ほしのくさり

余話 ~天からこぼれた物語~

この想いの名は、永遠。


はじめに

※この物語は『ほしのくさり』の物語(最終話)になります。
※ジェイ・ゼルとハルシャは、養子を迎えて家族として暮らしています。
※養子に関する話題が出てきます。どうか苦手な方は閲覧回避して下さい。
(一話完結)






 

 私の名前は、マオ・アナスタシア・ヴィンドース。
 でも、生まれた時は違う名だったらしい。

 唐沢からさわ眞央まお

 それが、最初につけられた名前。
 けれど生後間もなく、ハルシャ・ヴィンドースの養女となって、マオ・ヴィンドースと名前が変わった。
 アナスタシアという名を与えてくれたのは、ジェイ・ゼル父さまらしい。
 ジェイ・ゼル父さまは、最初養女を迎えることに難色を示していたようだ。
 けれど、私の眼が、ハルシャ父さまと同じ金色をしていることを知ってから、不意に心を変えたと聞く。
 これは全て本当の父である、リュウジ叔父さまからの話だ。
 ハルシャ父さまも、ジェイ・ゼル父さまも何一つそんなことは語らない。
 いつも睦まじく身を寄せて、あふれんばかりの愛情を私に注いでくれる。
 二人は私の、尊敬する大切な両親だ。


 ***


 夕食の後、自分の部屋で勉強するのがマオの日課だった。
 時には居間の机で、父親たちに教えてもらいながら宿題をすることもあったが、今日は自分でできる課題なので、大丈夫そうだ。
 さくさくと宿題を終えて明日の準備をしていたマオは、提出期限が迫った、保護者のサインが必要な書類を発見した。

 あ、忘れていた。

 思わず心に呟く。
 それは、進路に関する調査書だった。
 職業が専門かつ高度化してきた今日では、早い段階から将来を見据えて進路が決められる。
 八歳のマオも、もうつくべき仕事のカテゴリーを決める時期に来ていた。
 期限の近い書類を持ち、マオは立ち上がり自室を後にした。

 食後は、二人の父親は居間でいつもくつろいでいる。
 マオは書類を手に、両親のいる居間へ向かった。
「パパ、ダッド」
 声をかけて入った居間のソファーに、ジェイ・ゼル父さまが座って、読書をしていた。
 その膝に頭を預けて、ハルシャ父さまはうたた寝をしているようだ。
 ほんのりと眠る顔が赤い。
 ソファーの前のテーブルにはグラスが二つと、中身がほとんどないクラヴァッシュ酒の瓶が置いてある。
 お酒を飲んだのだ。
 横向きになって、ハルシャ父さまはすやすやと眠っている。

 ハルシャ父さまはお酒にとても弱いので、飲むとすぐに寝てしまうとジェイ・ゼル父さまは言っていた。それでも、よく美味しいクラヴァッシュ酒が手に入ったと言っては、嬉しそうにハルシャ父さまに飲ましている。
 酔った後はすぐに寝てしまうのに、なぜだろう。
 今も、気持ちよさそうにハルシャ父さまはまどろんでいる。
 横たわる体に、ジェイ・ゼル父さまの上着がかけてあった。
 邪魔をするのが申し訳ないような、とても親密で静かな時間が、二人の間に流れていた。

「どうしたのかな、マオ」
 空間に浮かぶ光文字から目を上げて、ジェイ・ゼル父さまが問いかける。
「ごめんなさい、パパ」
 マオはややこしいので、ジェイ・ゼル父さまをパパ、ハルシャ父さまをダッドと呼ぶことにしていた。
 手にしていた書類を差し出しながら、ためらいがちに歩を進める。
「保護者のサインが必要な書類があるの」
「どれ」
 ジェイ・ゼル父さまが微笑みながら手を伸ばしてくれる。
「見せてくれないか」
 深みのある優しい声で、ジェイ・ゼル父さまが自分を招く。
 側に歩いて行き、マオは書類を手渡した。
 受け取る動作で空気が動き、ジェイ・ゼル父さまからふわりと爽やかな香りが漂ってきた。
 マオはこの香りが大好きだった。 
 小さい頃は胸に抱かれながら、香りを思いっ切り吸い込んでいたことを思い出す。
 そして呆れるほどに、ジェイ・ゼル父さまは美しかった。
 睫毛を伏せて書類を読む、目の前の父親の姿にぼんやりとマオは見とれていた。

