突然闇になった倉庫から、叫び声が聞こえた。
何だ!
どうしたというんだ!
ギランジュのくぐもった声が驚愕の響きをもって、耳に聞こえる。
ジェイ・ゼルは、冷静だった。
カードキーを滑らせて、素早く鍵を開けると、そのまま大きく開け放ち、サーシャを抱えたアンディが、そこから逃げ出せるように、空間を確保する。
片手で扉を開いているジェイ・ゼルの、反対の手に、いつの間にか銃が握られていた。
彼は静かな眼差しで、倉庫の中を見つめている。
破裂音が、空気を切り裂くように、連続で響く。
耳がジンとするような、激しい音だ。
広い倉庫の中に、音が質量をもって、こだまする。
その音に重なるように、
うわっ!
誰だ!
と、鋭い叫びが二階から上がる。
どさっと、人が倒れる音も、同時に聞こえた。
マイルズ警部たちが、ギランジュたちを攻撃したのだ。
ハルシャは、心臓を、ドキドキと躍らせていた。
サーシャ!
サーシャ、無事なのか!
握りしめる両手に、汗がにじむ。
ほのかな街灯の灯りに、黒い服を着て佇む、ジェイ・ゼルの姿が見える。
不意に、彼が動いた。
その瞬間、扉から転げるように、人が走り出てきた。
アンディだった。
彼が出た後、ジェイ・ゼルが素早く扉を閉じて、もし犯人が後を追ってきても、出られないように、鍵を下ろす。
駆けだしてきた、アンディは――
その両腕に、金色の髪の少女を抱えていた。
サーシャ!
ハルシャは、無意識に、アンディの元へ走っていた。
「サーシャ!」
言葉が、口からほとばしり出た。
息を切らした屈強なアンディの腕の中に、包まれるように、サーシャが眠っていた。
弾む息のまま、アンディがハルシャを見る。
彼は暗視スコープを装着したままだった。
にこっと、笑みがこぼれる。
「妹さんは、無事ですよ。ハルシャくん」
そして、ハルシャの前にサーシャを差し出してくれた。
ハルシャは、震える腕で、サーシャを受け取った。
横抱きにした腕に、重みがかかる。
命の重さに、ハルシャの胸が震えた。
息をしている。
サーシャが、生きている。
もう一度、サーシャに生きて会うことが出来た。
ハルシャは、安堵のあまり、立っていられなくなった。足元が崩れながらも、サーシャを固く抱き締める。
「サーシャ……」
眠る彼女の金色の髪に、頬を押し当てる。
地面に座り込み、腕に包みながら、小柄な体の温もりを確かめる。
サーシャの息が、抱き締めたハルシャの頬にかかる。
痺れるような安堵が、胸の中に広がった。
動きを止めるハルシャを見守っていたアンディが、
「良かったですね、ハルシャくん」
と、笑顔で言ってくれる。
ハルシャは、顔を上げた。
「ありがとう、本当に……」
ぎゅっと、腕の力を強くする。
「ありがとう、サーシャを助けてくれて、ありがとう」
ハルシャの言葉を噛み締めながら、アンディはうなずいた。
「家族の元に、お返し出来て、本当に良かった」
不意に、倉庫に光が戻った。
作戦の全容を聞いていたハルシャは、シヴォルトたちが捕獲されたのだと、気付く。
アンディも悟ったようだ。
「警部のところへ戻ります――ここで、しばらく待機をしていてください」
言ってから、彼は踵を返した。
アンディは足早に先ほど出て来た戸口へと向かう。
ジェイ・ゼルは、鍵を解放して、彼を通している。
マイルズ警部たちは、無事だろうか。
アンディが消えた戸口を見つめて、ハルシャは考えていた。
ぎゅっとサーシャを抱きしめるハルシャのそばに、リュウジが動いてくる。
瞳を潤ませながら、リュウジが呟いた。
「無事で、本当に良かった――」
唇を噛み締めて、サーシャの金色の髪を、リュウジが撫でる。
リュウジは――
心の底から、サーシャのことを心配していたのだ。
苦しげに眉を寄せて、彼はただ、サーシャの髪を撫でる。
