ほしのくさり

第212話  ほしのくさり(最終話)







 七年後――
 帝星ディストニア首都・帝都ハルシオン
 セドルオ地域  



「ヴィンドース主任!」
 呼びかけに、ハルシャは振り向いた。
「お引止めして申し訳ありません、もう一度確認させてください。ヴァンヂガ工法では、ここでチタンを5パーセント使用するのでしたね」
 長期休暇に入ろうとするハルシャに、不明点を懸命に部下が尋ねている。

 足を止めて、ハルシャは丁寧に説明をした。
 解らないことがあれば、アデイド主任技術士に聞いてくれと、付け加える。
 それでやっと、年若い部下は納得したようだ。
 本当は朝から休みを取る予定だったのだが、どうしても出て欲しいと言われ、時間ギリギリまで仕事をしていた。
 だが。
 もう、限界に近い。
「不在で不便をかけてすまない。あとはよろしく頼む」
 話を切り上げる言葉を述べて、ハルシャは駐車場へ向かった。帝星についてからすぐに飛行車の免許を取って、今では自在に乗りこなしている。
 だが、今日乗るのはレンタルしている飛行車だった。
 胸を躍らせながら、駐車場へ向かう。
 乗り込んだ座席の横には、サボテンが一つ、静かに座を占めていた。

 ハルシャの走っていく後ろ姿を、部下たちは見送っていた。
「嬉しそうだね、主任」
「ずっと、そわそわしていたからね。とても大切な人を、迎えに行くらしいね」
「そうそう。ずっと逢うのを楽しみにしていた人らしい」
「そして、長期休暇――」
 部下たちは顔を見合した。
「難攻不落のヴィンドース城にはどうやら、はじめから相手がいたようだね」


 *


 コンコンと、軽やかなノックの音がした。
「どうぞ」
 声をかけると同時に、
「今、大丈夫? リュウジ」
 と、サーシャが扉の影から顔をのぞかせた。
 出会った時は十一歳だった少女は、今は十八歳に成長していた。

 帝星ディストニアでは、十八歳で成人を迎える。彼女の誕生祝兼成人祝いを、ハルシャとドルディスタ・メリーウェザと行ったのは、最近のことだった。
 もう大人だとはしゃいでいた姿を、リュウジは憶えていた。

「大丈夫ですよ、サーシャ」
 副総帥室を、アポなしで扉を叩けるのは、サーシャだけだった。
 吉野も、彼女だけは止めない。

 すんなりと伸びた足を惜しげもなくさらし、ショートパンツの出で立ちでサーシャはゆっくりと部屋の中に入って来た。
 リュウジは複雑な演算の途中だったが手を止めて、サーシャへ視線を向ける。
 帝星へ移り住んでから、ハルシャとサーシャは、リュウジと同じ屋根の下で生活を共にしていた。
 それが便利ですよ、という言葉に、素直に二人は従う。
 ドルディスタ・メリーウェザの実家の近くに手ごろな家を見つけて、三人で暮らし始めてもう、七年が経っていた。
 長いようで、短い年月だった。

 ハルシャは、前職の経歴を生かして、リュウジの経営する宇宙船の部品工場に職を得ている。今では技術主任の地位にあり、素晴らしい業績を上げていた。
 何と彼は、自分がハッタリで設計した、ファイ・ガレン理論を応用した駆動機関部を作り上げてしまったのだ。
 その才能には舌を巻く。
 彼は――故郷の星、惑星トルディアの巨大なドーム都市、ラグレンの浄化装置を、そのファイ・ガレン理論を使った動力に置き換えられないかと、考えていたようだ。
 努力は実を結び、極秘裏にスクナ人から動力源が差し替えられる未来も近くなっていた。
 そしてハルシャは――
 今日から一年間の長期休暇を、職場に申請している。