 受け取った書類に目を通してから、ジェイ・ゼル父さまが静かに微笑んだ。
「マオは、宇宙飛行士になりたいのかな?」
 第一希望には、そう書いた。
 はっと心を戻して、力強くうなずく。
「ダッドが昔なりたかった夢だと聞いたから」
 それに。
 ミア・グランマからも、宇宙の話をよく聞く。
 ハルシャの親代わりに近いミア・メリーウェザは、昔宇宙を翔ける船医だった。
 面倒見の良い彼女のところへ、ハルシャ父さまはよくマオを伴って訪れていた。
 マオが大好きな人だった。
「ファグラーダ酒の飲み方も、大きくなったらきちんと、ミア・グランマに習っておくから――大丈夫よ、パパ」
 マオの言葉に、小さくジェイ・ゼル父さまが笑った。
「どんな話を、メリーウェザ医師から聞いているのかな。マオ」
「宇宙船乗りの新人歓迎会は、ファグラーダ酒の樽が空くって」
 くすくすと、小さくジェイ・ゼル父さまが笑い続ける。
「誇張した話だよ。宇宙は厳しいからね」
 灰色のきれいな瞳が、自分を包むように見つめる。
「凄まじい孤独に耐えるために、宇宙では酒を飲まずにはいられないだけだよ」
 ジェイ・ゼル父さまは優しく微笑む。
「お酒を飲む技術だけが、宇宙船乗りに必要な訳ではないよ、マオ。簡単に考えるのはどうかな」
 何となく、気付く。
 ジェイ・ゼル父さまの口調には、反対するような雰囲気がある。

「パパは、反対なの?」
 思い切って問いかけたら、ジェイ・ゼル父さまは笑みを深めた。
「はっきり言うと、反対だね」
 意外だった。
「ど、どうして?」
 こんなにあからさまに反対されるとは思ってもみなかった。
 ジェイ・ゼル父さまは、マオがしたいと言うことはほとんど希望を叶えてくれた。その父親からの言葉に少なからず衝撃を受ける。
 驚きのあまり、問い返す声が震えた。
 ジェイ・ゼル父さまの顔から笑みが消えた。
「マオには、ずっとハルシャの側にいてほしいと願っているから、かな」

 不思議な静けさのある声だった。
 しばらく、見つめてからジェイ・ゼル父さまはいつもの笑みを浮かべた。
「マオが、ハルシャと一緒に居てくれると思うと、私が安心できる。
 それだけの理由だよ」
 視線を落とすと、進路調査票を見つめてから、言葉を続けた。
「マオが宇宙に行くと、ハルシャが独りになってしまうからね」

 首を傾げてマオは再び問う。
「だって、ダッドの側には、パパがいるのでしょう?」
 ジェイ・ゼル父さまは、視線を上げなかった。
「そう、願っているけれどね」
 ふっと息を吐くと、静かに顔を上げて、ジェイ・ゼル父さまが微笑む。
 優しく、悲しい笑みだった。
「残念ながら、寿命というのがあってね。私は恐らく、ハルシャを置いていってしまう。その時に、マオがハルシャの側にいてくれるのだと思うと、とても安心できる」

 すごく先のことのはずなのに。
 なぜかジェイ・ゼル父さまは、ごく近い未来のような口ぶりで、告げる。
 冗談として笑い飛ばせず、マオは黙り込むことしか出来なかった。
 優しい灰色の瞳を見つめ続ける。
 笑みを深めると、ジェイ・ゼル父さまは視線を再び書類に向けた。

