ほしのくさり

The Other Side ~物語の反対側~

名もなき科学者の独白モノローグ

はじめに

※ジェイ・ゼルたちが生まれる以前の過去に遡った、ある科学者の独り語りの物語です。過去編になります。
※文章中にNL要素を含みます。嫌悪される方は、閲覧回避をして下さい。(全一話)





 あらゆる性的な悦びを味わうことのできる星。
 惑星アマンダは、一名「快楽惑星」とも呼ばれている。

 その快楽は、その実、凄まじい科学力で支えられている。
  「アマンダの秘薬」と呼ばれる媚薬しかり、娼婦たちしかり。
 考えうる限りの快楽が用意され、提供するための努力を怠らない。
 怠惰なうわべとは裏腹に、シビアなビジネスが常に惑星アマンダでは繰り広げられていた。

 その一つが、毎年優秀な頭脳を惑星内に招き入れることだった。

 惑星アマンダでは、利益を生む研究であれば、無尽蔵ともいえる研究費を費やし、思うが儘に探究にふけることができる。
 野心を持つ研究者にとって、これほど魅力的なことはなかった。
 毎年多くのシンクン・ナルキーサス出身の科学者が、新たに惑星アマンダに招聘しょうへいされる。
 本当は――悪魔に魂を売る所業に等しいと、その時は知ることもなく。

 私も、示される破格の条件に幻惑され、惑星アマンダに足を踏み入れた者の一人だった。
 名前は、ない。
 惑星アマンダの研究籍に身を置いた時から、名前と戸籍は剥奪される。
 アルファベットと数字が羅列されたものが、ここでの呼び名になる。
 門外不出の技術を他に漏らさないために、惑星アマンダでは終生雇用が義務付けられている。
 何も知らない時は、生涯を保証してもらえると思って、喜んだものだ。
 だが。
 それは、巧妙な罠だった。
 最初に、誓約書にサインをした時に、万が一誘拐でもされては困るという理由で、それぞれ脳内に個体識別用のチップを埋め込まれる。
 簡単な手術で、ほんの一時間ほどで終了する。
 後で、真実を自分たちは知らされる。

 それは、自由を奪うための鎖だった。

 脳内のチップは、惑星アマンダの中では何の作用もしない。ただ、居場所を教えているだけだ。
 だが。
 ひとたび惑星アマンダの大気圏を抜けると、チップは脳内で自爆し、蓄えた知能もろとも研究者を破壊する。
 研究者を惑星内から脱出させないための、狡猾な枷だった。
 しかもチップは脳内で神経細胞に絡められており、チップだけを取り出すことは不可能だった。無理に外科的手術で除去しようとしても、脳の組織を破壊してしまう。廃人となり、結果としては情報を他に漏らせなくなる。
 そんな非人道的な振る舞いが、惑星アマンダでは日常だった。

 惑星アマンダでの勧誘を承諾した時から、自分たちは銀河帝国内では死亡したことにさせられる。家族がいるものには、「不慮の事故で死亡した某の慰問金」という名目で、相当量の金額が支払われるらしい。
 惑星アマンダは利に敏いので、なるべく出費を抑えるためにか、天涯孤独の人材を選ぶ傾向があるらしい。
 自分もそうした一人だった。
 親兄弟はおらず、シンクン・ナルキーサスの学府も、奨学金を受けて卒業までこぎつけた。
 失うものが何一つない者をターゲットにして、惑星アマンダは勧誘を仕掛けてくる。
 快楽を司る惑星らしく、甘く蜜に満ちた言葉を滴らせて、どれだけ自分たちが自由に研究できるのかを提示する。彼が示したのは実に魅力的な条件だった。

 自分は、人工生命体の開発にこれまでの人生を捧げてきた。
 この手で命を生み出すことに、無限の興味を覚えていたのだ。
 それはもしかしたら、家族のいない自分にとって、命を生み出しかりそめでも親となることに、喜びを見出していたからかもしれない。
 大学で学んだことを基礎に、さらに高度な研究が、しかも無制限に研究費を費やして行えるとなれば、乗らない手はなかった。
 惑星アマンダのスカウトは、甘い言葉で囁いた。
 研究所で職に就けば、気に入った惑星アマンダの美女たちを、身辺に自由に侍らせることも可能だと微笑みながら告げる。もちろん、私の実績が証明されてからになるがと、付け加えるのも忘れない。
 その言葉に私は胸を躍らせた。
 従順で美しく、自分だけを愛してくれる者が常に側に居てくれる。
 家族を持ったことのない自分にとって、それはとても魅力的な話だった。


