ほしのくさり

第109話  惹かれ合う力





 リュウジは視線を落としたまま、自宅の階段を上っていた。カン、カンと固い音が、足元で響く。
 ハルシャとメリーウェザ医師がどんな話をしているのか、リュウジは大体予測がついた。
 ジェイ・ゼルとの、今後についてだろう。
 階段を上がり切り、リュウジは廊下を静かに歩く。
 ハルシャから預かっていた鍵で、扉を開くと、中に滑り込んで、鍵を閉めた。
 素早く、歯に仕込んだ通信装置を入れ、吉野を呼び出す。

『はい、竜司リュウジ様』
 間髪入れず、吉野の声が骨を通じて鼓膜に響いた。
吉野ヨシノ
 名を呼んでから、一呼吸おいて、リュウジは静かに彼に問いかけた。
「現金で、五四万ヴォゼル」
 金額を噛み締めながら、リュウジは言葉を続ける。
「もう、用意は出来ているか」
『はい、ご用意いたしております』
 明瞭な言葉が、すかさず返ってくる。
 五四万ヴォゼル。
 ハルシャが自由になるための代償。
 心に呟きながら、リュウジは目を細めた。
「近々、必要になると思う。連絡をしたら、すぐに持ってこられるよう、準備をしておいてくれるか」
『いつでもおっしゃってください。すぐにお持ちいたします』
「ああ、その時は、お手数をおかけするが、ディー・マイルズ警部も同行してもらってくれ。借金返済の証人として、見届けて頂こう」
『解りました。警部にも、お伝えしておきます』
「必要なら、汎銀河帝国警察連邦宛に、帝星まで通信をしてもらっても良い。二度とハルシャが借金を背負わされないようにだけ、注意を払っておいてくれないか、吉野ヨシノ
『かしこまりました。取れる手段をすべて尽くします』
「うん、頼んだ――ありがとう、吉野ヨシノ
 感謝の言葉を呟いてから、リュウジは通信を切った。
 小さく息を吐く。
 玄関で身を屈めると、リュウジはハルシャの靴を手に取った。
 ハルシャは、靴も履かずに逃げ出したのだ。
 彼ら兄妹が、衣服を大切にしていることを、リュウジは良く知っていた。
 靴は二つしかない。
 それでも、裸足でハルシャは逃げざるを得ない状況に、陥ったのだ。
 彼を追い詰めたのは、ジェイ・ゼルだった。
 リュウジはハルシャの靴を、腕に包んで呟いた。
「もう二度と――あなたをジェイ・ゼルの手に渡しません。決して、傷つけさせません。あなたを私が護ります。ご安心ください」
 目を閉じると、静かに言葉を呟く。
 たった一つの宝物のように。
「ハルシャ」



 *



 ハルシャは、メリーウェザ医師の目を見つめたまま、身じろぎも出来ずに固まっていた。

 ジェイ・ゼルの真実。

 遺伝子からわかる真実とは、一体、何だろう。
 黙したままのメリーウェザ医師の顔からは、詳細が解らない。
 ただ、知らせる必要があると、彼女は判断したということだけは、理解できる。
 ジェイ・ゼルに関して、何か重要な事柄を、メドック・システムははじき出したらしい。
 容姿や髪色などは、既にわかっていることだ。
 そうではないこと。
 ハルシャが、ジェイ・ゼルを理解するために、とても大切なこと。
 それを――
 知りたいか、知りたくないか。
 メリーウェザ医師は真っ直ぐな眼差しで、自分に問いかけている。

 ジェイ・ゼルがどんな人生を生きてきたのか、知りたいとは、思った。
 彼の目の奥に深い闇があることを、ハルシャは知っている。
 もしかしたら、それが、メリーウェザ医師の告げようとする秘密に、関わっているのかもしれない。
 ジェイ・ゼルのことが、知りたい。
 けれど。

 ハルシャは、腕の中に包まれながら聞いた、ジェイ・ゼルの言葉を思い出していた。
 薄闇の中に滴っていた、彼の本当の言葉。
 懺悔のように、飾りのない心で告げられた彼の心の真実。
 今もハルシャの中に響いて、胸を震わせる。
 あの時、彼の緑の瞳の中に、自分は永遠を感じた。

