シヴォルトの自宅は、クガルド地域にある。
そこはオキュラ地域とは違い、安全なごく一般の住宅街だ。
林立するマンションの一室が、シヴォルトが一人で暮らす部屋だった。
ジェイ・ゼルの部下が、シヴォルトの不在を報せてきた時、ハルシャたちはまだ、会議室に居た。
マシュー・フェルズが会議室の扉を叩き、シヴォルトの自宅へ急行したナドルから、彼は不在だと連絡が入っていますと、ジェイ・ゼルに通話装置を渡した。
「ジェイ・ゼルだ。ご苦労だった、ナドル。そうか、シヴォルトは居ないか」
恐らく、はい、と返事が返って来たのだろう。
ジェイ・ゼルは、ちらっと、マイルズ警部へ視線を向けてから小さく笑った。
「なら、シヴォルトの部屋に入って、今回の事件に関係するものがないかどうか、探してくれないか。
それと、彼が使っていた電脳や通信装置を、こちらへ持って帰ってきてくれ。通信記録や、電脳のデータの中に、何か痕跡があるかもしれない。
ああ、そうだ。そこで調べなくても良い、持って帰るだけでいい。調査はこちらでする。
頼んだぞ、ナドル」
了解いたしました、ジェイ・ゼル様という声が、通話口から微かに漏れ聞こえてから、通信が切れた。
ふっとジェイ・ゼルは笑い、側で通話装置を受け取ろうと待っていたマシューに、
「しばらくこちらにいる。何かあったらまた教えてくれ」
と、言葉と共に、手にしていた通話装置を渡した。
「解りました。向こうで待機しております」
マシューの言葉に、ジェイ・ゼルが静かにうなずく。
「ああ、お願いする」
通話を黙って聞いていたマイルズ警部が、口を開いた。
「シヴォルトは不在でしたか」
「そのようです」
「中に潜んでいるということは、ありませんか?」
ジェイ・ゼルは、ちょっと笑った。
「私たちは、借金の回収を主な生業にしておりましてね、警部」
仕事に対して、何も負い目を持たない口調で、ジェイ・ゼルが腕を組んで、マイルズ警部へ視線を向ける。
「我々がせっかく足を運んでも、返済をまぬがれようと、居留守を決め込む負債者が多いのですよ。こちらに借金をしておきながら、期限になると支払いを渋るのが、彼らの常です」
穏やかな口調で、彼は言っているが、実際の取り立ての現場では、相当に熾烈なやり取りがあるのだろう。
ハルシャの借金は、給金から直接ジェイ・ゼルに、支払いが行われている。
逆に給金から借金を差し引いた残りの金額を、彼から生活費として渡されるほどだ。
取りはぐれのない方が、君に有利に働くと、最初にジェイ・ゼルに言われて以来、ハルシャは五年間、同じ形を貫いていた。
自分の支払い方法は、特殊なのだと気付かされる。
本当に、自分は無知だ。
「それで、私たちとしても、手段を講じる必要があるわけです。こちらも商売なので、死活問題ですから」
微笑みながら、ジェイ・ゼルが言う。
いつも、彼らは、直接負債者の元に赴き、取り立てを行うのだ。その場でどんな言葉が交わされるのか、出会ったばかりの頃の、ジェイ・ゼルの様子から、なんとなくハルシャは推察する。
全額返済はすぐに出来ないと、ハルシャが言った時、彼は何のためらいもなく、目の前の机を長い脚で蹴り上げた。
初めて目にした暴力的な行為に、ハルシャは戸惑いしか覚えなかった。
それまで暴力を目にすることなど、人生の中で皆無だったのだ。
両親ですら、ハルシャに手を上げることはなかった。ただ、やんわりと言葉で注意をするだけだ。
威喝するような言葉のやり取りと、有無を言わさない力の行使が、彼らの日常なのだと、納得するにはしばらく時間が必要だった。
「人間は、体温を持っています。私たちは、壁ごしに、部屋の中に熱源を放つ人型の存在が無いか、探る装置を使うのですよ。
