ほしのくさり

第130話  夜明け前の闇-02





 手を顔から離すと、マシュー・フェルズは、真っ直ぐにジェイ・ゼルを見つめた。

 子どもが生まれたら、私は潔く命を絶ち、死亡保険で借金をお支払いいたします。妻にも、そう言っておきます。
 ですから、どうか。

 懇願を、ジェイ・ゼルは黙って聞いていた。
 悲壮な顔で、マシュー・フェルズはジェイ・ゼルを見つめ続ける。
 沈黙の末、やっと、ジェイ・ゼルは口を開いた。

 なるほど。
 覚悟は解った。

 もう一度、ジェイ・ゼルは、マシューから、彼の勤務していた企業、そして上司と同僚の名を聞き出した。記憶につけ止めてから、微笑みを彼に与える。

 この件、ちょっとこちらで預からせてもらっても良いか。
 融資については、それからだ。

 マシュー・フェルズを帰してから、ジェイ・ゼルは同業者に、連絡を取った。持てる手づるを使って、マシューの同僚と上司が、どこかに借金をしていないかを、探ったのだ。
 大正解だった。
 同僚の方が、ジード・リヴァイスに、借金があった。
 リヴァイスは、界隈では汚い手口で知られる、シビアな男だ。
 だが、リヴァイスの借金を、彼は数か月前に清算をしたらしい。どこからその金額が来たのかは、明白だった。
 ジェイ・ゼルは、帰宅中のマシューの同僚を、自分の事務所に招待した。その上で、丁寧に話を聞く。彼の顔の色が、赤黒く変わる頃に、ようやく彼は本当のことを話し始めた。
 自分と上司が結託し、マシュー・フェルズを陥れたことを、彼は認めた。

 ジェイ・ゼルは、同僚の案内で、上司も捕らえると、二人を連れて、マシューの会社へ直接乗り込んだ。
 社長を前にして、横領した張本人が、二人であることを、本人たちの口から告白させ、マシュー・フェルズの無実を晴らした上で、横領した金額を二人に補填させることを誓わせる。
 もちろん、ジェイ・ゼルは、そこへジード・リヴァイスを呼びつけていた。
 彼は、同僚と上司の名義で、横領した金額を全額用意してくれていた。
 社長は、金額さえそろえば、それがどこから出たのか、気にしないようだった。
 ジェイ・ゼルは微笑みながら、リヴァイスが、血判で、新たな契約を二人と結んだところを見届ける。
 マシュー・フェルズが無実であることも、社長に一筆入れさせ、見舞金と称して、同僚と上司から金額を巻き上げてから、ジェイ・ゼルは社長室を後にした。

 その足で、ジェイ・ゼルはマシューの元を訪れた。
 自宅で迎えてくれたマシューに、ジェイ・ゼルは同僚と上司の二人が罪を認め、社長の前で自白したこと、彼の嫌疑が晴らされたことを、伝える。
 横領した金額の補填はもう終了し、借金をする必要はないと、言った後、見舞金を手渡した。

 二人からの、詫びだそうだ。
 これから物入りだろう。受け取っておくといい。

 マシューは、信じられないという顔で、自分を見ていた。
 ジェイ・ゼルは、微笑みを彼に向ける。

 生まれてくる子が、父親の顔を知らないのは、可哀そうだからな。

 無実だと証明する書面を手渡し、ジェイ・ゼルはきびすを返した。
 もう、彼は借金をする必要はない。
 二度とマシュー・フェルズと逢うこともないだろうと、ジェイ・ゼルは考えていた。
 去ろうとしたジェイ・ゼルの腕を、思わぬ強さで掴んで、マシューが引き留める。

 ジェイ・ゼルさん。

 紅潮した頬で、彼は名を呼んだ後、言葉を続けた。

 私は職を失いました。
 生まれてくる子のために、働かなくてはなりません。

 一瞬ためらってから、勇気を奮い起こすように、唇を結んでから、彼は顔を上げた。

 ジェイ・ゼルさんのところに、会計係はいますか。
 もし必要なら、私を働かせてください。
 あなたの資産を、必ず増やして見せます。

 ジェイ・ゼルは、驚きに目を見開いていた。

 私たちの仕事が、どういうものか、解っているのか。
 これから生まれてくる子に、誇れるたぐいのものではない。

 諦めさせるように、ジェイ・ゼルは言ったが、マシュー・フェルズは引かなかった。

 子どもには、私の顔を見ることが出来るのは、上司のお陰だと語ります。
 働かせてください、ジェイ・ゼルさん。
 あなたの元で。
 どうか、お願いします。

 真剣な眼差しに、ジェイ・ゼルは折れた。
 そのまま、事務所へ伴い、会計係としての仕事を任せたのだ。
 彼は、敏腕だった。
 それまでのずさんな管理を、マシュー・フェルズは容赦なく正し、確実に利益を上げていった。
 宇宙酔いをするくせに、『アイギッド』での会計報告には、必ず同行してくれる。自分に恩義を感じてくれているのだと、そのたびに思う。
 ジェイ・ゼルは、過去を回想してから、目を細めた。