ハルシャは、じんわりと、サーシャが戻って来たのだと実感する。
「まだ、サーシャの意識は戻らないようですね」
手を引きながら、リュウジが呟いた。
「よほどきつい睡眠薬を使われたのでしょう。ドルディスタ・メリーウェザのところへ行って、解毒をしていただきましょう」
目の中に、怒りの炎が揺らめく。
「卑怯な目的のために、サーシャをさらうなど、僕は許すことが出来ません」
低めた声で、彼が呟いている。
もし、リュウジが居なければ、サーシャを取り戻すことは出来なかったかもしれない。
「ありがとう、リュウジ」
ハルシャの言葉に、彼が目を上げる。
想いがこみ上げて、ハルシャは声を詰まらせた。
「本当に、ありがとう」
リュウジは、怒りを消すと、微笑みを顔に浮かべた。
「ドルディスタ・メリーウェザのところへ、参りましょう」
穏やかな口調になって、彼がハルシャに手を差し伸べる。
「立てますか、ハルシャ」
言いながら、リュウジがハルシャを引っ張り上げてくれる。
眠るサーシャの重みを感じつつ、ハルシャは立ち上がった。
再びともった倉庫の灯りに、戸口を離れ、ゆっくりと近づいてくるジェイ・ゼルの姿が見えた。
数歩の距離で留まると、ハルシャの腕の中のサーシャに目を向けてから、彼は視線を上げた。
彼の灰色の瞳が、細められる。
「良かったな、ハルシャ」
心からの安堵をにじませて、ジェイ・ゼルが呟く。
「あ……」
ハルシャは、とっさに、上手く声が出ない。
「ありがとう、ジェイ・ゼル!」
思わぬ大声になってしまった。
その声に、うーんと、小さなうめき声が腕の中から上がった。
はっと、顔を下げる。
ぴくぴくと、サーシャの睫毛が震えていた。
「サーシャ!」
ハルシャは思わず叫んでいた。
声に応えるように、サーシャの瞼が上がっていく。
澄み切った青の瞳の中に、心配げな自分の顔が映り込んだ。
「サーシャ……」
まだ意識がもうろうとしているのか、ハルシャを見つめながらも、サーシャは何か解らないような顔をしている。
パチパチと、彼女が瞬きをする。
「……お兄ちゃん」
小さな声が、サーシャの口から漏れた。
「サーシャ!」
元気そうな声に胸が詰まり、ぎゅっと、ハルシャはサーシャを抱きしめていた。
サーシャが息を詰まらせている。
「苦しいよ、お兄ちゃん……」
それでも、ハルシャは腕の力を緩めることが出来なかった。
サーシャを失ってしまったかもしれないという、あの時の絶望に近い恐怖が、胸を刺す。
もう二度と、妹を手離したくなかった。
「すまない、サーシャ」
言いながら、ハルシャは身の震えが止められなかった。
「ここは、どこなの? お兄ちゃん」
自分の置かれている状況が、よく解らないように、サーシャが問いかける。
「ラグレンの郊外だよ」
「どうして、サーシャはここにいるの?」
眠ったままさらわれてきたので、状況がよく理解できていないのかもしれない。
「今は、何も考えなくていいよ」
思いを込めて、彼女を腕に包む。
「もう大丈夫だから――」
「お兄ちゃん……」
まだ、身の震えが止められない。
「サーシャ」
優しい声に顔を上げると、すぐ側にジェイ・ゼルが佇んでいた。
彼はサーシャの様子へ、眼差しを注いでいる。
「ジェイ・ゼルさん」
ゆっくりと、意識が覚醒していくように、次第にサーシャの言葉が、明瞭になっていった。
「どこか、身体が痛い所はないかな?」
穏やかなジェイ・ゼルの問いかけに、サーシャが首をゆっくりと振った。
「大丈夫です」
ジェイ・ゼルが微笑む。
「そうか。なら、良かった」
不意に、辺りに音が溢れた。
五台の近くの飛行車が、空を滑って倉庫へとやってくる。
「マシューたちを呼んでおいた」
空を見上げて、ジェイ・ゼルが言う。
「サーシャを、医者に見せる必要があるだろう。もしよかったら――」
