、一筋の光を求めるように。安らぎを覚えた心は、もう、彼を手離せなくなっている。
「ずっと、孤独だった。それでも、働き続けなくては、ならない」
 荒削りな言葉で、本当の心を絞り出すハルシャの背を、ジェイ・ゼルの手が、撫でてくれている。
「私は、借金を、返さなくては、ならないから」
 切れ切れに、言葉が滴り落ちる。
 解かっている。
 借金を返済することが、自分に出来る、両親への唯一の恩返しだと。
 残された、自分の務めだと。
 解っていたのに――
 歯を食いしばると、腕に、力を込める。
「けれど」
 情けないほど、声が震える。
「辛かった――ジェイ・ゼル。あの職場で、働き続けることは、とても、辛かった」

 どうして。
 過酷な仕事をさせている、元凶であるジェイ・ゼルに、自分は心の内を吐露しているのだろう。
 どうかしている。
 言ったとしても、どうしようもないことだ。
 これまで、言い聞かせながら、自分の中で整理をつけてきたはずだ。
 男に抱かれることも。
 不条理とも言える職場で耐えることも。
 割り切って生きてきたはずだ。
 なのに――
 やはり、自分は傷ついていたのだ。
 癒しがたく、救いがたく。
 心が血を流し続けていたのだ。
 必死に保っていた平静が、ジェイ・ゼルの腕の中で、ぼろぼろと剥がれ落ちる。
 発作を起こしたように、身が、震える。

「ハルシャ」
 優しい声が、耳元に響いた。
「許してくれ」
 髪に、唇が触れる。
「君の苦しみの原因は、全て私だ」

 言葉が、滴り落ちる。
 身をひきつらせるハルシャの背を、なだめるように、手の平が滑る。

「解かっているのに、君を手離せない」
 触れている場所全てから、ジェイ・ゼルの声が伝わってくる。
「大切にしたいと思うのに、君を傷つけてばかりだ――」
 不意に強く、抱きしめられた。
「許してくれ、ハルシャ」

 込み上げてきた何かが、胸を突き破ってあふれだした。
 回した手が触れる彼の服を、きつく掴み、身の内の痛みに耐える。

「ジェイ・ゼルは、悪くない」
 ようやく、絞り出すようにハルシャは呟いた。
「人との関係を、上手く作れない私が悪いんだ」
 体が、震える。
「器用では、ないから――」

 リュウジは、数日で誰とでも言葉を交わすようになっていたのに。
 自分には、そんなことが出来なかった。
 馴染めなかった、自分の落ち度なのだ。
 少し口を聞いただけで、お高く止まっていると揶揄されて、そこで黙り込んでしまった。
 小手先で呼び方を「俺」と変えてみても、自分の本質は同じなのだろう。
 最初にジェイ・ゼルが指摘したように、甘ったれた上流階級の坊っちゃん。
 それが、自分だ。
 どう努力すればいいのかすら――
 自分には、解からなかった。

「そうじゃない、ハルシャ」
 言葉が、押し付けた場所から響いてくる。
「私が、対策を間違えていたんだ。シヴォルトに、君への配慮を依頼して、それでことが済んでいるつもりになっていた」
 背中に触れる手の平が、とても温かだった。
「私が過度に大切にしたために、シヴォルトにやっかみを抱かせ、君への反発を招いてしまった。人心を把握しきれなかった、私が愚かだった。ハルシャは、何一つ悪くない。
 悪いのは、私だ」

 悔いをにじませた言葉を滴らせてから、不意に彼は沈黙した。
 長い時間、そうやって、彼は黙していた。
 ハルシャの背中を、ゆったりと撫でながら、ただ、彼は静寂を保ち続ける。
 押し当てた場所から、彼の速い鼓動が伝わってくる。
 冷静に言葉を口にしながら、彼の心臓は、態度を裏切るように、早鐘を打っている。
 以前も、こんなことがあったのを、ハルシャは思い出していた。
 
 あまりにも長い沈黙に、ハルシャは顔を浮かせて、彼の様子をうかがった。
 ジェイ・ゼルが何を思い黙し続けるのか、手がかりを求めるように。
 彼は、虚空へ視線を向けていた。
 外をみながらも、眼差しは内側に注がれているように、焦点がぼやけた目で、彼方を見つめている。

 ふと。
 彼の顔に、寂しげな笑みが浮かんだ。
「私は――」
 ぽつりと、言葉の雫が、彼の口から、こぼれ落ちた。
「人との正しい関わり方が、わからない」
 笑みを浮かべたまま、内側から絞り出すように、ジェイ・ゼルが呟く。

「どうやって人を愛せばいいのかも、私は、知らないんだ――ハルシャ」










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