 その時、マシューの妻のお腹の中に居た子は、今では十歳になっている。
 長い付き合いだ。
 だからこそ、彼の命が惜しかった。

 忠誠を『ダイモン』に向けてくれと言ったジェイ・ゼルに、マシューは明確な返事を、返さなかった。
 瞬きを、ゆっくりとしている。
「ジェイ・ゼル様が、望まれるように」
 答えというより、ジェイ・ゼルを納得させるように、彼は言葉を告げる。
「『ダイモン』への忠誠が必要とおっしゃるのなら、そういたします」
 瞬きをもう一つしてから、彼は視線を上げた。
「どちらでも、私にとっては、同じことです」

 譲ってくれたようだ。
 ほっと、ジェイ・ゼルは息を吐く。
 イズル・ザヒルは、恐ろしいほど人の心の奥底を、見切る。
 そして、忘れない。
 受けた無礼も、施した徳も。
 彼はそうして、精査する。自分にとって、相手が得となるのか不利益となるのか。付き合うに値する存在なのかを。
 その打算を与えないのはただ、エメラーダだけだった。

 イズル・ザヒルの寵愛をうける女性の、兄である。
 それだけが、自分が今ここに存在している理由だ。
 醜いものを全て、まろやかな笑顔で包んで、ジェイ・ゼルはマシューを見つめる。
「ありがとう、マシュー」

 彼は、一瞬眉を寄せた。
 すぐに冷静な顔に戻ると
「ジェイ・ゼル様」
 と、事務的な声で告げる。
「ライサム・ゾーン様は、宿泊施設をお使いになりませんでした」

 ああ、そうだった。
 ジェイ・ゼルは会計係らしい、マシューの言葉に、笑みを深めた。
「キャンセルしておいてくれ。これ以上の支出は、控えないとね」
 ディー・マイルズ警部は謝礼を辞退してくれたが、急遽かき集めた武器のたぐいや、ラボリュートからの倉庫の借用代など、目に見えないところで、マシューは金額を使ってくれている。
 かなりの出費だろう。
 採算が合わないと、思っているに違いない。
 無駄金を使いたくないという意味だと、ジェイ・ゼルは理解する。
 だが、マシューは首を振った。
「いえ。ジェイ・ゼル様。私が申し上げたかったのは」
 ちょっと口ごもってから、
「お使いになれる部屋を『エリュシオン』に、ご用意してあるということです」

 ジェイ・ゼルは、瞬きを、した。

 ちょっと、目を逸らして、マシューが早口で言う。
「もう、キャンセルする刻限を過ぎています。今から断ったとしても、どのみち、部屋代として全額を支払わなくてはなりません。
 それなら、ジェイ・ゼル様がご使用になられたら、と」

 ジェイ・ゼルは、瞬きを、もう一つした。

「明日の朝まで、部屋は借りております。あの時点では、どこまでライサム・ゾーン様が、ご滞在になるか判断がつきかねましたので」
 まるで、言い訳のような言葉だ。
 明日の朝まで自由になる部屋が、『エリュシオン』にある。
 直接的な表現を避けながら、懸命に伝えようとする言葉に、マシューが意図していることを、ジェイ・ゼルは悟る。

 つまり。
 ハルシャをそこへ呼ぶといいと、彼は告げているのだ。

 ジェイ・ゼルは、思わず笑みを浮かべてしまった。
「それなら、支払いは私個人からにしてくれないか、マシュー」
 ゆったりと、椅子にもたれて、ジェイ・ゼルは温かな気持ちになって、言う。
「会社の支払いでは、個人的な目的で、使うことは出来ないからね」
 マシューは何かを言いかけたが、口を閉じて、素直に頭を揺らした。
 ジェイ・ゼルは、不器用な会計係の思い遣りに、ふと、胸の痛みを覚えた。
 自分にとって、ハルシャ・ヴィンドースがどういう存在なのか、彼なりに理解してくれているのだ。

 ジェイ・ゼルが身に抱える、矛盾と苦しみを癒せる場所は、ただ、赤毛の青年の無垢な瞳の中にしか、ないのだと。
 マシュー・フェルズは気付いている。

 だから。
 ハルシャに逢ってくださいと、マシューは言葉にならない言葉で、語っていた。
 ジェイ・ゼルの沈黙を見つめてから、マシューは、静かに身を折った。
「せっかくのお言葉ですが、私もしなくてはならない仕事が、山積《さんせき》しております。このまま、向こうで作業をします。
 何かありましたら、お声かけ下さい」

