ほしのくさり

第11話  メドック・システムで測れないもの





――ハルシャ

 遠くで、懐かしい声が自分を呼んでいる。

 お父さまだ!
 
 ハルシャは、喜びに駆けていた。
 アルデバラン星系へ出張していた父が、半年ぶりに戻ったのだ。
 皆が、玄関へ父を出迎える。誰もが笑顔だ。
 お母さまも、執事のカイエンも――

――今、戻ったよ。

 玄関に姿を見せた父に、ハルシャは駆け寄る。
 優しい笑みを浮かべて、両手を広げて、父がハルシャを抱き上げた。

――半年見ない間に、大きくなったな、ハルシャ!
 
 強い腕で、父がハルシャの身を持ち上げる。

――ハルシャは、飛び級したのですよ、あなた。二、三年生を飛び越えて、四年生に。

 誇らしげに、父が不在の間に起こったことを、母が告げる。ハルシャは進級試験をトップの成績で通過し、続く学力考査でも優秀であったために、飛び級が認められた。カドル月から、二歳年上の人と一緒に、アジェルダ学院の初等科の第四学年に通うことになっている。

――そうか!
 
 ハルシャの身が高く差し上げられる。

――七歳で、初等科の四年か! 頑張ったな、ハルシャ。

 ハルシャは、宇宙飛行士になるなら、そのぐらい頑張らないと、と、父に照れ隠しに言う。

――ハルシャなら、必ず夢を叶えられる。

 そっと優しく、ハルシャの足が、地面に戻される。
 貿易商を営む父は、一度もハルシャの夢に反対をしなかった。むしろ積極的にハルシャの希望を叶えるように、働きかけをしてくれている。
 ラグレンから離れたバルキサス宇宙空港へ、暇があれば連れて行ってくれ、実際に宇宙を渡る船を、見せてくれた。
 シンクン・ナルキーサスへ進学するのに、もっとも有利と言われるアジェルダ学院への入学を認めてくれたのも、その一つだった。

――宇宙飛行士になったら、ハルシャにうちの荷物の運搬を頼むかな。

 膝を折り、七歳の自分と視線を合わせながら、父が、ハルシャの赤毛を撫でる。

――父子で、事業を大きくして行こう。

 ラグレンでも屈指の実業家の父の言葉に、ハルシャの心が湧きたつ。
 もちろんです、お父さま、とハルシャは胸を張って答える。
 そして、夢を語る。
 皇帝機として帝星の空を駆ける、旗艦アルキュオネ号のような、真っ白な宇宙船を購入するのだと。
 次元航法を備えた宇宙船で、アルデバランの側をかすめて航行すると――

――楽しみだな、ハルシャ。

 父の広い手が、頭を撫でる。
 ハルシャは、なおも夢を言葉にし続ける。
 宇宙飛行士として一人前になり、宇宙船を購入した暁には、最初に父と母を乗せて飛ぶと、誓いのように、両親に言う。

 口調がませていたのだろう。
 皆が、笑っていた。
 嬉しそうに、楽しそうに。

 母が、ハルシャの最初の航海に招いていただけるなら、おめかしして乗らなくてはね、と服を揺らしながら言う。
 お坊ちゃま、私も乗せて頂けますか?
 カイエンが、優しく笑いながら、身を折った。
 長生きしないとな、と、父が、執事に向けて片目をつぶる。
 急いで宇宙飛行士になるから、待っていて、カイエンと、ハルシャは必死に言った。
 再び、笑い声が周囲を取り巻く。
 温かくて、幸福な、時間。
 胸の奥が痛くなるほどの、幸せ。その時は、永遠に続くと信じていた。
 宇宙が自分のいる場所だと、無邪気に信じていられた。

――ちゃん

 ハルシャは、夢からさまよい出すときの、あやふやな感覚を覚えていた。

――お兄ちゃん


 ゆらゆらと肩が揺すられ、耳にサーシャの声が響いた。
「お兄ちゃん、時間だよ。起きて」
 はっと、意識が覚醒する。
 目の前に、妹の青い瞳があった。

――お母さま。

 ふっと、五年前の母の顔が、サーシャに重なった。
 夢を見ていたせいだ。
 幸福だった頃の、夢を。
 屈託なく笑っていた、すこしお茶目なところのある母の顔が、十一歳の妹と、重なる。
 六歳で両親を失った妹は――どれだけ両親のことを、覚えているのだろう。
 自分は、十五年分の記憶がある。だが。
 サーシャには、六年しかない。
 何一つ、家から持ち出せなかったハルシャは、両親の姿を留めたものを、手元に持っていなかった。
 だから、鏡を一緒にのぞき込みながら、サーシャに言った。
 この顔が、お母さまだよ、と。
 金色の髪も、青い瞳も、そっくりだと。
 寂しい時は、鏡を見れば、そこにお母さまが、居て下さる、と――

