ほしのくさり

余話 ~天からこぼれた物語~

カードで勝負 Ⅱ




 それから、二時間近く。
 ハルシャはジェイ・ゼルとポーカーの勝負を続けていた。

「どうしようね、ハルシャ」
 目尻を下げて、ジェイ・ゼルが呟く。
「もう、これ以上脱ぐのが無くなってしまうね。最後の一枚だよ」

 ジェイ・ゼルは、とんでもなくポーカーが強かった。
 信じられないほどだ。
 セオリー通りに、ラウンドごとに勝負を降りるかどうかを尋ねてくれる。
 手元に良い手が来ているように思って、ハルシャは強気に勝負を続けた。
 勝負を投げてフォールドすれば、結局のところ負けになる。
 それもあって、ひたすらゲームに食らいついた。
 途中までは良手のように思えるのだ。
 だが。
 最後まで行くと――
 自分を上回る手を、ジェイ・ゼルは出してくる。

 最初の勝負の時、第三ラウンドの『ターン』でコミュニティカードにジャックのワンペアが出来た。
 一気に鼓動が跳ね上がる。
 ハルシャの手札にはハートのジャックがあったのだ。

 ジャックが三枚そろった。
 スリー・オブ・ア・カインドだ。

 ドキドキするままに勝負を続け、最後の『リバー』の後、手札を見せる。
「これは、これは。ジャックのスリー・オブ・ア・カインドだね、ハルシャ」
 にこにこしながらジェイ・ゼルが言う。
 役が出来たことに、ハルシャも笑顔で応える。
 自分の喜びを見つめながら、ジェイ・ゼルが彼の前に伏せていたカードをめくる。

 優雅に指先が動き、一枚が表を向いた。
 クラブのエースだった。
 ハルシャを見つめながら、ジェイ・ゼルの指先だけが動く。
 二枚目は、6だった。
 マークはクラブだ。
 ジェイ・ゼルはクラブのカードを二枚持っていたのだ。
 慌てて、場に出ている五枚のカードを見る。
 スペードのジャックとハートの2、そしてクラブの――ジャック、10、3だった。
 すっとジェイ・ゼルの指が、カードの中からクラブだけを選び出す。

 無垢材の机の上に、同じマークのカードが五枚並ぶ。

 ハルシャの驚きに、ジェイ・ゼルは笑みを深める。
「私は」
 目を細めて呟く。
「フラッシュだよ、ハルシャ」

 負けた。

 がーんとするハルシャに優しい笑みを向け
「次は良い手が来るかもしれないよ。さあ、勝負を続けようか」
 とジェイ・ゼルがカードをまとめながら言った。


 ジェイ・ゼルは本当に強い。
 フルハウスが出来て狂喜していると、フォー・オブ・ア・カインドをさらりと場にさらす。
 同じツーペアになった時、ハルシャは5と10だったが、ジェイ・ゼルはキングと10だった。役が同じだと、カードのランクで勝負が決まる。キングを持つジェイ・ゼルが勝利を収めた。
 ハルシャが勝てたのは、たった一度だけだった。

 ジェイ・ゼルは、上着だけを脱いだ状態なのに、ハルシャはもう最後の一枚である下着しか残されていなかった。
 靴下は一枚ずつカウントしてもらったにもかかわらず、だ。
「ほら、ハルシャ」
 にこにこと笑いながら、ジェイ・ゼルが促す。
「負けてしまったからね。服を脱ごうか。さあ、立って」

 ペナルティだからね、という理由で、服を脱ぐ時は立ち上って、相手に見えるようにして脱ごうと、最初に負けた時にジェイ・ゼルがルールを付け加えた。
 仕方がないので、彼の前で服を脱ぎ続ける。
 上着は良かった。その下のシャツも迷いなく身から取り去ることが出来た。
 だが、段々着ている服の数が少なくなる。
 脱いだ状態で勝負を続けて――
 これが最後の一枚だ。

