ほしのくさり

第101話  流れなかった涙-02 





 リュウジは、微笑むマイルズ警部の顔を、見つめ続けていた。
 ハルシャの両親は、ラグレン政府の記念式典に参加しているときに、爆破事故に遭った。
 彼ら夫妻がどこに座るのかを、ラグレン政府は把握していたのだ。
 その上で、凶行が行われたとしたら。
 視線を動かさずに、真っ直ぐに、リュウジは警部を見つめる。

「ハルシャのご両親は、ラグレン政府に、殺されたということですか」
 ディー・マイルズ警部は笑みを消すと、帽子の位置を直した。
「可能性は、極めて高い」

 リュウジは、警部を見つめ続けた。
「ラグレンの警察は、明らかに俺たちを警戒していた。
 みっともないほど、狼狽えていたと、言った方が良いかもな。
 人はな、坊。
 後ろ暗いところがあると、挙動不審になるんだよ。
 俺たちに、警察がろくに調査もせずに、未解決事件の箱に突っ込んだと、見抜かれるのが嫌だったんだろう。
 盛大に手際を褒めたたえておいたから、ちょっとは安心していたが――どう見ても、上層部からの圧力を受けて、調査を中断させられた、という臭いがぷんぷん漂ってきていた。
 警察の中に、ちょっと気になる顔をした奴がいたんで、こっそり、俺の部下が呼び出して、話を聞かせてもらっている。
 もしかしたら、内部告発の、ありがたいお言葉を、話してくれるかもしれない」


 リュウジは、無言だった。
 視線が、落ちる。
 政府ぐるみで、ダルシャ・ヴィンドース夫妻を殺害し、殺人事件の調査もろくにさせずに、切り捨てるように未解決事件にしてしまった。
 そのせいで、ハルシャとサーシャ兄妹が塗炭の苦しみを舐めていると、考えることすらせずに。
 恐らく、直接的ではないにしろ、イズル・ザヒルの『ダイモン』も、一枚噛んでいるのだろう。
 借金のかたに、ハルシャは全てを取り上げられた。
 ハルシャが、亡父の志を継いで、偽水から飲料水を作る事業を、惑星トルディアで立ち上げないために。
 彼らの希望と未来を、無残に奪い、ジェイ・ゼルの監視下に二人を置いた。

「証拠を掴み次第、動いてください」
 リュウジは、静かに呟いた。
「ラグレン政府の不正は、これだけではないでしょう。恐らく、他のことでも、汚い手を使っているはずです。手口が鮮やかすぎる。イズル・ザヒルと組んで、利益を貪っている可能性が、高いです」
 マイルズ警部は静かに帽子を脱いだ。
「そう、簡単にはいかないかもな、坊」
 穏やかな声が、リュウジの視線を、上げさせた。
 一本たてた指で、マイルズ警部は、帽子をくるくると回していた。
「政府を転覆させるのは、厄介な仕事だ」
 鮮やかな手の動きを見ながら、リュウジは、彼の言葉を待った。

「ラグレン自治政府は、ラグレンに在籍する企業と、贈賄も含めて、大きな関係性がある。
 ヴィンドース夫妻殺害のことは、ある程度、調べ上げることが出来る。だが、それがラグレン政府の差し金だ、というのは、突き止められないかもな。
 まずい事態になっている、と政府が気づけば――適当な人物を急遽、ヴィンドース夫妻の実行犯として仕立て上げて、俺たちに差し出してくるだろう。
 この者が、ヴィンドース夫妻に恨みがあり、爆破事件を起こしました。
 汎銀河帝国警察機構の方のお手を煩わせて、すみません、とな。
 決して、ラグレン政府が後ろで操作していたとは、気付かれないように。
 奴らが、やりそうな筋書きは見えている」

 リュウジは、再び黙した。
 そうだ。
 トカゲのしっぽ切りのように、ヴィンドース夫妻の殺害を実行した人物を、適当に作り上げて、その人に全ての罪を着せ、生贄として差し出すことは、よくある手段だ。
 銀河帝国に隠れて、この辺境の星は、そうやって私腹を肥やし続けて来たのだ。
 オキュラ地域の、見捨てられた様な貧しさを、リュウジは思った。
 トルディア。
 かつて希望の名をもって呼ばれた星は、その実、中身が腐りきっていた。

「ま。俺たちに出来るところまでは、やってみるよ。
 坊。
 そんなに、暗い顔をするな」

 ふうっと、リュウジは一つ、息を吐いた。
「本当に、ありがとうございます。マイルズ警部」
「まあ、こんなことでもなければ、惑星トルディアに来ることも、なかったからな。ここの夜明けは、本当に美しいな」

 マイルズ警部の言葉を聞いてから、リュウジは静かに呟いた。
「ハルシャに、接触なさいましたね。警部」
 くるくると、指先で回していた帽子を、ちょっと整えてから、警部はかぶり直した。
「ああ。そう言っていただろう、坊?」
 一瞬の沈黙の後、
「ですが、僕のことを、聞くとは、あまり褒められた方法ではありませんね」
 と、低めた声で、リュウジは呟いた。
 にやっと、マイルズ警部は片頬を歪めた。
「どうした。気に入らなかったのか? 坊」
「僕のことを訊かれて――ハルシャは困っていました。僕は」
 すっと目を上げると、マイルズ警部を真っ直ぐに見つめた。
「ハルシャが困惑するのを、望みません。警部」

