リュウジが放った厳しい言葉に、ジェイ・ゼルが動きを止めた。
ハルシャを腕に包んだまま、顔を上げて視線を向ける。
「バルキサス宇宙空港へは、部下を派遣している」
先ほどまでの甘さが微塵も感じられない声で、彼は応えた。
「彼らに、出入りの宇宙船をチェックしてもらう――それでは、まだ不足か。オオタキ・リュウジ」
ジェイ・ゼルは腕の力を緩めて、ハルシャを静かに解放した。
はっと正気に戻ると、皆の視線が自分たちに集まっていたことに気付く。
リュウジの言葉がなければ、ジェイ・ゼルはこれほどの人の中で、自分の唇を覆っていたのだ。
床に視線を落とし、頬が赤らむのが止められない。
さっきはサーシャを救いたいと思うあまり、さほどまでには感じなかったが、よく考えてみると、自分は随分あられもないことを、ギランジュに言われていたような気がする。
それを部屋の皆に聞かれていた。
恥ずかしさのあまり、ハルシャは伏せた顔を上げられなくなった。
「恐らく無駄足でしょう。ギランジュ・ロアは、宇宙にはいません」
明確な声が、リュウジの口から響いた。
「そう思わせようとしているだけです。手に乗れば、相手の想う壺です」
はっと、ハルシャは顔を上げた。
射るような眼差しをジェイ・ゼルに向けたまま、リュウジは静かな声で呟いていた。
「彼は今、惑星トルディアのいずれかの場所に居ます。宇宙に居ると言ったのは、そう思わせておけば、捜索の手がかからないと考えているからです」
ギランジュは、宇宙にいない?
ハルシャは、驚きのあまりリュウジを見つめたまま、動けなくなった。
ギランジュが話していた背景は、宇宙船そのものに、見えていた。
「なぜ、ギランジュが地上にいると思うんだ、オオタキ・リュウジ」
ジェイ・ゼルの静かな声が、問いかける。
どうして――
二人が会話を交わしているだけなのに、辺りの空気が凄まじい緊迫をはらんでいるのだろう。
リュウジとジェイ・ゼルは、もしかしたら気が合うかもしれないと、気楽に考えていたハルシャは面食らっていた。
まるで仇同士のように、鋭い視線を互いに向けている。
同じ目的の元に動いているはずなのに、なぜだろう。
リュウジは、先ほどまでジェイ・ゼルが座っていた、通話装置へふっと目を向けた。
「通信の画像が、安定しすぎています」
鋭さを増した視線が、ジェイ・ゼルへ再び向かう。
「宇宙空間から送られてきた映像なら、気圏を越える時にどうしてもノイズが出ます。ですが、あなたと話していたギランジュの画像は、とてもクリアでした。
それに」
ジェイ・ゼルに口を挟ませることもなく、リュウジは続ける。
「十標準時後に連絡を入れる、といった言葉です。宇宙から引き返すにしては、時間が短すぎます」
きっぱりと言い切ったリュウジの言葉に、わずかに形のいいジェイ・ゼルの眉が寄せられた。
「ギランジュ・ロアは、恐らく個人的に宇宙船を保有しているのでは、ないですか? 定期航路の宇宙船なら、たった一人の都合に合わせて引き返すことなど不可能です」
リュウジの言葉に、ジェイ・ゼルが眉を寄せたまま、うなずいた。
「キランジュ・ロアは宇宙船の製造販売をしている小売業者だ。自身も小型の宇宙船を保有していて、商談のために宇宙を飛び回っている」
ジェイ・ゼルの答えに、でしょうね、と、リュウジの頭が揺れる。
「その上で――宇宙空港をご利用になったことがあるなら、ご理解いただけるでしょうが、港は使用許可の申請をあらかじめ行っていなければ離発着は不可能です。
突発的な申請では、よほどのコネクションが無い限り、宇宙空間で三標準日待機させられるのもざらです。
彼に、それほどの便宜を政府が図るとも考えられません。
なのに、彼は宇宙船を引き返し、たった十標準時間後に、交渉を行うための連絡を入れると言ってきた。
奇妙なことです。
宇宙船を突然着陸させる許可がまず、下りるかどうかわからない。
しかも、空港から出るのに、長ければ半日の検査が必要になります。
なのに、ギランジュ・ロアは十標準時間後に連絡を入れ、引き渡し場所を指定すると言ってきた。
考えられることは、ただ一つ」