「そういえば」
 リュウジはにこやかにサーシャに言う。
「銀河帝国文学大賞の受賞が決まったそうですね」
 サーシャは眉を上げた。
 どうして知っているのか、という顔だ。
「ま、まだどこにも出ていないはずだけど……」
 サーシャがうろたえている。
「すみません。色々、情報網があるのです」
「そ、そうなんだ」
 ゆっくりと、サーシャが近づいてくる。
「賞を取るのも当たり前の、素晴らしい作品でした。『ラグレンに今日も雨は降らない』
 しみじみとした文体が、とても情緒豊かで――感動しました」

 口にした途端、サーシャの顔が真っ赤になった。
「よ、読んだの? リュウジ」
「はい。出版された日に」
「本は家に見当たらなかったけど――」
 うろたえたサーシャの顔を楽しそうに見つめ、リュウジは笑顔と共に机の引き出しを開ける。
「職場で読んでいました。家で読むと、サーシャが大騒ぎするので」
 一緒に暮らしているのに、サーシャは自分の作品がリュウジたちに読まれると、大騒ぎをする。
 恥ずかしいらしい。

 サーシャは、ボーキエル大学に入学を許可され、学生生活の中で書いた小説で、なんと新人賞を受賞したのだ。

 新人賞に選ばれた『ラグレンに今日も雨は降らない』は、間違えて宇宙船に乗り込んでしまった宇宙猫の子猫が、ラグレンで優しい少年に拾われて、そこで生活をする話だった。
 雨の降らないラグレンで、子猫は少年に自分の故郷の話しをする。いつも雨が降る街だったと。
 少年は憧れる。
 ラグレンには雨が降らないからと。
 けれど、少年に悲劇が襲う。不治の病に侵されてしまうのだ。少年はこのままでは子猫がラグレンに独りぼっちになってしまうと思い、懸命に宇宙空港へと無理をして連れて行く。
 子猫を託す宇宙船を探し、一匹の宇宙猫がその子を引き取ってくれる。
 君は宇宙猫だから、宇宙に戻るのが良いのだよ、と説得して。
 宇宙猫はその少年と離れる時に、ぽろぽろと泣いて別れを惜しんだ。
 少年は元気に送り出すが、ラグレンにたどり着いた時に、限界を迎える。
 路上に倒れながら、空を見上げる。
 そして子猫の涙は、雨のようだったと、回想する。
 遠い星に降る雨を想いながら、少年は目を閉じた――
 というところで、話は終わっていた。

 初版はすぐに売り切れ、今は第五版を重ねている。
 大人気で、今年一番の売れ行きと言われていた。
 帝星での人気を受けて、一番名誉ある文学賞の大賞にノミネートされたのだ。
 その結果発表は今日だった。
 リュウジはつてを使い、いち早く大賞受賞の報告を受けたのだった。

「サーシャの物語のお陰で、ラグレンは観光客が増えているそうですよ」
 にこにことリュウジは笑って告げる。

 ハルシャは、父親の志を無駄にせずに、ジェイ・ゼルから贈られた工場を拡大し、そこに偽水を飲用水にする工場を併設させた。
 汚職まみれの前執政官の悪業に懲りたラグレンは、正しい政治家を選び出し、今では安価な水が手に入ることで人口も増えている。
 ハルシャは、工場の収益を、公立の学校を作ることに全てつぎ込んだ。
 そして、初代校長にはサーシャの学校のハロン・ダーシュ校長を選出している。今では立派な建物も出来、オキュラ地域の子どもたちの学力向上に素晴らしい成果を上げているようだ。
 かつては最下層と言われたオキュラ地域は、新任のリンダ・セラストン医師の健康管理が功を奏したのか、健全な土地へと変っていった。
 マシュー・フェルズは、工場の経営と同時に、ジェイ・ゼルのもとで培った金融業の知識を元に、優良な投資をして、収益を上げていた。
 ラグレンは生まれ変わった。
 やはりハルシャは、惑星トルディアの父と呼ばれる、偉大な祖先を持つ家長だった。