 メリーウェザ医師を見つめたまま、ハルシャは内側の心の声に耳を傾けた。

 もし、ジェイ・ゼルが何か、大きな秘密を抱えているのなら。
 その真実は――
 彼の口から聞きたかった。

 しばらく沈黙した後、ハルシャはまだ迷いながらも、言葉を告げた。

「ジェイ・ゼルが……自分の口で、話してくれないことなら」
 ハルシャは、混乱の中で懸命に気持ちを整理しながら、メリーウェザ医師に話していた。
「知る必要はないと、思う」
 たどたどしく言ってから、顔が赤らむ。
「ジェイ・ゼルは、伝えたいことは、きちんと教えてくれる。だから――大切なことであるならなおさら、彼が、話してくれるまで、待ちたい」
 かあっと、顔が赤くなった。
 慌てて、言葉を付け加える。
「せっかく、教えてくれようとしたのに、すまない。メリーウェザ先生」

 どうしてこんなに顔が赤らむのか、ハルシャには解らなった。
 手酷い扱いを受けながらも、信じようとする自分が恥ずかしいのか。
 大切な人のように、ジェイ・ゼルのことを口にする自分を見つめられるのが、照れくさいのか。
 けれど、メリーウェザ医師に想いを伝え終わると、気持ちがすっきりとした。
 話したいと彼が思うことを、真っ直ぐに受け取りたかった。
 彼の秘密を勝手にのぞき見するのは、卑怯なように思える。

 まだ顔を赤らめるハルシャの耳に、優しい声が響いた。
「そうかい」
 メリーウェザ医師がにこっと笑う。
「なら、この情報は、破棄しておこう」
 言いながら、彼女は紙を丁寧に折りたたんだ。
「溶解液に浸けて、後で溶かしておく」
 鍵のかかる机の引き出しを開けて、そっと紙を入れると、静かに閉じた。
 手を引きながら、ハルシャへ視線を向ける。
「もう、メドック・システムからも情報は消去しておいた。私も忘れることにする。どこにも漏らさないから、安心してくれ、ハルシャ」
 言ってから、メリーウェザ医師は微笑んだ。
「君は優しいな。ハルシャ」

 茶色の瞳を見つめてから、ハルシャは小さく首を振った。
「そうじゃない、メリーウェザ先生」
 上手く言えないかもしれない。
 けれど、彼女に自分の想いを伝えたいと思った。
「人には、誰にも見せたくない、醜い場所がある。自分でも怖気《おぞけ》を立てながら、それでも生き続けなくてはならない。
 本当に信頼した人にしか、見せられない暗部を、勝手に覗いてはいけないような気がしたんだ」
 ハルシャは、真っ直ぐにメリーウェザ医師を見つめる。
「この人ならと、自分を信じて告げてくれた言葉を、聞きたい。そう思った。それは――メリーウェザ先生が教えてくれたことだ」
 ミア・メリーウェザの瞳が、ハルシャの言葉に揺らいだ。
 優しく深い茶色の色を見つめながら、言葉を続ける。
「弱さを見せられるのは、本当は強いのだという言葉と一緒に、先生が見せてくれた、本当の勇気のお陰だ」
 ずっと考えていたことを、ハルシャはようやく言葉にする。
「メリーウェザ先生は、地上に落とされたと言っていた。でも、先生は」
 ハルシャは眉を寄せる。
 思いを上手く言葉に出来ない。何とか伝わってくれと、祈るように、言葉を紡ぐ。
「でも、先生は――今でも、宇宙に居ると思う」
 メリーウェザ医師の眉が片方上がった。
 意味を懸命に汲み取ろうとしてくれている。
「宇宙船の医療システムと一緒に、今でも、先生は宇宙を旅している」
 自分の語彙力の少なさに打ちのめされながらも、必死にハルシャは言葉を続けた。
「いつも、先生の向こうに、遙かな宇宙が見えるような気がしていた。
 この前の話を聞いてから、やっとその理由が、理解できた」
 かすかに、メリーウェザ医師の目が見開かれた。
 彼女の優しい瞳に向かって、ハルシャは思いを告げる。
「先生は、地上に体はあったとしても、心は宇宙にある。
 叔父さんのキルドン・ランジャイルの魂に寄り添って――今も一緒に、遙かな宇宙を、旅をしている」

