ほしのくさり

第112話  さらわれたサーシャ





 飛行車の中で、ジェイ・ゼルは通信装置を使って、様々な場所に連絡を入れていた。
 ギランジュがどこにいるのか、手づるを辿りながら、探っているようだ。
 知らない、解らないという返事が、向こうから聞こえると、何か解ったら、連絡を寄越してくれと、依頼をしてから、通信を切る。
 そして、すぐに次の連絡先へと、繋ぐ。
 オキュラ地域からジェイ・ゼルの会社の事務所があるバルドラムまで、彼はそうやってギランジュの行方を、探し続けてくれていた。
 後部座席にリュウジと並んで座りながら、ハルシャは鼓動の激しさを止められなかった。

 なぜ。
 サーシャが。
 どうして。
 ギランジュに。

 思考がまとまらない。
 ギランジュ・ロアとのことは、自分の中ではすでに終わったと思っていた。
 だが、違ったのだ。
 非礼には、相応のもので報いさせてもらうと、去り際に、ギランジュは吐き捨てるように言っていた。
 それが、サーシャをさらうということのなのだろうか。
 ハルシャは、悪心を覚えて、顔が青ざめていく。
 自分に関する事なら、どんなことでも耐えられた。
 けれど――
 サーシャの身に何かがあったら、と考えると、全身の血が下がっていくようだった。
 自分のせいだ。
 サーシャは、何の罪もないというのに。
 身が、震え出す。
 両親から託された、大切な宝物を、他人に意趣返しの代わりに蹂躙されたとしたら――
 自分はもう、生きていけない。

「大丈夫ですか、ハルシャ」
 リュウジの藍色の瞳が、すぐ近くで自分を見守っている。
 彼は手を握っていてくれていた。そんなことにも、気付かないほど、自分は動揺していたらしい。
「リュウジ――」
 無意識に、名を呼ぶ。
 ぎゅっと、リュウジの手を握る力が強くなった。
「サーシャは取り戻します。必ず」
 深い宇宙のような瞳が、自分を包み込む。
「大丈夫です、ハルシャ」
 もう片方の手も、ハルシャの手の甲に重ねられる。
 優しい声が、震えを止めていく。
 すっと飛行車が高度を下げて、停車した。
 ジェイ・ゼルの会社の事務所に着いたのだ。
 ここを訪れるのは、二度目だった。一度目は、書類の名義を書き換え、借金の返済に充てるためだった。
 苦い思い出しかない、場所に、今もまた、辛い心を抱えながら足を踏み入れる。
「ご苦労だった、ネルソン。すまないが、何かあるかもしれない。待機しておいてくれ」
 ジェイ・ゼルは運転手をねぎらってから、ハルシャへ顔を向けた。
「行こうか」
 思いもかけない、優しい声だった。
 一瞬、ハルシャへ向けて手を伸ばそうとした。が、握るリュウジの手を見てから、静かに下ろした。
 彼はネルソンが開ける扉から、身を翻すように外に出た。
 ハルシャとリュウジは反対の扉から、自分たちで扉を開けて出る。
 歩くジェイ・ゼルの背を追う。
 彼は真っ直ぐに、事務室に向かった。
 廊下を抜けて、突き当りの部屋だ。
 部屋の中には、数人の部下が控えていた。
「ご苦労だった。ギランジュから、連絡はあったか」
 ジェイ・ゼルの問いかけに、すっと席を立って、
「いいえ、ジェイ・ゼル様」
 と、痩身の男性が答える。
 会計係のマシュー・フェルズだった。
 沈着冷静な彼は、今も大きな画面の通話装置の前に座り、ギランジュからの通信を待っていたところだった。
 役目を終えたように、彼はジェイ・ゼルに席を譲って、一歩下がった。
「ギランジュ・ロアは、ジェイ・ゼル様と直接話をしたいと言っていました」
 空いた席に座りながら、彼は静かに呟いた。
「なるほど。奴は、何か私に見せたい画像が、あるのだろうな」
 その瞬間、ハルシャに視線が向かう。
「だとしたら――ギランジュから連絡があった時、ハルシャはその場にいない方が、いいかもしれないな」
「なっ!」
 ハルシャは、感情を荒げそうになった。
「サーシャが関わっているのなら、居させてほしい」
 と、懸命に自分を抑えながら、ハルシャはジェイ・ゼルに訴えた。
 痛みを得たように、ジェイ・ゼルが目を細めた。
「兄として――君が見るに耐えられない画像を、ギランジュが送りつけてくる、可能性がある」