「彼女は、ドルディスタ・メリーウェザのところへ、連れて行く予定になっています」
ジェイ・ゼルの言葉を、リュウジが途中で断ち切るように言った。
「心配ご無用です」
リュウジの言葉に、ジェイ・ゼルが静かに笑った。
「そうだな。メリーウェザ医師は、とても優秀だ。なら、サーシャは彼女にお任せしようか」
言葉の途切れた時、自分たちのすぐ近くに、黒いジェイ・ゼルの飛行車が舞い降りた。運転していたのは、ネルソンだった。
扉が素早く開き、マシュー・フェルズたちが、ジェイ・ゼルの元へと走ってくる。
「ジェイ・ゼル様! ご無事でしたか!」
「ああ、マシュー。それを言うなら、サーシャにだろう」
くすくすと、彼が笑う。
「申し訳ありません――」
マシューは歩を緩めて近づくと、手にしていた物をジェイ・ゼルに差し出した。
「ご依頼の品を、お持ちいたしました」
ふっと微笑むと、ジェイ・ゼルは彼の手から、頼んでいた物を、受け取った。
それは――
ぬいぐるみ生物の、アルフォンソ二世だった。
ジェイ・ゼルは茶色のウサギの姿をした生命体を手に持つと、ハルシャの腕の中のサーシャに視線を向ける。彼は、微笑みながら、アルフォンソ二世を差し出した。
「君と引き離されて、寂しそうにしていたよ、サーシャ。君のぬいぐるみ生物だ」
優しい声だった。
ジェイ・ゼルは、わざわざ部下に、ぬいぐるみ生物を持ってこさせたのだ。
サーシャに、これを渡してあげたいな。
ギランジュとの交渉の時、彼はそう言葉をこぼしていた。
あれは、本心だったのだ。
ハルシャの見つめる前で、サーシャが両手を伸ばして、ジェイ・ゼルからアルフォンソ二世を受け取った。
「ありがとうございます、ジェイ・ゼルさん」
礼を言うサーシャに、手を引きながら微笑みを向けてくれる。
彼を見つめたまま、サーシャが口を開いた。
「ジェイ・ゼルさん」
改まった言い方だった。
ぎゅっとぬいぐるみ生物を抱きしめてから、頬を染めて、サーシャが懸命に言葉を続ける。
「この前、氷菓のお土産を、兄に託して下さって、本当にありがとうございます。すごく美味しかったです。とても、幸せになりました」
一生懸命に礼を言うサーシャの姿に、一瞬、ハルシャは眉を寄せた。
常に感謝を忘れずに、相手に会ったら何かお礼を言うことがないかと、考えなさいとハルシャは、サーシャに教えてきた。そのことを、こんな状況でも彼女は、忠実に守っている。
いとけない妹の言葉に、胸が痛くなる。
微笑みが、ジェイ・ゼルの顔に広がった。
「そうか、美味しかったか。それは、良かった」
ジェイ・ゼルがもう一歩近づいた。
彼が腕を伸ばす。
サーシャを横抱きにするハルシャごと、ふわりとジェイ・ゼルは腕に包んだ。
「本当に、良かった――」
ジェイ・ゼルの呟きが、耳元に滴る。
優しい声だった。
どれだけ、自分たちのことを大切に思ってくれているのか、こぼれ落ちた言葉から、ハルシャは感じ取る。
彼の体から、爽やかな香りが漂ってくる。
包まれる温もりと、その香りに、不思議に心が落ち着いてきた。
ぐっと、わずかに力を込めてから、ジェイ・ゼルがハルシャ達を解放した。
腕を解きながら、ハルシャの髪をさらっと、ジェイ・ゼルが撫でる。
灰色の瞳が、近くで自分を見つめる。
「ハルシャ。私の飛行車を使いなさい。きつい薬を使われているかもしれない。サーシャを、メリーウェザ医師のところに、早く運んであげることだ。
マイルズ警部には、私から礼を言っておくから」
そのまま身を離すと、彼は踵を返した。
「マシュー。ギランジュたちを、警部が捕縛してくれたようだ。行こう」
言葉をかけると、後を振り返ることなく、ジェイ・ゼルは自分を待っていた部下を従えて歩いていく。
迷いのない足取りで、彼は真っ直ぐに倉庫の中へ向かった。