 惑星アマンダへの移動は、ひっそりと行われた。
 航路を指定された中で、一般客に混じって惑星アマンダへの道を取る。
 その中で、自分が乗ったとされる宇宙船が「不慮の事故」で爆発してしまった。
 本来は乗るはずだったのだが、直前に指示があり、宇宙港に止まっていたのだ。
 後から知った話だが、その事件を元に、自分は死亡したことになったらしい。
 実際はその宇宙船には誰も乗っておらず、オートドライブで宇宙に飛び出し、そして爆発させられたようだ。
 手の込んだことをして、惑星アマンダは私を銀河帝国籍から抹消した。

 様々な工作を施し、架空に殺害してから、惑星アマンダは科学者を招き入れる。
 帰る場所を奪い去り、惑星外では生きられないようにするための、狡猾な手管だった。

 当時の自分はそんなことも知らず、乗るはずだった宇宙船が爆発したのに、生き残ったことに喜びを覚えていた。
 そして、宇宙港内で惑星アマンダの使者と出会い、彼の宇宙船で目的の地へと降り立った。

 外から見る惑星アマンダは、母なる星、惑星ガイアと酷似していた。
 わざと似せていたのだ。
 地上は人工的な建造物であふれていた。
 いずれも美麗な建物だ。
 後に、歪でわざとらしく、軽薄だと後に思うようになるが、その時は見た目の美しさに幻惑されていた。

 惑星ガイアを模した穏やかな丘陵地帯に、自分は一軒の家を与えられた。
 文句のないほど素晴らしい家だった。
 家事をすべてこなすアンドロイドも三体完備され、生活は全て保証されている。
 それだけのものを見せてから、彼らはおもむろに契約書を突き付けて来た。
 生涯雇用と、潤沢な給与、研究はどのようにもしていいという一言に、自分は何のためらいもなく契約書にサインをする。

 そこから、否を唱える間もなく、脳内にチップが埋め込まれ、決して惑星アマンダの秘密を漏らさないと音声で誓わされる。
 何か、不穏当なものを感じたのは、その時だった。

 契約不履行には、莫大な違約金が必要だと、自分をスカウトした男は静かに言った。自分がサインした契約書にそう書いてあると。
 もし支払えない場合には、生命で支払ってもらうことも視野に入れざるを得ないと、やんわりとした脅しを呟く。
 自分は、研究さえできればそれでいいと彼に告げた。
 家族も何も、失うもののはない。ただ、自分の研究に没頭させてもらえたら満足だった。

 スカウトの男はにっこりと笑った。
 惑星アマンダの、甘やかな微笑だった。

 さすが、私の見込んだ人だけはある。あなたは成功する。
 私が保証しよう。

 はっきりと言われて、嬉しくないはずがなかった。
 認められている。
 それは、長く不遇な人生を生きていた自分にとっては、福音のように聞こえた。

 自分が惑星アマンダを裏切らない限り、この惑星は極上の生活を保障してくれる。
 何度も、何度も、スカウトの男は言った。
 それは、悪魔に魂を売ることだとは、その時は気付くことは出来なかった。

 契約を交わしたその足で、自分は新しい職場へと連れて行かれた。
 ここが君の生涯の研究施設になると、スカウトの男は優しく笑って言った。

 同僚たちは、温かな笑みで自分を迎えてくれた。
 新しい才能が入ることがとても嬉しいようだ。
 ここでは、孤児であることは何の意味もなさなかった。自分は彼らと同列で、年の差も、研究の浅薄も問題にならなかった。
 彼らが作っていたのは、『愛玩人形ラヴリー・ドール』という、惑星アマンダで最も価値のある生命体だった。
 目の色、髪の色、身長、顔の造作――そして性格までを全て遺伝子の配合で作り出し、育て上げる。
 人工生命体は、銀河帝国内では禁忌のエリアだった。
 自分もシンクン・ナルキーサスでは、肩身の狭い思いをしながら研究を続けていた。それが、堂々と、何にはばかることなく思うままに研究できる。