 椅子に座って、ハルシャはジェイ・ゼルを見つめる。
 下穿きに手を添えたまま、ハルシャは顔を真っ赤にして小刻みに震えてしまった。
 我ながら情けないが、どうにもこうにも恥ずかしい。
 ベッドの上ではいくらでも裸体を曝しているはずなのに、煌々と明るい日中の太陽の光の元、しかも普段は食事をする机の前で、裸になるのが、どうしようもなく羞恥を煽る。
 なぜ、ジェイ・ゼルはこんなに勝負になると強いのだろう。
 最初に奇跡的な手で勝ったのは、もしかしたら自分をゲームに誘い込むための、一つの計略ではなかったのかと思うぐらいだ。

「勝負だからね、仕方が無いね、ハルシャ」
 にこにこと笑いながらジェイ・ゼルが言う。
 下穿きに触れたまま、燃えるほどに頬が赤くなる。
「ど、どうして、そんなにジェイ・ゼルはポーカーが強いんだ」
 八つ当たりと解っていても、そこに難癖をつけて、ハルシャは言葉を絞った。
「勝とうと思っても、勝負にならない」

 ひゅっとジェイ・ゼルが眉を上げた。
「真剣な勝負をしているからだよ」
 少し寛いだように、背もたれに身を預けてジェイ・ゼルが呟く。
「どんな高額な掛け金よりも、貴重なものを賭けているからね」
 ふふっと、彼は微笑む。

 ジェイ・ゼルの言葉の意味が解らない。
 穏やかな笑みを向けてから、彼は口を開いた。

「羞恥に身を染めながら君が服を脱いでいくのは、見ていて飽きない――この上ないご褒美だよ」
 ゆったりと彼は笑みを深める。
「恥ずかしがりながら、あられもない様子で勝負を続ける姿も、たまらないほど愛らしい。真面目な君が頑張っている姿が、私をどれほど喜ばせているか、きっと解らないだろうね。ハルシャ」

 こうやって。
 時折とんでもない破壊力を持つ言葉を、彼は平気で口にする。

 頬を染めるハルシャを見つめてから
「さあ、約束だよ、ハルシャ。頑張ってみようか」
 とにこっと笑ってジェイ・ゼルが言う。

 ジェイ・ゼルの前で服を脱ぐ。
 いつもしていることだ。
 なのに。
 状況が変わると、こんなにも恥ずかしい。

 でも、約束は約束だ。
 自分が勝てば、ジェイ・ゼルが逆の立場だったはずだ。
 彼はきっと、ためらいなく服を脱いだだろう。
 そう思うと何だか自分が不甲斐なかった。

「解った、ジェイ・ゼル」
 心を決めて言葉を告げると、ハルシャは立ち上がった。
 ちょっと手で前を隠す。
 彼の見える場所に佇み、勇気を振り絞って前を向く。
 なんていうことはない。
 たった布一枚だ。
 なのに身から脱ぎ去るのが、気絶するほどに恥ずかしい。
 ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、じっと自分を見つめている。
 もじもじと、身を捩ってジェイ・ゼルの視線に耐える。
 隠す手が外せない。
 羞恥のあまり、頭からつま先まで、全身が真っ赤に染まってしまった。

 沈黙の後、不意にジェイ・ゼルが口を開いた。
「ハルシャ」
 灰色の瞳に捉えたままで、彼が片手を差し伸べた。
「おいで」

 重い声で呼ばれる。

「おいで――ハルシャ」

 再び、いざなわれた。
 無意識のように体が動く。
 椅子に座ってゆったりとくつろぐジェイ・ゼルの前に、下着姿で数歩近づく。
 迎え入れるように腕を開いて、傍らに佇むハルシャを、ジェイ・ゼルが座ったまま抱き締めた。

「すまない、ハルシャ。恥ずかしかったのだね」
 まだ羞恥が去らない身を、腕が包む。
「無理強いをしてしまったね。こんなに震えて……かわいそうに」
 労わるように、ジェイ・ゼルの手が背中を撫でる。
「許しておくれ、ハルシャ」
 焦ったせいで少し汗ばむ背を、優しい手がなだめる。
「昔」
 佇むハルシャの腹部に頬を寄せて、ジェイ・ゼルが呟く。
「君が、一生懸命に服を脱いでくれたことを、ふと思い出してね――ラグレンの荷物を整理していたせいかな」
 息が、肌に触れる。
「自分の殻をかなぐり捨てて、君がありのままの自分を私にさらしてくれた……心が震えたよ。君の勇気と私への想いに」

