ほしのくさり

第12話  目覚め-01






 メリーウェザ医師のところでとった短い睡眠で、予想以上に身が休まったようだ。その日一日、ハルシャはいつになく集中して作業を終えることが出来た。
 納期まで、あと二日。
 徐熱中の部品の仕上がりを待って、明日組み立て上げるところまで作業を持っていけた。
 手ごたえを感じながら、ハルシャは深夜近くに、工場を後にする。  
 普段より、三時間ほど早く上がることが出来た。

 *

「おかえりなさい!」
 メリーウェザ医師の医療院の扉を、勢いよくサーシャが開いて迎え入れてくれる。
「早かったね、お兄ちゃん!」
 ぎゅっと、胴に抱きついてくる妹の頭を撫でながら、
「無事に一日が過ごせたか?」
 と、ハルシャは問いかける。いつもの会話だった。
 メリーウェザ医師が待つ医療室まで歩きながら、サーシャは今日学んだことを、ハルシャに報告する。二次方程式と、銀河帝国史、美術と汎用生物学だった。
 銀河帝国に属するあらゆる種族を覚えることは、定期的に行っている。今日は、三種族を覚えたと、ハルシャにいう。

 ヴェンガルド・ゼーダ星系の、アドロン族。
 ファイ・ドルド星系の、マージェンドルダン族。
 ガルディギア星系の、クエン・ロン族。

 指を折りながら言うサーシャの言葉を、すぐさまハルシャは訂正する。

 サーシャ。ガルディギア星系にいるのは、ケルエン・ダード族だ。クエン・ロン族は、ガルディギア星から三九八光年離れた、ホロドロド星系だ。
 
 ああ、そうだ!
 と、サーシャが、小さく舌を出して照れながら、間違いを詫びる。
 記憶を訂正するように、きちんと言えるまで、ハルシャは、サーシャと声に出して言う。
 
 ガルディギア星系のケルエン・ダード族。
 ガルディギア星系のケルエン・ダード族。

 三度目に唱えた時に、メリーウェザ医師が待つ医療室にたどり着いた。

「ガルディギア星系のケルエン・ダード族!」
 二人の揃った声に、メリーウェザ医師は、パチパチと数度瞬きをした。
「どうした」
 腕を組んで、彼女が首を傾げる。
「辺境のガルディギア星系にある、ケイ素を主成分とする、気難しい生命体が、どうかしたのか? 新たなおまじないか?」
「覚えていたんです。今日習ったところなので」
 サーシャが笑いながら言う。
「お兄ちゃんは、銀河帝国に所属する、ほとんどの生命体の所属と名前が言えるんです」
 
 自慢げな言葉に、優しくメリーウェザ医師が笑う。
「私も昔は、覚え込んだな――宇宙飛行士になるには、その知識が必要だからな。ガルディギア星系のケルエン・ダード族か。懐かしい。実際に目にしたことはないが、名前だけは知っている」

 ぽろりとこぼれた言葉に、ハルシャは顔を上げる。
 宇宙飛行士になるのに必要と、彼女は言った。
 サーシャを見ながら、メリーウェザ医師は優しく言葉を続けた。
「もしよければ、昔私が使っていた資料がある。銀河帝国民総覧といって、画像も豊富に掲載されているから、覚えるのに良いだろう。サーシャに貸してあげよう」
「良いんですか、先生!」
 弾んだ声に、メリーウェザ医師は目を細めた。
「私はもう使うことはないから、サーシャが活用してくれれば、かえって嬉しいな」
「ありがとうございます! 頑張って勉強します」
 身を折りながら、サーシャが無邪気に礼を言う。
 ハルシャは、知識は身を助けるからな、とサーシャに言う、メリーウェザ医師を見つめていた。
 彼女は、やはり、宇宙飛行士だったのだ。
 メドック・システムを宇宙の船の中で使っていた経験があるのかもしれない。
 もう使うことはない、と言った時に、彼女は微かに目を細めて、痛みに耐える様な顔になった。
 華やかなラグレンの地上には、犯罪と貧困が、澱のように溜まっている。そして、ここでしか生きていけない者たちが、吹き寄せられるように、暮らしていた。
 彼女も――何か理由があって、ここに住むことに決めたのだろうか。
「ハルシャも、見たいだろう」
 不意に、メリーウェザ医師の言葉が、ハルシャの意識を彼女へ向けさせた。
 優しい眼差しが、ハルシャへ注がれていた。
「サーシャと一緒に、眺めるといい。宇宙は広くて、様々な生命体にあふれていると知るのは、良いことだ」

 銀河帝国民総覧――
 自分が思っている資料なら、とんでもなく高価なホログラム機能のあるものだ。
 かつてハルシャも、宇宙飛行士を目指す関係上、父親にねだって誕生日プレゼントとして手にしていた。
 毎日、毎日、ワクワクしながら眺めていた――どこに何が記されているのか、丸暗記をするほどにまで、読み込んだ。
 けれど。
 借金返済のために、何も持ち出せず、自分が勉強に使っていた全ての資料も、ジェイ・ゼルによって、競売にかけられた。買った時とは比べ物にならないほどの安価で売り飛ばされ、金額を記した明細だけが、ハルシャの手元に残った。
 自分の人生の全てが、たった一枚の明細書に化けてしまい、もう二度と取り戻せない事実に、ハルシャは歯を食い縛って、耐えた。
 かつて、自分が夢中で目を通した資料を、メリーウェザ医師は貸してくれると言っている。
 胸の奥が痛んだ。
 叶えられなかった夢の残骸が、心を締めあげる。
「ありがとう、先生」
 ハルシャは小さく礼を呟き、側で自分を見上げる青い瞳に向けて、
「良かったな、サーシャ」
 と、言葉をこぼす。
「うん。一緒に見ようね、お兄ちゃん!」
 弾んだ声で、サーシャが言う。
 オキュラ地域で暮らすようになってから、自分が宇宙飛行士を目指していた事実を、ハルシャは妹にも誰にも、告げていない。
 知られたくなかった。
 宇宙を夢見ていたハルシャ・ヴィンドースは、死んでしまったのだから。
 何も知らない妹の、無垢な眼差しを見つめながら、ハルシャは手を延ばし、頭をくしゃっと撫でた。