呼び出して返事がない時――その装置を使って在宅かどうかを調べます。
家にいたら、問答無用で中に押し入る。
もし、無人でも、彼らが帰るまで、中で待たせてもらう時もあります」
にこっと、ジェイ・ゼルが笑う。
「きちんと、支払いをしてくれれば、このような手間暇はかけなくてもいいのですが」
魅力的な笑みを浮かべたまま、ジェイ・ゼルがマイルズ警部を見つめて、言葉を続ける。
「今回、シヴォルトが家にいるかどうか、この装置を使って探らせました。
結果、無人だったようです。
それならそれで、シヴォルトの部屋から、何か手がかりとなるものが無いのか、持ち去ってくるように手配しています。
このような指示で、大丈夫でしょうか、マイルズ警部」
ジェイ・ゼルに、負けず劣らず朗らかな笑顔で、マイルズ警部が応えた。
「修羅場に手慣れていらっしゃるようですな。大変結構です。
賢明な犯人なら、自宅に情報を残しておくようなへまはしないと思いますが、全ての人間が賢いわけでも、完璧なわけでもありませんから」
マイルズ警部は手にしていた、サーシャの似顔絵に、一瞬目を落としてから低い声で呟いた。
「一人の人間の人生を、思うままにし破滅させようともくろむような人間は、ろくなものじゃありませんからね。全銀河系の生命体は心身の自由が保障されています――銀河帝国法で」
呟きの響きが消える前に、ぱっと目を上げると、マイルズ警部は不意に笑顔になった。
「さきほどお伺いした、室内の熱源を調べることが出来る装置ですが」
声が明るい。
「同じようなものを、我々も人質の救助の時に使います――犯人と、被害者の位置を特定し、安全に人質を保護するために」
ジェイ・ゼルが、微かに目を細めた。
「なるほど。サーシャを助けるために、私たちの装置を使っても良いかと、お訊ねになっているのですね、警部」
マイルズ警部の微笑みが深くなる。
「さすが、切れ者でいらっしゃいますね、ジェイ・ゼルさん。その通りです。
装置をお借りできれば、先ほどうかがった中に、もし犯人が潜伏している施設があれば、外から彼らの動向を探ることが可能になります。
突入する前に、あらかじめ犯人とサーシャちゃんの位置が掴めていれば、これほどありがたいことはない」
マイルズ警部は穏やかに首を振る。
「まさかこんなことになるとは、我々も思っていなかったので、実のところ、どうしようかと考えていたのです。帝星は遠いので、装置を取りに行くわけにもいきませんからね」
ジェイ・ゼルは、彼の言葉に、静かにうなずく。
「もちろん、お使いください。
シヴォルトのところから、私の部下が戻ったら、装置をこちらにお持ちしましょう」
何だか、話の様子では、良い方向に向かっているような気がする。
少しずつだが、サーシャ救出の希望の光が、強くなってきたようだ。
なおも打ち合わせを続けるジェイ・ゼルの横顔を、ハルシャは見つめていた。
部下を動かして、彼はサーシャを助けようとしてくれている。
落ち着くんだ、ハルシャ。
サーシャがいないと叫んだ自分に、状況を察知したジェイ・ゼルが、静かにかけてくれた言葉が、耳に響く。
大丈夫だ、ハルシャ。君の側には、私がいる。
言葉の奥に籠る、温かな彼の心を、その時ハルシャは聞き取ったような気がした。
この状況が、ジェイ・ゼルが招いた事態だとしても、ただの借金の負債者に対する以上の思い遣りを、彼は自分にかけてくれている。
そのことを、ハルシャはただ、信じた。
「良かったですね、ハルシャ」
リュウジが小声で、耳元で呟く。
「ジェイ・ゼルの仕事も、役に立つことがあるのですね」
言葉の中に籠る、リュウジの嫌悪の情に、ハルシャは少し眉を寄せてしまった。
借金取りであるジェイ・ゼルを、リュウジは軽蔑しているような気がする。