 その時から、サーシャはじっと、一人で鏡をのぞき込んでいるときがあった。
 銀の鏡の表に、母の面影を、探しながら。
 意識がぼんやりとしているときは、ついハルシャも彼女に母を見てしまう。
 失ってしまった温かな微笑みを、サーシャに求めてしまう。
 二度と戻らないと解っていながらも――

「サーシャ」
 起きぬけのため、かすれる声でハルシャは呟く。
「起こしてくれて、ありがとう」
 ゆっくりと、身を医療用ベッドから起こす。
 ふわりと身を包んでいた緩衝材が、ハルシャの動きにつれて波打つ。
 ベッドから足を降ろして、ハルシャは靴を履いた。
「あの男はもう、目を覚ましたか?」
 ハルシャの言葉に、サーシャが首を振る。
「まだ意識は戻っていないって。皮膚の傷もあるから、このあと半日ほどメドック・システムに入れておくと、先生がおっしゃっていたわ」
「そうか」
 立ち上がり、無意識にサーシャの頭を撫でる。
 くりっとした巻き毛の感触に、ふと、心の奥が、穏やかになった。
 恒星ラーガンナが、隠しがたいほど強く、射し始めている。紫の植物体を育てる恒星は、強い力を持っていた。
 ハルシャは光にわずかに目を細めて歩き出した。ちょこちょこと、小走りにサーシャが従う。
 メドック・システムの前に、腕を組んでメリーウェザ医師が佇んでいた。
 真剣な眼差しが、円筒状の技術の粋を集めた、医療システムを見ている。
 音がしたのだろう、メリーウェザ医師が、ハルシャに気付いた。
「おう、目が覚めたか」
 笑みをこぼしながら、彼女が言う。
「随分すっきりした顔になったな。それなら、安心して送り出せる」
 言いながら、メドック・システムへ、再び目が向かう。
 笑いを消した表情に、彼女には何か気になることがあるのを、感じ取る。
「サーシャ」
 不意に、メリーウェザ医師が視線を動かさずに、妹に声をかけた。
「ちょっと喉が渇いたな。すまないが、お茶を入れて来てくれないか」
「はい、先生」
 いつも交わされている会話なのだろう。サーシャはこくんとうなずくと、
「お兄ちゃんも、飲む?」
 と問いかけた。
 ちらっと時間を見る。まだ、大丈夫そうだ。
 ハルシャが口を開く前に、メリーウェザ医師が言った。
「余裕があるなら、飲んでいけ」
 メリーウェザ医師がくすっと笑いをこぼす。
「サーシャもお茶を入れるのが、随分上手くなった。最初は飲めたものじゃなかったがな」
「もう、先生は一言多いんだから!」
 ぷんぷんと頬を膨らませながら、サーシャが医療室を出て行った。
 お茶を入れる施設は、別の場所にあるらしい。

