ほしのくさり

第129話  夜明け前の闇-01





「――ジェイ・ゼル様」
 ふっと視線を浮かせた先に、眉を微かに寄せた、マシュー・フェルズが佇んでいた。
 彼は、どうやら、幾度か自分を呼んでくれていたようだ。
 その声にも反応できず、考えに耽《ふけ》ってしまっていた。
「ああ、マシュー」
 頬杖を解いて、ジェイ・ゼルは椅子の背もたれに身を預け、ゆったりと微笑んだ。
「すまない、考え事をしていた」

 マシューの眉が、ますます寄せられた。そうしながら、彼が口を開く。
「今、シオンから、ライサム・ゾーン様が、無事にバルキサス宇宙空港からご出発になられたと、報告がございました」
 マシューが言葉を続ける。
「――新しい三つの荷物は、無事に検問を通ったようです。ギランジュの宇宙船も、ライサム・ゾーン様のお連れになった一等航宙士が、『アイギッド』まで、運んでいくそうです」
 ジェイ・ゼルは、瞬きをした。
 新しい、荷物。
 それは、ギランジュ、そして、ローン・ダナドスとシヴォルトのことだ。
 彼らの身柄を引き取って、ライサム・ゾーンはラグレンに留まることなく、すぐさまホームベースの『アイギッド』へ取って返した。
 惑星トルディアでの彼の仕事は、もう済んでしまったようだ。
 ライサムは、時間を気にしながら、皆を急がせた。
 ギランジュたちは、意識を失った状態で、大きなトランクの中に収納されて、宇宙空港まで運ばれている。
 ライサムは、ついでのように、ギランジュ・ロア所有の宇宙船も『アイギッド』へと伴うことにしたようだ。
 ジェイ・ゼルは、瞬きを一つする。
「そうか」
 くるりと椅子を回して、夜明けが近い、窓の外へ目を向ける。
「トラブルが無くて、なによりだな」

 ジェイ・ゼルは当初、バルキサス宇宙空港まで、ライサム・ゾーンを見送りに行くつもりだった。それが、窮状に駆け付けてくれた、彼に対する礼儀だと思っていたのだ。
 だが。
 ライサムは、ジェイ・ゼルの申し出を、にべもなく断った。

 ――見送りなど不要だ。儀礼など何の役にも立たない。
 それより、ラグレンで、お前がなすべきことがあるだろう。それを、為せ。

 結果として――
 裏切った部下を、ジェイ・ゼルは、本部である『アイギッド』に、送り込んだことになる。
 無慈悲にも思える処分に対して、動揺している部下が居ないか、目を光らせろと、彼は忠告してくれているのだ。

 浮足立つ者の中には、ローン・ダナドスと気脈を通じていた人物がいるかもしれない。
 裏切り者の粛清は、速やかに、かつ徹底的に容赦なく行え。
 手心を加えるな。

 言外にそう語りながら、彼は車中の人となった。
 ライサムは思った以上に、ジェイ・ゼルのことを、心配しているようだ。
 裏を返せば、彼の目から見て、それだけ自分の現在の立場は、危ういということなのだろう。
 それは、そうかもしれない。
 年若い恋人のために、自分は思慮に欠ける行動ばかりをしている。
 側で見ていて、侮る者が出て来ても、仕方がない状況だ。
 今回の不祥事を招いたのは、全て、自分の考えのなさが原因だと、誰よりもジェイ・ゼル自身が知っていた。

 夜明けが訪れる前の、闇の深い色を見つめながら、ジェイ・ゼルは呟いた。
「マシュー」
 部屋には、自分と勤勉な会計係しかいない。
 用事のない部下たちは、労いを述べてから、もう自宅へと帰らせている。
 ライサムに関する報告を待ちがてら、ジェイ・ゼルは事務所に残っていたのだ。
 その気やすさも手伝ってか、無意識のようにジェイ・ゼルは、言葉をこぼしていた。
「呆れているだろうね、私の愚かしさに」
 放った自分の言葉を、片頬を歪めながら、噛み締める。
「ギランジュが凶行に及んだのは、全て私が原因だ」