 言葉の意味が、すぐに理解出来なかった。
 固まるハルシャの耳に、
「ギランジュは、交渉を持ちかけるつもりだ。かなり卑劣なことも、言ってくるだろう。そんな場面に、君を立ち会わせたくない――
 ギランジュとの交渉が終われば、速やかに君に情報を渡す。
 すまないが、ハルシャ。連絡が入った時は、席を外してくれないか」

 ここまで来て、自分を立ち会わせないと、ジェイ・ゼルが言っている。
 ならなぜ、自分を会社に伴ってきたのだ。
 困惑と怒りを覚えながら、ハルシャは口を開いていた。

「どうして――」
 ハルシャは、身が震えるのが止められなかった。
「サーシャは、私の妹だ……どうして、彼女の命が危ない時に、立ち会ってはならないのだ。どうしてだ、ジェイ・ゼル」
 声までが、震えてしまう。
 勝手だ。
 勝手な言い分だ。
「彼女が無事かどうかだけでも、確かめさせてくれ――頼む」

 ジェイ・ゼルは、今は沈黙する通信装置の画面を、しばらく見つめていた。
「なら」
 考えてから、彼が口を開く。
「画像に映り込まないところに、立っていてくれ。そして――私の交渉に、口を出さないでほしい。それが約束できるなら、この場に居てもらってもいい」
 譲歩を示す言葉だった。
「これは、ギランジュと私のことだ――」
 虚空を見据えて、ジェイ・ゼルが小さく呟いた。
「始末は、私がつける」
 冷徹な顔で、彼は静かに言った。

 画面を見てもいいが、映り込むな。
 交渉に口を出すな。
 その二点を守れば、同席させてくれると、ジェイ・ゼルは約束をしてくれた。
 ぎりぎり、譲ってくれるのだと、ハルシャは悟る。
「――わかった」
 ようやく、ハルシャはそれだけを応える。
 ふうっと、ジェイ・ゼルは息を吐いた。
「サーシャがどんなことをされていても、頼む、ハルシャ。声を出さないでくれ――相手は、こちらにゆさぶりをかけてくるつもりだ。手に乗ってはならない」

 サーシャが、どんなことを、されていても――
 声を出さないでくれ。

 やっと、ハルシャは、ジェイ・ゼルの言葉の真意を悟る。
 恐怖が、不意に身を襲った。
 まさか。
 ギランジュがサーシャに対して……。
「ハルシャ、私は可能性を述べているだけだ。実際、どうかは解らない。だが、最悪の事態を想定しておく必要がある」
 蒼白になるハルシャに、ジェイ・ゼルの静かな声が聞こえる。
「それが辛いなら、別室で待っていてくれ」
 言葉に、ハルシャは顔を上げた。
 ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、真っ直ぐに自分を見ていた。
「大丈夫だ、ハルシャ。サーシャは必ず君の元へ、返す。どんな手を使ってでも――安心してくれ」

 そのために、ジェイ・ゼルが手を尽くしてくれているのだと、ハルシャは緩やかに悟る。

 大丈夫だ、ハルシャ。サーシャは必ず君の元に返す

 ジェイ・ゼルの揺るぎない言葉が、身の震えを止めた。
 ハルシャの動揺が収まったことを感じ取ったのか、それまで腕を取って、身を支えてくれていたリュウジの手が緩んだ。
「ジェイ・ゼル。一つ、お願いがあります」
 リュウジが不意に口を開いた。
「サーシャを誘拐した人物から連絡があった時、通信を録画しておいてください」
 彼は、ゆっくりとジェイ・ゼルへ顔を向けた。
「後々、有効な情報となります。お願いします」