「ハルシャ」
 見送っていたハルシャに、重い声が響く。
 メリーウェザ医師へ、ハルシャは顔を向けた。
 茶色の髪に縁どられた、凛とした顔が、真っ直ぐにメドック・システムを見ている。
 一瞬目を細めてから、彼女は口を開いた。
「この子の頭には、チップが入っている」
 ハルシャは、微かに目を開いた。
 チップ。
 個体認識用の、生体情報が書きこまれたものだ。
 辺境に近い惑星トルディアでは一般的ではないが、銀河帝国の帝星ディストニアでは、どんな種族のものでも、産まれた時にそれぞれの情報を入力したチップを脳に埋め込むのが一般的だと聞いている。
 チップの情報を読めば、彼が誰なのかが、すぐに解る。
 と、ハルシャが考えたことが、メリーウェザ医師に伝わったのだろう。
「そうだ、ハルシャ。チップ入りとは、幸運だ。この子が誰なのか、すぐに解る――と私は思って、情報の解析をしようとした。
 だが、チップには、強力なプロテクトがかかっていた」
 ハルシャは、驚きに、目をさらに開いた。
「それは――」
「個人情報を読まれないように、外部からの解析を拒むプログラムが、上掛けされている」
 どきんと、鼓動が打つ。
 チップは、自動的に持つ人物が誰なのかを、計器に告げる。
 普通の人はそれでいい。
 支払いすら、そのチップの情報で出来ると聞いている。
 だが。
 一部の人間にとって、個人の情報がただ流れになるのは、都合が悪い。
 例えば――強盗など、犯罪者たちだ。
 彼らは警察から身を守るために、違法なプロテクトを、チップにかけることがある。
 ハルシャは、無意識に呟いていた。
「彼は、犯罪に関わっている、という、ことか?」
 ハルシャの言葉に、小さくメリーウェザ医師が首を振る。
「何とも言えない。生体チップにプロテクトをかけるのは、犯罪者が多いがそれ以外の場合もある。たとえば、身分をさらさずに旅行をしたいときや、政府関係で、極秘に動かなければならないとき――ただ。これほど強力なプロテクトは、私も初めてだ。破り方が解らない。彼の情報が読めなかったから、もしかしたら、強盗達は、彼を捨てたのかもしれないな」

 彼が目を覚ましたら、行政に連絡をして、身柄を預ければいい。
 そう簡単に考えていたハルシャは、思わぬ事態に、面食らった。
 彼が路上に捨てられていたことは、何か意味があるのかもしれない。
 黙り込むハルシャの横で、小さくメリーウェザ医師が吐息をついた。
 額に手を当てながら
「ここに運んで来たのは君だから――おおよそ想像はついていると思うが」
 と、低い声で、彼女が呟いた。

 ハルシャは、視線を、彼が横たわるメドック・システムから、医師へと向けた。
 彼女は眉を寄せて、苦痛に耐えるように、沈黙した。
 ハルシャは、これからメリーウェザ医師が言おうとしていることが、わかった。
 ふっと、息を吐くと、彼女は言葉を続けた。

「彼は、性的暴行を受けている。肛門に裂傷があった。ろくに準備もせずに、恐らく複数の人間から、暴行を受けたのだろう」
 複数の人間、という言葉に、ハルシャはすっと血が下がっていくような気がした。
 予測はしていた。だが、そんなにむごいとは、思っていなかった。
 淡々と彼女は続ける。
「遺伝子型が違う、複数の精液が、彼の大腸内から検出された。
 採取した精液の遺伝子型の記録は取ってある。彼が暴行を警察に訴えるとしたら、その資料として提出するつもりだ」
 一気に言ってから、メリーウェザ医師は口元を歪めて、自分が口にした事実に、じっと耐えていた。
 なぜ、このタイミングでサーシャにお茶を頼んだのか、ハルシャは悟る。
 聞かせたくなかったのだ。
 十一歳の少女に、自分たちがいる場所の、あまりに暴力的で容赦ない現実を――。
 ぽつんと、彼女が呟く。
「大腸内の洗浄と腸壁の治療は、メドック・システムに指示をしておいた。性病の予防もな。
 身は治すことは出来るが、彼が受けた暴力が、心に与えた傷は、どうすることもできない」
 虚空に、メリーウェザ医師が呟く。
「メドック・システムでも、心に受けた傷は、測定できないからな――」


 ハルシャは、白い円筒状の機械へ目を向けた。
 路上から彼を腕に抱き上げた時に、ハルシャは大方を悟っていた。
 だから、治療をメリーウェザ医師に託した。彼女は、大抵の醜いことは知り尽くしている。
 機械に身を横たえた時、彼は後孔が接した折に、苦しげに呻いた。
 受けていたのだ、ひどい裂傷を――
 かつて、自分も得た痛みを、彼は異郷の地で、暴力的に受けさせられた。
 この事実を、先ほどはサーシャが側に居たために、医師は黙っていたのだ。
 脳にもどこにも傷はないと、明るい声で言いながら。二人きりになった状況で、やっと彼女はハルシャに真実を告げた。

