飛行車でヨシノさんが連れて行ってくれたのは、マイルズ警部たちが滞在している『アルティア・ホテル』からすぐ近くの飲食店だった。
ヨシノさんも、同じ宿泊施設に泊っているらしい。
お勧めの店だと聞いていると言いながら、ヨシノさんは屋上の駐車場に、飛行車を停めた。
通されたのは、個室だった。
既に予約を入れていてくれたようで、三つだけ用意された椅子に座ると、すぐさま料理が運ばれてきた。
帝星風の海鮮を使った料理がメインだった。
しかも、ヨシノさんの奢りだと、明るい声でリュウジが告げる。
それではあまりに申し訳ないと、ハルシャは必死に抵抗したが、リュウジとヨシノさんの二人がかりで説得をされてしまった。
惑星トルディアで偶然に出会えたことを、記念したいと、ヨシノさんが穏やかに告げる。
それなら、とリュウジが提案をしてくれる。
ヨシノさんは駆動機関部にとても興味があるそうです。一度工場を見に来ていただいたら、どうですか。実際に駆動機関部を組み立てるところを、ぜひ見たいと仰っていました。
と、リュウジは笑顔で言う。
もちろん、ガルガー工場長の許可を得てからですが、とのリュウジの言葉に、ヨシノさんも深くうなずく。
とても嬉しい。願ってもないことだ、と。
そういうことなら、と、ハルシャは仕方なく引きさがることにする。
食事の間、サーシャを無事に助けられたことを、お互いに言葉を尽くして確認し合う。
やはり、マイルズ警部たちは凄いですね。
リュウジが感心したように、ヨシノさんに言っている。
ヨシノさんが偶然、警部たちとお知り合いで、本当に良かったです。
しみじみとした口調で、リュウジが言う。
サーシャは、運が良かったのですね。
そんな風にも、リュウジは言った。
夢のようだ。
ほんの数時間前までは、サーシャは命の瀬戸際にいたというのに。
今は、心の底から笑っていられる。
本当に、ありがたい。
料理もとても美味しかった。
魚料理がメインで、薄い塩味で焼いてある。どうやら、惑星ガイアから直輸入されたものらしい。
値段を考えて、ハルシャは心臓がドキドキとし始めるほどだった。
「美味しいですね、ハルシャ」
と、パクパクと料理を口に運びながら、リュウジがとろけそうな笑みを浮かべる。
「こんなおいしい食事が出来るなんて、思ってもみませんでした。サーシャのことも安心ですし、幸せですね」
幸せ。だ。
だが。
ハルシャは心がふっと、彼方に漂い出しそうになる。
ジェイ・ゼルは、今。
どうしているのだろう。
最後の時、動揺と安堵のあまり、きちんとお礼をいうことすら出来ていなかった。良かったと言いながら、自分とサーシャを、腕に包んでくれた優しさが、ぎゅっと胸を締め付ける。
今、ジェイ・ゼルは……ギランジュたちから、話を聞いているのだろうか。
嫌なこと全てをジェイ・ゼルたちに押し付けて、こんなところで楽しんでいていいのだろうか。と、ふと、思う。
彼はもう、食事を済ましたのだろうか。
それとも、忙しくて、何も食べていないのだろうか。
おいしいかい、ハルシャ?