 何をジェイ・ゼルが言っているのか唐突にハルシャは思い至る。
 もう二度と逢わないと告げられ、彼の部屋まで追いかけて行ったときのことだ。何とか自分へ心を向けて欲しくて、自分は彼の前で誘惑するように服を脱いだ。
 ジェイ・ゼルにはとても敵わないが、それでも自分の精一杯を尽くしたつもりだった。
 愚かだと取られても仕方がない行為だ。
 けれど。
 ジェイ・ゼルはあの時、自分を見て心を震わせてくれていたのだ。
 思い出が去来して、胸が絞られるような切ない気持ちになる。

 頬を離して、ジェイ・ゼルがハルシャを仰ぐ。
「身を守る服を脱ぎ去って、素の心を見せてくれたのが、とても嬉しかったよ、ハルシャ」
 あの時言えなかった言葉のように、優しい笑みを浮かべてジェイ・ゼルが呟く。
「勝負をしかけて、服を脱がせてしまってすまなかったね。賭けになるとつい本気になってしまう。私の悪い癖だ。すまなかったね、ハルシャ。そこまで恥ずかしいのなら、もう脱がなくてもいいからね」
 譲るように彼が言葉をこぼした。
 ペナルティがあると分かっていて、この賭けに乗ったのは自分だ。
 彼に甘えて、逃げるのは卑怯なことに思えた。
 潔くなかった自分が、申し訳ないような気分になる。
 ハルシャは首を振った。
「で、でも、ジェイ・ゼル。約束は、約束だ――」

 手が止まる。
「ハルシャは真面目だね」
 笑いと共に呟くと、
「なら、脱ぐ代わりに、別のことをしてもらおうかな」
 と優しい声で彼は呟いた。
「ど、どんなことだ?」
 震える声で問い返してしまった。
 少し腕を緩めて身を離すと、ジェイ・ゼルが佇むハルシャを見上げた。
「そうだね」
 笑みが言葉と一緒に溢れる。
「ハルシャから、私にキスをして欲しいな。それでペナルティは帳消しだ」

 目を、ぱちくりとする。
 自分から、ジェイ・ゼルの唇を覆う。
 む、無理ではない。
 けれど。
 どちらも恥ずかしいことにはかわりがなかった。
 しかも休日の日中だ。
 でも、彼は譲ってくれたのだと、思い直す。
 下着を脱ぐことよりも、そちらの方がまだましかもしれない。
「わ、解った」
 見上げる彼に、了承を告げる。
 自分から彼を求めるなど、普段しなれないことだけれど、そこは我慢だ。
 身を屈めようとしたハルシャを、手でジェイ・ゼルが制止する。
 微笑みながら椅子を引いて、彼は空間を作った。

 この動きには、憶えがある。
 満面の笑みを浮かべながら、彼は膝を軽く叩いた。
「なら、膝の上においで、ハルシャ」


 ジェイ・ゼルは、横座りを許してくれなかった。
 今回は、真正面から向き合った形で膝に座るように言う。
 そちらのほうが唇を重ねやすいと、説得力のある言葉で告げる。
「わ、解った」
 と、ハルシャは言うしかなかった。
 下着一枚の恥ずかしい格好で、もそもそと隠しながら、ジェイ・ゼルの膝を跨いで太腿の上に座る。彼に気付かれないかと、ちょっと腰を浮かす。
 火が出るほど、顔が熱い。
 にこにこしながら、ジェイ・ゼルが自分を見つめていた。
 ハルシャから動くことがとても嬉しいようだ。
 支えるように両腕を背中に廻して、彼は笑顔を絶やさなかった。
 膝に乗ると、ほんの少し彼を見下ろす形になる。
 灰色の瞳が自分を映す。
 羞恥に悶えそうだ。
 どうして、こんなにきらきらとした眼で、ジェイ・ゼルは自分を見るのだろう。
 穏やかに口角が上がっている。