 ジェイ・ゼルは、ハルシャからリュウジに視線を向けた。
 しばらく無言で二人は、見つめ合っていた。
 強い視線が、行き交う。
 互いを探り合うような、眼差しだった。
 ふっと息をしてから、ジェイ・ゼルが視線を逸らした。傍らに佇むマシューを振り仰ぎ、短い指示を与える。
 どうやら、録画の件を飲んでくれたようだ。
 指示を聞いてから、マシューがうなずく。
 わかりました、と短い彼の声が応える。

「誘拐の証拠映像となります」
 ハルシャの耳元で、リュウジが呟く。
「録画はとても有効な手段です」
 少しでもハルシャを安心させようとするかのように、リュウジが優しい声で言う。
 ハルシャの落ち着きを確かめてから、
「画面に映り込まない場所に、移動しましょうか。ハルシャ」
 と、腕をとったまま、リュウジが言った。
 ハルシャは、マシューの指示を得ながら、画面に映らず、かつ何とか画面を確認できる位置に動いた。
 そこで待機するハルシャとリュウジに、一回だけ、ジェイ・ゼルは目を向けた。
 無言で二人を見つめ、すぐに目を逸らした。
 ジェイ・ゼルは腕を組んで、無言だった。

 彼が今、何を考えているのか、ハルシャには解らなかった。
 だが、サーシャを助けるために、打てる手はすべて打ってくれているのだけは、感じた。
 ただの、負債者に、ここまでしてくれるのだろうか。
 と、ハルシャは自分の中に、問いかける。
 マシュー・フェルズも、黙ってジェイ・ゼルの背後で待機している。通常業務がハルシャ達のために停滞していても、文句をこぼしている様子はない。
 全面的に、ジェイ・ゼルに協力をしてくれているような雰囲気だ。
 もしかしたら――
 自分たち兄妹のことを、ジェイ・ゼルは、大切にしてくれているのだろうか。
 背中を向けるジェイ・ゼルを、ハルシャは見つめる。
 机の上には、彼が運んで来たぬいぐるみ生物が置かれていた。

 自分が彼の指示に従うと約束したから、この場にいることが出来る。
 もう一度、自分の中に確認する。
 声を出すな。
 場所を動くな。
 交渉は、ジェイ・ゼルが行う。
 彼の真剣勝負の邪魔をしてはいけない。
「大丈夫ですよ、ハルシャ」
 深呼吸をして、自分を必死に落ち着かせようとするハルシャに、リュウジが穏やかな声をかける。
「必ず、サーシャを取り戻しましょう」
 穏やかなリュウジの瞳を見つめて、ハルシャはうなずく。

 不意に、ジェイ・ゼルの会社の通話装置が着信を告げた。
 一瞬だけ、ハルシャへ視線を向けてから、ジェイ・ゼルは通話を繋いだ。
「ジェイ・ゼルだ」
 言葉に、画面の映像がぼやっとしてから、すぐに一人の人物を映し出した。

 ギランジュ・ロアだった。
 全身が緊張するのが、ハルシャは止められなかった。

『久しぶりだな、ジェイ・ゼル』
 ギランジュはにやりと笑った。
 服を着ている。
 彼はどうやら、椅子に座っているようだ。
 最悪の事態を予想していたハルシャは、わずかに安堵する。
「どうした、ギランジュ。私に画面の映る通話装置で会話をしたかったようだが」
 ジェイ・ゼルが静かに言葉を続ける。
「しかも、金の巻き毛に青い瞳の子猫を預かっていると、伝言をうちの者に残してくれていたようだな――」
 ギランジュ・ロアが笑みを深める。
『そうだ。預かっている――』
 すっと、座っている位置を、ギランジュが動いた。
 後ろには、対ショック仕様の椅子があった。
 そこには、ぐったりと眠っている、サーシャの姿があった。

 ハルシャは、思わず画面に向けて駆けだしそうになった。
 だが、ジェイ・ゼルとの約束を思い出し、懸命に踏みとどまる。
 画面を見つめるジェイ・ゼルへ、ギランジュが野卑な笑みを浮かべたまま、言葉を告げる。
『路地で、たまたま、可愛い子猫を拾ってね。大切に保護しているよ――俺は、紳士なものでね』