 何も言わせずに、彼は丁寧に礼をしてから、部屋を出て行った。
 一人になって、ジェイ・ゼルは、再び窓の外へ目を向けた。
 ほんの少し、夜明けの色が、空に混じり始めた。
 朝が来る。
 ジェイ・ゼルは、マシューの言葉を反芻しながら、空を見つめ続ける。
 しばらくしてから、ゆっくりと、服から通話装置を取り出した。
 無言で、視線を落とす。

 夜明け前だ。
 ハルシャは、まだ、眠っているだろう。

 ジェイ・ゼルは、通話装置を握りしめた。
 別れる前、ハルシャは心痛からか、拭いきれない疲労を顔に浮かべていた。
 取り戻した妹の側で、彼は今、眠りについているのだろうと、想像を巡らせる。眠りを妨げるは、かわいそうだと、思い起こす。
 彼は――
 恐い夢を見ていないだろうか。
 以前、置いていかないでくれと、ハルシャは眠りの中で懇願していた。
 大丈夫だと囁いたジェイ・ゼルの言葉に、すがるように指を絡めて温もりを求めてくる。
 普段の冷静なハルシャとは違う、幼子のような姿だった。
 守るように包んだ腕の中で、彼はいとけなく眠りについた。
 握り締める力が、かなしいほどに、強かった。
 そのまま……
 彼が夢でうなされないように、見守り続けて、いつしか夜明けを迎えていた。
 感覚が、内側に蘇ってくる。

 あの時。
 これほど愛しい存在がこの世にあるのかと、思った。
 今も、それは変わらない。

 世界の全てから、彼を守りたかった。
 なのに。
 自分は、その大切な存在を、むごく傷つけてしまう。
 いつも。
 愛することを許されない、呪われた悪魔のように。

 ジェイ・ゼルは、通話装置を握りしめたまま、目を閉じた。

 解っていた。
 ハルシャは、誠実な子だ。
 彼だけを受け入れるように、と言った、最初の契約を破るような行為には及ばない。
 必死で訴えていた、ハルシャの言葉を思い出す。
 信じてくれと、彼は懸命に告げていた。
 違う。
 信じていた。
 ただ。
 許せなかっただけだ。
 ハルシャの傍らに、ごく自然に佇む青年がいることが。
 信頼に満ちた笑みを、彼に向けているハルシャのことが。
 どんなに望んでも、果たせない夢を、いとも軽々と叶えて、幸せそうにしている姿を見た時に、何かが焼き切れた。
 その場所に居たいのは、自分だ。
 彼を慈しみ、嫌なことなど一つもさせず、信頼を向けられたいのは、自分だ。
 オオタキ・リュウジは、多額の借金を返済させている自分のことを、悪鬼のように睨みつけていた。
 そうだ。
 ハルシャ・ヴィンドースの自由を奪い、彼を縛り付けているのは、自分だ。
 だが。
 彼は知ることなどない。
 そのことが、どれほど辛いことなのか。
 ハルシャを極限まで働かせ、疲弊させた結果得た賃金を――
 その身からむしり取り、頭領ケファルへ納めなければならない自分の苦悩など。
 リュウジには、理解することなど、出来ないだろう。
 オオタキ・リュウジは、何の枷もなく、ハルシャの味方でいることが出来る。
 自分とは違う。
 もし、自分が情に流され、ハルシャに手心を加えれば、彼の借金返済額が減り、たちまち頭領ケファルの怒りをかう。
 そうなれば――
 サーシャ共々『アイギッド』へ連れて行かなくてはならなくなる。
 だから。
 彼の健康に気を遣い、身を傷つけないように配慮をしてきた。
 ハルシャが働き続けられるように。
 借金を、返済し続けられるように。

 借金が終われば、ハルシャとの関係は切れる。
 解っていながら、自分がどれほど、ハルシャが自由になる日を、待ち望んでいるのかを――
 リュウジは、知らない。
 何も知らずに、彼は、罪を断じる眼差しで、自分を射る。
 そして今も、リュウジはハルシャの側で、当然のように眠りについているのだろう。

 ジェイ・ゼルは、眉を寄せてから、ゆっくりと目を開いた。
 通話装置を、見つめる。
 ふっと、息を吐いてから、再び服の中へと戻した。

 夜明けに近い空を目に映しながら、ジェイ・ゼルは考える。
 一連の出来事、そして、ライサム・ゾーンが既に惑星トルディアを去ったことを、頭領ケファルに報告しなくてはならない。
 どんなに辛くても、自分には為さなくてはならないことがある。
 『ダイモン』の一員であると言うことは、イズル・ザヒルの道具となるということだ。

 道具には――
 心など必要ない。

 ジェイ・ゼルは、思い切るように立ち上がり、そのまま、イズル・ザヒルへ連絡を取るために、事務所の私室の奥へと、足を進めた。






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