その上、リュウジは、ハルシャの両親を殺したのは、ジェイ・ゼルの差し金かもしれないと、疑っている。
「本当にありがたい」
ハルシャもまた、小さな声で返した。
「皆が助けてくれるお陰で、私はとても安心していられる」
目を細めて、ハルシャは呟きを宙にもらした。
「無事に戻ったら、サーシャと一緒に、皆にお礼を申し上げたい。どれだけお世話になったのか、サーシャに教えてあげなくては……」
その未来を口にしながら、現実になることを、懸命に祈る。
この瞬間も、サーシャに何かあったらと、考えるだけで足が震えそうになる。
大丈夫、大丈夫だと、必死に自分に言い聞かせる。
ジェイ・ゼルが、ぬいぐるみ生物の呪いを告げて、サーシャに手を出すなと言っていた。
ギランジュ・ロアは、ジェイ・ゼルの言葉に、少し怯えているようだった。
その時、不意に着信音が響いた。
立ち去りかねていたマシュー・フェルズの手元から、音が響いている。
ジェイ・ゼルの事務所に備え付けの、通話装置が静寂の中に鳴り響く。
全員の眼が、マシューの手元に向かった。
彼は発信元を確かめてから、ジェイ・ゼルを見た。
「倉庫へ向かっていた、エランからです」
ジェイ・ゼルは黙って手を差しだした。渡してくれという、意思表示だ。
彼の手の平に、マシューが繋いだ通話装置を載せる。
「ジェイ・ゼルだ」
彼は静かな表情で、通話装置に耳を傾けている。
しばらく沈黙した後、彼は
「そうか。ワイドレーンの倉庫の裏手に、見慣れない飛行車が停まっていたか」
と、皆に言い聞かせるように、耳にした事柄を、口に出していた。
ジェイ・ゼルが、指で指示をする。
察したマシューが足早に部屋を出て行った。
「飛行車の登録番号がそこからわかるか? ああ、無理をしなくてもいい。なるべく相手に気付かれないようにしてくれ。時間が少々かかってもいい。
飛行車を隠して置ける場所があるか? うん、それでいい。
慎重に行動してくれ」
ぴっと、音がして、通話が切られた。
「部下から報告があった」
ジェイ・ゼルが、マイルズ警部へ視線を向けながら静かに言う。
「工場地帯のドライド地域ワイドレーンに、私の手持ちの資材や備品を保管しておく倉庫がある。普段は無人なんだが、そこの裏手に飛行車が停めてあったそうだ。黒い車体で、レンタル車のようだ。今、正確な登録番号を確認してもらっている」
言葉を切ってから、一瞬ハルシャに目を向ける。
ジェイ・ゼルはすぐに、目を警部へ戻した。
「ワイドレーンは倉庫街だ。目立たないように、少し離れたところに部下は飛行車を停めることにしている。少し時間が欲しいそうだ」
ワイドレーンの倉庫には、ハルシャも一度だけ訪れたことがある。
大型資材のストックを置いておく場所だ。
当然、シヴォルトも知っている。
ジェイ・ゼルの処置を、受け入れるようにマイルズ警部が頭を揺らした。
「適切なご指示です」
表情を引き締めたままで、ジェイ・ゼルは
「車両の登録番号が解れば、素性はこちらで調べることが出来る。レンタル車だとしても、誰が借りたのか確認させよう」
と、通話装置を手に、マイルズ警部を見る。
にこっと、警部は笑った。
「言うことなしです。それで、犯人の形跡があれば、動くことが出来ます」
トントンと扉がノックされ、去っていたマシュー・フェルズが再び姿を見せた。
「ジェイ・ゼル様。ワイドレーンの倉庫の見取り図です」
「ありがとう、マシュー。机に置いて、皆に見えるようにしてくれるか」
マシュー・フェルズが携えてきたのは、立体画像になっている倉庫の見取り図だった。
完成した時に、施工先から渡される種類の地図だった。
電脳を端によけて、マシューが手にしている立体画像を、机の中央に置いた。