リュウジが、ジェイ・ゼルを見つめる。
「彼は今、惑星トルディアに滞在している。
ギランジュ・ロアが、宇宙への出発を予定しているのは、十標準時間後以降のことです。
宇宙に居ると思わせているのは、僕たちの目を欺くためなのです。
恐らく、目的を果たした後――速やかに惑星トルディアを出発するつもりでしょう。
ジェイ・ゼル。
あなたが部下に指示を与えて、探すべき宇宙船は、宇宙からの船ではありません。
現在、バルキサス宇宙空港に停泊し、十標準時間後の出発を予定している、個人所有の宇宙船です」
鋭く放たれた言葉に、誰もが沈黙していた。
「だが」
ジェイ・ゼルが、疑念を呈するように言った。
「サーシャは、対ショック用の椅子に寝かされていた」
対ショック用の椅子は、宇宙船仕様の椅子だった。大気圏突入の時に生身の体が、負荷によって潰れてしまわないように、減圧するシステムが搭載されている卵型の椅子だ。
大気圏に入る時は、柔らかいジェルで体を包み込み、ショックから守ってくれる。
リュウジは、頭を揺らした。
「僕が疑問に思った、もう一つの理由がそれです。
宇宙船から通信を送ってくるときは、惑星間通信装置を備えている操縦コントロール室からが普通です。
ですが、ギランジュ・ロアがいたのは、ごく一般的な客用の船室でした。
よほど強力な通信装置を持ち込まないかぎり、船室から惑星間の通信を行うことは、不可能です。
宇宙船内であると見せかけるために、わざと対ショック用の椅子に、サーシャを寝かせたのでしょうが、かえって違和感しか覚えませんでした。
宇宙船用の椅子だけを、地上の部屋に置いて使用することは可能です」
リュウジがあっさりと、疑念を切って捨てる。
彼は、なおも言葉を続けた。
「背景も宇宙船と同じような材質でした。もしかしたら、宇宙船内だと思わせるために、セットを組んだのかもしれません。
全ては、先ほど録画した画像を詳細に調べれば、解くことができるでしょう。
本当に宇宙船にいるのか、それとも、撮影するためだけの背景なのかが」
沈黙するジェイ・ゼルへ、リュウジは視線を向ける。
「恐らく、ギランジュ・ロアには、協力者がいます。自分の母星ではない場所で、これほど大掛かりな芝居を打つには誰かの助けが必要です。
ジェイ・ゼル。
ギランジュ・ロアの交友関係を洗って下さい。
彼が定期的に惑星トルディアに来ているのなら、彼が定宿にしている場所を。そして、誰が彼と親しく、協力する可能性があるのか――あなたの情報網を活用して探って下さい。
ギランジュ・ロアは十標準時の猶予があると、油断しています。
その油断の中にしか、救出の可能性がありません。
この十標準時の間に、彼を見つけ出さなくてはなりません。しかも、極めて慎重に、注意深く。
少しでも危険性を感じれば、ギランジュ・ロアはサーシャを連れて、宇宙に逃げます。惑星トルディアを出られたら、同じ宇宙船にサーシャがいる以上、救出するのは困難を極めます」
不意に、リュウジが、通信装置の側に立つ、マシュー・フェルズへ顔を向けた。
「さきほど、録画した画像を下さい。それと、電脳を一台お貸しください。画像を僕が解析します」
ゆっくりと、リュウジはジェイ・ゼルへ顔を向けた。
「出来れば別室をお借りして――集中して、作業をさせていただければ、ありがたいのですが」
言葉に力を込めて、リュウジが呟く。
「お願いできますか、ジェイ・ゼル」
リュウジの藍色の瞳を、ジェイ・ゼルは見つめていた。
瞬きを一つしてから、彼は静かにうなずいた。
「わかった、用意させよう」
顔を、マシューに向ける。
「彼の望むものを、用意してあげてくれ」
「わかりました、ジェイ・ゼル様」
佇んでいた場所から、リュウジが動いた。
通りすがりに、ハルシャの腕をつかむ。
「作業に、協力してください、ハルシャ」
顔を虚空に向けたまま、リュウジが自分に言葉をかける。
「僕一人で、見落としがあっては、いけません。一緒に作業を行ってくださいますか」
画像を見直して、不整合な場所を探し出す作業を、一緒にしてくれと、リュウジが依頼している。
サーシャを助けるための作業だ。
