ハルシャは、無言で目の前の人物を見つめ続けていた。
帝星からの旅行者。
数日前から行方不明。
黒髪の青年。
口にした事柄が、全てリュウジに合致する。
どくんと、心臓の音が聞こえる。
彼は――
リュウジを、探しに来たのだ。
自分の心臓の音が聞こえる。
告げられた言葉が、ずきん、ずきんと脳をえぐるようだ。
リュウジが記憶を思い出せば、別れなくてはならないと覚悟はしていた。
だが。
リュウジを探しに来る人がいると、予想もしていなかった。
あり得ることだった。
惑星トルディアのラグレンに行くと、家族に告げていたのなら。
だが。
オオタキ・リュウジの名は、ラグレンに入った旅行者の中には、なかったとメリーウェザ医師は探した結果を述べていた。
別ルートで来たのだろうか。
例えば――
宇宙飛行士として、仕事でここへ来たのだとしたら。
観光目的の旅行者のところには、名前が挙げられていなかったのかもしれない。
ハルシャは黙したまま、心臓の音を聞き続ける。
言うべきだ。
あまりにも彼が述べた条件にリュウジは、当てはまっていた。
自分が預かっている人物が、探している人かもしれない。
すぐそこに、リュウジは居る。
顔を合わすまでにほんの数十分で済む。
彼は眠っているだろうが、起こして扉の前に来てもらえばいい。
簡単なことだ。
それで――
リュウジは、家族の元へ帰ることができる。
わかっていた。
それが、正しいことだと。
なのに――
言葉が、出ない。
ハルシャは、何も言えずに、ただ立ちすくんでいた。
あまりに突然のことに、心が対応しきれない。
これほど、早いとは思ってもみなかった。
昨日も、三人で生きていく未来を思い描いていたというのに。
リュウジの居ない世界で、生きていくことが、とても難しいような気がしてならない。
職場で、たった独りで、作業を続けてきた日々が蘇る。
孤独と屈辱と、人々の蔑みの視線を浴びながら黙々と作業をする日々。
リュウジの存在が、どれほど自分にとって救いだったのか今更ながら思い知る。
悩みを口にすると支援するように彼が応えてくれる。
大丈夫ですよ、と背中を押してくれる。
彼はいつも相談に、真剣に耳を傾けてくれた。
戻りたくない。
切ない願いのように、胸に想いが渦巻く。
リュウジを、失いたくない。
黙り込むハルシャに、
「お心当たりは、ありませんか?」
と、物慣れた様子で、彼が問い返す。
はっと、ハルシャは胸を突かれる。
ここで、心当たりはないと言えば、彼は去る。
リュウジを、奪われることはない。
だめだ、自分は間違っている。
リュウジは帰らなくてはならない。彼を待つ家族の元へ――
わかっている。
なのに。
どうしても言葉が出ない。
ぎゅっと、サーシャへのお土産をハルシャは握りしめた。
おや、と、ディー・マイルズと名乗った人物が、ハルシャの握りしめる箱に目を止める。
「それは、ポンポン・ジェイニーの氷菓じゃないですか。まさか、帝星の菓子をここで見るとは思わなかったな」
急に、砕けた調子で彼は言う。
「うちのかみさんが、それの大ファンでね」
優しい笑みが浮かぶ。
一癖ありそうな人だが、家族のことを口にすると、柔らかな笑みが顔に浮かんだ。
家族のことが大切なのだろうと、ハルシャは推測する。
その時、ふと、彼を一人の人間として、認識したような気がした。
「頂き物だ――妹への土産として、貰った」
ハルシャは、小さく彼に説明する。
ああ、と彼は静かに笑みを浮かべた。
「女の子なら、大喜びだ。妻に似てうちの娘も目がない」
ハルシャは、視線を上げた。
彼は笑みを深める。
「まさか、惑星トルディアでそれを見るとはね。選んだ人はセンスがいい」
ジェイ・ゼルを、褒められたような気がして、ハルシャはふっと肩の力を抜いた。
「探している人は」
ハルシャは、ようやく選びながら言葉をかける。
「帝星から、ここへ何をしに来たんだ」
「仕事先に惑星トルディアを選んだらしんだが――」
ディー・マイルズは静かに言った。
「誰にも、はっきりとした行く先を告げておらず、みなが混乱している。恐らくここだろうと、目星をつけて来ただけで、実際、確証は何もない状態なんだがね」