 目を見開いたまま、ミア・メリーウェザは動かなかった。
 妙なことを、言ってしまっただろうか。
 と、ハルシャは眉を寄せた。
 詫びを口にしようとした時、不意にメリーウェザ医師が唇を震わせた。
 何かを言おうとした彼女の目から、静かに一滴、涙が滴り落ちた。

「そうか、ハルシャ」
 彼女は、不器用な笑みを浮かべた。
「私は今も、叔父と一緒に、旅が出来ているんだね――」
 微笑んだ目から、ぽろぽろと、涙が流れる。
「嬉しいよ」

 きれいな笑顔だった。
 無邪気な子どものように、ミア・メリーウェザが微笑んでいた。
 修羅場を潜り抜けた、敏腕の医師としてではなく。
 キルドン・ランジャイルを、心から愛し抜いた一人の女性として、彼女は穏やかに優しく微笑んでいる。
 それを、美しいと、ハルシャは思った。
 苦しみぬいた末に、人は、ここまでたどり着くことが出来るのだ。
 磨き抜かれた水晶のように、透明で濁りのない、真っ直ぐな愛情。
 美しいものを見ていると、ハルシャは再び思った。

「不思議だね、ハルシャ」
 涙を指先でぬぐいながら、彼女は笑みを深めた。
「オキュラ地域に来た時は、こんな気持ちになるなんて思わなかった。
 五年前に出会った少年から、心を解き放ってくれる言葉を貰えるなんてね」
 涙をぬぐった後のメリーウェザ医師の顔は、清々しいほどだった。
「人との出会いは、不思議だな。ハルシャ」

 もし。
 両親が死亡せず、ジェイ・ゼルの借金が無ければ、自分は恐らく、一生ミア・メリーウェザという女性を知らずに過ごしただろう。
 オキュラ地域に足を踏み入れることなど、決してなかっただろう。
 これほどの想いを抱えながら、飄々として生きている一人の女性のことを、自分は知らずに生きていた。
 運命の不思議さを、ハルシャは思った。

「人と、人が出会うのは、不思議だ――まるで、星々が互いに引き合っているようだな、ハルシャ」
 少女のような顔で、メリーウェザ医師は虚空に呟いた。
「星は、独りで存在しているように見えて、その実、多くの星々の影響を受けている。惑星トルディアが、恒星ラーガンナの周りを巡るように、目に見えない力で惹かれ合いながら、動き続ける」
 にこっと、メリーウェザ医師が温かな笑みを浮かべた。
「私は、キルドン・ランジャイルという恒星の軌道を巡る、惑星なのかもしれない。目に見えない力で引き合い、永遠に彼の周りをまわり続ける――恒星の寿命が尽きた後も、彼が存在した宇宙を、同じように回り続ける」
 ミア・メリーウェザは遠いところへ視線を向けた。
「きっと、永遠に」

 星々が引力で互いを引くように、人と人も目に見えない力で、惹かれ合うのだろうか。
 ハルシャは、ふと、ジェイ・ゼルのことを思う。
 自分と彼も、目に見えない力で、結び合わされているのだろうか。
 広大な宇宙の中で、星々が、互いに惹かれ合うように。
 惑星トルディアの上で、彼に出会ったことを、ハルシャは、考える。

