ほしのくさり

第102話  解けない誤解


 



 ハルシャは、受付で教えられた番号の部屋の前で、軽く呼吸を整えた。
 いつものことなのに、何をいまさら、緊張しているのだろう。
 手を挙げて、一瞬ためらってから、扉を軽く叩く。
「開いているよ」
 くぐもった声が聞こえる。
 どきんと、胸が、再び躍る。
 ハルシャは、扉のマークに触れた。
 しゅっと音がして、軽く左右に扉が開いていく。

 ジェイ・ゼルは、机に座っていた。
 電脳を前に据えて、画面を見つめている。
 仕事中なのだろうか。
 顔を上げて、ジェイ・ゼルはハルシャへ視線を向けた。
 彼の顔に、静かな笑みが浮かんだ。
「急に呼び寄せて、すまなかったね、ハルシャ」
 ジェイ・ゼルは、椅子から立たないままに、ハルシャに言葉をかけてきた。

 いつもなら。
 入り口で自分を迎えてくれる。
 仕事の手が離せないのだろうか。
 思いながら、ハルシャは歩を進め、扉の横にボードを立てかけた。
「遅くなってすまない、ジェイ・ゼル」
 言いながら近づくハルシャに、ジェイ・ゼルは笑みを深めた。
「いや。思ったより早かったぐらいだ」
 椅子に座り、足を組むジェイ・ゼルの側に、ハルシャは近づいていった。
 ハルシャが電脳に目を向けていることに、彼は気付いたようだ。
「面白い画像があってね」
 電脳を見ていることを、説明する口調で、彼は言った。
「見てみるか、ハルシャ?」

 誘いをかけてから、後ろに来たハルシャに見やすいように、ジェイ・ゼルは電脳を動かした。
 面白い画像、という言葉に、ハルシャは興味を持った。
 惑星ガイアに生息する、イヌ科のジャッカルの画像を探してくれたのだろうか。
 見てみたいと、彼に言っていたのだ。
 ジェイ・ゼルが座る椅子の背もたれに手を預けて、ハルシャは動かしてくれた電脳の画像をのぞき込んだ。

 瞬間。
 全ての思考が止まった。

 そこに映し出されていたのは、自分だった。
 そして、サーシャと。
 リュウジの姿だった。

 紙袋を抱えたリュウジと、サーシャが会話を交わしている。

 ――リュウジは、どうしてあのお店を選んだの?
 音声を消した画像なのに、その時、交わした会話が、耳の中で再生されている。
 リュウジが優しく微笑んで言う。
 ――とても人のよさそうなおじいさんでしたから。サーシャぐらいの孫がいそうだと、予想してみただけです。
 サーシャが、その答えに笑う。
 ――大正解だったね、リュウジ!
 明るいサーシャの笑い声の向こうから、リュウジがハルシャに声をかけた。
 ――ハルシャぐらいの孫も、いると良かったのですが。
 何をバカなことを、とハルシャは笑って首を振った。
 歩いているリュウジは、荷物が重そうだった。
 気になっていたハルシャは、彼の手から荷物をひょいと取り上げた。
 ――大丈夫です。そんなに重くはありませんから。
 リュウジは手に怪我をしたばかりだった。ハルシャは説得し、自分が抱えて歩き出す。
 上手く買い物が出来て、皆が幸せに浸っていた時だ。
 そして、そのまま、自宅へと戻った。
 画像は、そこで終わっていた。

 ジェイ・ゼルが、静かに画像を停止させた。
 彼の沈黙は、重く静かだった。

 一体、どうして、自分たちの映像が記録されているんだ。
 そして。
 それを、なぜ、ジェイ・ゼルは持っているんだ。
 どうして――自分に見せたんだ。

 ハルシャは混乱の中に居た。

「ハルシャ」
 静かなジェイ・ゼルの声が響いた。
「君は今、この黒髪の青年と一緒に、暮らしているのだね」

 背を向けたまま、ジェイ・ゼルが呟いている。
 ハルシャは、ぐっと両手を握りしめた。
「そうだ、ジェイ・ゼル」
 ぴくっと、彼の肩が震える。
 ハルシャは、何とか説明しようと、言葉を続けた。
「彼はオキュラ地域で行き倒れになっていた。そこに、私は偶然行きあわせて――怪我をしていた彼を、保護した」
 座るジェイ・ゼルの背を見つめながら、ハルシャは、どうして自分はこんなに懸命に事情を説明しているのだろう、と、自分でもいぶかしがった。
「彼は記憶を失っている。しかも行き場がなかった。助けた責任上、彼を部屋に置いているだけだ」
 ジェイ・ゼルの目が、まだ、消えた画面に注がれていた。
「随分と、親しそうだね」
 静かな彼の声が響いた。
 ハルシャは、瞬きをした。
「一緒に暮らしていて、喧嘩をわざわざする必要もない」
「そうか」
 画面を見つめたままで、ジェイ・ゼルが呟いた。
「それで」
 ふっと視線が、虚空へ向けられた。
「彼とは、もう寝たのか――ハルシャ」