 サーシャは、唇を噛み締める。
「リュウジには、サーシャの口から言いたかったな」
 ぽつりと、サーシャが呟く。

 彼女が、こんな時間にやってきた理由を、瞬間リュウジは悟る。
「すみません、サーシャ」
 リュウジは素直に詫びた。
「連絡を受けてすぐに僕のところに来てくれたのですか」
 唇を噛み締めたまま、サーシャはうなずいた。
「家で連絡を受けて、すぐに」

 リュウジは眉を寄せた。
「本当に申し訳ありません。結果が気になってしまって、知り合いに依頼してしまったのです。決まり次第連絡をしてほしいと。
 とても心配だったのです」
 その一言で、少しサーシャの表情が緩んだ。
「リュウジに一番に知らせたかったの、喜んで欲しくて」
「ハルシャじゃなくて、良かったのですか」
 問いに、サーシャは苦笑いを浮かべた。
「お兄ちゃんはそれどころじゃなかったから――」

 沈黙の後、リュウジは呟いた。
「ハルシャは迎えに行ったのですね」
 視線を上げて、サーシャを見つめる。
「ジェイ・ゼルを」

 無言で見つめ合ってから、サーシャが頷いた。
「朝からそわそわしていて、ガラスのコップを割っていたわ」
 ふっとリュウジは笑った。
「七年――長かったですからね」

 ハルシャはジェイ・ゼルを忘れなかった。
 七年間、一度も。
 持ち帰った荷物を丁寧に整理し、いまも前と変わらぬ状態で置いてある。
 ジェイ・ゼルが育てていたサボテンも、とても大事にしている。
 そうやって、彼を想い続けていた。

「寂しい?」
 突然、サーシャが問いかけた。
 はっとリュウジは目を上げる。
 いつの間にかサーシャは机のすぐ側にいた。
「なぜですか?」
 問いかけたリュウジを見つめて、再びサーシャが唇を噛む。
「お兄ちゃんが、家を出るから」

 七年暮らした家を、ハルシャは出ることになっていた。
 新しい暮らしのために、シルガネン湖のほとりに美しい家を購入し、一年前から準備を重ねている。ジェイ・ゼルの荷物を運び入れ、調度を整え。
 一年後の長期休暇の後、ハルシャはもう、あの家に住まない。

「寂しくないと言えば、嘘になりますね。三人でずっと暮らしてきましたから」
 ハルシャの心には、ジェイ・ゼルが住んでいる。
 今もこれからも、ずっと――
 解っているのに、苦しいのはなぜだろう。

「サーシャは、ずっと側にいるよ」
 優しい言葉が、横から聞こえた。
「だって、昔、リュウジと約束したもの」

 オムライスを食べながら、自分に向けて呟かれた言葉が蘇る。
 視線を上げると、そこには、七年の時を経て、美しく成長した女性がいた。

「それでも、寂しい?」

 朝、自分は随分早くに自宅を出た。七年間、ハルシャとサーシャと過ごした家を。
 ハルシャがこの後、家を出ると解っているのに、見送ることが出来なかった。
 だから、彼の寝ている間に、家を出た。
 去っていくハルシャの姿を、見たくなかったからだ。
 見たら泣いて縋ってしまうかもしれない。みっともない醜態をさらすのが恐かった。
 サーシャは――
 全てを見抜いていた。
 物語を綴る、繊細な感受性を持つ、彼女は。

「サーシャは、リュウジが大好きだよ。ずっと――側にいるよ。
 それでも、リュウジは寂しい?」

 頬を赤らめて、それでも自分を真っ直ぐ見ながら、サーシャが呟く。

 この大好きは――
 七年前の、大好きとは、違う。
 悟った瞬間、頭の中が白くなった。
 生まれて初めてリュウジは、サーシャを、ハルシャ・ヴィンドースの妹ではなく、一人の女性として――
 サーシャ・ヴィンドースとして、目に映した。
 青い瞳が自分を見ていた。