「倉庫の出入り口は、三つです」
マシューが地図を示しながら言う。
「大きさはここにあるように、縦が一五〇セグル、横が八〇セグルです。長方形の形をしていて、半分だけ二階部分があります。主に宇宙船関係の大型資材のストックを行っている倉庫なので、普段は人の出入りがありません」
縦に長い、一般的な倉庫の形をしている。
三つの内、正面の入り口は大型の備品資材の出入りが出来るように、壁一面が大きな扉になっている。
残りの二つは、いずれも人が出入りするためのもので、正面の横側と、裏にそれぞれ一つずつある。
飛行車が裏に停めてあるということは、裏口を使っているということなのだろうか。
「広い倉庫ですね」
ふむと、顎を撫でながら、マイルズ警部が真剣に地図に見入る。
「宇宙船の製作用の資材は大きくなりますから、これだけの容量がどうしても必要になります」
ジェイ・ゼルが説明をしている。
「なるほど。宇宙船関係の資材が置いてあるということは」
静かにマイルズ警部が微笑む。
「画像に映っていたような、宇宙船を模することも、可能ということですかな」
ジェイ・ゼルは、彼の問いに即答しなかった。
「どんな資材を置いてあったのか、今ここで正確にお答えすることは、難しいです。私も、工場の方は工場長に任せていましたから」
「なるほど。では、前工場長とおっしゃっていた、シヴォルトなら、倉庫に収められているものを、正確に把握している可能性がある、と思ってもよろしいですか」
「――否定は、できません。ですが、そう言い切るのは、早計かもしれませんよ、警部。まだ、他の部下からの連絡が来ていませんから」
ジェイ・ゼルは慎重だった。
「そうですな。百人規模で救援に当たれるわけではないので、確実に参りましょう――この、倉庫に収められているものを、少々教えていただけますか。
これだけ広いと、もしここに犯人が潜伏していたとしても、探るのに時間がかかります。何か、置いてあるもの位置など、わかることがあると、ありがたい」
マイルズ警部の言葉に、ジェイ・ゼルは少し考え込んだ。
「ハルシャ」
不意に名が呼ばれた。
視線を上げると、ジェイ・ゼルが自分を見ていた。
「ハルシャは、この倉庫に行ったことはあるかな?」
「一度だけだが、ある。ジェイ・ゼル」
言葉に、ジェイ・ゼルが優しく微笑んだ。
「そうか。それは良かった。覚えている限りでいいので、この倉庫のどこにどんなものが置いてあったか、警部に教えてあげてくれないか」
と、ジェイ・ゼルの近くに手招きされる。
あいまいな知識で、大丈夫だろうか、と、心配になりながらハルシャは、ジェイ・ゼルの側に近寄った。
彼の熱を近くに感じながら、倉庫の大体の様子を説明する。
正面入ってすぐの場所は、物品の出入りがあるので大きく空けられている。
半分より奥に、宇宙船の外壁や補強材などが収められている。
二階は、主に軽い資材が置いてあった。
どちらかというと、一階部分は物が詰まっているが、二階部分はそれほど資材が詰められていなかった。
軽い資材はそれ専門の倉庫があるので、そちらへ回されることが多いからだった。
「なるほど」
マイルズ警部は黙ってハルシャの説明を聞いてから、
「もし、犯人がいるとしたら、この正面を入った空きスペースがある場所か、二階の可能性が高いということだね」
「断言は出来ないが、一階の半分は物がかなり詰まっているのは、確かだ。宇宙船の資材は大きいものが多い。用途に応じてまとめて置かれている。移動の時は、上のクレーンで釣り上げてから動かす」
「ここから、こちらへ向けて、ということですね」
マイルズ警部が、地図の上を奥から正面の扉へ向けて、指でなぞる。