 これほど歓喜する状況はなかった。
 私は嬉々として、日々の業務に励んだ。

 最初の一年は、『愛玩人形ラヴリー・ドール』の基礎を叩きこむところから始まった。

 どのようなものを、購入者たちは求めているのかのリサーチを元に、新しく作る『愛玩人形ラヴリー・ドール』を設計する。
 基礎設計を元に、さまざまなパーツを担当する者たちが自分たちの力量の全てを費やして、一から遺伝子を組み上げていく。
 そして、最終的に遺伝子を結合させて、受精卵状態にしたものを、仮の母体に着床させる。

 かつては人工子宮が使われていたが、はやり人類の母体に敵う存在はないと判断され、受精卵を育てるための子宮は『愛玩人形ラヴリー・ドール』専用の仮腹を使うことになっている。
 大量生産される人工生命体では、人工子宮を使っていることを考えれば、それだけ『愛玩人形ラヴリー・ドール』は価値があるということだろう。

 私は、最初は目のパーツの作成を担当していた。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、快楽によって目の色を変じる。
 それは、恐ろしく込み入った遺伝子の組み上げが必要だった。
 彼らの眼は、平素は灰色であるのが常だった。
 無彩色の方が、快楽を得て発現した色との格差が際立つからだった。
 長い伝統に基づき、灰色からそれぞれの色へと変化するように作り上げる。

 目の色は、三つの遺伝子の絡み合いから生まれる。
 もっとも簡単に作り出せるのは、茶色だった。
 次に青。
 次がヘイゼル。
 緑や紫は、とても発現が難しい部類に入る。
 赤も希少だが、体質が弱くなってしまうため、よほどのことがないと作られない。
 まず、元になる目の色を決め、快楽で変じるように遺伝子を操作する。これが成功したかどうかは、実際に成長した『愛玩人形ラヴリー・ドール』に快楽を与えてしか確認できない。
 育成されたまだ幼生と言うべき『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、惑星アマンダの極めて無害な媚薬を使い、強制的に性的な快楽を得させられる。
 その中で目の色を予定通りに変じることが出来れば、その後も育成が続けられる。
 だが、この時に虹彩の変化がなければ、規格外として廃棄処分される。

 眼の色を快楽に変えることが出来るか、どうか。
 商品として成り立つかは、自分たちの遺伝子設計にかかっていると言っても、過言ではなかった。

 自分たちの設計に『愛玩人形ラヴリー・ドール』たちの命運がかかっている。快楽による目の色の変化は『愛玩人形ラヴリー・ドール』の価値を決定づける、とても重要なパートだった。
 そこを任されたことに誇りと自信を持ち、自分はひたすら研究に没頭した。私は、いかに効率よく彼らが目の色を変じるかを、日夜寝食を忘れて研究し続けた。

 性的な快楽を得た時、脳内で快楽物質βエンドルフィンが生成される。脳内麻薬と言われるほど、強力な快楽を生み出す物質だ。それによって、ドーパミンが作り出され、快楽神経と呼ばれるA―10神経を刺激する。
 ドーパミンが過剰に生成された時に、『愛玩人形ラヴリー・ドール』の眼球の血流が変わり、本来の眼球の色が発現するように彼らは作られている。
 普段の灰色の虹彩から、鮮やかに変化するさまは、幾度見ても見飽きないほどだ。

 けれど。
 一つ問題があった。
 それは、脳が快楽を得るのは、実際は性行為だけではないということだった。
 ドーパミンは、食欲を満たされた時も脳内に放出される。ギャンブルに勝利した時も、筋肉を酷使した時も、脳はそれを快楽と受け取る。
 だが、『愛玩人形ラヴリー・ドール』である以上、他の快楽で瞳の色を変えることは許されない。

 そのためにさまざま規制が遺伝子の上でかけられていた。
 だが、矛盾することに、予防措置として取られたこの手段のため、『愛玩人形ラヴリー・ドール』たちの瞳の色の発現は、より困難となっていた。
 快楽によって瞳の色が変わらなければ、『愛玩人形ラヴリー・ドール』は廃棄される。
 ギリギリの状態での模索が、伝統的に続けられていたようだ。