 視線を転じて、メドック・システムを見る。
 機械は、沈黙していた。
「あの子は、奥の医療用のベッドに移しておいた」
 ハルシャの視線に気づいたのか、椅子をくるっと回して、メリーウェザ医師は円筒状の機械に目を向ける。 
「サーシャに手伝ってもらって、服も着替えさせている」
 微笑みながら、ハルシャへ顔を向ける。
「まだ目を覚ましていないが、のぞいていくか? ハルシャ」
 
 *

 今朝自分が短い睡眠を取った場所に、青年は寝かされていた。
 浮遊するように緩衝材に包まれて、目を閉じている。
 メドック・システムの治療を受けたためか、傷ついていた皮膚はほとんど治り、ハルシャがここに運んだ時とは、見違えるようだった。
 穏やかな寝息が聞こえる。
 
 ハルシャは、近くの椅子を引き寄せて、彼の側に腰を下ろした。
 黒い睫毛に縁どられた、閉じられた瞼を見つめる。
 眠る青年は、思ったよりも幼いような気がした。
 黒い真っ直ぐな髪は、短く整えられていて、メリーウェザ医師が言っていたように、服もここでの日常着に着替えていた。
 それでも彼からは、惑星トルディアの者ではないという、雰囲気が漂ってくる。
 腕を組んで、ハルシャは青年を見つめる。
 
 彼が目を覚ましたら――誰なのかを、聞かなくてはならない。
 朝、メリーウェザ医師から告げられた事実が、きりっと、ハルシャの胸を突いた。
 暴行の事実を、彼はどう受け止めるのだろう。
 目覚めた時、彼の目に恐怖がたたえられていたら、ハルシャはそれ以上尋ねられないような気がした。
 もし、自分を暴行した者たちの一味だと勘違いしたら、彼はここから逃れようとするかもしれない。
 最初に目にするのは、メリーウェザ医師の方が良いのだろうか。
 ハルシャは、彼の穏やかな吐息に耳を澄ましながら、つらつらと考える。
 彼が目覚めても、身元が判明するまで、ここに置いてくれるとメリーウェザ医師は請け合ってくれた。

 君は妹の面倒を見るので、精一杯だろう。なに、困った時はお互い様だ。
 どうせベッドは空いているんだ。利用してもらったらいい。

 サバサバした口調で言いながら、メリーウェザ医師はハルシャを気遣ってくれている。
 彼女の優しさに、ハルシャは甘えることにした。
 彼の意識が覚醒して、情報を聞き出せばあとは、行政が何とかしてくれると、ハルシャは思っていた。
 地元民には厳しいが、惑星トルディアは、観光客にとても親切な星だった。
 紫色の幻想的な森が、この星の一大観光資源だ。目当てにやってくる旅行者を満足させるべく、星を挙げて取り組んでいる。

 ふっと、ハルシャは息を吐いた。
 
 目が覚めた時――彼の中に、受けた暴力の記憶が蘇る。

 明度を抑えた照明に、青年の眠る顔が浮かんでいる。
 瞬きをすると、ハルシャは明日の作業のことを考え始めた。
 徐熱室から、接合した部品を取り出し――今日作り上げたβ部とすりあわせる。きちんと製作できていれば、髪一本の隙も無いほどに、組みあがるはずだ。
 大丈夫。納期には間に合う。
 ふと、ジェイ・ゼルが、彼のために用意してくれていた酒のことが蘇る。食事の時に、彼はさりげなく飲まないのか、と聞いてきた。
 自分は、ただ作業の工程を気にして、彼の用意した酒を断ってしまった。
 どうしても、納期を守る必要があったからだ。
 その時は――五年の祝いをしたかったと、彼は匂わせもしなかった。そのために、ハルシャは、彼がわざわざ高級なクラヴァッシュ酒を用意した意図を見抜けなかった。
 笑いを消しながらも、彼は穏やかな声でハルシャに残念だと告げていた。
 ジェイ・ゼルは、ハルシャをなじることは、しなかった。
 仕事に対して、ハルシャがプライドと責任を持っていることを、ジェイ・ゼルは理解してくれている。

 あの時飲めば――彼は、喜んだだろうか。
 何も言わなかったのは、ハルシャも覚えていると考えていたのかもしれない。
 五年前に、自分たちが出会ったことを。

 ちくんと、胸が痛む。
 消し去りたい記憶の一つであるのに、どうして、胸が痛まなくてはならないのだろう。
 ハルシャは、自問自答し続けていた。

 ぼんやりと見守っていた青年の、睫毛が微かに動いた。

 はっと、視界に捉えたものをはっきり見ようと、ハルシャは、目の焦点を彼に合わせた。
 間違いない。
 彼の瞼が、微かに痙攣している。

 彼が、目を覚ます。

 一瞬、ハルシャはメリーウェザ医師を呼ぼうと、腰を浮かしかけた。
 だが。
 今呼べば、サーシャもきっと側についてくる。
 その事態は避けたいと、瞬間判断し、黙したまま腰を戻し、青年の様子を見守る。
 青年の、眉が動いた。
 一瞬ひそめてから、すぐにほどける。
 そして――
 ゆっくりと、瞼が上がり、黒い睫毛に縁どられた目が、開かれた。


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