いつも頭上には、宇宙が広がっていた。
深すぎる紺色に、色とりどりの星々が散りばめられた無窮の天。
見上げた空で、自分を手招きするように、星々は煌めいていた。
いつか――
航宙士となって宇宙を自在に旅する。
それが、唯一無二の夢だった。
必ず叶えられると、信じて疑わなかった。
幼い頃からひたむきに見続けた夢を、今でも私は手離せないでいる。
もう不可能なのだと、解りながらも。
*
重い機械の音が、耳をつんざく。
簡易な耳栓だけを防御のつてとして、ハルシャ・ヴィンドースは黙々と作業を続けていた。
宇宙を旅する船を作る工場。
少しでも夢の側に居たいと、妥協した場所だった。
作業は過酷で、納期が迫る今は、睡眠がとれない。
ほとんどが機械化されている中にあっても、どうしても手での作業を必要とする部位がある。その一つ、緻密な駆動部の組み立てをハルシャは任されていた。
過酷な宇宙空間では、部品の些細なミスでも人命にかかわる重大な事故を引き起こす可能性がある。
どれだけ緻密なプログラムを組んでいても、最後の調整だけは人の手が必要だった。
ハルシャは表情もなく作業を続ける。
鉄同士をあたかも一つの塊であるかのように接合するためには、すさまじい高温を必要とした。
断熱服を着ていても皮膚が焼けるようだ。
五標準年続けてきた作業だが、一瞬も気が抜けない。
熱せられた鉄を操り、ハルシャは作業の最後の工程に入った。
鉄と鉄が溶けあい、部品がぴたりと張り付く。一分の隙も無い。
さらに熱を上げ、圧力をかけながら組織を完全につなぎ合わせる。圧と熱と、気許しの出来ない緻密な作業が続く。
勘が、成功したことを告げる。
ハルシャはアームから手を離した。
仕上がりは完璧のようだった。
あとは、徐熱に入る。三日標準時をかけて、二千度まで上げた鉄を冷ましていく。ゆっくりと冷やすことで、組織が密着し宇宙空間でも耐えうる品が出来上がる。
機械の助けを借りて、巨大な徐熱室に、ハルシャは完成した部品を移動しはじめた。
進む途中に、轟音が響いている。
宇宙で最高の硬度を誇るカーヴァルト鉱石から、部品を削りあげている音だった。
徐熱室に入れ、密封を終えてから、ハルシャはやっと息をついた。
「相変わらず、見事なお手並みだな」
断熱服のヘルメットを外した途端、声が聞こえた。
工場長のシヴォルトだった。
ハルシャは、視線も向けなかった。
「納期には、間に合わせる」
ぼそりと呟いて、ハルシャは踵を返す。
断熱服の中は、滝の汗だった。空冷設備が内蔵されている作業用の服だが、それでも凌げないほどの熱の中でハルシャは作業を続けていた。
並みの者ならとうに根を上げる作業だが、ハルシャは文句一つ口にせず黙々と取り組んでいた。
何より、ここでの給料は破格だった。
「ジェイ・ゼル様から、呼び出しだ。ハルシャ」
ハルシャは、足を止めた。
工場長が自分にわざわざ近づいてきた理由を、はっきりと悟る。
ジェイ・ゼルが、自分を呼んでいる。
それをシヴォルトは伝えにきたのだ。
「いつもの場所で、いつもの時間に、ということだ」
シヴォルトの粘りつくような声が耳に響く。
この工場は、ジェイ・ゼルの息がかかった場所だった。そこに勤めざるを得ない自分の身を呪いながら、ハルシャは止めていた足を動かす。
「納期まで、あと三日標準時ある。急がなくてもいいぞ、ハルシャ」
後ろから投げつけられた言葉を、ハルシャは無視した。
ヘルメットを小脇に抱え、工場を足早に抜けていく。
轟音が、響く。
頼りない耳栓など、無いに等しい。
ハルシャは傲然と顔を上げて、進んでいく。
後ろで下種な笑みを工場長が浮かべていることなど、百も承知だった。
それがわかっていて、ジェイ・ゼルも彼に情報を伝えさせる。
