『どうしたんだ』
画面をのぞき込んで、ディー・マイルズはすぐさま、ハルシャに目を止めた。
『おお、あんたは今朝がたオキュラ地域で出会った人だね』
明るい光の下で見る彼は、穏やかな表情を浮かべた気のよさそうな壮年の男性だった。
『妹さんは、ポンポン・ジェイニーの氷菓を喜んだかい?』
リュウジが、ハルシャに顔を向ける。
「お知り合いなのですか?」
と、小さい声で問いかけてきた。ハルシャは心臓をドキドキさせながら、
「彼が、ディー・マイルズさんだ。メモを渡してくれた……」
と、小声で返す。
ああ、と理解を示して、リュウジは頭を揺らした。
顔を戻して、リュウジが彼に言葉をかけている。
「初めまして、オオタキ・リュウジと申します」
再びハルシャは、心臓が跳ね上がった。
彼は、探していた人物がリュウジだときっと気付く。
そうして、リュウジは自分たちの元を去り、帝星の元の暮らしへと戻るのだ。
サーシャのことと、リュウジのこと。
二つが重なり、ハルシャは胸が苦しくなった。
眉を寄せて目を伏せるハルシャの耳に、ディー・マイルズの静かな声が響いた。
『こちらこそ、初めまして。ええっと、ヨシノくんの知り合いだったね』
「はい。先ほどおっしゃっていた、ハルシャの妹のサーシャのことで、実はご相談が」
初対面同士の会話を、二人は交わしている。
ハルシャは、ゆっくりと顔を上げた。
リュウジは、先ほどヨシノに言ったと同じ説明を、ディー・マイルズにしていた。
ディー・マイルズは、眉一つ動かさず、真剣にその説明に聞き入っている。
ゆっくりと、ハルシャは瞬きをした。
もしかして。
彼が探しているのは、リュウジでは、ないのか?
黒髪の別の青年のこと、なのだろうか。
小さな疑念が、ハルシャの中で、渦巻き始めた。
『それは、大変なことになったね、ええっと、ハルシャ・ヴィンドースくん』
ディー・マイルズが穏やかな口調で言う。
『どうやらオキュラ地域では、警察が動くことが無いようだね。全く怠慢としか言いようがない』
言葉を説明するように、ヨシノという青年が
『彼は、汎銀河帝国警察機構の警部なのです』
と、ハルシャとリュウジに向けて言葉をかけてくれた。
「それは、とても心強いです」
リュウジの明るい声が答えている。
驚きに、ハルシャは目を大きく開いた
。
汎銀河帝国警察機構――名前だけは聞いたことがあった。
全銀河系を捜査する権限を持つ警察組織だ。その警部が、今目の前にいる。
『これは立派な未成年拉致監禁事件だ。我々としても、最大限の協力を申し入れさせてもらうよ』
我々という、複数の言い方が、妙に気になった。
「マイルズ警部は、お一人ではないのですか?」
リュウジの無邪気な声が、ハルシャの疑問を代弁するように問いかけた。
『ああ。ちょっと人探しをしていてね、帝星から部下を五人ほど連れてきている。だが、急ぐ捜査ではないからね。一時中断して、そちらに全面協力させてもらうよ』
「人探しのために、惑星トルディアにお見えになったのですか?」
リュウジの声が、再び屈託なく問いかける。
どきんと、ハルシャの心臓が前触れなく躍る。
もしここで、目の前の君がそうだよと警部が言ったら――ハルシャは表情を強張らせた。
マイルズ警部は、静かに微笑んでから、口を開いた。
『そうだよ、リュウジくん。我々が探しているのは、マサキ・ウィルソンという青年なんだが、残念ながらまだ見つかっていない。ヨシノくんにも、一緒に探してもらうようにお願いしている。
しかし、そちらは人命がかかって、しかも十標準時間と時間が限られている。
サーシャちゃん救出を、もちろん優先させてもらうよ』
マイルズ警部が探しているのは、リュウジでは、ない。
ハルシャは、ゆっくりと、事実を噛み締めた。
違う。
違ったんだ――リュウジではない。
マサキ・ウィルソンという、別の青年だったのだ。
安堵するあまり、ハルシャはくらっと目眩がしそうになった。
『誘拐の概要は解ったが、もう少し詳しいことを教えてくれないかな』
マイルズ警部の言葉に、はっと、ハルシャは身を立てた。
自分が説明しなくてはならない。
だが、ハルシャが口を開く前に、リュウジが事件の最初からを、丁寧に話し始めた。
ハルシャとジェイ・ゼルの関係も、ギランジュとの間に何があったのかも、上手にぼやかして、事実だけを、淡々と述べていく。