十五人近い部下たちが、後ろに従順に従っていく。
潮が引くように皆が去ったあと、先ほどまでの喧騒が嘘であったかのように、倉庫の外に静寂が訪れた。
「お兄ちゃん――」
腕の中で、小さくサーシャが呟く。
「メリーウェザ先生の所に行こう」
ハルシャは、サーシャを抱え直すと、静かに言った。
「なら、ヨシノさんを呼んできます」
リュウジはそれまで沈黙を保っていたが、急に口を開いた。
「ジェイ・ゼルの飛行車を、使わせていただくまでもありません。彼はこれから、多忙でしょうから」
*
ジェイ・ゼルが倉庫へ入った時、ちょうど階段から、ギランジュが降ろされているところだった。
彼らの動きを見つめながら、淀みない動きでジェイ・ゼルは進んで行く。
階段の下で、後ろ手に拘束具をはめられたギランジュと、顔を合わせる。
表情を消して、ジェイ・ゼルは、額から血を流すギランジュを見つめた。
マイルズ警部たちは、実に優秀だった。
彼の口には自殺防止のための、口金がはめられている。
無言で、ジェイ・ゼルはギランジュを見下ろす。
ギランジュはうーっ、うーっと、低い唸りで何かを伝えようとしていた。
ジェイ・ゼルは、ギランジュから、その後ろで腕を捕らえる、マイルズ警部に目を向ける。
「ご協力に、感謝いたします。マイルズ警部」
そして、顎で部下に指示する。
「連れて行け」
普段ジェイ・ゼルの警備を行っている屈強な二人が、前に出て暴れるギランジュを、警部たちの手から受け取る。
「まだ、殺すなよ」
一言ジェイ・ゼルが呟く。ぎくっと、ギランジュが視線をジェイ・ゼルに向けた。
顔を向けたまま、ギランジュは乱暴に運び去られる。
「彼らの身柄は、私たちが預からせていただきます。ご尽力には、感謝の言葉もありません」
引きずられていくギランジュを無視して、ジェイ・ゼルは戦闘の気配をまだ漂わせる、マイルズ警部に言葉をかける。
「サーシャちゃんは、無事だったかな」
マイルズ警部は思わぬ笑顔で、ジェイ・ゼルに問いかける。
「はい。兄のハルシャに、すぐに医療院に連れて行くように言っておきました。かなりきつい薬剤を使用されていたようなので、解毒をする必要があるかもしれません」
全面的に、ジェイ・ゼルの行動を支持するように、マイルズ警部は頭を揺らした。
「被害者の安全が一番です。実に適切な指示をなさいましたな、ジェイ・ゼルさん」
その背後に、動く影があった。
二人の捜査員に左右から腕を拘束されたシヴォルトが、引きずられるようにして階段から降ろされている。
ジェイ・ゼルは、その姿を、感情のこもらない目で見つめる。
自分の上司の姿を認めると、不意にシヴォルトの眼から涙があふれた。
口を封じられながら、何かを叫び、ジェイ・ゼルの元へと来ようとする。
両側から自分を掴む腕を、振り切ろうともがく。
「シヴォルト」
ジェイ・ゼルは、口を開いた。
「何か、私に伝えたいことがあるのか」
みっともないほど、涙を流しながら、シヴォルトがうなずく。
そうしながら、必死にジェイ・ゼルに近づこうとする。
様子をうかがっていたジェイ・ゼルは、自分から動いて、シヴォルトの前に立った。
ジェイ・ゼルの顔を見つめていたシヴォルトは、腕を振り切るようにして膝を折り、彼の足元にぬかずいた。
詫びているように見える。
その姿を、ジェイ・ゼルは見下ろしていた。
「自分が何をしたのか、わかっているのか、シヴォルト」
冷たい声で、ジェイ・ゼルは言葉をかける。
うずくまったまま、シヴォルトは動かなかった。
「お前の忠義とは、このような形をとるのだな」
はっと、シヴォルトは顔を上げた。
違うと、彼は首を振る。
涙がこぼれ落ちる。
ジェイ・ゼルは目を細めた。
「申し開きは、別の場所で聞く――」
凍るような声で、ジェイ・ゼルは告げる。