「だが――それは私の勝手な想いだ」
 自分自身に対して語り掛けるように、ジェイ・ゼル父さまは呟いた。
「マオは、マオの思うように天を翔けると良い。翼を持つ者は、空を飛ぶように出来ている。どんなに困難でもやはり、空を目指すのだろうね。
 聞き流しておくれ――私の勝手な思いなどはね」

 ひどく詩的な言葉を、時々ジェイ・ゼル父さまはマオに語る。
 それもそのはずだ。
 ジェイ・ゼル父さまの本職は、詩人だった。
 優しく微笑むと、傍らにあった筆記具を手にして、ジェイ・ゼル父さまが言葉を続ける。
「離れていても、家族は、家族だ。
 ハルシャなら、そう言うだろうね」

 さらさらと、ジェイ・ゼル父さまがハルシャ父さまの名前を代筆する。
「ハルシャには、私から話しておこう。娘が自分の夢を継ごうとしていると聞いたら、きっと彼は喜ぶだろう」
 ひどく愛しげに、いつもジェイ・ゼル父さまはハルシャ父さまの名を口にする。
 この世で一番貴重な言葉のように。
「マオはいい子だね」
 呟きと共に、書類が返ってくる。
「私たちの誇りだよ」

 優しい言葉を聞くたびに、なぜか、マオは泣きたいような気持になる。
「パパとダッドの娘で良かった」
 ようやくそう言うと、マオは書類を受け取った。
 流麗な文字を見つめる。
 マオはジェイ・ゼル父さまの字が好きだった。芸術家らしい、繊細で華やかな文字。
 ハルシャ父さまは、角張ったきちっとした字だ。技術者に特有のものらしい。
 個性の違う二人が、マオは大好きだった。
 どうして、パパとダッドが男同士で結婚しているのか、まだマオは聞いたことがなかった。
 聞かなくても、愛し合っているからだと解る。
 でもいつか。
 どこで二人は出会い、どうやって愛を育んだのか、尋ねたいと思っていた。
 もっと大きくなって、二人が自分を一人前の人間だと認めてくれた時に。

 まだ前に立つマオの頭を、細く長い指をしたジェイ・ゼル父さまの手が撫でる。
「言うようになったな」
 ジェイ・ゼル父さまが微笑む。
 深い灰色の瞳を見ていると、嵐の時の海のようだとマオは思う。
「パパの娘だもの」
 くしゃっと髪がさらに撫でられて、手が引かれた。
「もう夜も遅い。早く寝なさい」
「はーい」
 間を引き延ばした発音で返事をして、くるりとマオは踵を返した。
 自分の髪を撫でていた手は、今はハルシャ父さまの髪に触れ、静かに撫でおろしている。
 ジェイ・ゼル父さまは、ハルシャ父さまの真っ直ぐな赤毛が好きだ。
 朝、ハルシャ父さまが仕事に出かける時は、いつも優しい手つきで撫でてから送り出す。
 気を付けて、と小さく呟きながら、そっと唇で触れて名残りを惜しむ。しばしの別れすら、辛いかのように。
 揺るぎない愛情で繋がれた二人の姿が、マオは誇らしかった。

「おやすみ、マオ」
 声に振り向く。
 明度を落としたオレンジがかった温もりのある光の中に、身を立てるジェイ・ゼル父さまと、安心したように膝に眠るハルシャ父さまの姿が浮かび上がっていた。
 美しくて静かな二人の姿を、じっと見つめる。
 ふと、マオは思う。

 まるで――
 おとぎ話の一節のようだ。

 そうして、二人はいつもまでも幸せに過ごしました、と、物語の最後を締めくくる一コマのように。
 安らぎに満ちて、平和な空間が二人の間にあった。

「おやすみなさい、パパ。ダッド」

 この一瞬を切り取るように記憶に収めながら、マオは笑顔で二人に就寝の挨拶をした。
 ぱたんと扉を閉じても、愛し合う二人の穏やかな姿が、胸の奥をほんのりと温かくしているのを大切に抱きしめながら、マオは自室へと戻って行った。