「サーシャはずっと、リュウジが大好きだよ」
 頬を染めて彼女が小さく呟く。

 質量を持った衝撃が、身の内に走った。

 しばらくリュウジは無言だった。
 サーシャが真っ赤な顔をして、自分を見つめている。

 静かな笑みが、リュウジの口元に浮かんだ。
 リュウジは、すっと彼女に手を差し伸べた。
 目をぱちくりとしてから、サーシャが首を傾げる。
 笑みを深めてから、リュウジはそっと当惑するサーシャの手を取った。
 椅子に座ったままで、横に佇む彼女へ眼差しを向ける。

「サーシャがいてくれたら、寂しくはありませんね」
 索漠とした悲しみが、ゆっくりと温かなものに変わっていく。
「あの家で、一緒にハルシャが戻るのを待ちましょうか、サーシャ」

 ふと、気付く。
 サーシャたちと本当の家族になる方法が一つあることに。

「宇宙を旅したハルシャたちが、どんな物語を聞かせてくれるのか、今から楽しみですね」


 *


隠者ハーミット
 呼ばれた男は、静かに読んでいた本から目を上げた。
「時間だ」
 鉄格子の扉の鍵が開けられ、男の前に静かに開かれる。
 男は「隠者ハーミット」というあだ名でこの刑務所では通っていた。
 それ以外の名で呼ばれたことはない。
 要塞のような堅固な刑務所の中で、男は特別待遇を受けていた。
 個室が与えられ、他の収容者と隔絶した場所に置かれる。
 行動の自由が許されていることを、他の収容者は知らなかった。

 言葉を受けて、男は動く。
 荷物はほとんどない。
 ハンガーに吊るし、壁にかけていた黒い服を静かに手に取る。胸元の生地がごわついているのは、涙を吸ったからだった。
 男が、たった一つ持ち込みをどうしても願ったものだった。
 涙の痕に、そっと触れる。
 微笑むと彼は丁寧に服を畳んだ。
 後は、刑を受ける間に書き綴ったものと、たくさんの手紙の束。
 差し入れてくれていた本は、刑務所の図書室にもう寄贈していた。
 その中には、サーシャ・ヴィンドースの『ラグレンに今日も雨は降らない』もあった。男はその本を、三度読み返していた。
 荷物を終えると、小さな鞄を手に立ち上がった。

「お待たせして、申し訳なかったね」
 言葉に、扉を開けてくれた看守が、静かに身を引いて男を通した。
 扉を出ると、長く続く廊下を見る。
 七年間過ごした場所を、静かに見つめる。
「こちらだ」
 厳しい口調で言い捨てて、看守が動く。
「迎えが来ている――二時間も前からな」
 前を歩きながら、看守が言う。

 男は、静かに微笑んだ。
 きっと、随分前から、そわそわとこの時を待ってくれていたのだろう。
 そんな予感がした。
 鞄に入れてある、手紙のことを想う。
 検閲を経て、手渡された手紙は、ほぼ三日おきに届いた。
 細々としたことを、懸命に書き綴っている言葉の数々。
 最後にはいつも、必ず迎えに行くという言葉で締めくくっていた。
 そうだ。
 彼はいつも――必ず約束を守る。


 長い廊下を抜け、たどり着いた部屋に、一人の人物が待っていた。
 男を見た途端、椅子を蹴倒さんばかりにして、立ち上がる。
 男は、微笑んで、彼の名を呼んだ。

「――ハルシャ」

 凄まじい勢いで走ってきて、ハルシャが抱きしめた。
 嗚咽がもれる。
「逢いたかった……逢いたかった」
 ジェイ・ゼルと、小さくハルシャが呟く。

「お世話になったね」
 ジェイ・ゼルは看守に言う。
「ハルシャ、出ようか。長くいては、看守の方にご迷惑だ」
 泣きじゃくるハルシャの肩を抱くようにして、ジェイ・ゼルは静かに歩き出した。