 自分が開発に携わった当初は、瞳の色を変えるドーパミンは、かなりの量を必要としていた。
 
 そのために、『愛玩人形ラヴリー・ドール』が快楽を得るためには、相当な性的な技量が所有者に必要とされていた。
 けれど、それほどの技術を得るのは素人には難しい。
 その間隙を埋めるために、強力な媚薬が安易に『愛玩人形ラヴリー・ドール』に使われ、結果として貴重な彼らの寿命は縮められていた。

 廃棄率も高くなり、生存率も低い。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』が置かれている現状を、何とかしたいと私は考えた。

 快楽を得た段階ですぐに瞳の色を変え、なおかつ、性的な快楽以外では瞳の色を変えさせない。

 二つの命題を満たす方法を私は必死に研究し、そして、新たな打開策を見出した。

 幸福物質は、大きく三つの物が知られている。
 ドーパミンと、ノルアドレナリンと、そしてセロトニンだった。
 セロトニンは相手との関わりの中で幸せを感じたりすると出る物質だった。
 私はこのセロトニンに注目した。
 それまでドーパミン一本だった虹彩を変化させる物質を、セロトニンにも絡ませるようにしたのだ。

 相手との接触で幸福を感じる。これは、一人の所有者に囲い込まれる『愛玩人形ラヴリー・ドール』としては自然な感情だった。
 それによってセロトニンが分泌され、その上に性交による快楽を得てドーパミンが脳内に放出される。
 それまでドーパミンだけだったのを、相手との関わりの中で幸福を感じると発生するセロトニンも使うことによって、より発色を強固にすることに成功したのだ。
 この理論を元に、私は新しいタイプの『愛玩人形ラヴリー・ドール』を作り出した。

 結果としては、大成功だった。

 私が手掛けた『愛玩人形ラヴリー・ドール』たちは、厳しい惑星アマンダの基準を満たし、優秀だと絶賛を浴びる。
 私は、誇らしかった。
 作り出したものが賞賛を得るのも、それによって惑星アマンダが多額の利益を得ることも。
 初めて自分の居場所が出来たように思えた。

 新しい手法で作られた『愛玩人形ラヴリー・ドール』たちは極めて優秀で、オークションでも高価な取引が予想された。結果に満足した上司は、自分をさらに上の地位へと推薦してくれた。
 自分は目の色だけでなく、『愛玩人形ラヴリー・ドール』のトータルプロデュースを任されるようになったのだ。
 それと共に、実績を認められ、私は念願だった惑星アマンダの美女を一人、賞与として与えられることになった。

 自分で好みのものを選んでよいと、上司に言われ、別の研究棟へ連れて行かれた。そこには、十人ほどの美しい生命体が全裸で並んでいた。

 まるで奴隷市場のようだと、その時まだ良心が残っていた自分は思った。
 これが惑星アマンダの遣り方だと知りながらも、まだ厳しい現実をきちんとは把握していなかったのだ。

 自分に選ばれることを、彼女たちは待っているようだった。
 この中で、一人を、私は自由に選んでいいと許しを得たのだ。
 正直、昂奮が隠せなかった。
 それぞれに美しい容貌の女性たちだった。
 瞳の色の発現を仕事としているためか、つい、彼女たちの虹彩の在り方に注意が行く。
 青。
 茶色。
 ヘイゼル。
 ブルーグレー。
 黒。
 いずれも宝石のように、美しい色だった。
 だが。
 その中に、灰色の瞳の者がいた。
 思わず足を止める。

 多く携わっていた自分には解った。
 この個体は『愛玩人形ラヴリー・ドール』だった。

 特徴が出ていた。抜けるように白い肌。緩やかにカールする髪はきれいな金茶色だった。
 それに他の美女たちが成熟した女性であるのに対して、彼女はまだ少女の体つきだった。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、七歳から十歳の内にオークションに出される。長く持ち主に楽しんでもらうためと、幼いうちに手懐けて思うように操るためという二重の意味があった。
 彼女は、育成され、オークションに出される直前の『愛玩人形ラヴリー・ドール』だ。

 とっさに上司へ顔を向けると、彼も解ってくれたようだ。

――これは、規格外と判定された『愛玩人形ラヴリー・ドール』だよ。まあ、失敗作だな。オークション手前まで育てたのだが、現段階で基準を満たせなかった。せっかくだからとこの選定に入れてみたが、やはり君には解るのだね、と。