「あと半日は、メドック・システムに入れておく。それで、機械でできる治療は終わる」
「仕事が終わったら、すぐにここへ顔を見せる」
 ハルシャは、メドック・システムから目を離さずに呟いた。
「出来るだけ、早く戻る」
 ふうと、メリーウェザ医師が髪を掻き揚げる。
「焦ることはない。こっちで預かっておくよ。仕事を急いで怪我をしては、元も子もない。
 目が覚めた時――自分が受けた暴力にショックを受けているかもしれないが――まあ、暴れたら、鎮痛剤で眠らせておくよ」
 今日は、サーシャはメリーウェザ医師の元で、時間を過ごすはずだ。
「サーシャに、聞かせたくない……彼が、どんな暴行を、受けたのか、を」
 途切れがちなハルシャの言葉に、受諾を示して、メリーウェザ医師がうなずく。
「配慮する。大丈夫だ」
 
 大地に根を張る、巨木のような、揺るぎない言葉に、ほっとハルシャは息を吐いた。
 彼女に任せておけば、大丈夫だろうと、安堵が広がる。
「よろしくお願いします」
「うん」
 メリーウェザ医師が、がしがしと頭を掻く。
「しかし、一体全体、どうしてオキュラ地域なんかに足を踏み入れたんだろうね――襲って下さい、と大声で叫んでいるようなものだ。見たところ、可愛い顔をしていた。よく誰かの所有物にならなくて済んだものだ」

 メリーウェザ医師は、オキュラ地域で行われる、あらゆる犯罪を知っている。
 その上で、傷ついた者たちに、手を差し伸べてくれている。
 ろくに金銭を支払えない人々を、宇宙を渡る船に乗っていたメドック・システムで、救い続けてくれていた。

 ハルシャは、目を細める。
 彼が、オキュラ地域にいた、理由。
 全ての疑問は、彼が目覚めれば、解決するのだろう。
 
 治療室の扉が開き
「おまたせ、先生! お兄ちゃん!」
 と、明るい声が響いた。
「サーシャ。茶を運ぶ時は、急ぐな、走るなと、あれほど言っただろう。ほら見てみろ、お盆の上が、大洪水だ」
 呆れたように、メリーウェザ医師が言う。
 言われた通り、二つの椀からこぼれたお茶が、盆の上で波打っていた。
 みるみる、サーシャの顔が赤くなる。
「お兄ちゃんが、お仕事に行かなくてはならないと、思って」
 消えそうな声で
「貴重なお茶を、ごめんなさい」
 と、サーシャが詫びている。
 ふっと、メリーウェザ医師が笑う。
「麗しい兄妹愛に免じて、許してあげるよ。サーシャ。早く兄に渡してあげなさい。もう彼は、出発したそうだ」
 はい、と言いながら、内容量が半分以下になった椀が、ハルシャに手渡される。
 お盆の上のお茶の処理について、口論するサーシャとメリーウェザ医師を、目を細めて見ながら、ハルシャはぬるめのお茶を飲んだ。
 恐らく、急ぐハルシャが、早く飲めるように、温度を低くしたのだろう。
 対してメリーウェザ医師のは、熱そうだった。あち、あちと、彼女は言いながら、椀を持っている。
 貴重な水を無駄にしたことを、サーシャは気にしている。
 次から気を付ければいい、と、優しくメリーウェザ医師が頭を撫でてくれていた。
 彼女に任せておけば、大丈夫だ。
 再び、安堵が広がる。

「ごちそうさまでした、メリーウェザ医師」
 ハルシャは、椀を差し出すと、さっとサーシャが受け取った。
「ありがとう、サーシャ。おいしかったよ」
 嬉しそうな笑みがこぼれる。
 くしゃっと頭を撫でてから、ハルシャは、動いた。
 入り口に置いてあったボードを手に取り、
「サーシャと、彼をよろしくお願いいたします」
 と、メリーウェザ医師に挨拶をする。
「ああ、行っておいで。気を付けてな」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん!」
 サーシャは出口までついてきて、そこでハルシャを見送る。
 大きく揺られる手に、軽く応えてから、ハルシャはボードの駆動部を入れて、足を乗せて、大地を蹴った。
 真っ直ぐに、進みだす。

 黒髪の青年が受けていた暴行に、内側に怒りがこみ上げてくるのを必死にこらえながら、ハルシャは一筋に道を進んだ。
 再び、道具となる時間へ向けて――



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