そうか。
確信があるわけではないのだと、ハルシャは心に呟く。
「オキュラ地域は、色々な人が吹き寄せられる場所だ」
無意識に、ハルシャは言葉を話し始めていた。
「人の出入りも激しい」
ハルシャの言葉に、ディー・マイルズはゆっくりと瞬きをした。
「見かけたことはない、ということですな」
念を押すような言葉に、ハルシャは答えることが出来なかった。
「そうですか」
独り言ちながら、彼は帽子を少し上げて髪をがりがりと掻いた。
「ここな辺で、最近、見かけない黒髪の青年がいるという話を、小耳にはさんだもので――まあ、ガセネタというのは、よくあることだから気にはしていませんが」
マイルズは、上がっていた帽子をとると、丁寧にかぶり直した。
「お時間を取ってすいませんでしたね。しかも氷菓を持っている人に。
日が昇ってまた人が出てくる時間帯に、訊いて回ってみることにします」
はっと、ハルシャは表情を動かしてしまった。
リュウジの姿は、皆に見られている。
ここで聞き込みをされたら、必ず彼の話が出てしまう。
嫌な汗が、背中ににじんだ。
「ロ……ロンダルの辺りで、帝星の旅行者が、いたと聞いたことがある」
とっさに、ハルシャは口走っていた。
「数日前のことだ」
ほう、とディー・マイルズは眉を上げた。
「ロンダル、とは、ここから遠い場所ですか?」
「歩いて三十分ほどの、商業が盛んな地域だ」
自分は、嘘を吐いている。
解りながらも言葉が止められなかった。
彼に、この近所で聞き込みをして欲しくなかった。その一念で、バレてしまう嘘が口からほとばしり出る。
「オキュラ地域の中でも、比較的安全な地域だ。もしかしたら旅行者の青年はそこにいるのかもしれない」
ハルシャの懸命な言葉に、にこっと、帝星からの客が微笑む。
「それはとても貴重な情報だ。ありがたい」
笑みが深まる。
彼は、何かを思いつくと、服からメモを取り出し、サラサラと書きつけた。
「ラグレンの宿に泊まっているので、もし何か新しい情報を得た時は、ここに連絡をもらえるとありがたい。人探しというのは地元の方の情報が頼りなものでね。不在の時は、マイルズの名で伝言を残してくれたら……」
彼のヘイゼルの瞳が、ハルシャを見つめる。
「本当に、助かる」
差し出された白いメモ用紙を、わずかにためらってからハルシャは受け取った。
「貴重な情報に、感謝します」
メモを仕舞いながら、彼は微笑んだ。
「妹さんが、その氷菓を喜んでくれるといいですね」
優しい言葉を残して、彼は静かに立ち去っていった。
ハルシャは、メモを見つめる。
『アルティア・ホテル』の名と、通話番号が書かれている。
眉を寄せて、ハルシャはメモを見つめ続ける。
自分は――
愚かで醜い。
どうして、リュウジのことが言えなかったのだろう。
唇を噛み締めると、メモを二つ折りにして、鞄の中に入れた。
視線を落としたまま、階段へ向かう。
こつん、こつんと、階段を上る自分の足音が、夜明けのオキュラ地域に響く。
眉を寄せたまま、ハルシャは自宅の扉の前にたどり着く。のろのろと服から鍵を取り出して扉を開けた。
音を立てずに開き、中に素早く入って閉めて鍵をかける。
扉を見つめてから、ゆっくりと首を巡らせて室内へと顔を向けた。
夜明けの珊瑚色がにじみ始めた空の光に照らされて、眠るリュウジとサーシャの姿が見えた。
ハルシャの布団も、きちんと整えられている。
帰ってきて眠ることができるように。
待っていてくれていたのだろう。
靴を脱いで、ハルシャは台所に保冷箱を置いた。
あと十時間は大丈夫だと、ジェイ・ゼルは教えてくれていた。
箱を置いたときに、音を立ててしまったのかもしれない。
リュウジがもそもそと動いて、布団を押し上げるようにして、身を起こした。
闇の中で、自分を見つけたらしい、
「おかえりなさい、ハルシャ」
と、寝ぼけた声で、話しかけてくる。
胸が、不意に痛んだ。
リュウジが家族の元へと、帰ることが出来る未来を、自分は嘘で消し去ろうとした。
その悔いが、彼を前にして、猛然と湧き上がってきた。
自分は、何と言うことを、してしまったのだろう。
ヴィンドース家の家長として、してはならないことを、してしまった。