 顔を寄せようとして、ハルシャはためらった。
 こんなにもしっかりと、真正面から見つめられていると、やりにくい。
「あ……ジェイ・ゼル。あの」
 期待に弾んだ灰色の瞳に向けて、ハルシャは呟いていた。
「少し、その……眼を閉じていてくれないか」

 おや、とジェイ・ゼルが眉を上げる。
「視線が合うと、恥ずかしいのかな?」
 こくこくとハルシャはうなずいた。
 どうということもないはずなのに。
 自分から彼を求めることも、何度かあったはずなのに。
 正気の状態で、改まって向き合うと、どうしようもなく照れくさかった。
「約束通りきちんとするから――ただ、目を閉じていてくれると、助かる」

 ハルシャの消えそうな声の告白に、にこっとジェイ・ゼルが微笑む。
「解ったよ、ハルシャ」
 素直に彼は瞼を動かす。
「これで、良いかな」
 ジェイ・ゼルが目を閉じた途端、ハルシャの心拍数が倍ほどになった。

 目を瞑るジェイ・ゼルは、とんでもなく美しかった。

 眼差しの圧が消えると、彼の造作の美麗さが際立って見える。
 黒い優美な睫毛が、瞼の先を彩っている。
 影を微かに落として、彫りの深い彼の顔を浮かび上がらせる。
 きれいだった。
 思わず言葉を失い、ハルシャは目を閉じるジェイ・ゼルの顔に見惚れた。

 瞼を閉じる姿はいつもの彼と違いひどく無防備で、余計に心臓を強く打たせる。
 見慣れているはずなのに、頬が燃えるように熱くなってしまった。
 目を開いている時よりも、閉じている時の方が、破壊力が増すなどどういうことだろう。

 ジェイ・ゼルは口角を上げたまま、ハルシャの行為を静かに待っていた。
 いつまでも、彼を放置するわけにはいかないと、思い返して、行動に移る。

 そっと両手でジェイ・ゼルの頬を包んだ。
 ドンドンと鳴る自分の心臓の音を聞きながら、ハルシャはゆっくりと顔を近づけた。
 こんな昼間から何をしているのだろうと、わずかに残った理性が声高に告げる。
 だが。
 約束は約束だ、と自分を納得させる。
 顔を寄せると彼の爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
 慣れた匂いに、緊張がなぜかふっと和らいでいく。
 吸い寄せられるように、唇を重ねた。
 ぴくっと、ジェイ・ゼルの瞼が痙攣する。
 彼の反応が何となく嬉しくて、静かに彼の唇を探った。
 穏やかに彼が応えてくれる。
 まだ彼は目を閉じていた。
 少し大胆な気持ちになって、ハルシャは舌をそっと差し入れた。
 ペナルティに代えるのならそのぐらいは必要かと思ったのだ。
 小さく笑って、ジェイ・ゼルが舌を迎え入れてくれた。
 彼の唇から与えられる熱に、次第に思考が鈍っていく。無心に探っていると、背中にあった手が不意に強く引き寄せて、きつく抱き締められていた。
 ゆっくりと、灰色の瞳が開く。
 ドキンと、動揺した間隙を狙うように、ジェイ・ゼルが深く唇を合わせてきた。
 翻弄される。
 あえやかな吐息をつくと、ジェイ・ゼルが唇を離した。

「どうしてかな、ハルシャ」
 ごく近いところで、言葉が滴る。
「ここが、大きくなっているよ」
 そのまま背中から手が二人の体の間に滑り込み、昂ぶり始めた場所に、さらりと触れた。

 かっと、頬に朱が散った。
 しまった。
 彼に気付かれないように、慎重に身を浮かせていたはずだった。なのに、翻弄されるままに足から力が抜けて彼の膝の上に体重を預けていたようだ。
 くすっと小さくジェイ・ゼルが笑う。
 確かな質量を彼に手で測られ、恥ずかしくてハルシャは顔を背けた。
 逃さぬように腕が自分を包み込む
「どうしてだろうね、ハルシャ」
 ジェイ・ゼルが愛しげに微笑む。