リュウジがまとめてくれたお陰で、ハルシャは再度事件を確認できたように思えた。
「宇宙にいると、ギランジュ・ロアは執拗に僕たちに言ってきました。そこが逆に怪しいと思ったのです。自分たちは今宇宙にいて、手を出すことが出来ない――そう思い込まそうとしている。とっさに、意図を感じました。
そのために、もしかしたら、ギランジュは地上にいるのではないか、と疑いを抱いたのです――ジェイ・ゼルが調べてくれたところ、案の定、ギランジュの個人所有の宇宙船は、十二標準時以降の出発を予定して、バルキサス宇宙空港に係留中でした」
リュウジの眼が、真っ直ぐに画面を見つめる。
「誘拐犯のギランジュ・ロア、およびその協力者のシヴォルトは、惑星トルディアの都心ラグレンのどこかにいます」
リュウジの説明をすべて聞き終えてから、しばらくマイルズ警部は無言だった。
「何か、補足はありますか、ハルシャ」
リュウジの言葉に、ハルシャは首を振った。
完璧だった。
自分ではこんなに要領よく、まとめ上げることは出来ない。
「付け足すことは何もない。もし、妹のために力を貸して下さるなら、これほどありがたいことはない」
きっとリュウジならもっと上手に言えるだろうに、ハルシャは自分の言葉の拙さに、わずかに眉を寄せる。
リュウジは微笑むと、顔を画面に向けた。
「サーシャ救出に、ご協力を願えますか、マイルズ警部」
『もちろん、協力はさせてもらうが――さて』
にこっと、彼は微笑んだ。
『今うかがったところでは、一筋縄ではいかないような気がするのだがね。
まず前提として、事件の渦中にあるジェイ・ゼルという人物は、果たして我々の申し出を快く受けてくれるのかな? 特色ある企業の経営者のように思えるが。どうかな、リュウジくん』
片目を軽くつぶって、マイルズ警部が言う。
そうだ。
ジェイ・ゼルは、法に抵触することも平気で行う、闇の金融業者だった。
汎銀河帝国警察機構の手が自分たちに及ぶことを恐れて、協力を拒むかもしれない。
先ほど許可を与えたのは、ヨシノという人物だけだと思っていたからだ。
リュウジも、同じ危惧を抱いたらしい。
「そうですね」
考え込んでから、顔を上げた。
「直接、お話した方がいいかもしれません。警部。今、ジェイ・ゼルをここに呼んできます――少し、お待ちいただけますか」
『もちろんだとも』
リュウジが席を立った。
自分から呼びに行くようだ。
「ハルシャ。少しここで待っていてください。すぐに彼を呼んできます」
言い残して、足早にリュウジが去っていく。
部屋に残されるハルシャは、戸惑いながら、リュウジを見送った。
『ハルシャくん』
優しい声で、マイルズ警部がメモを取り出し、ハルシャに訊ねてきた。
『妹さんの特徴を教えてくれるかな。どんな姿をしているのか、服装なんかをね。探す上でとても重要な情報なんだよ』
ハルシャは促されるままに、サーシャの外見について詳細に語る。
身長と、細身の体つき。着用していた薄ピンク色の上着や、服装のこと。
髪の色、目の色、顔の特徴。画像で示せないためもどかしい。
話しているうちに、リュウジが戻ってきた。
「マイルズ警部です、ジェイ・ゼル」
扉を開けながら、リュウジが振り向いて言う。
ジェイ・ゼルは部屋に入ると、細めた目でマイルズ警部の顔を見つめた。
ここまでの道中で、大方の説明をリュウジから受けていたようだった。
目の前の人物が、汎銀河帝国警察機構の人間だと、了承している顔つきだ。
静かな表情からは、彼が何を考えているのか、よく解らない。
首をひねって、近づくジェイ・ゼルを見上げるハルシャの肩に、彼はそっと手を置いた。
身を屈めるようにして、画面をのぞき込む。
「ディー・マイルズ警部だね。ジェイ・ゼルだ」
非常に魅力的な笑みを浮かべて、彼は気さくに挨拶をした。
「帝星からご旅行中の皆さんに、お手数をおかけするようで非常に心苦しい」
『汎銀河帝国警察機構のディー・マイルズだ。突然しゃしゃり出て来て、すまないね、ジェイ・ゼルさん。
だが、人命が関わっていることなら、見逃せないというのが人情でね。しかも、十歳そこらの、女の子と聞くじゃないか』
穏やかな声で、マイルズ警部が言う。
『我々で出来ることなら、何でも協力しよう。幸いなことに、我々は強行突入に慣れている――帝星では、主にそういう任務を担当し、訓練も重ねてきている。