 サーシャ!
 ハルシャは、叫びそうな言葉を、必死に飲み込んだ。
 懸命に、画面に映る妹の姿を、目に映す。
 サーシャは、ぐったりしているだけで、怪我はしていなかった。服もきちんと着ている。朝に見た時のままで、着衣に乱れた様子はみられなかった。
 だが。
 外からそう見えるだけだ。実際はどうか解らない。
 意識がないサーシャは、目を閉じて椅子にもたれかかっている。
 薬を使われたのだろうか。
 後遺症があるような薬品だったらどうしよう、と、ハルシャは心に呟く。

 ジェイ・ゼルは、静かにサーシャの様子を見つめていた。
「何が目的だ、ギランジュ」
 冷静な声が響く。
「サーシャ・ヴィンドースを使って、何を目論んでいる」
 ギランジュが、再び椅子に座った。
『前の礼が、まだだったことを、思い出してね――ラグレン土産に、可愛い子猫を一匹、頂戴しただけだよ。オキュラ地域に自生する、野良猫だろう? 一匹いなくなっても、誰も気にしない』
 ギランジュは静かに微笑む。
『俺はもう、宇宙に居るんだがね――どうだ。ジェイ・ゼル。可愛い子猫を返して欲しいか?』
 ジェイ・ゼルも、笑みを返した。
「ギランジュ」
 穏やかな声だった。
「彼女は、私の借金の負債者だ。勝手に連れ出されては、困るな」
 くすくすと、ギランジュが笑う。
『売り飛ばしたら、高値になりそうだがね。俺が売っておいてやろうか』
 ジェイ・ゼルは静かに首を振った。
「もっと有効な使い道がある――そうだな、返して欲しいな。ギランジュ」
 静かな力のこもった声が響く。
「君は紳士なのだろう?」
 声を上げて、ギランジュが笑う。
『お願い、が、抜けているぞ。ジェイ・ゼル。きちんと礼を尽くしてくれ』
 ハルシャは、画面からジェイ・ゼルへ顔を向けた。
 懇願しろと、ギランジュはジェイ・ゼルに迫っていた。
「これは失礼した」
 ジェイ・ゼルは悪びれる様子もなく、ギランジュに言う。
「私の負債者を返してくれないか、ギランジュ・ロア。お願いだ」

 ふんと、薄い鼻息が聞こえた。
 ジェイ・ゼルの言葉に、少なからず満足した様子だ。
 屈辱を味わわせることを、ギランジュは楽しんでいた。
『そこまで頼むのなら、そうだな、返してあげよう――ジェイ・ゼル』
 はっと、ハルシャが息を吐いたとき、邪悪な笑みを不意に浮かべると、ギランジュは呟いた。
『ただし――君が囲い込んでいる、ハルシャ・ヴィンドースと、交換だ。それが条件だよ、ジェイ・ゼル』
 それまで浮かべていた、ジェイ・ゼルの笑みが消えた。
 灰色の瞳が、ギランジュを見据える。
「それが、目的か。ギランジュ」
 ジェイ・ゼルの言葉に、憎しみがじわりとギランジュの顔に浮かんだ。
『そうだ、ジェイ・ゼル。お前の手から、ハルシャを奪い取ってやる。
 お前がハルシャを渡さないというのなら、サーシャ・ヴィンドースは俺が慰み者にして、飽きたら惑星アマンダに売り払ってやる――
 どうする、ジェイ・ゼル』
 ギランジュが立ち上がり、ゆっくり場所を移動する。
 眠るサーシャの側に行くと、太い武骨な指で、サーシャの金色の髪を撫でる。

 サーシャに触るな!
 叫びそうになるのを、必死にハルシャは抑えた。

『お前がハルシャを渡せないというのなら、サーシャがその身代わりになるだけだ。ヴィンドース家の直系を味わえるなど、めったにない機会だからな。じっくりと堪能させてもらおう。
 首輪をつけて、連れ歩いてもいいかもしれないな。
 この幼さなら、俺の言うとおりに、調教することも出来るだろう』
 わずかな舌なめずりのあと、ギランジュは笑みを深めて言う。
『さあどうする。お前の返答次第だよ、ジェイ・ゼル』






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