ハルシャはこくんと、うなずいた。
「では、二階から資材を動かすときも、クレーンを使うんですか」
ハルシャは、よく解らなかった。
「恐らく……」
言い淀むハルシャの背に、温かなものが触れた。
ジェイ・ゼルの手の平が、背中を支えるように、当てられていた。
「不明確なことは、知らないと言えばいいんだよ、ハルシャ」
穏やかな声で、ジェイ・ゼルが助太刀をするように、言葉をかけてくれる。
「解っていることだけでいい」
その言葉に後押しされるように、
「クレーンで移動は出来ると思うが、実際に動作するところは、見たことがない。二階には、ここに幅の広い階段がついている。軽い資材なので、もしかしたら、階段で持って上がっているかもしれない」
と、言葉を励まして言い終える。
なるほどと、マイルズ警部がうなずいた。
「とても参考になりました」
納得してもらえたようだ。
ほっとして、元の場所に戻ろうとしたハルシャを、背に当てた手で、やんわりとジェイ・ゼルが引き留めた。
え? とジェイ・ゼルを見上げると、彼は空いている方の手で、カラカラと近くの椅子を引っ張ってきて、ハルシャに座るように促した。
「これから、色々、ハルシャに訊ねることがあるかもしれない。ここに座っていてくれ」
ハルシャは、瞬きをする。
ジェイ・ゼルが優しく微笑んで言う。
「ワイドレーンの倉庫以外の場所の可能性もある。別の倉庫なら、ハルシャの記憶をまた話してもらわなくてはならないかもしれない」
そうか。
ハルシャは、納得すると、
「わかった」
と、答えて、ジェイ・ゼルが引き寄せた椅子に腰を下ろした。
座ってからはっと、
「ジェイ・ゼルが座った方がいい」
と、立ち上がろうとした。
ジェイ・ゼルが立っているのに、自分だけ座るというのが、居心地が悪く感じられたのだ。
立ち上がろうとしたハルシャの肩に、ジェイ・ゼルが手を置いて、動きを止める。
「私は、すぐに事務所に戻るかもしれない。座る必要はないよ、ハルシャ。そんなに年寄り扱いしないでくれないか」
くすくすと、小さく笑いながら言う。
二人のやり取りの間に、マイルズ警部は、自分が帝星から連れてきた捜査員を呼び寄せて、地図を見ながら意見を交わしている。
「ここだとすると、二階部分が怪しいな」
マイルズ警部が小さく呟いていた。
「犯人の心理として、誰かが入って来た時に、すぐに発見されない場所を選びたがる。正面に堂々と居座るほどの根性は、この犯人には、ないかもしれない。
二階なら、上から見下ろして、誰か入ってきたら解るという、安心感がある」
立体の画像を前に、部下の意見も聞きながら、マイルズ警部が顎を撫でて、考え込んでいる。
あらゆる可能性を考えながら、思考を巡らせる彼らは、経験を積み重ねてきた者がみせる、静かな自信に満ちていた。
なんだか、とても安心できる。
自分の横で、ジェイ・ゼルが手にしていた通話装置が鳴った。
「ジェイ・ゼルだ」
素早く、彼が出る。
「ああ、そうか。異常はなかったか。わかった。こちらへ戻ってきてくれ。ありがとう、グレン」
通話を切りながら
「パイロン地域の倉庫には、異常はなかったそうだ。こちらに戻るように言ってある」
「情報をありがとうございます。ジェイ・ゼルさん」
愛想よくマイルズ警部が応えて、再び相談に戻る。
通話を切ったジェイ・ゼルの手が、ハルシャの座る椅子の背もたれに、かけられる。
そのまま彼は、無言でマイルズ警部の様子を見守っていた。
彼の熱を、感じる。
再び、ジェイ・ゼルの持つ通話装置が、着信を告げる。
「エランか」
さきほど、ワイドレーンの倉庫に飛行車が停まっていると、知らせてくれた人だ。