自己中心的な己の有様に、歯を食いしばる。
背負っていた鞄から、ディー・マイルズが渡してくれた連絡先を取り出すと、リュウジの側に大股に歩いて行った。
布団から身を出す彼の傍らに、静かに腰を下ろす。
「リュウジ」
サーシャを起こさないように、細めた声でハルシャは呟いた。
「すまない。私は――」
彼は、瞬きをしてから
「ハルシャのせいではありません。そんな風に言わないでください」
と、優しい声をかけてくれた。
え、とハルシャは、顔を上げて、朝日のおぼろな光の中に浮かぶ、リュウジを見つめる。
「昨日の呼び出しは、急なことだったのでしょう」
目を開くハルシャの前に、静かにリュウジは続ける。
「大丈夫ですよ。サーシャも納得して、いつものように眠っていました。辛いのは、ハルシャです。そんなことで自分を責めないでください」
リュウジは。
急な呼び出しで、ハルシャが迷惑をかけたことを悔いていると思っている。
何か、言い出しかねる。
でも。
言わなくては――
これ以上、リュウジに申し訳ないことが出来ない。
「それもあるが、私が謝りたいのは」
ぐっと、眉を寄せて、ハルシャは手にしていた、二つ折りのメモを差し出した。
「君のことで、私は嘘をついてしまった」
指先のメモを見つめたまま、リュウジは動かなかった。
ハルシャは、熱い鉄を飲み下すような気持ちで、あの時は出せなかった勇気を振り絞り、ただ、言葉を続けた。
「君を、探していた人がいた」
どうすればいいのだろう。
不意に、涙がにじみそうになる。
「帝星から来たと言っていた」
歯を食いしばって、何とか先を続ける。
「ディー・マイルズという名だ。彼は、惑星トルディアに来て、数日前から行方不明の黒髪の青年を探していた」
声が震えそうになるのを、懸命にこらえる。
「君のことだ、リュウジ」
メモを持つ手が、震えはじめる。
「ここに連絡してくれと言っていた。泊まっている場所だ」
視線を落として、ハルシャは身の内の醜さを、リュウジにさらす。
「すまない、リュウジ。彼に呼び止められ、行方不明の青年のことを訊かれた時、君のことだと解りながらも――知っていると言うことが出来なかった」
恥ずかしさと、申し訳なさと、自分に対する悔しさで、目が潤む。
「許してくれ。あまつさえ、ロンダルで君らしき人を見たという嘘の情報を与えてしまった」
羞恥に、顔が赤らんでいく。
「君を、家族の元へ返してあげないといけないとわかっていたのに――」
不意に。
メモを持つ手の先が、リュウジの両手に包まれた。
温もりに、ハルシャは目を上げて、彼を見る。
深い色の瞳が、真っ直ぐに、自分を見ていた。
微かに笑みを浮かべたリュウジの頬を、一筋、涙がこぼれ落ちた。
きれいだ、と。
一瞬、ハルシャは思ってしまった。
「ご自分を責めないでください、ハルシャ」
優しい言葉を呟いてから、リュウジは包んでいた手を解くと、そのまま腕をハルシャへ向けて伸ばした。
首に腕が絡みつき、静かに、ハルシャはリュウジに抱きしめられていた。
「僕があなたの生活から消えることが嫌だったのですね、ハルシャ」
寄せられたリュウジの口から、言葉が耳元に呟かれる。
どうして。
リュウジに解ってしまったのだろう。
自分の心が。
ぐっと、ハルシャは唇を噛み締めると、歯の間から絞り出すように言った。
「けれど、それは間違えていることだ」
ハルシャは自身を否定するように、首を振った。
「正しくない」
「どうして、ですか」
思いもかけない、強い言葉がリュウジの口から漏れた。
はっと、ハルシャがひるむほど、鋭い口調だった。
腕を緩めて身を離すと、肩に手を置き、リュウジが正面からハルシャを見つめた。
「僕の家族は、ハルシャとサーシャです」
彼は、静かに微笑んだ。
「ハルシャ。僕は今、家族の元にいるのですよ」
それは、記憶がないからだ。
記憶が戻ったら――
君は私たちのことなど忘れてしまうかもしれない。
大切な本当の家族の元へ、帰ってしまうだろう。
そう言い切ってしまいたかった。
なのに、彼の優しい言葉に、ひどく安堵している自分がいた。
リュウジをかけがえのない家族と自分が思っているように、彼も思っていてくれた。