 ジェイ・ゼルは理解していた。
 そもそも、自分がハルシャを、ギランジュ・ロアに抱かせようとしたのが、全ての始まりだった。
 ハルシャの硬い態度に痺れを切らし、他人であれば快楽を得るかもしれないと、浅慮を巡らせた結果、ギランジュを選んでしまったことが。
 そうして、ギランジュを焚きつけ、気を持たせながら、手ひどく彼のプライドを打ち砕いたのも、自分だった。
 ギランジュを激怒させ、見境のない行動に走らせたのは、ジェイ・ゼルなのだ。
 本来。
 愚かしさのつけを払うべきは、自分だった。
 ただ――
 自分は、イズル・ザヒルの配下にあり、妹が彼の寵愛を受けていたために、難を逃れたに過ぎない。
 今の自分があるのは、頭領の恩寵の賜物であることを、忘れるなといった、ライサム・ゾーンの言葉が耳の奥に響く。
「極めて個人的な理由で、皆の手を煩わし、挙句の果てに、自分で自分の始末もつけられず、上役の手を借りるなど」
 苦い思いを相手に見せずに、ジェイ・ゼルは、ふふと微笑みながら、ラグレンの闇を見つめる。
「部下に裏切られるのも、仕方のないことだな」


 眉を寄せたまま、マシュー・フェルズはジェイ・ゼルを見つめ続けていた。
 自嘲気味に呟いた言葉に、彼はすぐに答えを返さなかった。
 じっと黙り込み、瞬きを数度してから、やっとマシューは口を開く。
「ジェイ・ゼル様は」
 彼の物言いに、ジェイ・ゼルは、ゆったりと視線を向けた。
「お優しすぎます」

 非難ではなかった。
 ただ。
 彼は心に兆《きざ》した事実を、口にしている。
 ジェイ・ゼルは首を傾け、マシュー・フェルズに発した言葉の意味を、問いかける眼差しを向けた。
 ちょっと、マシューは居心地が悪そうに、視線を逸らす。
 几帳面に整えられた髪を、乱すようにして掻き揚げながら、彼は呟いた。
「ローンと、シヴォルトの始末なら、私どもで致しました。命じて頂ければ……ですが」
 マシューは目を細めて、虚空に呟く。
「ジェイ・ゼル様は、部下を大事になさる方です。無下に命を奪うことはなさらない。頭領ケファルはそのことを良くご存じなのでしょう、後に禍根を残さないように、ライサム・ゾーン様に連れてくるようにお命じになられたのだと、思います」

 自分が、心を漏らしたことに、マシューなりに応えようとしている。
 ジェイ・ゼルは、かつてないほど多弁な、会計係の静かな顔を見つめ続けていた。
「ジェイ・ゼル様の優しさを、ローンとシヴォルトは、利用したのです。自分たちを始末できないだろうと踏んで、ギランジュ・ロアに手を貸したのでしょう」
 マシューの緑がかった茶色の瞳が、不意に、真っ直ぐに、ジェイ・ゼルを見据える。
「ローン・ダナドスには野心がありすぎ、シヴォルトは、ジェイ・ゼル様を独占しようとした。どんなに言い訳をしても、ジェイ・ゼル様をないがしろにし、裏切ったのは事実です。
 彼らは、正当な処分を受けました。裏切りは、死をもって贖うのが、私たち『ダイモン』の掟です」
 穏やかとも取れる声で、彼は呟いていた。
「彼らには、裏切らない選択肢もあった。だが、それを選ばなかったのは、彼らの罪です。
 ジェイ・ゼル様が、彼らのために、お心を痛めることはありません」

 きっぱりと言い切った彼の瞳の強さを、ジェイ・ゼルはしばらく無言で見つめていた。
 ふっと、先ほどとは違う笑みを浮かべると、口下手な会計係へ言葉をかける。
「だめだよ、マシュー。そんなに私を甘やかしては」

 ゆっくりと、視線がラグレンの夜へと向かう。
「裏切りを許したのは、私の監督が行き届かなかったからだ。ローンが野心を抱いていることは解っていた。知りながら、おのれの分を弁えさせなかったのは、私の落ち度だ」
 闇の空の深さを測るように、ジェイ・ゼルは視線を彼方へ注ぎ続ける。
頭領ケファルは、よくご存じだ。自分に非があると知っているから、私がローンとシヴォルトを処分できないということを。
 ライサム・ゾーン様は、『ダイモン』の組織が、私の行動によって軽んじられてはいけないと、判断された。だから、二人を連れ去られたのだよ。正当な処分を受けさせるために」
 マシューに背を向けたまま、ジェイ・ゼルは呟く。
「ライサム様に、汚れ役を引き受けさせるなど、本来あり得ないことだ。私の技量不足だね」