 *


 ゆったりと、ジェイ・ゼルはハルシャの髪を撫で続けていた。
 目を開くと、温かな枕から頭を動かし、ハルシャは上を向いた。
 柔らかな光に、ジェイ・ゼルの顔がいつもよりも陰影鮮やかに見える。
 おや、と驚いたように彼は眉を上げた。
「起きていたのか? ハルシャ」
「驚かせるつもりはなかった」
 先ほど飲んだクラヴァッシュ酒がまだ残る息を吐きながら、ハルシャは言葉をかける。
「何となく、声をかけそびれてしまって……」
 詫びるように呟いた言葉に、ジェイ・ゼルが微笑みを浮かべる。
「それは良かった。伝える手間が省けた」
 瞳にオレンジの光を宿し、手を動かしながら言葉を続ける。
「私たちの娘は、宇宙飛行士を目指すそうだ」

 額に張り付く髪を、そっとジェイ・ゼルの手が梳く。
「君の夢を継ぎたいようだね」
 露わになった額に、顔を寄せてジェイ・ゼルが唇を触れさせた。
「良い娘を持ったね、ハルシャ」
 ひどく近いところで、呟きが滴る。
「メリーウェザ医師に、ファグラーダ酒の飲み方も習っておくそうだ。実に抜け目がない」
 くすくすとジェイ・ゼルが笑う。
 ハルシャは腕を伸ばして彼の頭に優しく触れると、自分に引き寄せた。
 額ではなく、唇に触れてほしかった。
 想いが伝わったように、優しい笑みの形のまま、彼の温もりが唇の上に落ちる。
 互いの中のクラヴァッシュ酒の残滓を舐め取るように、舌を絡め合う。
 無理な姿勢を取らせていることに気付いて、ハルシャは腕を緩めた。
 少し離れた口で、呟く。
「ジェイ・ゼルは、反対なのか」

 ゆっくりと身を起こしながら、ジェイ・ゼルは沈黙していた。

 はじめ。
 リュウジが提案してくれた、サーシャの子を自分たちの養子にしてはどうか、という話に、ジェイ・ゼルは乗り気ではなかった。
 二人で生きていくだけで十分ではないか、と。
 子どもではなくて、宇宙猫との同居はどうだい? ハルシャは宇宙が好きだろう?
 と、話をすり替えてくる。
 サーシャの子どもをとても可愛がっているのに、いざ自分たちで育てるとなると別次元のことらしい。
 ジェイ・ゼルは細やかな人なので、育児が負担になるのかもしれない。
 そう考え、ハルシャはリュウジの申し出に対して、丁寧に断りを入れた。

 そうですか。
 お二人なら、立派に育て上げられると思っていたのですが。

 と、リュウジは残念そうに呟いた。
 そもそもリュウジが養子の話を出してくれたのは、ヴィンドースの家名が、ハルシャの代で途切れてしまうことを、危惧してくれていたからのようだった。
直系のサーシャを、自分の妻に迎えていることを、リュウジは責任として感じてくれていたようだ。
二人でも十分幸せだから、と話すハルシャにようやく彼は頷きを与えてくれた。

 サーシャも、ハルシャならと、言っていたのですが解かりました。
 僕たちは子どもが多いのは嬉しいので、どうかお気になさらないでください。

 そして、リュウジとサーシャの三人目の子として、マオは生まれた。
 産院で生まれたばかり女の子を見たとき、ジェイ・ゼルは少し心を動かされたように、呟いた。

 この子は、ハルシャに似ているな。
 と。

 自分は伯父に当たるので、似ていることもあるだろう、と笑いながらハルシャは言葉を返す。

 マオは元気な産声を上げる赤ん坊だった。
 サーシャの産後の肥立ちも良く、母子が退院してから五日後に命名式が執り行われた。
 リュウジは新しい命に、唐沢眞央と、名付けていた。
 祝いの席には、ジェイ・ゼルとハルシャも招かれ、サーシャと眞央を囲んで身内だけの祝宴が持たれた。
 その席で、ジェイ・ゼルは生後間もない子を、腕に抱いていた。
 眩しげに目を開けるマオの顔をしばらく見つめてから、