それが、これほどまでに、嬉しかった。
「かわいそうに」
眉を寄せるハルシャを見つめながら、リュウジは呟いた。
「僕のせいで、とても苦しんだのですね。僕の情報を渡さないために、あなたに嘘までつかせてしまった」
リュウジは、嘘をつかざるを得なかった自分の気持ちを、理解してくれていた。
一言も、ハルシャの不道徳を責めることなく、限りない同情と慈しみを与えてくれている。
穏やかな瞳を見つめていると、心が鎮まってくる。
さっきまでの追いつめられていた気持ちが、思い遣りに満ちた言葉で解かれていく。
寄せられたハルシャの眉を見つめて、リュウジが小さく首を振った。
「僕のせいで、苦しまないでください。ハルシャ」
深い色の瞳が、自分を見つめる。
「僕はあなたを独りにしません。ずっと一緒に居ましょう――ハルシャ」
ふと。
呟かれた言葉が、どこかで聞き覚えがあるような気がした。
どこでだろう。
と、考え込むハルシャに、静かにリュウジが顔を寄せてきた。
はっと、彼の行動の意味を、ハルシャは悟る。
唇が触れそうになる。
「リュウジ」
身に触れて、ハルシャは、彼の動きを止める。
「私のことより、自分の幸せを考えてくれ」
リュウジの顔が離れていく。
「ディー・マイルズの話では、行方不明の黒髪の青年は、仕事で帝星から来たと言っていた。彼の探している人物が君なら――リュウジは、帝星で暮らしていた」
帝星で生活をすることが出来るのは、選ばれた一握りの生命体だけだ。
帝星籍があるというだけで、様々な面で優遇される。
メリーウェザ医師が自分たちを養子に、と申し出てくれたのは、そのメリットを考えてのこともあったのだと、ハルシャは考えていた。
「オキュラ地域は、危険な場所だ」
ハルシャは、苦しみに眉を寄せる。
もっと、危険なことがある。ここに居たら、リュウジを襲った五人の男たちが、再び彼に卑劣な暴行を加えるかもしれない。
自分は、そんなことも失念して、自分の都合だけでリュウジを正当な家族の元から奪おうとした。
もし、誰かが記憶を失ったサーシャを、家で保護してくれていて。
自分が探しに行ったときに、サーシャを失うことを恐れて、情報を与えてくれなかったとしたら。
きっと、自分は相手を呪ってしまう。
一生許すことなど出来ないだろう。
同じことを、自分はリュウジに対してしようとしたのだ。
おぞましさに目眩がする。
「帝星から、わざわざ君を探しに来てくれた人がいる。
このメモの番号に連絡をしてくれ、リュウジ――私たちは、何とかここでやっていく。
今までもそうしてきた。たぶん大丈夫だ。
すぐに、君の情報を伝えられなくて本当にすまなった。許してくれリュウジ」
悔いを滴らせながら、言い聞かせるように、ハルシャは呟いていた。
「私たちのことより――自分の幸せを一番に考えてくれ」
声が、震えてしまう。
だが、どうしようもなかった。
思いが伝わってくれるようにと、ハルシャは祈り続けた。
沈黙の後、
「わかりました、ハルシャ」
と、リュウジが呟いた。
ハルシャから腕を解き、彼は掴んでいた白いメモを指先から抜き去った。
二つ折りになったままのメモ用紙を自分の前に持ってくる。
ハルシャは、眉を寄せたまま、彼の行動を見ていた。
これでいい。
これでいいんだ、と。必死に自分を納得させる。
遅きに失したかもしれないが、ヴィンドース家の家長として、恥ずかしくない行動をとれたはずだ。
わずかに視線を伏せたハルシャの目の前で――
リュウジは二つに折ってあったメモを、開くことなく、粉々に引き裂いた。
はっと、顔を上げる。
リュウジは破り捨てたメモを手にまとめると無言で立ち上がり、そのまま歩いて手洗いに行き、そこへメモを捨てると流して戻って来た。
呆気にとられるハルシャの前に、表情を動かさずにリュウジが座った。
驚きを隠せなかった。
金色の瞳を見返してから、リュウジが静かに言った。
「ハルシャの忠告どおり、自分の幸せを、一番に考えさせていただきました」
夜明けを迎えた光の下で、リュウジの藍色の瞳が、ハルシャを映す。
「僕の幸せは、ハルシャとサーシャの側にいることです」