拒む理由はなかった。
「もちろんだ、リュウジ。どれだけ、役に立つかは解らないが……」
ハルシャの言葉に、緊張を不意に解いて、リュウジが笑顔を向けてきた。
「僕の側にハルシャがいて下さるだけで、とても心強いです」
そのまま、掴んだ腕を引いて、リュウジがマシュー・フェルズの元へ歩いていく。引っ張られるようにして、歩いて行かざるを得ない。
勢い、ジェイ・ゼルの側から、引き離される結果になる。
彼は、引き留めなかった。
マシュー・フェルズから画像の保存データの黒いチップを受け取り、その足で、別室へと案内される。
会議室のような雰囲気の部屋だった。
長い机がただ一つ中央にあり、その周りを囲むように、十数脚の椅子が配置されている。
「少々お待ちください。今、お使いいただく電脳をお持ちします」
丁寧な口調でリュウジに言ってから、先導してくれていたマシューが扉から消えた。
誰も居ない部屋に、二人きりになる。
「今回のことは」
窓のない部屋の片隅を見つめながら、リュウジが呟いた。
「ジェイ・ゼルとギランジュ・ロアとの問題に、あなた方が巻き込まれた、ということなのですね」
二人の会話を聞きながら、リュウジは的確に状況を読んでいるようだった。
口を開けば、詳しく説明しなくてはならないような気がして、ハルシャは、ただ、黙り込んだ。
視線を落とし顔を赤らめるハルシャの側で、リュウジが大きく息を吐いた。
「ギランジュ・ロアは、陰湿な言葉で、ハルシャに手ひどく恥をかかせました」
虚空に向けて、彼は呟いた。
「相応の報いを、彼には受けて頂きましょう」
言葉にこもる深く激しい憤りに、ハルシャは思わず顔を上げた。
リュウジも、ゆっくりと顔をこちらへ向ける。
「もちろん、サーシャを救い出すのが、先決ですが」
優しい笑顔を浮かべて、彼は穏やかな口調でハルシャに告げる。
「お待たせしました」
扉が突然開き、マシュー・フェルズが電脳を手に、戻って来た。画面と一体化したもので、かなりグレードの高いものだ。
「ありがとうございます、マシューさん」
丁寧に、リュウジがマシュー・フェルズに言葉をかけている。
使い方の説明を受けてから、リュウジは、マシューの見ている前で、電脳を立ち上げた。
会話を交わしながら、録画した画像を呼び出している。
「大体の使い方は解りました。また、何かあったら先ほどの部屋へ参ります」
ジェイ・ゼルに対するよりも、よほど礼儀正しく、リュウジは挨拶をしていた。
マシューが立ち去った後、リュウジは電脳を前に据えて、画面を見つめる。
そこにあったのは、最初にギランジュが映し出されたところだった。
静止画像のままで、大写しになっている。
「ハルシャは、この背景を見て、宇宙船内だと思いましたか?」
リュウジが問いかける。
「そう思った。壁面がセリウム・ウォールだったから……」
セリウム・ウォールは、宇宙船の内壁に良く使われる、強固な素材だった。
「そうですね。確かに」
呟きながら、リュウジは画面を動かした。
が。
『久しぶりだな、ジェイ・ゼル』
という、最初のセリフが流れて着た途端、リュウジは音声を突然消した。
厳しい表情を浮かべて、彼は画面を睨んでいた。
音が途絶えた中、ギランジュの口だけが、動いている。
すっと、ギランジュが動いて、彼の背後にサーシャが横たわっている椅子が映し出される。
卵型のフォルムを持った、対ショック用の椅子だった。
「ここです、ハルシャ」
画面を静止させると、リュウジが映っている椅子を指さす。
「この椅子――おかしいと思いませんか」
何がだろう。
ハルシャは、画面の前に座るリュウジの側に顔を寄せて、のぞき込む。
じっと見ていると、あの時は気付かなかったことが、見えてくる。
椅子に、赤い火の鳥のマークがあった。
ハルシャに、やっと彼の言わんとしている意味が、飲み込めた。
「これは――アジャスパ・ヴェルド社の対ショック用の椅子だ」
ハルシャの言葉に、にこっとリュウジが笑う。
「そうです。アジャスパ・ヴェルド社は、大手宇宙船製造会社のシーガージェン社と専属契約を結んでいるメーカーです。