 言葉の意味が、すぐにハルシャには、理解出来なかった。
 寝る。
 はっと、意味に思い至る。
「なっ!」
 顔が真っ赤になった。
「何を言っているんだ、ジェイ・ゼル!」
 信じられないことを、彼は口にした。
「彼は、ただの友人だ!」
 自分とリュウジがもう寝たかと、そう言っているのだ。
 何ということを。
 不意に、ジェイ・ゼルが顔を巡らせて、ハルシャへ視線を向けた。
 静かな目が、自分の戸惑いと怒りを、見つめる。
「何をそんなに、怒っているのだね、ハルシャ」
 冷静な物言いに、かっとハルシャは怒りが弾け散った。
「ジェイ・ゼルが!」
 悔しかった。
 意味もなく、ただ、悔しかった。
「あまりにも、低俗なことを言うからだ!」

 疑われた。
 自分がリュウジと寝ていると。
 ジェイ・ゼル以外を、受け入れていたと。
 それが、何よりも辛く悔しかった。

「彼とは寝ていない! ただの友人だ!」

 息が荒くなる。
 顔を紅潮させるハルシャを、じっとジェイ・ゼルが見つめていた。
「――低俗、とは、どういう意味かな?」
 静かな声で、彼が尋ねている。
「説明してくれるか、ハルシャ」

 どうして、こんな言い合いをしているのか、ハルシャには解らなかった。
 リュウジは、辛い目に遭ってしまった。
 記憶を手離してしまいたいほど、辛い目に。
 だから、保護せずにはいられなかった。
 そんなことを、ジェイ・ゼルに説明しても仕方がない。
 怒りを必死に収めながら、努めて冷静になろうと、言葉を告げる。
「リュウジは――良識のある、穏やかな人柄だ。サーシャもよく懐いている」
 内側から、辛い思いがあふれて、声が震えそうになる。
「彼は、男を抱くような人ではない。お願いだ、彼と寝るなど、言わないでくれ、ジェイ・ゼル」
 懇願するように、ハルシャは言った。

 ハルシャの言葉を聞きながら、ジェイ・ゼルは表情を動かさなかった。
「なるほど」
 静かな深い言葉が、彼の口からあふれた。
「君は、男を抱くような人間は、低俗だと思っているのだね。
 つまり、私のような人間は、低俗だと――そう思っているのだね、ハルシャ」

 違う。
 そうじゃない。
 リュウジを無理やりに力づくで思い通りにした人々のことが、頭をよぎり、そんな言い方をしてしまっただけだ。
 低俗など――ジェイ・ゼルを傷つける言葉を、思わず口にしてしまった。

 ハルシャは、叫びたい言葉を、喉の奥に凍り付かせて、黙り込んだ。

「男を抱くような人間は、低俗なのだね。実に上流階級らしい、凝り固まった考え方だ」
 ふっと笑いながら、彼は続ける。
「なら、ハルシャ。君も同じだな。男に抱かれている君も」
 笑みを消して、叩きつけるように彼が言う。
「同じように――低俗だ」

 衝撃に、ハルシャはしばらく、言葉が出なかった。
 ハルシャを、傷つけるために、発せられた言葉だった。

 事実が、しんと、胸を打った。
 そうだ。自分は、この男に抱かれている、低俗な人間だ。
 借金のかたに、身を差し出すしかない。
 最低の人間だ。

「そうだ、ジェイ・ゼル」
 ハルシャは、呟いた。
「男に抱かれるような者は、煉獄の中で、炎に焼かれるんだ――その罪によって」

 母が言っていたことだった。
 男色は禁じられたことだと。
 神々の園に行くことは出来ないのだと。
 ジェイ・ゼルに抱かれるたびに、その罪の烙印を捺されているような気がした。


 ごめんなさい、お母さま。


 行為の中で、ハルシャは、母に謝り続けていた。
 自分の罪のために、父と母が天国へ行けなかったらどうしよう。
 いつも、いつも、それが不安だった。
 自分だけが炎に焼かれるのはいい。だが、両親までが、自分の罪に巻き込まれてしまったら、どうしたらいいのだろう。
 快感など、覚えてはいけない。
 これは、罪の行為なのだから。
 ずっと、そう思い続けて来た。心を縛る、重い鎖のようだった。
 見ない様にして来た、心の痛みが、蘇って来た。

 ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、自分を見つめていた。
 眉を寄せて、静かに。
 その瞳に向けて、ハルシャは呟いていた。
「だがリュウジは違う。私と彼は――友人だ」
 ジェイ・ゼルの眉がきつく寄せられた。
「毎晩、同じ部屋で、枕を並べて眠りながら、か。ハルシャ」
「サーシャも、同じ部屋で寝ている」
 どうして、こんなに追い詰められなくては、ならないのだろう。
 心から絞り出すように、ハルシャは叫んでいた。
「彼とは、何もない!」
 ハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルが不意に椅子を倒して立ち上がった。
「こんな笑顔を、この男に向けているのに、か!」
 手に、ハルシャの笑顔が印刷されたものがあった。
 ジェイ・ゼルの目が、底光りする。
「君は、この男の前では、自分のことを私と呼ぶのだね、ハルシャ」

 何を、ジェイ・ゼルは怒っているのだろう。
 意味が解らない。
「ジェイ・ゼルに報告しなかったことは悪かった。だが、記憶が戻るまでと思っていただけだ」
 ハルシャは、懸命に言葉を続ける。
「工場の仕事を覚えたいと、職場にも連れて行っていた。そこでジェイ・ゼルに会ったら紹介するつもりだった――隠していたわけではない」

 ハルシャの言葉を、黙って、ジェイ・ゼルは聞いていた。
 灰色の瞳が、静かに自分を見ている。
「ハルシャ」
 彼が口を開いた。
「わかっていないようだね。君の部屋代は、私だけを受け入れるという契約の元に支払われている。
 君が他人を自分の趣味で飼うのなら、あの部屋から、出て行ってもらおう」

 ひどい、言葉だった。
 ジェイ・ゼルは、懸命なハルシャの言葉を、何一つ理解してくれていない。
「私は、契約を破ってなどいない」
 声が震える。

 どうして。
 疑われているのだろう。
 リュウジは、家族だ。大切な――それ以上でもそれ以下でもあり得ない。
 どうして。
 ジェイ・ゼルは、信じてくれないのだろう。

「私は、ジェイ・ゼルの言う通りにして来た。契約通りに、求められるままに相手をし、どんな行為も拒んでこなかった」
 硬質な声が、自分の喉から、転がり落ちる。
「きちんと契約を守って来た。なのに……それ以外のことでも、私は制約を受けなくてはならないのか」
 ハルシャは顔を上げた。
 灰色の瞳が、激しい炎を秘めて、ハルシャを見ている。
 彼は――ハルシャを信じようとは、してくれなかった。
 悲しみと怒りが、胸の中で爆発した。
「誰と暮らそうと、私の自由だろう! ジェイ・ゼルには、関係ないことだ!」


 不意に、ジェイ・ゼルが動いた。
 激しい力で手首が捕えられ、乱暴に引き摺られた。
 ハルシャは、とっさに抵抗した。
 抗いが、彼に火を点けたようだった。
 胴を腕で横抱きにすると、そのまま、ベッドの上に、放り出された。

 受け身を辛うじて取り、痛みを逃がす。
 ベッドに打ち付けられた体を、上からのしかかるようにして、ジェイ・ゼルが押さえつける。
 両手首をつかまれ、ベッドに押し付けられる。
 足は、腿で押さえつけられた。
 ハルシャは、身を捩って、彼の手を逃れようとした。

「行為を拒むのは、契約違反だ、ハルシャ」
 荒げた息の中で、ジェイ・ゼルが呟く。
 冷たい口調だった。
 はっと、ハルシャは動きを止めた。
「忘れるな、君は私に多額の借金がある。この行為は、借金免除のためのものだ。君に拒否権はない」

 静かな声だった。
 感情を何一つ込めない、冷酷な言葉。
 そうだ。
 自分は、ジェイ・ゼルの道具に過ぎない。
 どんなに愛情をかけられているように見えても、たったこれだけのことで、もろくも崩れてしまう。
 今まで積み上げてきた、全てが――
 消え去るのだ。
 歯を食い縛ると、ハルシャは、全身の力を抜いた。

 抵抗しないことを確かめてから、ジェイ・ゼルは手首を解放し、その手で、ハルシャの服を持った。
 荒々しく、服が裂かれた。
 乱暴な手つきで、ハルシャは身から、服をはぎ取られていく。
 最初の時のように。
 労りも、思いやりもない手つきで――。
 横を向き、ハルシャは、虚空を見つめる。
 彼は怒りの極にあるようだった。
 感情を荒げたまま、彼はハルシャの身から、服を取り去った。
 全身の力を抜いて、ハルシャは彼の行為を受け入れていた。

 身から服をはぎ取ってから、ジェイ・ゼルは静かに命じた。


「四つ這いになれ、ハルシャ」









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