沈黙の中で、ゆっくりと恒星ラーガンナの光が、窓から射しはじめる。
光の筋が、部屋を射抜く。
「僕の家族は、あなたちだけです。お願いです、ハルシャ」
真摯な光が、リュウジの瞳に宿る。
「側に、居させてください」
無意識に、ハルシャはリュウジに手を伸べて、彼を抱きしめていた。
「リュウジ――」
腕に包んだ彼の温もりが、胸を打った。
そっと、リュウジが抱きしめ返してくれる。
「三人で暮らしましょう。ずっと……一緒に」
耳元の優しい言葉に、こくんとハルシャはうなずいていた。
必死に手離そうとしたリュウジの存在が、これほどまでに大切だとは気付いていなかった。
決して傷つけることなく、リュウジは優しさで包み込んでくれる。
記憶が戻っても、彼はここに居てくれるのだろうか。
ふと、考える。
ハルシャの全てを許してくれる、温かく広い腕の存在が、今の自分を支えているような気がした。
さらけ出した自分の醜い全てを彼は受け止めてくれた。
リュウジの前だと、偽りのない自分になれる。
それが、嬉しかった。
「さっきあったことは、すべて忘れて下さい」
静かな言葉が、リュウジに口からこぼれる。
「ディー・マイルズという人物も、渡されたメモも。これは、夜明けに消える夢です」
呟きながら、リュウジが見つめる。
「全て夢だったのです。ハルシャ」
夢。
言葉が、ふと、ハルシャの心に引っかかった。
そうだ。
先ほどの気になったリュウジの言葉は――
再び考え込んでいたハルシャに、リュウジが顔を寄せて、唇が触れそうになった。
はっと、ハルシャは気付いて顔を背けた。
ドキドキと、心臓が躍っている。
「すいません、ハルシャ」
顔が向けられないハルシャに、リュウジの言葉が響く。
「嫌、でしたか」
嫌。
というのとは、少し違う。
「嫌な、訳ではない」
ハルシャは、懸命に言葉を呟いた。
とっさに、リュウジの唇を避けてしまった。
不用意な行動で、彼を傷つけたかもしれない。
拒んだと、思われたのかもしれない。
ただ。
約束をしていた。
ジェイ・ゼルと――
彼の温もりを、忘れないと。
「僕は、どうやら挨拶代わりに、こんなことをしてしまうみたいですね」
困った口調で、リュウジが言う。
ようやく、ハルシャは彼に顔を向けた。
微笑みながら、リュウジは腕を解き、首をかしげて詫びを口にした。
「驚かせてすみません、ハルシャ」
もしかしたら、帝星ではこんな風に、日常的に挨拶をするのかもしれない。
記憶を失っていても、身に着いた習慣に従って、リュウジは行動していただけなのだ。
彼自身も、戸惑っているようだ。
心を軽くするように、ハルシャも笑みを返した。
「いや、慣れなていないだけだ。こちらこそ、すまない」
小さくリュウジが首を振った。
「以後、僕も気を付けます」
二人の会話が騒々しかったのだろう。
んーっと言いながら、サーシャが目を覚ました。
ごしごしと目を擦ってから、
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
と、寝ぼけた口調で言う。
「おはよう、サーシャ」
寝ぼけたまま、サーシャがハルシャに抱きついてくる。
その頭を撫でながら、
「サーシャに、お土産がある。ジェイ・ゼルさんからだ」
という言葉に、ぱっとサーシャは覚醒した。
「どんなお土産なの? お兄ちゃん!」
弾んだ声が妹の口から上がる。
それだけで、ハルシャのさっきまでの苦しさが、消え去っていくようだった。
「帝星の、有名な冷たいお菓子のようだよ。サーシャが喜ぶだろうと、選んで下さったそうだ」
わーいっ! とサーシャはアルフォンソ二世を天井高く放りあげて、喜びを表現した。
今回は特別に、ということで、常にはなく、甘く冷たいお菓子が朝食となった。
溶けてはいけないでしょう? とサーシャが力説したのだった。
サーシャは極上の笑顔で、繊細な細工の施された氷菓を頬張っていた。
何事もなかったように、一日が始まる。
ハルシャは食卓に座りながら、朝日へ目を遣る。
眩しい光の裏には、暗い闇が潜んでいることを――ことさらに強く、ハルシャは感じていた。
その闇が自分の中にあることも、また。
ハルシャは、知っていた。