「連れて行け」
命じる言葉に、ジェイ・ゼルの部下が素早く動いた。
ジェイ・ゼルの横を抜け、シヴォルトは引きずられていった。
その気配が消えるまで、ジェイ・ゼルは沈黙していた。
「マシュー」
ジェイ・ゼルは、会計係を呼んだ。
「はい、ジェイ・ゼル様」
彼はカードを手にして近づいてきた。
「マイルズ警部。あなた方のご尽力がなければ、サーシャ・ヴィンドースを助けることは出来ませんでした。
これは、お礼と言っては些少ですが――」
と、ジェイ・ゼルがマシューから換金できるカードを受け取ろうとしたら
「それは、だめですよ、ジェイ・ゼルさん」
と、力のあるマイルズ警部の声が、不意に鋭く放たれた。
「受け取れませんね」
ジェイ・ゼルは、手を止めて警部に向き合う。
静かにディー・マイルズ警部は言葉を続けた。
「我々は、汎銀河帝国警察機構に所属しています。が、今回は、警察機構として受けた仕事ではありません――ただ、友人として人命救助に関わっただけです」
ふふと、マイルズ警部が微笑む。
「友情に、値段をつけるものじゃありませんよ、ジェイ・ゼルさん」
ジェイ・ゼルはマイルズ警部の、ヘイゼルの瞳を見つめる。
彼は、笑みを再びこぼした。
「それに――あなたが我々に支払おうとしているのは、借金として負債者から取り立てたお金なのでしょう? つまり、その中には、当然ハルシャ・ヴィンドースのものも含まれている訳だ」
わずかに視線を逸らして、マイルズ警部は虚空へと言葉を吐いた。
「私はね、ジェイ・ゼルさん。ハルシャ・ヴィンドースが懸命に働いたお金を、その妹を助けた代償として、頂くわけにはいかないんですよ」
口調はひどく穏やかだが、喉元に刃物を突き立てられるような言葉だった。
ジェイ・ゼルは、無言で、マイルズ警部を見つめていた。
視線を戻すと、警部が小さく呟いた。
「今回の事件、仕事として受けているのなら、サーシャちゃんから聞き取りもし、犯人を問い詰め、事件の全容を解明することに全力を尽くしますが」
ふふっと、再びマイルズ警部が笑う。
「友人を助けるために、真心を尽くしただけのことですから、我々は、何も致しません。事件そのものを、闇に葬ろうが、犯人たちをどうご処分されようと――我々は無関与を貫き通します。
そのためにも、あなたから、金品を受け取るわけにはいかないのですよ、ジェイ・ゼルさん。利害が発生すると、犯罪に関与したことになりますから」
マイルズ警部は、ギランジュたちがいた、二階へ目を向けた。
「このまま、私たちは証拠物件を放置して、撤収させていただきます。
後は、ご随に」
振り向くと、後ろで控えていた部下たちへ、マイルズ警部は声をかけた。
「サーシャちゃんは無事に家族の元へ戻ったそうだ。ご苦労だったな。さあ、撤収だ」
はい、警部と、良く躾けられた声が、五人の男たちの口から響いた。
マイルズ警部が、ゆっくりと顔を戻す。
「これから大変なのは、あなたの方だ。ジェイ・ゼルさん。
全てお任せして、我々は一足お先に帰らせていただきますよ。腹を満たして勝利の美酒に酔うためにね」
それでは、と、マイルズ警部たちが歩き出す。
「ディー・マイルズ警部」
ジェイ・ゼルの呼ぶ声に、マイルズ警部は立ち止まった。
「何かね、ジェイ・ゼルさん」
「警部は、まだ、ラグレンにご滞在ですか」
「ああ。ちょっと人を探していてね。マサキ・ウィルソンという家出人なんだ。彼の所在が分かるまでは、もう少し滞在する予定をしている」
ジェイ・ゼルは息を吐いた。
「マイルズ警部がご滞在中の、宿泊施設の名をお教え頂けませんか」
ふっと、マイルズ警部は微笑んだ。
「なぜです?」
ジェイ・ゼルは、彼へ静かな眼差しを向けた。
「他意はありません。落ち着いたら、お礼を申し上げるために、一度お訪ねしたいと考えているだけです。警部」