 この子の眼は、金色に見えるね。

 と、優しい声で呟いた。

 赤ん坊の眼の色は変わると、リュウジが笑顔を向けながら言葉を返す。
 そうか、とジェイ・ゼルが微笑み、サーシャの腕に小さな命を戻した。
 その祝宴の帰りの飛行車の中で、彼の口から思いもよらない言葉が飛びだしてきた。

 あの子を、養女にするというのは、まだ可能かな、と。

 ハルシャは戸惑って聞き返す。

 どうしたんだ、ジェイ・ゼル? 乗り気ではなかっただろう。

 長い沈黙の後、彼が口を開いた。

 あの子はとてもハルシャに似ていた。
 一緒に居れば、親子と思う人もいるかもしれない。
 サーシャとリュウジには申し訳ないが、もし可能なら、養子に迎えて三人で暮らすのも悪くないなと、思ってね。

 前を向いたまま、彼は言葉を続けた。

 私には、親と言う存在がない。命を育て上げる自信など、どこにもないんだよ、ハルシャ。
 だから、申し出も断ってしまった。
 歪んだ生き方を押しつけてしまったらどうしよう、と、考えたら不安になってしまってね。
 けれど――
 もし、君と一緒に命をはぐくむことが出来たら、どれだけ幸せだろうといつも考えていた。
 君は愛情深い。
 きっと、いい父親になるだろう。


 どうして、急にジェイ・ゼルは考えを変えたのだろう。
 家に着くまで、ハルシャは心の中の疑問を口に出来なかった。
 いつものように、夜ベッドで彼の横に身を滑り込ませて、温かな腕に包まれながら、ハルシャはようやく、問いを口にしていた。

 どうして、急に考えが変わったんだ、ジェイ・ゼル。

 と。

 彼は虚空を見つめてしばらく何も言わなかった。
 静寂の後、彼はどこか遠いところへ向けて呟くように、静かな声で言った。


 私がこの世を去っても、君の側に心強い味方がいると思えば、安心出来る。
 君が独りではないと、思えたらね。


 ドキンと、心臓が躍った。

 リュウジに、聞かされていた。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、作為的に寿命を短く設定されている。
 老いを迎える前に命が尽きるように――美しい容姿のままで散る様に、運命づけられているのだと。
 惑星アマンダのそれが遣り方だった。
 ジェイ・ゼルの中には、商品価値を上げるための狡猾なプログラムが、生まれたときから仕込まれている。それに、逆らうことは難しい、と。

 それでもリュウジは、遺伝的なプログラムを何とかしようと、手を尽くしてくれた。
 ジェイ・ゼルの遺伝子から治療薬を開発してくれたのだ。
 細胞に仕込まれた自死プログラムを回避する薬を、ジェイ・ゼルは今も服用している。
 そのお陰で、『愛玩人形ラヴリー・ドール』としては長命を保つことが出来ているらしい。
 けれど――それでも。
 尽きる命を止められない。
 指の間から砂がこぼれ落ちるように、彼の命が失われていく。
 ジェイ・ゼルはたぶん、一番よく自分の身体のことを解っているのだろう。
 不意に現実を突き付けられたようで、ハルシャは思わず震える声で呟いていた。