 自分が開発に携わる前の個体だった。ここまで育成されたものの、瞳の色が上手く発現しなかったのだろう。

――もし、私が選ばなければ、彼女はどうなりますか。

 低めた声で私は上司に問いかけた。
 上司は一瞬沈黙してから、さらさらと言葉を紡いだ。

――『愛玩人形ラヴリー・ドール』の価値を下げる訳にはいかないからね。
 彼女は、君が選ばなければ、処分される。
 まあ、君が万が一選ぶかもしれないと思ってね、選択肢に入れただけだ。
 この個体のことは気にしなくていい。
 君が気に入ったものを自由に選ぶと良い。
 それだけの功績を君は上げた。

 後半の上司の言葉は、耳に入らなかった。

 処分。
 という言葉だけが、脳内に響き続けていた。
 彼女は、極めて高価な『愛玩人形ラヴリー・ドール』として作られながら、規格外と判断されたのだ。
 瞳の色が発現しないのだろうか、それとも別の問題があるのだろうか。
 いずれにせよ、失敗作が外に出れば、物自体の価値が下がる。
 それはそうだ。
 ハイクオリティーの存在しか『愛玩人形ラヴリー・ドール』の名を冠せない。
 他の個体なら闇市へと流されることもあるかもしれないが、こと『愛玩人形ラヴリー・ドール』に関しては、規格外のものは、殺処分されることが決まっていた。
 恐らく――
 彼女を育成してきた者が、最後のチャンスと思い、自分の選定に紛れ込ませたのだろうという気がした。
 本来なら、すぐさま殺処分されていたのかもしれない。
 だが、膨大な手間暇をかけて作られた希少な人工生命体だ。
 殺すのは惜しいと感じたのだろう。

 しばらく迷った後、私は並居る美女たちの中から、幼い体つきの規格外の『愛玩人形ラヴリー・ドール』を選んだ。

――彼女に決めました。

 そう告げた自分に、上司は静かな眼差しを向けていた。
 彼は瞬きをすると、

――そうか。解った。これから君がこの個体の所有者だ。

 と、穏やかな声で呟いた。

 そうして――その場で手続きが行われ、彼女は私のものとなった。


 私は彼女を書類の記入が終わった後、自宅へ連れて帰った。
 服が無かったので、自分の上着を着せて、上司が呼んでくれた飛行車で自宅へと運ぶ。
 彼女は自分の横で震えていた。

――名前は?

 と問いかけた私に、彼女は

――シトリンです。

 と小さく言葉を返した。
 シトリンは、黄水晶のことだ。時にシトリン・トパーズとのフォルスネームでも呼ばれる黄金色の水晶を彼女は名前に持っていた。

――なら、君の瞳は本来なら金色になるのだね。

 とかけた言葉に、彼女はとても悲しそうな顔になった。
 その色にならなかったから、規格外と判断され殺処分されようとしていたのだ。

――ごめんなさい。

 小さく彼女は呟いた。
 その悲しげな言葉に、ふと、胸を突かれた。
 成功した個体の影で、多くの規格外の人工生命体が処分される。
 ヒエラルキーの頂点に立つのが、貴石の名前を持つ一握りの『愛玩人形ラヴリー・ドール』だった。
 厳しい現実を、突き付けられたような気がした。

――詫びることは無い。

 呟くと、震える肩を、ぎこちなく片手で包む。

――私には家族がいなかった。だから、君も妹のような気持ちでもらい受けた。
 私は『愛玩人形ラヴリー・ドール』を研究している。実際の個体が側にいれば、何かと研究に有利かと思って君を選んだだけだ。瞳の色が発現しないかもしれないが、それ以外、君は立派な『愛玩人形ラヴリー・ドール』だ。君を研究材料として得られたことは、とてもありがたいことだ。

 それは、本音だった。
 王侯貴族すら欲して止まない『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、希少性ゆえに自分のような者が手に入れることなどない。
 それが、棚から牡丹餅のような形で得られたことは、僥倖とも言えた。

 その言葉に、ようやくシトリンは笑顔を見せた。
 彼女の花がほころぶような笑みに、心を射抜かれた。
 規格外であっても彼女は『愛玩人形ラヴリー・ドール』だった。その魅力に魂が震えるほどだった。