 顔が羞恥に赤らんだ。
 原因はジェイ・ゼルだ。
 ポーカーをしている間中――二時間もの間。
 次第に服が心許なくなっていくハルシャを、ジェイ・ゼルはずっと見つめていた。
 さらす素肌を、ほとんど裸体の自分を。
 視線で愛撫をされているようだった。
 高められ続けたものが、出口を求めていた。
 最後の下着を脱いでしまえば、彼に露見してしまう。
 これほどまでに、求めていることを。
 だからつい、ためらってしまったのだ。
 彼に知られたことに、身が震える。

 ふっと笑うと、彼は呟く。
「さて、この後どうしようね。もう一勝負と思ったけれど。無理かな? こんなに大きくなってしまったら――もうカードどころではないね。ハルシャ」
 羞恥に身を捩るハルシャへ、ジェイ・ゼルが首を傾けて顔を寄せる。
 手の先が再び昂ぶりにそっと触れる。
「ハルシャは、どうして欲しいのかな?」
 びくっとハルシャは身を震わせた。
「言ってごらん。恥ずかしくないよ。ほら、ハルシャ――ここを、どうして欲しいのかな?」

 ジェイ・ゼルの優美な指先が昂ぶりの形をなぞる。
 きゅっと眉を寄せて、ハルシャは唇を噛み締めた。
 やわやわとジェイ・ゼルの手が、昂ぶりを撫であげる。カードの箱の端にそっと触れていたのと同じ手つきだった。

「ほら、ハルシャ。ショウダウンだよ――手札をさらして勝負をつける時だ」
 吸い込まれそうな瞳が、自分の心をのぞき込む。
「このままでは辛いのではないかな? どうしようね、ハルシャ。私に何をして欲しい?」

 駆け引きをしても、最後には本当の手札を見せる。
 そこで、勝敗を決める。
 ポーカーでは、勝った者がその場にベットされていた全てのチップを独りで手にする。
 このトランプでのゲームを持ちかけた時から、ジェイ・ゼルは自分に勝負を挑んでいたのだろうか。
 最後にはこうなることを、彼は見越していたというのだろうか。

「恥ずかしがらなくていいよ、ハルシャ。君の真実を教えておくれ」
 指先の刺激が止まらない。
 ハルシャはふるふると身を震わせた。
「いつも言っているはずだよ。どんな君でも私は受け入れる――さあ、言ってごらん」
 手札をさらしてごらんと、言われているような気がした。
「この昂ぶりを……どうして欲しい? ハルシャ」

 教えてくれたポーカーなら、手に持つ手札のランクが高い方が勝つ。
 では、この勝負はどうなるのだろう。
 より相手を愛した方が、勝つのだろうか。
 それとも、負けるのだろうか。
 でも。
 自分はジェイ・ゼルに勝つことなど出来そうになかった。
 勝負の場に座った時から、もう勝敗は決まっている。
 彼に抗う術など、自分は何も持たなかった。

 息の触れるほど近い場所で、ジェイ・ゼルが自分の言葉を待っている。
 ためらいながら顔を向けると、灰色の瞳がじっと自分を捉えていた。
 何の手管も使わない、真っ直ぐな眼差しだった。

 不意に思い出す。
 そうだ。
 最初からそうだった。
 彼は何の手管も使わずに、ただその身だけで自分を愛してくれる。
 飾りのない心で真っ直ぐに自分に向き合ってくれていたのだと、気付く。
 ブラフなどかけることなく、いつも彼は、自分の手札を惜しげもなくさらしてくれていたのだ。
 愛しさが込み上げる。
 向かい合って真剣にカードを繰りながら、本当は勝ち負けよりも、彼と同じ時間を過ごせたことが何よりも楽しかった。ペナルティとして、普段ではとても出来ないことをすることですら、深い信頼の証のようにも思えた。
 互いをさらす、真剣な遊戯。
 そうだ。
 ジェイ・ゼルには、全てを見せられる。それがどんな自分であっても。
 こんなにも、彼を切望する自分自身ですら。