 そんなことを、言わないでくれ。ジェイ・ゼル。
 あなたは長く生きる。リュウジもそのために治療薬の開発を今も行ってくれている。

 ハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルは笑った。

 ハルシャが先に行くかもしれないね。
 それでも――心配なのだよ。君が……


 言葉が途切れる。
 その後の言葉が聞こえたような気がした。

 君が……私のいない世界で、どうやって生きていくのかと、思うと。

 尽きていく自分の命を見つめながら、ジェイ・ゼルはただ、ハルシャの行く末を心配してくれていた。
 彼の愛情の深さが、胸を抉る。

 ジェイド。

 彼の本当の名を呼んで、ハルシャは自ら彼を求めた。
 激しく身を合わせながら、彼を刻み付ける。
 自分の中に……永遠に消えないように。

 その日――
 夜明けまで長く深く愛し合った後、二人は一つの結論に達した。
 自分たちの人生に、幼い命を受け入れようと。

 そうして、唐沢眞央は、マオ・アナスタシア・ヴィンドースという名になった。
 ハルシャたちは、マオを養女とする時に誓った。
 自分たちのために、マオを迎えたのではない。
 彼女がより良い人生を送ることができるように、自分たちの最善を尽くそう、と。
 マオが三歳になるまで、ハルシャは仕事を自宅でし、ジェイ・ゼルと一緒に育児に勤しんだ。
 初めて娘にミルクを与えた時のジェイ・ゼルの顔を、今も覚えている。
 今だかつて体験したことのないことを積み重ねて、ここまで自分たちは歩いてきた。
 マオの傍らで、古い惑星ガイアの子守唄を歌うジェイ・ゼルの眼差しは、いつも深く優しかった。


 ハルシャが回想を巡らせている長い沈黙の後、ジェイ・ゼルが不意に口を開いた。
「反対ではないよ」
 ふっと、微笑む。
「単に寂しく思っただけだよ。娘が宇宙に旅立ってしまったらと、考えたらね」

 嘘だ。
 ジェイ・ゼルはいつも優しい嘘をつく。
 誰も傷つけまいと、自分だけ痛みを抱えて。

「ジェイ・ゼル」
 ハルシャは、手を伸ばして彼の腕に触れた。
「こうやってあなたに触れると、私はいつも永遠を感じるんだ」

 ジェイ・ゼルの灰色の瞳が、温もりのある光の中でハルシャを見つめる。
 彼の孤独に向けて、言葉を呟き続ける。

「過去と未来の狭間のこの一点で、あなたと一緒に居られる。未来のどこかで離れることになっても、この触れている手の温もりは確かに存在した。
 そのことをいつも思う。
 直接触れることが出来なくなっても、この手の中には、あなたの温もりが残り続ける。
 それを――永遠だと、いつも思うんだ」

 にこっとハルシャは微笑む。

「離れていても、あなたを感じる。私は、寂しくないよ、ジェイ・ゼル」
 触れる手に力がこもる。
「未来もずっと想い続けるほど、あなたは私を愛してくれている――この中に、あなたの愛が満ちている。
 だから」

 涙が溢れて、目尻を伝う。

「私は、大丈夫だよ、ジェイ・ゼル」

 身を起こされ、抱き締められていた。

 強く、激しく。
 深く、静かに。

「別れる時が来るのなら――どうして出会ってしまったのだろうね」
 ジェイ・ゼルが痛みをこらえるように、震える声で呟く。
「そう思ってしまうほど、辛いんだ、ハルシャ。君を残していくのが。君を独りにしてしまうのが……」

 ジェイ・ゼルには、聞こえるのだろうか。
 自分の寿命が流れ落ちていく音が。
 強く強く抱き締めながら、ジェイ・ゼルの身が震える。

「もう一度、人生をやり直せるとしても」
 ハルシャは腕に力を込めて呟いた。
「私は、ジェイ・ゼルに逢いたい」

 ジェイ・ゼルの震えが止まった。
 彼を自分に強く引き寄せる。

「同じ苦しみをもう一度味わうとしても、ジェイ・ゼルに逢いたい。
 何度でも、何度でも。
 あなたに出逢いたい――ジェイ・ゼル」
 いつも自分を支えてくれる肩に、涙の滲んだ顔を埋める。
「後悔などしない。たとえ置いて行かれても、ジェイ・ゼルはきっといつか迎えに来てくれる。
 だから、恐くない。生き抜いて見せる。大丈夫だよ、ジェイ・ゼル。生きるだけの愛を、あなたは私に注いでくれた。だから、大丈夫」

 たとえ残されても。
 生きて、生きて。
 あなたを想いながら、生きて。
 いつか宇宙が懐へ呼んでくれた時には――
 きっとジェイ・ゼルは迎えに来てくれる。
 だから。
 独りで生き抜いて見せる。
 それが、自分が彼に対して示せる、愛の証のような気がした。