 沈黙の後、ジェイ・ゼルは再び口を開いた。
「ライサム様がお越しになったのは、私の様子を見に来る意味合いも、あったのだよ」
 マシューに、というより、自分自身に言い聞かせるような、言葉だった。
「次、同じような事態になれば、頭領ケファルは、ハルシャ・ヴィンドースを『アイギッド』に連れてこいと、命じられるだろう」
 闇を見つめたまま、言葉が虚空へ吐き出される。
「ライサム・ゾーン様を派遣されたのは、そういう意味だ。二度目はないと、私に告げるために。警告なのだよ、マシュー」

 自嘲ぎみの言葉を呟いてから、ジェイ・ゼルは沈黙した。
 光をまとうラグレンの夜の姿が、窓の外を彩る。
 その上にある、遙かな宇宙を、ジェイ・ゼルは見つめ続けていた。
「事業が順調であれば、頭領ケファルは、広いお心で全てを許容して下さる。だが、それは、あくまで順調であれば、ということだ」
 短く言葉を切った後、彼はぽつんと呟いた。
「今回、私は頭領ケファルの借金の返済相手であるハルシャを、危機に陥らせるところだった。
 ハルシャは、私のものではない。
 あくまで、イズル・ザヒル様の監督下にあると――私の勘違いを、戒めにきたのだよ。ライサム・ゾーン様はね」
 ふふと、彼は静かに微笑みを浮かべた。
「私はハルシャの借金を、取り立てる仕事をしているに過ぎない。
 彼の人生は、頭領ケファルの手の中にある――ハルシャ・ヴィンドースを生かすも殺すも、イズル・ザヒル様の胸一つだ」
 闇を見つめる目を細めて、彼は自戒のように呟いた。
「解っていたはずなのに、私はどうやら、そのことを忘れていたようだね」

 苦い言葉だった。
 呟きを漏らした後、ジェイ・ゼルは再び黙り込んだ。
 心を切り替えるように、息を一つしてから、
「さぞ、くたびれただろう。色々仕事を押し付けてしまったからね」
 と、椅子を回して、ジェイ・ゼルは、マシュー・フェルズに向き合った。
「私はもう少し事務所で仕事をしていくから、君はもう、帰っていいよ。長く引き留めてすまなかったね」
 微笑みを浮かべて、佇むマシューを見上げる。
「今回、君が居てくれて、本当に助かった。ありがとう、マシュー」

 ジェイ・ゼルの灰色の瞳を、マシュー・フェルズは返事もせずに、真っ直ぐに見つめていた。
 何か、言いたいことがあるのかもしれない。
 ジェイ・ゼルは、彼が口を開くのを、待った。
 ぎゅっと、両手を握りしめてから、マシューが口を開いた。
「私がお仕えしているのは、『ダイモン』ではありません」
 意外なことを、マシューは言い出した。
 眉を寄せたジェイ・ゼルに向かって、彼は朴訥《ぼくとつ》な口調で続けた。
「ジェイ・ゼル様が『ダイモン』の組織に所属されているから、私は『ダイモン』の配下にあるだけです」
 笑い飛ばすには、あまりに真剣な口調で、マシューは語っている。
 さらに手をきつく握りしめて、彼は付け足す。
「ジェイ・ゼル様が行かれる場所へ、私も参ります。たとえ『ダイモン』を離れられたとしても……どこまでもお供いたします。
 私は、あなたの会計係です」
 瞳が真っ直ぐに自分を見る。
「私がお仕えしているのは、ジェイ・ゼル様です。『ダイモン』では、ありません」

 長く見つめ合ってから、ジェイ・ゼルは、やっと微笑みを浮かべることが出来た。
「だめだよ、マシュー」
 穏やかな声をかけながら、忠義を滴らせる、勤勉な男を見つめる。
「私が『ダイモン』から、外れることはないよ。絶対にね」
 静かな語調で、マシューに言い聞かせるように、ジェイ・ゼルは呟いた。
「自由になれるなど、考えてはいけない――とても危険なことだ。頭領ケファルはすぐに心の底を見抜かれる」
 一瞬、眉を寄せてから、ジェイ・ゼルは本音を吐露した。
「君を、失いたくない。お願いだ、マシュー。忠誠は『ダイモン』へ向けてくれ」
 呻くように、ジェイ・ゼルは言葉を放っていた。
「私にではなく」