 ふふっと、笑いながら、警部は帽子の位置を、直す。
「ご両親の爆死について教えてください、と、直接話を聞くのは、エレガントでないからね。外堀から埋めていくのが、俺のやり方なんだよ、坊」
 言葉を切ると、マイルズ警部は片目をつぶった。
「どうした。えらく、おかんむりだな。俺の遣り方が、気に入らなかったのか?」
「何をしても良いです。ですが、ハルシャを傷つけないでください。お願いします、マイルズ警部」

 帽子から手を離すと、警部は静かにリュウジに視線を向けた。
「いつまで、記憶のない振りを続けるつもりだ、坊」
 言葉に、リュウジは、微かに眉を寄せた。
「ハルシャ・ヴィンドースは、お前さんが、記憶が無いと信じ込んでいる。
 ずっと、彼の側にいるつもりか?
 記憶を失ったふりをして――彼を、欺き続けて」
 声が、静かに響く。
「それが、お前さんがやりたいことなのか、リュウジ」

 リュウジは目を伏せた。
「記憶を失っていたのは、本当です。目が覚めた時は、何も覚えていませんでした。頭のチップも切っていたので、吉野ヨシノにも、迷惑をかけてしまいました」
 ゆっくりと、マイルズ警部は瞬きをした。
「だが今、記憶は蘇っている。完璧にな。俺とも、破綻なく話せている」
 沈黙するリュウジを前に、淡々とマイルズ警部は続けた。
「いつ、記憶が戻ったのかはわからないが、それでも、同居するハルシャ・ヴィンドースには、真実を告げていないんだな。
 元の生活に戻るのが、嫌か?」

 リュウジは、応えなかった。
 横で、気づかわしげに、吉野がリュウジへ視線を向けているのは、感じていた。
 だが、何も言えなかった。

 ふうっと、大きい息を一つした後、
「ハルシャ・ヴィンドースが、問いただしたときに、苦し紛れにロンダルという地名を挙げてきた。
 ちょっと気になってな、ロンダルでちょっと、聞き込みをしてみた」
 リュウジはゆっくりと、視線を上げた。
 マイルズ警部は、帽子の鍔に顔を隠して、深く椅子にもたれながら、言葉を続けた。
「妙なことを聞いた。
 数日前――ロンダルの廃屋で、五人の男の遺体が発見されたそうだ。
 一人の男が、他の四人の男を殺し、最後に自分の首を掻き切って、絶命していた。彼らの中で、何があったのかはわからないが、地獄のようなありさまだったそうだ」

 リュウジは口角を上げた。
「そのことが、僕の記憶を失ったことと、何か関係がありますか?」
 マイルズ警部は静かに、首を振った。
「何も」
 身を起こすと、真っ直ぐに、マイルズ警部は強い言葉で呟いた。
「何も関係はない。ただ、俺は耳にした事実を、口にしただけだ」
 リュウジは微笑みを深めた。
「さすが、マイルズ警部です。状況をいつも、的確に見抜かれる」

 吉野が、自分を見ている。
 記憶を失うほどのことがあったと、静かに推理している顔だ。
 解っている、吉野。
 自分の始末は、自分でつけなくてはいけない。
 それが――僕の生きてきた道だ。

「僕が、ハルシャに真実を告げていないのは」
 ヘイゼルのマイルズ警部の瞳を見つめながら、リュウジは言葉を滴らせた。
「まだその時ではないと、判断したからです」

 ゆっくりと、警部は瞬きをした。
 長い沈黙の後、
「なるほど、な」
 と、静かに呟いた。
 リュウジは、眉を寄せた。
「マイルズ警部。今度は、僕が側にいる時に、ハルシャに接触してください。その上で、僕の存在を無視してください。
 そうすれば、ハルシャにも、マイルズ警部が探している人物は、僕ではないと伝わるでしょう。あなたが探している人物は、リュウジではなかった。それだけで、彼は楽になります。
 彼は、極限の精神状態で、日々を辛うじて生きています。
 これ以上、彼を追いつめないで上げてください。彼が苦しむ姿を、僕は見たくありません」

 再び、マイルズ警部が、瞬きをした。
「坊」
 思わぬ優しい声が、彼の口から響いた。
「ハルシャ・ヴィンドースが、苦しむのが、嫌なのか?」
 言葉にこもる意味に、リュウジは瞬時に気付いた。
「はい」
 彼の思いに応えるように、ゆっくりとリュウジは言葉を告げた。
「誰にも、ハルシャを、傷つけられたく、ありません」

 不意に、マイルズ警部がにこっと笑った。
「そうか。なるほどな。わかったよ、坊」
 身を乗り出すようにして、向かいに座るリュウジの頭に、マイルズ警部は手を伸ばした。
 わしゃわしゃと、髪が乱暴に撫でられる。
「ハルシャ・ヴィンドースが大切なんだな。
 了解、了解。お前さんがそこまで入れ込むのなら、俺も一肌脱ごう。
 任せておけ、坊。誰が、ハルシャ・ヴィンドースの両親を殺したのか、必ず探り出してあげよう」
 すっと、優しく髪を一撫でしてから、手が引かれた。
「坊が、誰かのことをそんな風に思えるなんてな」
 微笑みながら、マイルズ警部は呟いた。
「まるで――奇跡のようだ」
 静かな言葉が、なぜか、リュウジの胸を打った。

 泣いたらいいんだよ、坊。

 抱きしめてくれた、マイルズ警部の腕の強さと、言葉の優しさを、リュウジは思い返していた。
 それでも、リュウジは涙を流せなかった。
 今までも、ずっと。
 涙を流せたのは――
 ハルシャの境遇に、心が震えた時だけだった。
 それを、きっと。
 マイルズ警部は、奇跡と、呼んでいるのだろう。
 リュウジは心に小さく、呟いていた。



 







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