サンドウィッチを食べているとき、自分を見つめて呟いた彼の眼差しが蘇る。
愛しげに目を細めて、ジェイ・ゼルは優しく問いかけていた。
ハルシャの命を満たすことに、限りない喜びを感じているように、彼の口元には微笑みが浮かんでいた。
「――シャ」
はっと、ハルシャは物思いから浮上した。
「ハルシャ」
リュウジが呼びかけていた。
意識を戻したハルシャに、リュウジが優しく微笑みかける。
「お酒はどうですかと、ヨシノさんが。今日の作戦成功に乾杯しましょうと」
食事はもう、後半に入っていた。
ご飯という、米を使ったものが運ばれてきている。
美味しいお茶が一緒に置かれる。
「お腹が空いた状態で飲むと、ハルシャが酔うといけないかと考えて控えていましたが――せっかくなので、乾杯しませんか?」
ヨシノさんも、ぜひとおっしゃっている。
お酒はあまり強くないが、ヨシノさんの思いを汲んでハルシャは、頂くことにした。
帝星のこれも、米から作られたシララル酒というお酒の種類らしい。
透明で花束のような、良い香りがする。
「それじゃ。サーシャが無事に帰ってきたことに!」
リュウジが献辞を述べてから、互いのグラスをカチンと合わせて、ハルシャはグラスに口をつけた。
あ。
とても飲みやすいお酒だ。
さらっとして、水のようだ。
クラヴァッシュ酒とは違い渋みなどがない。
癖のない柔らかい味を、ハルシャは気に入ってしまった。
「美味しいお酒ですね」
ハルシャが、グラスを乾したことに気付いて、リュウジが空いた器に、新しいシララル酒を注いでくれる。
「オキュラ地域へは、ヨシノさんが運んで下さるそうです。帰りは気にしなくていいので、安心して飲んでくださいね」
優しい声で、リュウジが告げていた。
*
シララル酒を二杯飲んだところで、ハルシャの目がトロンとし始めていた。
リュウジは表情を見つめながら、彼に問いかけた。
「眠いですか、ハルシャ」
「いや、大丈夫だ」
リュウジの言葉に身を伸ばし、ハルシャは懸命に正気を保とうとしている。
だが、すぐ瞼が落ちてくる。
微笑みながら、リュウジは見守っていた。
「無理をしなくていいですよ。ハルシャ。眠かったら、もう食事を終わりましょうか」
「私のことは気にせずに、食事を続けてほしい」
うつらうつらしながら、ハルシャが呟く。
リュウジは、
飛行車でハルシャを運ぶ手筈になっている。
吉野は、静かに肯きで意図を受け取る。
「すまない、ヨシノさん。せっかくの食事なのに――」
ハルシャが、詫びを口にしている。
「いや、ハルシャくんは疲れているのに、かえって申し訳なかったね。リュウジくんも、遅くまで引き留めてしまった」
吉野の声を聞きながら、ハルシャは、もう身が立てられないほどだった。
シララル酒は口当たりが良いが、意外にもアルコール度数が高いお酒だった。
ハルシャは、味の柔らかさに油断して、いつもよりも多く飲んでいた。
そして――
弱い睡眠薬をリュウジはハルシャのグラスの中に、密かに忍ばせていた。
習慣性もなく、後に這わない極めて安全なものだ。
そうでもしないと、彼は今晩眠れないような気がしたのだ。
ドルディスタ・メリーウェザは、ハルシャが休養することを、何よりも心配していた。サーシャと引き離したのも、そのためだ。
ハルシャは、今にも倒れそうな、土色の顔色をしている。
サーシャを失うかもしれないという恐怖が、彼の心を蝕んでしまったのだろう。
救助された今でも、ハルシャの心痛はまだ癒えていないような気がした。
うつらうつらと、ハルシャは座席の上で船を漕ぎだした。
温かな眼差しでリュウジは見つめる。
彼の寝息が静かに部屋に響き出した。
吉野が、入って来た給仕にこれで食事を終える旨を告げて、会計の手続きも済ましている。
ハルシャは深い眠りについたようだ。
椅子に深くもたれて、穏やかな呼吸を繰り返している。
疲労の深く刻まれた顔だった。
様子をしばらく見つめてから、リュウジは口を開いた。
「
一部屋、取れるかな」
「はい、
素早く吉野は通話装置を取り出し、『アルティア・ホテル』に連絡を入れる。
ツインベッドの部屋が取れたようだ。
報告を受けてから、リュウジはうなずいた。
「これからすぐに向かおう。ドルディスタ・メリーウェザから、ハルシャに休養させるように、厳命を受けている」