 ジェイ・ゼルという人物は、死んだことになっている。
 マイルズ警部たちが『ダイモン』からの報復を恐れたからだった。
 仮に入所した刑務所で、死亡したことになり、遺体を運び出す体を装って、現在の刑務所に移送されたのだ。
 そして、ご丁寧にも、虚偽の葬儀まで執り行ってくれたらしい。
 ハルシャはその葬儀に参列し、号泣してしまったらしい。
 手紙の中でそう、教えてくれていた。嘘だと解っていても彼は耐えられなかったようだ。彼の無垢な真心が手紙から伝わってきた。

 ハルシャをともなって、七年ぶりになる外へと出る。
 帝星の柔らかな太陽が、辺りを包んでいた。
 刑務所の玄関に、一台の飛行車が停まっている。
「め、免許を取ったんだ」
 と、ハルシャがまだ泣きじゃくりながら、言う。
「頑張って練習したから、大丈夫だと思う」
「そうか、夢を叶えたんだね」
 ジェイ・ゼルの言葉に、また涙がこぼれる。
「に、荷物を積んでくれ」




 何とか涙を落ち着かせて、ハルシャはジェイ・ゼルを横に乗せて走り始めた。
 この後のことがあるから、飛行車はレンタルだった。宇宙空港に乗り捨てる予定になっている。
 座席に座ろうとして、すぐにジェイ・ゼルはサボテンの存在に気付いてくれた。
「持ってきてくれたのか」
 ハルシャがうなずくと、
「嬉しいよ」
 と、彼が呟く。
 たくさん話すことがあるはずなのに、言葉が出ない。

「マイルズ警視から、ジェイ・ゼルの新しい戸籍をもらっている」
 ようやく、事務的なことから話し始める。
「警視?」
「昇進されたんだ」
「そうか、彼は優秀だからね」

 死亡したことになったジェイ・ゼルのために、マイルズ警視は「ジェイド・ラダンス」という名前を用意してくれていた。
 偽名の厄介なところは、身体が反応しないことだと警視はいい、ジェイドの名前を使うことをハルシャに提案したのだ。
「嫌なら、変えることもできるそうだが――」
「大丈夫だよ、ジェイドで。その名前が、本当の私の名前だ」

 優しい声で、ジェイ・ゼルが呟く。

「ありがとう、ずっと私を待っていてくれて」
 ハルシャは首を振った。
「ジェイ・ゼルのお陰で、全ての罪がおおやけになった――リュウジのご両親を殺したのが、ナダル・ダハットの命令だったというのも。リュウジがとても喜んでいた。自分の過去を取り戻したようだと」
「そうか」
 ジェイ・ゼルが静かに呟く。
「それは良かった」
 変わらぬ声と香り。
 少しジェイ・ゼルは痩せていた。
「体調は、大丈夫か、ジェイ・ゼル」
 つい、昔のように呼んでしまう。
「大丈夫だよ。特別待遇を受けていたからね、元気そのものだよ」
 ふと、会話が途切れた。
「――ずっと、物を書いていた」
 ジェイ・ゼルが静かに呟いた。
「刑務所で過ごしながら、ね」

 一瞬、視線を向ける。
 彼は明るい声で、話を変えた。
「そう言えば、サーシャの作品を読んだよ。素晴らしかったね。やはりあの子は才能がある」
 そこから、しばらくサーシャの話になった。
 ふと、言葉が切れた時
「何を書いていたんだ、ジェイ・ゼル」
 と、ハルシャは問いかけた。

 しばらく言葉が返らなかった。
「――私が生まれてから、これまでのことを」
 長い沈黙の後、ぽつりと、ジェイ・ゼルが呟いた。
「刑を終えたら」
 微笑んで彼が言葉を続ける。
「君に、贈ろうと思って、ね」

 ハルシャは、路肩に静かに飛行車を止めた。
「私は、非合法な存在だ。それをすべて受け入れて、君が愛してくれたから、私は自分自身を許せるようになった。
 だから――君に知って欲しかった。私が生きて来た過去を。
 蘇らせるのは、とても辛く苦しい作業だったが――それが私の生きて来たすべてだった。
 だから、書き続けた」
 ジェイ・ゼルは、鞄から、分厚い綴りを取り出した。
「受け取ってくれるか、ハルシャ。
 私の全てを――」