君たちさえよければ、全面的にバックアップさせてもらうよ。
監禁場所への突入は、被害者の人命の確保を第一に考えなくてはならない。非常に繊細で細心の注意を必要とするミッションになる』
穏やかな中にも、強さの籠る声で、彼は続けた。
『追い詰められた犯人は、信じられないほど簡単に被害者の命を奪う。その事態だけは避けたいというのが、我々の願いかな』
ジェイ・ゼルは、ふっと息を一つ吐いた。
「とてもありがたい申し出だ。喜んで受けさせていただくよ、マイルズ警部。こちらは素人の集まりだ。被害者のサーシャ・ヴィンドースの生命保護のために、ぜひとも協力を仰ぎたい」
受けてくれた。
ハルシャは、信じられない気持ちで、肩に手を置くジェイ・ゼルを見上げた。
ジェイ・ゼルは真っ直ぐに、画面を見つめて視線を動かさない。
にこっと、温かな笑みを浮かべて、マイルズ警部が頭を揺らす。
『もちろん、こちらとしても出来る限りのことは、させていただくよ』
汎銀河帝国警察機構と名乗ったのに、彼は難色を示さなかった。
驚くハルシャの横で、会話が進んで行く。
「マイルズ警部。私たちの事務所の位置を申し上げる。今、彼らが潜伏している場所の特定を、行っている最中だ。
良ければ合流して、意見を聞かせて頂ければとても助かる」
ジェイ・ゼルが告げる場所を、サーシャの特徴を書いたメモの横に、サラサラとマイルズ警部が書きつけた。
『すぐに、向かわせてもらうよ。ヨシノくんと一緒にね』
「ご協力に、感謝する」
短い挨拶の後、通話が途切れた。
ハルシャは、肩に手を置くジェイ・ゼルを見上げたまま動けなかった。
ジェイ・ゼルは、あっさりと、彼らの協力を求めた。
あまりに意外だった。
ハルシャの視線に気づいたのか、ジェイ・ゼルが眼差しを下ろした。視線が触れ合う。
「どうした、ハルシャ」
あまりに驚いていたからだろうか、ジェイ・ゼルが問いかける。
ハルシャは、危惧をにじませながら言葉を呟いていた。
「いいのか? ジェイ・ゼル――警察なのに……」
協力を申し出たら、ジェイ・ゼルたちが触れられたくないことを探られるのではないか?
と、言いたかった言葉を、ハルシャは全部まで口に出来なかった。
汎銀河帝国警察機構は、全銀河の犯罪に対して捜査権を保有している。
もしも、ジェイ・ゼルの事業の違法性を彼らが掴んだとしたら――。
彼の身が、危険にさらされるのではないのだろうか。
恐怖に近いものが、じわっと身に湧き上がって来た。
サーシャのことが一番大切なはずなのに、どうして自分は今、ジェイ・ゼルのことを懸命に心配しているのだろう。
動揺する理由が、自分自身でも解らなかった。
ふっと、優しくジェイ・ゼルが微笑む。
「そんなに心配そうな顔をしないでおくれ」
微笑みながら、肩に乗っていた手が浮き、髪を撫でる。
「今、考えるべきことは、サーシャが無事に戻ってくることだけだ。マイルズ警部はどうやら優秀な警察官のようだからね。協力の申し出は、とてもありがたことだよ。どうして、断る必要があるんだ。ハルシャ」
そのためになら、どんな犠牲も払ってくれるつもりなのかも、しれない。
気付いたハルシャの胸が、きりっと痛んだ。
温かく大きな手の平が、髪を撫で続けている。
「私なら、大丈夫だよ、ハルシャ」
優しい動きで、髪の上を手が滑る。
慈しむように、慰撫するように。
包み込むようなジェイ・ゼルの灰色の瞳を、見つめ返したまま、ハルシャは動けなかった。
ふと、笑みが彼の顔から消えた。
色を深めた瞳が、ハルシャを見つめている。
彼は唇を重ねたいのだと、その表情からハルシャは感じ取った。
「どれくらいで、警部はここにたどり着くでしょうか」
不意に、リュウジの声が部屋に響いた。
瞬きを一つしてから、ジェイ・ゼルが視線を上げる。
「この事務所に不要なものがあれば、警部が来る前に隠しておいた方が得策ではありませんか。ジェイ・ゼル。」
辛口の口調で、リュウジが言う。
「汎銀河帝国警察機構は、銀河帝国内のいかなる犯罪も、捜査する権限を持っています。今回のことであなたが不利益を被ることを、僕は望みません」
ふっと、ジェイ・ゼルが笑った。
「ご忠告、痛み入るよ。オオタキ・リュウジ」
すっと、ハルシャの髪から手が滑り落ちた。
背中に優しく、添えるように手が触れる。