ハルシャがどういう立場なのかを、思い知らせるために。
もう、憤りなど感じなかった。
五年の間に心の一部が死んでしまった。
それだからこそ――生きてこられた。
工場を抜けると、細い廊下が続いている。
ハルシャは黙したまま進む。
やがて、廊下も抜けて、職員たちのロッカールームへと足を踏み入れる。
入り口で断熱服を脱ぎ、重い服を手にぶら下げて、自分のロッカーがある場所へと向かう。
この時間、ロッカー室には誰も居なかった。
断熱服は、まだ熱気を帯びている。
ロッカー室の奥の、断熱服を保管している場所へと先に向かい、ハルシャは丁寧に服を戻した。鍵をかけて、自分のロッカーへと向かう。
ハルシャのロッカーの扉には様々な落書きが施されている。
多くは、ハルシャ個人への攻撃だった。
殴り書きに近い野卑な言葉を無視して、扉を開く。
鞄と、ボードを取り出し、扉を閉めて鍵をかける。
そのまま、振り向きもせずに、歩き出す。
ロッカールームの出入り口をくぐり、ハルシャは屋外へと踏み出した。
惑星トルディアのラグレン都市部は、現在、夜の時間帯だった。
十三時間の夜と、十三時間の昼。
二十六時間で、この星は動いている。
恒星ラーガンナは、惑星ガイアの恒星太陽と酷似していた。
惑星トルディアが発見された当初、人々は狂喜した。
人類が移り住むことが出来る、稀有な惑星として賞賛を浴びていたのだ。
人型炭素系生物のために開発された都市はドームで守られ、生活を支えるだけの大気を保持し続けている。惑星トルディアのラグレンは、防護服が無くても活動できる宇宙でも珍しい都市の一つだった。
そのために、惑星ガイアから多くの移民が移り住み、リトル・ガイアとの異名を持つ。
ハルシャの祖先は、この惑星トルディアの最初期の移民の一人だった。
惑星トルディアを作り上げた功労者と言っても過言ではないほど、ヴィンドース家は惑星の開発に深く関わってきている。
歴史を紐解けば、必ず名が出る名家であった。
けれど。
ハルシャは唇を噛んだ。
今は、見る影もなく落ちぶれている。
漆黒の空には、鮮やかな星々がきらめていた。
透明な材質のドームは、有害な大気から都市を守りながらも、景観を妨げないように出来ている。
一瞬足を止めると、ハルシャは空を見上げた。
あれは、アルデバラン。輝く雄牛の星。
いつか、側を宇宙船で通り過ぎるのが、ハルシャの夢だった。
ハルシャは視線を落とした。
指定されている時間まで、あまり余裕がない。
工場を出ると、都市の道が広がる。
上空では飛行車が、光の筋を引きながら横切っていく。
それを遙かに仰ぎながら、ハルシャは手にしていたボードの駆動部を入れ地面に置いた。
板状だが、飛行装置がついている優れた乗り物だった。
ふわりと浮いているボードに片足を乗せて、もう片足で強く推進力を与える。
運動エネルギーを得ると、それを動力として、ボードは動き始める。
位置エネルギーが運動エネルギーに変わる。一度推進力を与えると、そのまま、ボードは半永久機関として、機能し始める。
動き始めたボードに両足を乗せ、ハルシャは膝で方向を決めながら、夜のラグレンを滑っていく。
道を歩いている者はほとんどいない。上空の飛行車が、市民の移動の主要な手段になって久しい。使う人もいない道の上を、ハルシャは一人ボードを駆った。
工場は轟音を立てるために、騒音対策として都市部の辺境に建てられていた。ここから都心へは一本道だ。
身を低くし風の抵抗を受けないようにしながら、ハルシャは一筋に滑っていく。
その先に何が待つのかを知りながらも、決して逃げることなく、彼はボードと一体となりながら、ジェイ・ゼルに指定された店――高級レストランへと向かった。