「ご一緒に、お運びいたします」
「そうだな。お願いしようかな」
リュウジは吉野に手伝ってもらい、ハルシャを肩に担ぎながら、飛行車へと戻る。
「ハルシャ。今から宿に行きますね」
後部座席に横たえたハルシャは、リュウジの声に既に反応しなかった。
自分の膝を枕にさせて、彼の体を座席に横たえる。穏やかに呼吸を繰り返すハルシャの胸部が静かに上下している。
リュウジは赤い真っ直ぐな髪を、静かに撫でた。
「今日は一日、とても大変でしたね、ハルシャ。もう大丈夫ですよ」
深く心労が刻まれたハルシャの顔を見つめながら、リュウジは呟く。
「下品なギランジュの会話の録画も、ジェイ・ゼルの事務所を出る時に消去しておきました。もう、誰にもあなたに対して、あのようなことは言わせません」
耳元に小さく囁く。
「ハルシャは、僕が護ります」
吉野は『アルティア・ホテル』までのわずかな距離を、丁寧に運転していく。
「マイルズ警部たちは、どうしていらっしゃる?」
リュウジはハルシャの髪を撫でながら、吉野に問いかけた。
「祝杯を挙げに、外へ出られているようです。会計はこちらで持たせていただく手筈になっております。ご安心を、
「うん。助かるよ、
柔らかなハルシャの髪に、リュウジはゆっくりと指を滑らせる。
そうしながら、リュウジは微かに目を細めた。
ジェイ・ゼルは――
所有を示すように、自分の前でも臆面なくハルシャの髪を撫でていた。
リュウジは、唇を噛み締める。
それを――
ハルシャは拒むでもなく、素直に受け入れて為すがままだった。
これまで、ずっとそうやって、彼に慣らされてきたのだろう。
理由の特定できない苛立ちが、ジェイ・ゼルの態度に湧き上がる。
借金でハルシャを縛っている相手なのに。
ハルシャは、サーシャが誘拐されたと気付いたとき、ジェイ・ゼルを無心に頼った。
恐らく、その時から続いている苛立ちなのだろう。
リュウジはサーシャが連れ去られた、と確信してから、ハルシャにマイルズ警部を紹介しようと、腹積もりをしていた。
あとは、告げるタイミングだけだった。
なのに。
マイルズ警部のことを言い出す前に、ハルシャは、自分よりもジェイ・ゼルに助けを求めた。
仕方がないことだ。
リュウジにはマイルズ警部たちという、強力な助っ人があるなど、当時のハルシャは知らなかったのだから。
一番自分の身近にいる人物に、依頼心が起こるのは当たり前だ。
とは。
理解出来る。
けれど――
自分を信じて欲しかった。
自分だけを、頼ってほしかった。
解っている。
これは、自己中心的な考え方だ。ハルシャが置かれている状況を第一に考えれば、彼が安心するようにしてあげるのが一番だ。
ジェイ・ゼルの側で、ハルシャはひどく安堵していた。
実際、ジェイ・ゼルは、自分が思っている以上にハルシャを労り大切に扱っていた。サーシャを助けられたのは、悔しいがジェイ・ゼルの尽力の賜物だ。
それで良いはずだ。
それでも。
どうして自分はこんなにも、苛ついているのだろう。
あれだけ酷い行為を受けながら――
ハルシャは、ジェイ・ゼルを許して、彼を再び受け入れている。
最大の苛立ちの原因は、多分それなのだろう。
チリチリと、胸の奥が痛みのように、焼ける。
心を鎮めるように、リュウジはハルシャの髪を、ゆっくりと撫でる。
視線が、虚空に滑っていく。
もし。
今夜ジェイ・ゼルから呼び出しがあったとしても――
リュウジは行かせるつもりはなかった。
そのために。
ハルシャに一服をもって、眠らせたのだ。
リュウジは歯を噛み締めた。
ドルディスタ・メリーウェザの言葉が、耳に蘇る。
きっと自分は、ハルシャに不利益なことをしているのだろう。
解っていても、どうしても納得がいかない。
もうハルシャをーー
二度とジェイ・ゼルの腕の中に、渡したくなかった。
「お部屋番号をうかがっております。そこでお待ちいただけますか」
吉野が振り向いて、リュウジに告げる。
いつの間にか、『アルティア・ホテル』の駐車場に着いていたようだ。
はっと、物思いから浮上して、リュウジは顔を上げた。
「解った。そこまで、僕がハルシャを連れて行こう。
「了解いたしました、
*
二つ、行儀よくならんだベッドの片方に、リュウジはハルシャを運んだ。