笑みを浮かべて、ジェイ・ゼルは付け足す。
「友人と、して」
ふふっと、楽しそうにマイルズ警部は笑った。
「『アルティア・ホテル』です。そこで、マイルズと言って頂ければ」
ジェイ・ゼルはうなずいた。
「ありがとうございます」
ふっと、マイルズ警部は視線を宙に向けた。
「立派な倉庫ですな。さぞかし、事業も順調に進んでいるのでしょうね」
単純な賞賛の籠った声で、警部が言う。
「雇用があるのは、何よりです。ハルシャ・ヴィンドースもあなたの元で、働いているそうですね」
笑みが深まる。
「リュウジくんから、聞きました。彼も同じ職場に勤めていると」
ジェイ・ゼルとマイルズ警部は、視線を交わす。
警部の片頬が、ゆっくりと歪んだ。
「あなたは、法律関係に詳しいようなので、いまさら言うまでもありませんが……銀河系の全生命体には心身の自由が保障されています。たとえ、それが、惑星トルディアであっても、銀河帝国法は、適用されるのです」
静かな声が、穏やかに倉庫に響く。
「銀河帝国法では、未成年の就労は禁止されています。生命体の健全な発育に、不利益に働くことは為してはならないと。もちろん、ご存知ですよね、ジェイ・ゼルさん」
言葉に棘を含ませて言い終えてから、彼はすっと笑みを消した。
「お借りした装具は、隣の倉庫へお返ししておきます。お陰で無事に、サーシャちゃんを救出できました。
作戦へのご協力に、感謝いたします。ジェイ・ゼルさん」
彼は唐突に歩き出した。
呟きだけを残してすっと前を通り過ぎ、マイルズ警部たちは、裏口から立ち去って行った。
ジェイ・ゼルは、その後ろ姿を、黙したまま見送った。
ふっと息を吐くと、
「ギランジュたちが使っていた物を回収し、内容を解析しよう」
静かな声で続ける。
「お借りしていた倉庫を、明日までにラボリュートにお返しできるように、物品を撤収して、元に復しておいてくれ。レグル、お前に一任する」
マシューと同じように、ジェイ・ゼルが信頼を寄せるレグル・カジェットを名指しで、後始末の担当に当てる。
「マシュー、ローン」
マシュー・フェルズとローン・ダナドスの名を呼んでから、ジェイ・ゼルは歩き出した。
「戻って、ギランジュ・ロアとシヴォルトに、話を聞かせてもらおう」
話を聞く、というような、穏やかな時間にはならないことを、誰もが解っていた。自分たちの流儀で、ギランジュたちを処する。
そのために、生きて彼らを捕らえたのだ。
ディー・マイルズ警部は、ギリギリのところで、ジェイ・ゼルたちの要求を呑んでくれた。
もし、もう少し人数が多かったら、問答無用で射殺されていただろう。
ギランジュたちは、愚かだ。
自分たちを舐めて、少人数でこれほどの事件を起こしてしまった。
射殺されなかったことを、もしかしたら、ギランジュは喜んでいるかもしれない。
愚かだ。
本当に、愚かだ。
イズル・ザヒルに逆らうと解かっていながら、彼は計画を実行したのだ。
その愚かしさのつけと、生き延びたことの恐怖を、これから彼らは、味わうことになる。
ジェイ・ゼルは、一厘の憐れみも、彼らに抱かなかった。
彼らはこともあろうに、ハルシャ・ヴィンドースに手を出そうとした。
ジェイ・ゼルが自身よりも大切に思う存在を――
貶《おとし》め、辱《はずかし》めを与え、あまつさえ、自分の手から奪おうとしたのだ。
その真の意味を、きちんと彼らに理解してもらわなくては、ならない。
今後二度と、ハルシャとサーシャの兄妹に手を出す者がないように。
戒めも込めて、為すべきことを、為さねばならない。
歩き出したジェイ・ゼルの後ろに、静かにマシューたちが従う。
真っ直ぐに前を向いて歩くジェイ・ゼルの目は、冷徹な光を帯びていた。
※サーシャが無事に戻ってまいりました。(ほっ)