 身を乗り出して、ハルシャはジェイ・ゼルを抱きしめていた。
「あなたが」
 言葉が揺れる。
「どれだけ私を愛してくれていたのか、離れて初めてわかった。私はずっと、あなたの愛に包まれていた。
 だから、生きてこられた――サーシャを理由にして、あなたは私に、死ぬなと言い続けてくれていたんだね」

 ぎゅっとジェイ・ゼルが抱きしめ返してくれる。
「ハルシャ」
「一緒に暮らそう、ジェイ・ゼル」
 彼の胸に顔を押し当てたまま、ハルシャは呟いた。
「家を用意したんだ。とてもきれいな湖のほとりにある一戸建てで――そこに、ラグレンから持ってきた、ジェイ・ゼルの荷物を入れてある」
 ハルシャは言葉を続ける。
「私は、もう一つ夢を叶えたんだ、ジェイ・ゼル」
 少し顔を上げて、ジェイ・ゼルを見る。
「宇宙飛行士の免許を取ったんだ――自分の宇宙船も持っている」

 ファイ・ガレン理論を応用した駆動機関部を作り上げた時、リュウジが試作品を作ってくれた。それをプレゼントしてくれたのだ。

「小型で、二人乗りだ――ジェイ・ゼル」
 微笑むと、涙が滲んだ。
「これからその宇宙船で、一緒に惑星ガイアに行こう。そして――」

 波打ち際を、一緒に歩くんだ。

 言葉の前に、ジェイ・ゼルに唇を覆われていた。
 懐かしい感覚に、魂が震える。
 夢中で彼を貪る。
 長く唇を合わせてから、ゆっくりとジェイ・ゼルが口を離した。

「だが、ハルシャ。宇宙船の中では、禁欲を強いられるよ」
 静かな言葉に、少し頬を赤らめると
「だ、だが、ジェイ・ゼル。船長命令で禁欲指令は解くことが出来る。私が船長だから、私が許可すれば大丈夫だ」
 と、たどたどしく説明をする。
 ふわっと、優しくジェイ・ゼルが笑った。
「随分賢くなったね、ハルシャ」
「頑張って、勉強をした――私は世間知らずだったから」
 その自分を、ジェイ・ゼルは守ってくれていたのだと、思い知った。
 灰色の瞳で見つめながら、彼は言葉を滴らせる。
「いい子だね、ハルシャ」

 懐かしい声がする。
 七年間の間、恋い焦がれた声が――

「これから、宇宙を一緒に翔けよう。長期休暇を申請したんだ――ずっと一緒にいられる」
 ハルシャの言葉に、優しい笑みがジェイ・ゼルの顔に浮かんだ。
「そうだね、ハルシャ。君が夢見ていたように、宇宙を翔けよう。それから、一緒に惑星ガイアの波打ち際を歩こう。離れないように、手を繋いで」

 そして、星々の間を巡ろう。
 見えない力で、星と星とが引き合うように――

 遠く離れた場所にいた二人は、出会った。
 確かな運命の鎖を感じる。
 どんなに離れても、惹かれ合う。
 銀河の星々が、互いに引き合い、輝きながら大きな渦を描くように。

 ジェイ・ゼルの灰色の瞳を見つめる。
「愛している、ジェイ・ゼル」

 魂からこぼれ落ちる言葉に、ジェイ・ゼルの眼が細められた。
 頬に手が触れる。
 静かに見つめた後、彼は微笑んだ。

「私もだよ、ハルシャ」


 顔が寄せられ、再び唇が重なる。
 星々に渡されたの鎖のように。
 どんなに離れても、互いを求めて手を差し伸べ合う――魂の絆。
 決してこの手を離さずに、歩いて行こう。

 ジェイ・ゼルの首に手を回しながら、ハルシャは静かに、目を閉じた。





 (『ほしのくさり』了)








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