「ハルシャは、いい子だな」
 優しい声で言ってから、メリーウェザ医師は頬杖をついて、ハルシャへ視線を向ける。
「ありがとう」

 メリーウェザ医師は、楽になったのだろうか。
 優しい眼差しから、思いを汲み取る。
 ハルシャが口を開きかけた時、不意にメリーウェザ医師の通話装置がけたたましく鳴った。
 メリーウェザ医師の通話装置は、卓上型のもので、画像も通信できるものだった。
「はいはい、急患かな?」
 涙の痕を気にしてか、ちょっと顔をごしごしと拭ってから、メリーウェザ医師は通話装置に向き合った。
 通信を繋ごうとして、一瞬手を止める。
 眉を寄せてから、彼女は通話ボタンを押した。
「はい。メリーウェザです」
 メリーウェザ医師の言葉と共に、ぱっと灰色の画面に画像が映し出された。
 ハルシャは、驚きに目を開いた。
 そこに映っていたのは、サーシャの学校の校長先生だった。
「メリーウェザ先生」
 ダーシュ校長は、眉を寄せながら、画面の向こうから声を放つ。
「すまないが、今日、サーシャちゃんは、メリーウェザ先生のところのアルバイトではないかね?」
 瞬きをしてから
「いいえ。今日は『福楽軒』でのはずです」
 と、メリーウェザ医師は、サーシャがアルバイトをしている飲食店の名を挙げた。
「それじゃ、サーシャちゃんは、そこには居ないんだね」
「はい」
 ダーシュ校長の様子から、ただならぬものを感じ取り、ハルシャは画面に近づいた。
「何か、あったのですか、校長先生」
「ああ、ハルシャくんか」
 のぞき込んだ自分を見て、ダーシュ校長が、ほっとした顔をする。
「実は、『福楽軒』の店主の方から、アルバイトの時間になってもサーシャちゃんが来ないが、学校で何か用事があったのかと、問い合わせが来たんだよ」
 え?
 と、ハルシャは画面に顔を近づけた。
「サーシャちゃんは放課後、教室で宿題をしてから、いつもの時間に学校を出たと、職員が言っているんだよ。
 なのに、『福楽軒』に行っていないのなら、もしかしたらメリーウェザ先生のところかと思ってね」
 嫌な、予感がした。
「サーシャが、学校を出たのは、何時ですか」
 ハルシャは、鋭く問いかけていた。
「午後三時だよ、ハルシャくん」
 ハルシャは素早く時計を見た。
 今は、午後四時半過ぎだ。
 もう、サーシャが学校を出てから、一時間半以上経っている。
 学校から『福楽軒』までは、歩いてほんの十分ほどだ。
 おかしい。
「今まで、サーシャちゃんが無断欠勤することなどなかったから、店主の方が心配してね」
 ダーシュ校長は眉を寄せている。
「ご連絡、ありがとうございます。こちらでも、サーシャを探してみます」
「学校でも、職員で手分けして、サーシャちゃんを見かけなかったか、聞いてみるよ」
「はい、ありがとうございます。サーシャが見つかり次第、また、ご連絡いたします」
「行方がわかったら、こちらも、すぐに連絡を入れるよ、ハルシャくん」

 短い挨拶をメリーウェザ医師とも交わして、ダーシュ校長は通信を切った。
 灰色の画面を見つめたまま、ハルシャはしばらく動けなかった。
 サーシャに、何かがあった。
 心臓が、ドクドクと鳴っている。
「私も、探しに行こう」
 メリーウェザ医師が立ち上がった。
「先生は、ここに居て、連絡を受けてくれないか」
 ハルシャは、冷静になろうとしながら、懸命に言葉を続ける。
「学校から『福楽軒』までの道を、探してみる。
 もしかしたら、自宅へ一度戻ろうとしたかもしれない」
 ハルシャが踵を返したところへ、
「戻りました、ハルシャ。靴が遅くなって、申し訳ありません」
 と、リュウジが笑顔で戻って来た。
 机の前の二人を見て、おや、と彼は首を傾げた。
「何か、ありましたか?」
 彼の穏やかな顔を見ていると、ハルシャは、身の内の不安があふれてくるのが止められなかった。
「リュウジ」
 彼の元に歩を進めて、腕をつかむ。
「一緒に、サーシャを探してくれ」
 さっと、リュウジの表情が変わった。
「サーシャに、何かあったのですか?」
「今日のアルバイト先に、姿を見せていない。学校は三時に出ている――だが。『福楽軒』に行っていないんだ」
 焦りのあまり、リュウジの腕をきつく掴んでしまった。
 すぐに、リュウジは的確に状況を理解してくれた。
「わかりました。学校からアルバイト先までの道を、まず探しましょう」
 リュウジの腕をつかむ、ハルシャの手の甲に、彼は手の平を重ねた。
「大丈夫です、ハルシャ」
 落ち着かせるように言ってから、彼はそっと足元に、靴を揃えて置いた。
「とりあえず、靴を履いて、出かけましょう、ハルシャ」









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