意識のない体を、シーツをめくって、丁寧に横たえる。
靴を脱がせて服をゆるめる。
ハルシャは、眠り込んでぴくりとも動かなかった。
枕の位置を直し、布団をかけると、リュウジは上から、彼の眠る姿をしばらく見守っていた。
吉野はもう、自分の部屋に下がらせていた。
あとは自分一人でするから、と言って。
それでは、また朝、お迎えに参りますと吉野は丁寧に告げてから姿を消した。
ふっと息を吐くと、リュウジは動いた。
ベッドの縁に腰を下ろして、眠り込むハルシャの髪に手を伸ばす。
リュウジはそっと、赤い髪を、くしけずるように撫でた。
「ゆっくりと、休んでください、ハルシャ。明日も仕事に行くつもりなのでしょう? お付き合いいたします」
微かに開いたハルシャの口から、穏やかな寝息がもれている。
リュウジは無心に眠る彼の様子を、じっと見つめていた。
静寂の間に、コンコンと軽く扉が叩かれる音が響く。
「坊。起きているか?」
くぐもった声が聞こえた。
マイルズ警部だった。
リュウジは瞬きを一つしてから、立ち上がった。
「起きていますよ、警部」
静かに言いながら、扉へ向かう。ロックをかけていたのだ。
解放して、扉の外に立つ、ディー・マイルズ警部を笑顔で出迎える。
「今日は本当にありがとうございました。ご尽力に感謝の言葉もありません」
「上手い飯を喰わせてもらったよ。俺の部下たちも喜んでいた」
「また改めて、皆さんには御礼をさせて頂きます」
ふふと、マイルズ警部が微笑む。
「ジェイ・ゼルがな、俺たちに心付けを渡そうとしてきた。案外、気を遣う男だな」
警部の口から出た名に、リュウジは笑みを消した。
「もちろん、断っておいた。犯罪に手を貸すつもりはないからな。それに」
マイルズ警部は腕を組んで、首を傾ける。
「ハルシャ・ヴィンドースが身を削るようにして稼いだ金を、はいそうですかと受け取れるほど腐った性根は持ち合わせていない」
笑みを浮かべる警部の前で、リュウジは大きく扉を開いた。
「良かったら、入って下さい。立ち話は廊下に響きますから」
腕を組んだまま、警部は部屋の中に足を踏み入れた。
ゆっくりと歩を進めながら
「吉野から聞いて驚いたよ。まさか同じホテルに坊たちも、泊まることになったとはね」
と、片眉を上げながら、笑いを含んで言う。
リュウジも笑顔を取り戻して、言葉を返す。
「ハルシャを、ぐっすりと休ませる必要があったからです。医者の命令は、きちんと守らなければなりませんから」
部屋へと足を踏み入れて、くすくすと警部が笑う。
「それもそうだろうが……」
ベッドに横たわるハルシャへ視線を向けながら、警部は器用に片目をつぶった。
「どっかの誰かに、持って行かれるのが、嫌だったんだろう。坊」
マイルズ警部は、鋭い。
にこにこと、リュウジも笑顔を返した。
「警部。仰っている意味が、よく解りません」
リュウジの無邪気を装った言葉に、警部は静かに笑みを深めた。
ゆっくりと笑みを消してリュウジは呟いた。
「ハルシャはもう、眠っています。彼を起こさないようにご配慮をお願いいたします。警部」
「もちろんだよ、坊。可哀そうに。疲労困憊しているのだろう。過酷な一日だったからね」
後は沈黙して、ベッドの奥に設えてある、ソファーへと二人は向かった。
吉野が押さえてくれたのは、かなりランクの高い部屋だった。
ハルシャがゆっくり眠ることが出来そうだと、リュウジは満足を示した。
ベッドから離れた場所にあるソファーも、部屋の格のお陰か、上質なものだった。そこへくつろいで、マイルズ警部は腰を下ろした。
「夜にすまんな。ちょっと坊に、確認したいことがあってね」
座った衝撃で、座面が揺れる。それが鎮まるのを待ってから、マイルズ警部が口を開いた。
「これから、どうするつもりだ、坊。ずっと、ラグレンでハルシャたち兄妹と暮らすつもりか?」
天井を仰ぎながら、マイルズ警部が呟いている。
リュウジはくすっと笑った。
「なぜです?」
マイルズ警部が、視線を真向かいに腰を下ろした、リュウジへと向けた。
「ハルシャ・ヴィンドースと、離れる気がなさそうだから、聞いているんだよ。坊」
思わぬ真剣な口調だった。
「いけませんか?」
リュウジは笑みを浮かべたまま、問い返す。