 本当の君を私に見せてくれ。私に――私だけに。


 遠い昔、優しく囁かれた言葉が耳に響いた。
 今も同じ想いを、ジェイ・ゼルは自分に告げていた。
 本当の君を、私に見せてくれと。

「ジェイ・ゼル」
 ハルシャは呟いた。
「さっきから、本当は苦しかった。あなたに気付かれるのが、とても恥ずかしくて……でも、止められなかった」
 困惑を滲ませながらも、言葉を滴らせる。
「身体の芯が熱いんだ、ジェイ・ゼル」
 窮状を告げる言葉に、ふと、痛みを得たようにジェイ・ゼルは眉を寄せた。
 指先が、優しくなった。
「あ……あなたに」
 言葉を待つジェイ・ゼルに、震える声でハルシャは自分の真実をさらした。
「愛してほしい――お願いだ、ジェイ・ゼル」 
 まだ日の高いときなのに。
 下着一つで彼の膝の上に座って、自分はあられもない乞いを、彼に告げている。

 懇願に、ジェイ・ゼルは笑いを消した。真摯な眼差しが自分を包む。
 ハルシャはジェイ・ゼルの灰色の瞳を見つめ返した。
 この瞳の中に映る姿が本当の自分だった。
 彼に愛してほしくて目を潤ませる、これが――。

 ジェイ・ゼルの右手が動き、するっと頬が撫でられた。
 素直な言葉を呟いた口を褒めるように、彼は優しく唇を触れあわせた。

 しっとりと愛撫を施してから、彼は顔を離してわずかな距離を取る。
「奇遇だね、ハルシャ」
 先ほどまで触れていた場所から、静かな言葉がこぼれ落ちた。
「私も君と、愛し合いたい」
 熱を帯びた眼差しが、自分を包む。
「今すぐに」

 同じ手札なら、引き分けになる。
 ジェイ・ゼルはそう教えてくれた。
 チップも同額を分け合うと。
 彼が愛してくれていると同じぐらい、自分もジェイ・ゼルを愛していた。
 それなら。
 引き分けになるのだろうか。
 同じぐらい互いを想い合っていたのなら――もしかしたら、勝敗など二人の間にはないのかもしれない。
 同じ空間で時を過ごす、それだけで心が満たされる。
 勝ち負けも駆け引きもなく、ただ無心に互いを与えあう。
 それが、自分とジェイ・ゼルの関係なのかもしれない。

 見つめ合った後、星々が引き合うように、ハルシャは想いを込めてジェイ・ゼルの唇を再び覆った。
 ペナルティでも何でもなく。
 ただ、彼が愛しかった。

 しばらく唇を合わせてから、ハルシャはジェイ・ゼルに抱き上げられていた。
 力強い歩幅で、手洗いへと運ばれる。
 その間も、ハルシャは彼から唇を離さなかった。




 その後――
 何度かハルシャはジェイ・ゼルにポーカーの再戦をもちかけた。
 快く、彼は勝負に乗ってくれる。
 エースとジャックがホールカードに来た場合、など、あらゆる事態を想定し、事細かに計算し、確率を出してハルシャは勝負に挑むのだが、実際の場では役に立たなかった。
 ペナルティは相変わらずだった。
 ハルシャは丸裸になるのに対して、ジェイ・ゼルには、上着を一枚脱がせるのが精一杯だ。
 勝負にかける意気込みを示すような、びっしりと計算が施された紙を見つめて、ジェイ・ゼルは声を上げて笑った。
 そして、そっとハルシャの耳元に呟く。

 私にとって君は――
 最強の手札。
 ロイヤルストレートフラッシュだよ、と。

 ハルシャは驚いて、彼を見返す。

 ロイヤルストレートフラッシュが出るのは、六十四万分の一の確率だ、ジェイ・ゼル。

 と告げると、彼は再び高らかに笑った。



(了)




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