個人所有の宇宙船に、製品を卸すはずがありません」
アジャスパ・ヴェルド社は、安全性と多様な製品で人気が高い対ショック用の椅子の製作会社だった。
赤い火の鳥のマークを使用していて、椅子の左端にその特徴的な文様が見える。
黎明期の時は、様々な企業に製品を卸していたようだった。
だが、現在は宇宙船製造会社の中でも、最大手のシーガージェン社と専属契約を結んでいて、他社に製品を納入していない。
しかも、シーガージェン社は大型旅客宇宙船を主力商品にしており、小規模な個人艇の製作は、受注していなかった。
個人的な要望を満たすために、ハルシャの工場のような場所へ、注文が入るのだ。
ハルシャは、かつて宇宙船をオーダーメイドしたい夢があったために、詳細に調べていたことがあった。
だが――どうして、リュウジは、そんな業界内の細かいことを、知っているのだろう。
「アジャスパ・ヴェルド社の椅子が映っている理由について、三つ考えられます。
一つは、ギランジュ・ロアは通信を、現在バルキサス宇宙空港に停泊中の、シーガージェン社製の宇宙船の中で行った、ということ。
二つ目は、廃棄された同社の宇宙船を利用して、内部で撮影を行ったということ。
そして、三つめは――同じく廃棄された、アジャスパ・ヴェルド社の宇宙船から、椅子だけを取り出して、どこか別の場所で、サーシャを隔離しているということ」
現在使用中の物か、廃棄された物か、どちらかを利用して、ギランジュは宇宙に自分がいると見せかけたと、リュウジは言っている。
「もう一つ、気になることがあります」
呟いてから、リュウジは再び、画面を流し始めた。
音声を消しているが、ジェイ・ゼルと交わしていた会話が、耳に蘇る。
ひどいことを言われていたのだと、今更ながら、気付く。
もしかして、音を消したのは――会話をもう一度、ハルシャに聞かせたくないという、リュウジの思いやりだったのだろうか。
そうかもしれない。
彼は画面を見つめながら、歯を食いしばっていた。
映像の中のギランジュが、ゆっくりと立ち上がり、場所を移動していく。
ギランジュが、お前の手からハルシャを奪い取ってやる、と言った後だ。
思い出しながら、ハルシャは顔を赤らめた。
サーシャの金色の髪に触れてから、ギランジュがこちらへ顔を向けた。
リュウジが、再び画面を止める。
「ここです」
リュウジの指が、画面を鋭く指す。
「通話装置から離れ、こちらを向いたギランジュ・ロアを見て下さい」
リュウジは素早く電脳の操作画面に、指を走らせた。
ギランジュの顔が、範囲指定を受け、拡大の指示が入力される。
画面に、ギランジュの顔が大写しになる。
「彼の、瞳の中です」
ハルシャは、画面に顔を寄せた。
はっと、驚きに目を開く。
それまで通話装置に向かっていたギランジュは、この時、サーシャの側まで離れた。
そして、こちらを向いたギランジュの瞳の中に――彼がその時見ていた映像が、鏡のように映し出されている。
彼の薄青い瞳の中に――腕を組んで成り行きを見守る、一人の人物の陰が映っていた。
「恐らく、ギランジュ・ロアの協力者です。彼の助けを得て、今回の誘拐は仕組まれたのでしょう――作戦が成功するかどうか、協力者は通話装置の手前から、見守っていたのかもしれません。
うっかりとギランジュが離れたために、彼の瞳の中に、協力者の姿が映り込んでしまったのでしょう」
冷静に言いながら、リュウジが画面を再び操作する。
「この瞳の中を、拡大してみます。顔が解るかもしれません」
リュウジの手が、さらに範囲を指定する。
ギランジュの眼の部分が大きく切り取られる。
リュウジは操作を繰り返した。ギランジュの瞳が、画面いっぱいに広げられて、映し出される。
先ほどまでは、黒い影にしか見えなかった人物の姿が、はっきりと認識できる。
顔や表情までが、明瞭に電脳の画面に、映し出されていた。
はっと、思わず、息を呑む。
腕を組み、にやにやと笑う彼の顔に、ハルシャは、見覚えがあった。
リュウジも、同時に気付いたようだった。
ギランジュの瞳の中に映る、彼の協力者――
薄笑いを浮かべているその姿は、前工場長のシヴォルトだった。