「だが、安心してくれ。私たちは、法に触れるようなことはしていない」
身を屈めると、ジェイ・ゼルの唇が軽く、ハルシャの髪に触れた。
かっと、頬が赤くなる。
ハルシャの表情に、ジェイ・ゼルが優しく微笑んだ。
「汎銀河帝国警察機構の皆さんを、事務所にお招きしても何も、後ろめたいことはないよ、リュウジ」
ふふっと、余裕の笑みを浮かべてから、ジェイ・ゼルはハルシャの側を離れた。
「だが、うちの者たちに説明しておく必要はあるだろうね。ラグレンは田舎だから、帝星の一流の人達のご登場に面食らってしまうかもしれない」
優雅な動きで、彼は入り口に佇んだままの、リュウジの側に立った。
リュウジは自分と同じぐらいの身長なので、ジェイ・ゼルを見上げる形になる。
笑みを浮かべたまま
「一度事務所へ戻るよ。
君の友人たちが到着したら、知らせるようにしよう」
と、ジェイ・ゼルが視線を落として、リュウジに言った。
「はい、お願いします。ジェイ・ゼル」
上目遣いに見る、リュウジの顔をしばらく、ジェイ・ゼルは見守っていた。
「君の、広い人脈に救われたのかもしれないな。うちの者たちは血の気が多いからね、サーシャをどうやって救出をするのか、実のところ悩んでいた」
穏やかな口調で、ジェイ・ゼルが言う。
「君のハルシャとサーシャを想う気持ちに、彼らも協力を申し出てくれたのだろうね。
ありがとう、リュウジ。感謝している」
敵意が微塵もない、素直な言葉だった。
リュウジは表情を動かさず、口を開いた。
「僕は」
何を言うのか、ハルシャはハラハラしながら、二人を見守っていた。
その耳に、静かなリュウジの声が響く。
「ハルシャとサーシャが幸せなら、それでいいのです。ジェイ・ゼル」
わずかに、ジェイ・ゼルの口角が上がった。
「幸せ、とは。また、難しいことを要求するのだね、リュウジ」
細めた灰色の瞳で、彼はリュウジと向き合っていた。
「幸福も、不幸も、外側にはない。内側にしか、存在しないものだよ」
呟きだけを残して、ジェイ・ゼルは踵を返した。
そのままリュウジの側をすり抜けて、廊下へと真っ直ぐに進んで行く。
彼は、振り返らなかった。
入り口で、リュウジはジェイ・ゼルの過ぎ去る背中を、しばらく見送っていた。
大きく息を吐くと、リュウジは部屋へと歩を進めた。
「すみません、ハルシャ」
扉を閉めながら、開口一番、彼は謝罪を口にした。
「あなたが話してくれた大切な秘密を、ジェイ・ゼルに色々言ってしまいました。
僕も、ついカッとなってしまって」
普段冷静な彼にしては、珍しいとハルシャは思っていた。
「気にしないでくれ、リュウジ。全て本当のことだ」
足取りも重く、リュウジがハルシャの側に立った。
「ですが、あなたから聞いたと。まるで、ハルシャが告げ口をしたような形になってしまいました。
もっと、上手に言う方法はあったはずなのに」
後悔をにじませる言葉に、ただ、ハルシャは首を振った。
「私を思ってのことなのだろう。本当に気にしないでくれ。それが、私だ」
ハルシャの言葉に、ぐっと唇を噛むと、リュウジは眉を寄せた。
「そんな風に――自分を卑しめるような言い方をしないで下さい。ハルシャ」
切ない口調だった。
ハルシャは、視線を落とした。
やむを得ないこととは言え、リュウジはもちろん、マシュー・フェルズにまで、ギランジュが自分を媚薬づけにすると言っているところを、聞かれてしまった。
いまさら、どうこう言っても仕方がないが、自分がどんな立場なのか、思い知らされたような気がする。
借金のために、男に足を開いている。
そんな風に、きっと自分は思われているのだろう。
じわりと、恥辱が頬を染めさせる。
先ほど、ジェイ・ゼルを呼ぶために事務所に入った時、皆の視線が気になった。
そんなことを、気にしても始まらないと思うのに、それでもやはり、自分は辛いのだ。
「リュウジのお陰で、サーシャが無事に戻ってくるような気がする」
無理やり視線を上げながら、ハルシャは声を励ました。
「ジェイ・ゼルの言っていた通りだ。リュウジの人脈に、救われたような気がする」
苦しそうだった彼の表情が、少し緩んだ。
心を落ち着けるように、大きく息をもう一つしてから、やっと心を切り替えて眼差しを向ける。
「警部たちが来る前に、もう少し綿密に画像を見ておきましょうか。何か、見つけることが出来るかもしれません」