マイルズ警部は膝の上に肘をついて、少し前屈みになると、真っ直ぐにリュウジを見つめた。
「坊」
警部のヘイゼルの瞳が、リュウジへ注がれている。
「ハルシャ・ヴィンドースのご両親の死の原因も、ラグレン政府の陰謀も、イズル・ザヒルの計略も、サーシャちゃんの救出も、坊が望むことなら、労を厭わずに何でも調べて、動いてやる。どうしてかというとだな」
穏やかな声で、マイルズ警部が言葉を続けた。
「そこが納得出来たら、坊は帝星に戻ると思っているからだよ」
リュウジは、マイルズ警部の視線を受け止めながら、笑みを消した。
「坊が、どれだけヴィンドース兄妹を大切に思っているか、今回側で見せてもらって、よく解ったよ。だがな、坊。
彼らは他人だ。坊の家族は、別の場所にいる。帝星で今も坊の帰りを待っている」
リュウジは虚空へ視線を向けた。
長い沈黙の後、リュウジは口を開いた。
「ここで目を覚ました時、僕は一切の記憶がありませんでした」
遠い過去を手繰り寄せるように、リュウジは呟いていた。
「最初の記憶は、ハルシャの労わるような眼差しです」
ゆっくりと、リュウジは視線をマイルズ警部に戻した。
「自分の名前さえあやふやな僕に対して、ハルシャは限りない思いやりを見せてくれました。
その時、彼がどれだけ大変な暮らしをしているのか、僕は想像すら、出来ませんでした。感じさせまい、僕に負担をかけまいと、ハルシャは心を砕いてくれていたのです」
再び沈黙した後、リュウジは口を開いた。
「自分たちが暮らすのさえ大変な中に、彼らは快く見ず知らずの僕を迎え入れくれました。実際は、とても経済的に大変だったと思います。彼らは、捨てられたものを拾ってきて、修理して使っています。そんな生活なのです」
短い沈黙の後、リュウジは再び口を開いた。
「サーシャは、服の着替えさえない僕に、兄のハルシャの服を貸してくれました。
その時――彼女は、一番きれいな上等の服を、わざわざ選んで僕に手渡してくれたのです。居候の僕に、一番いいものを、常に与えてくれようとする。
それが、ヴィンドース兄妹の生き方だったのです」
リュウジの目に透明な涙がにじんだ。
「ハルシャは……一四七万ヴォゼルという、法外な借金をたった十五歳で背負わされ、宇宙飛行士の夢を諦めざるを得ませんでした。そこから、奴隷のように働かされ、ジェイ・ゼルに情人として五年間、身を弄ばれてきました」
あふれた涙が、頬を滑り落ちた。
「それでも彼は――人への労りを忘れずに、生きてきたのです。ひがみ歪んでもしかるべきだったでしょう。なのに、彼は――」
震える声で、リュウジが心の内を告げる。
「一番苦しく辛い所は、常に自分が背負い、妹を懸命に守って生きてきたのです。その気高さに、僕は、人としての一番大切なものを教えてもらいました」
涙が、こぼれ落ちる。
拭いもせずに、リュウジはマイルズ警部を見つめる。
「僕の知っている者たちは、僕を利用する事しかしませんでした。それが、当たり前だと思ってきた僕に、ハルシャたちは無償の愛を注いでくれたのです。
やっと僕は、人間としての心を、彼らとの関わりの中で見出すことが出来ました。あの二人は、僕の家族です」
ふっと、リュウジが笑う。
「たった二つしかないお菓子を、三人で均等になるように分けて、一緒に口にして、美味しいねと、微笑み合える」
微笑んだリュウジの目から、新しい涙がこぼれ落ちた。
「僕にとっての家族は、そういう存在なのです。警部」
不意に顔を歪ませると、リュウジは震える声を励まして言う。
「やっと見つけた家族を……僕から引き離さないでください。彼らから離れれば、僕の心はまた死んでしまいます。
彼らは、僕自身を見てくれた、初めての人達です。
ハルシャたちの前では、僕はただのリュウジになれるのです。
それがどれほど嬉しいことか――」
水晶のように、透明な涙を頬から滑らせながら、ゆっくりとリュウジは微笑みを浮かべた。
「きっと、マイルズ警部には、想像も出来ないことだと思います」
リュウジの顔を見つめてから、マイルズ警部は静かに服からハンカチを取り出した。
無言で差し出された布を、リュウジは受け取った。
白い布で、顔を覆う。
「この涙は、ハルシャがくれたものです」
リュウジは布越しに呟いた。
「もう、失いたくありません」