 マシューは、沈黙したまま、すぐには応えなかった。
 唇を引き結んだ、生真面目な顔を、ジェイ・ゼルは見つめ続ける。
 本来、彼はこんな場所に居るような人間ではない。
 ふと、十年前、彼に出会ったころのことを、ジェイ・ゼルは思い出していた。

 自分の元で働き出す前、マシュー・フェルズは、ごく一般的な企業に勤めていた。
 その頃から、会計を担当していたらしい。
 企業に不利益な事などせずに、日々の業務を勤勉にこなしていた。
 しかし、勤めて五年を超える頃、突然、彼は横領の罪を、社内で摘発されたのだ。
 全く身に覚えがないことだった。
 マシューは、社長に呼ばれて、証拠を突き付けられた。
 裏帳簿だった。
 彼を告発したのは、彼の同僚だった。この裏帳簿を彼の自宅から発見したと、同僚は意気込んで社長へと直訴したようだ。

 はめられた。

 マシュー・フェルズは悟った。
 自分の上司と同僚が、不正に金額を操作している可能性があると、マシューは薄々気付いていた。
 真面目なマシューが事実を明らかにする前に、全ての罪を自分になすりつけたようだ。マシューが関わったという証拠が、次から次へと、示される。
 黙り込むマシュー・フェルズに、社長は、温情を与えるように言った。
 自分としてはことを公にするつもりはない。
 企業イメージに傷がつき、今後の取引に影響を及ぼしかねない。
 ただ、損害は、損害だ。
 もし、マシュー・フェルズが横領した金額を、全額補填すれば、刑事告発は避けよう。
 もちろん、解雇は必須だった。
 職を失った上、補填するべき金額を、どうしたらいいのか迷った挙句、マシューは、ジェイ・ゼルのところへ借金を申し出に、訪れたのだ。
 高額の借金の借り入れに、ジェイ・ゼルはしばらく考えこんだ末、

 金を貸すのは簡単だが、返す当てはあるのか?

 と、生真面目が服を着ているような男に、問いかける。
 マシューはしばらく沈黙してから、

 なんとかいたします。

 と、短く答えて、再び黙した。
 虚空を見据える彼の瞳に、ジェイ・ゼルは覚悟を感じた。

 生命を担保にした、保険でも入っているのか。

 問いかけたジェイ・ゼルの言葉に、びくっと、マシューの肩が震えた。
 優しく微笑んでから、強張るマシューに、ジェイ・ゼルは言葉をかける。

 死を決意した顔をしている。
 それだけ、追い詰められているんだな。
 良かったら、事情を聞かせてくれないか、マシュー・フェルズ。

 しばらく迷った挙句、彼は諦念したように、ぽつぽつと、借金する理由を話し始めた。
 自分の同僚と上司が結託して、横領の罪を自分に着せたこと。
 刑事事件にする前に、全額を補填すれば、不問に付すと社長が提案していること。
 そして、ジェイ・ゼルが指摘した事実も、彼は認めた。
 結婚した時、残された妻が暮らして行けるように、生命が失われた時に、相当の金額が手に入るようになっている。
 それで、全額支払うと。
 ジェイ・ゼルは、瞬きをしたあと、再び問いかけた。

 そこまで覚悟を決め、手段があるのなら、なぜ、わざわざ金利がかさむ私たちの融資を受けるのかな。
 今すぐにでも、決行すれば、奥さんの手元に、なにがしかの金額を残してやることが出来るのではないか、と。

 彼はすぐに、応えなかった。
 長く沈黙した後、やっと口を開いた。

 妻が、身ごもっているのです。
 初めての子です。

 言ってから、彼はぎゅっと、口を結んだ。
 再び口を開いたとき、彼は両手で目を覆っていた。


 今すぐ、金額を清算するべく、命を絶つべきだとは、思います。
 ですが。
 私は――生まれてくる子どもの顔を、見たいのです。
 一度でいい、この手に抱きしめたい。
 だから――あなたからの融資を受け、時間を頂戴したいのです。


 







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