「不安にならないでくれ、ジェイ・ゼル。私なら、大丈夫だよ」

 あなたの愛が、私を満たしてくれているから。
 歩いて行ける。
 ジェイ・ゼルが教えてくれた子守唄のように。
 千年と万年。
 寿命が違っても――たとえ残されても。
 独りでも、きっと。
 あなたへの愛を胸に、生きていける。

 抱き締められたまま、そっと唇が髪に触れた。
「私が思うよりも、君は強いんだろうね」
 唇を髪につけたまま、ジェイ・ゼルは呟いた。

 ふっと笑うと、気持ちを切り替えたような口調で、
「リュウジの体質に似ていたら、さぞかし酒豪だろうな、マオは」
 と、笑いを含んだ声で呟く。
 温もりのある息が、髪に触れた。

「私の父も酒量はなかなかのものだった」
 ハルシャも顔をジェイ・ゼルに寄せながら、明るい声になって言う。
「サーシャも、私よりはるかにアルコールに強い」
「そうか」
 くすくすとジェイ・ゼルが小さく笑う。
「なら、宇宙船乗り達の新人歓迎会を、何とかマオは乗り切ることが出来るかな?」
 細めた声でジェイ・ゼルがハルシャの耳元に呟く。
「いざとなったら、私が保護者代表として同席するよ。そして、マオの代わりに杯を乾してあげよう」

 想像して、思わずハルシャは笑い声を上げた。
 ジェイ・ゼルがマオの隣りで睨みを効かせたら、誰も寄り付かなくなるだろう。
 彼ならやりかねないところが、おかしかった。

 優しく髪を撫でながら、彼が呟く。
「マオが宇宙飛行士になったら……彼女が操縦する宇宙船を、二人で宙港から見送ろう。無事に帰ってくるように、手を振ってね」
「そうだね、ジェイ・ゼル」
 ぎゅっと身を抱きしめる。
「そうしよう。二人で――」

 互いの呼吸を聞き合う沈黙の後、ハルシャはぽつりと呟いた。

「愛している。ジェイ・ゼル」

 ふっと笑うと彼は微かに身を離して、ハルシャを見つめた。
 柔らかな光を瞳に宿しながら、ジェイ・ゼルが呟く。
「ハルシャ」
 顔を寄せて、囁きがもれる。
「――私もだよ」
 静かに唇が覆われた。

 唇から優しく溶け合う熱に、再び、あの時の感覚が蘇る。
 ジェイ・ゼルを愛しいと思う気持ち。
 ジェイ・ゼルから注がれる深い愛情。

 永遠、だ。

 と。

 二人の間にある想いの本当の名を、その時初めて、ハルシャは知った。






『この想いの名は、永遠。』 了




※ここまで『ほしのくさり』をお読み下さってありがとうございますm(__)m
 お付き合い下さいました読者さまに、深く感謝申し上げます。
 『この想いの名は、永遠。』を一応、『ほしのくさり』の最終話とさせて頂きます。
 このあとも、ルチルの人生の続く限り、ぽつりぽつりとジェイ・ゼルとハルシャの物語、そして、彼らを取り巻く人々の物語を、綴り続けて参りたいと思います。
 私にとっても、この『ほしのくさり』の物語は、永遠に続く物語で、命のある限りジェイ・ゼルとハルシャの生きた軌跡を文字として残したいと願っております。
 この物語を締めとしたあと、新しい物語はまた余話に追加して参りたいと思います。気長にお付き合いいただけましたら、望外の喜びです。


 そして。
 最後に、私が真の最終話と考えている『星海を渡る翼』をThe Final Episode ~さいごの物語~として、挙げさせて頂きたいと思います。
 注意書きをよくお読みの上、それでも大丈夫というお方のみ、真の最終話、『星海を渡る翼』へお進みいただけたらと願っております。

 ジェイ・ゼルとハルシャの長い旅も小休止です。また、新しいエピソードでお会いできることを、楽しみにしております!
 ここまでお読み下さって、本当にありがとうございました!

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