「うん。ありがとう。その番号を検索してみる――ああ。少し離れたところで、動きがないか見張っていてくれ。
何かあり次第、連絡をする。
くれぐれも、相手にこちらの動きを悟られるな。いいな」
通話装置を切って、ジェイ・ゼルが服からメモを取り出し、さらさらと番号を書きつけた。
「マシュー。シューガが車両番号を知らせてきた。レンタル車らしい。誰が借りたのかを含めて、調べてくれ」
メモを渡しながら、彼は明確に指示する
「はい、ジェイ・ゼル様」
恭しく、ジェイ・ゼルからマシューがメモを受け取り、足早に会議室を出ていった。
彼らは、車両番号から持ち主を割り出すことに慣れているようだ。そんな雰囲気が漂っている。
通話装置を手にしたまま、ジェイ・ゼルが再びハルシャの座る椅子に、身を預けるようにして腕を置く。
「もうすぐ、場所が絞り込める。少し、待っていてくれ」
ジェイ・ゼルの言葉を証明するように、ほどなく各地の倉庫に派遣していた部下たちから、調べた倉庫の周りには異常がないと連絡が入る。
部下を呼び戻しながら、ジェイ・ゼルはハルシャの側で、何かを考えていた。
今、彼が灰色の瞳を細めて、何を想うのか、ハルシャは解らなかった。
じっと見つめていることに気付いたのか、ふっと、視線がハルシャへ落ちてきた。
ジェイ・ゼルと視線が合う。
彼は優しく微笑んだ。
「サーシャは、大丈夫だよ。ハルシャ」
労わるように言葉をこぼしてから、彼は笑みを浮かべたまま、椅子から手を浮かせて頭に手を置いた。
「大丈夫だ。皆が、力を合わせてくれている」
「ジェイ・ゼル……」
彼は笑みを深めた。
「リュウジのお陰だ。いい友人を持ったな、ハルシャ」
静かに、リュウジを認めてくれるような口調で、彼は呟いた。
友人だと、彼は言ってくれた。
もう、誤解はとけたのだろうか。
ハルシャが口を開こうとした時、扉が慌ただしく叩かれて、マシュー・フェルズが資料を手に戻ってきた。
「ジェイ・ゼル様。ワイドレーンの倉庫に停車中の飛行車は、アドヴァルサ社のレンタル車に間違いありません。
レンタル台帳にあった名前は、シヴォルトです。今朝から明日の昼までの契約を彼は結んでいます」
言いながら、つかつかとマシューは近づき、ジェイ・ゼルに資料を手渡す。
素早く目を通してから、彼は小さく呟いた。
「三日前に、契約をしている――あらかじめ、計画を練っていたということだな」
彼はハルシャの側を離れ、手にした資料を、マイルズ警部に差し出す。
「ワイドレーンの倉庫にあった飛行車を借りたのは、シヴォルトだ。どうやら、そこが怪しいらしい」
うなずきながら、マイルズ警部は資料を受け取った。
「ジェイ・ゼルさん。あなたの倉庫の横の建物は何ですか?」
ちょっと眉を寄せてから
「同じような、倉庫だが」
と、ジェイ・ゼルが答える。
「では、横の倉庫の持ち主に、少し交渉して頂いて、使わせていただけるように依頼して頂けませんか」
すっぱりとした口調で、マイルズ警部がジェイ・ゼルに指示するように言う。
「出来れば、ジェイ・ゼルさんの倉庫が監視できる、窓のある建物が良いですが――そこに、作戦本部を置きます。
これだけの人数でも、周りをうろつくと大変目立ちます。特に、普段人気のない場所ならなおさらでしょう。
隣の倉庫をお借りできれば、そこを拠点として動くことが出来ます」
底力のある目で見つめながら、彼は言葉を続けた。
「あなたの装置をお借りして、サーシャちゃんと犯人の位置を正確に割り出します。その上で、どう動くかを、決めて行きましょう」
笑みを消した顔が、ハルシャ達を見る。
「被害者の奪還は、失敗できない作戦です。
焦らず、慎重に行きましょう――我々は、サーシャちゃんが無事に生還するために、全力を尽くすことを、お約束します」