――シトリン。今日から君は、私の家族だ。

 優しく声をかけると、彼女はとても嬉しそうに笑った。
 その日から、私とシトリンの生活が始まった。

 それまで十分幸せだと思って暮らしてきた。
 だが。
 シトリンを手に入れて、今までの人生がどれだけ味気ないものだったのかを思い知った。
 彼女がいる生活は、まるで極彩色の楽園に住み始めたようだった。
 朝の食事を共に囲み、機知にとんだ会話を交わし、職場へと見送ってくれる。
 彼女が微笑むだけで、幸福感が胸を満たした。
 シトリンが居なかった頃の生活が思い出せないほど、それは幸せな時間だった。

 しかし。
 あまりに幼い個体であったために、性的な対象として自分はシトリンを見ることが出来なかった。
 妹として――奇しくも自分が漏らした通りに、私はシトリンを扱った。
 けれどシトリンは、性的な接触をしようと、自分に幾度も試みてきた。
 それが、彼女の教えられた全てだったのだろう。
 だが、自分は彼女を拒んでしまった。
 そんな風に扱いたくはないのだと。家族として彼女を受け入れたつもりだった。
 シトリンはその時、まだ八歳だった。
 それなのに、性的な技巧を全て教え込まれていた。
 それが――自分の作っている『愛玩人形ラヴリー・ドール』の正体だった。


 どんなにきれいな言葉を尽くしても、惑星アマンダの性奴隷を自分は作り出していたのだ。
 その罪深さを、思い知る。
 だが、それならばいっそ、誰もが愛さずにはいられない生命体を作り出そうと、私はむきになった。
 規格外で捨てられることが極力ないように。
 引き取り先の所有者が、愛さずにはいられないように――

 無慈悲にシトリンの命を奪おうとした、それは惑星アマンダに対する、自分なりの反駁だったのかもしれない。

 懸命に研究を続け、私が設計図を引き、作り出された個体は十年の時を経て、所有者たちの手に届くようになってきた。
 評判は極めて高かった。
 いずれも所有者を満足させ、長く愛育されていくようだ。
 自分は満ち足りていた。
 仕事は極めて順調で、自宅にはシトリンがいてくれる。
 当時八歳だったシトリンも、少女から成熟した女性の体つきになってきた。
 十八歳は、帝星では成人の年齢だ。
 性的な行為を一切行わず、ただ家族として遇する私に対し、シトリンはどう思っていたのか、私は考えたこともなかった。
 そのことが、シトリンの精神を蝕んでいたなど、私は『愛玩人形ラヴリー・ドール』のことを知りながらも、正確に理解していなかったのだ。

 ある日。
 家に帰った私は、いつものようにシトリンを呼んだ。
 だが、普段なら子犬のように無邪気に駆け寄ってくる彼女の姿がなかった。
 違和感を覚えながら、私は彼女を探した。
 彼女は、寝台で眠っていた。
 疲れて眠っているのかと思って去ろうとした私は、シトリンの手にある瓶に目を落として、固まった。
 それは、精神安定剤だった。
 自分が処方したものではない。
 正規に出回っていない、かなり強力な薬剤だった。

 とっさに彼女の頬に触れたが、温もりはあるものの、バイタルサインが極端に低かった。
 彼女を抱え上げて、自分の研究所へとんぼ返りをする。
 シトリンは自分で強力な精神安定剤を入手し、違法な薬物と知らずに飲んでしまったようだった。
 胃洗浄を行い、メドックシステムで強制解毒を行った結果、何とかシトリンは一命をとりとめた。

 目を覚ました彼女は、自分に謝り続けていた。
 どうしても心が不安定になって苦しかったのだと。
 だから、アンドロイドに依頼して、強力な精神安定剤を手に入れてもらったのだと。
 それを飲んでいると心が安らぐが、また不安が襲ってきて量を越して飲んでしまったのだと。

 自分の過ちを、この時決定的に思い知った。

 彼女は『愛玩人形ラヴリー・ドール』だった。
 性の快楽を与えるためだけに作り出された、惑星アマンダの申し子。
 彼らに必要なのは、精神的な愛ではなく、肉体的な交わりなのだ。

 自分は、己のおぞましい所業を隠すように、あえてシトリンを普通の人間として扱おうとした。
 大切な、かけがえのない家族として。
 だが。
 それは自分の傲慢だったのだと思い知った。
 私はシトリンが『愛玩人形ラヴリー・ドール』だと知りながら、自分の所有とした。彼女に為すべきは、家族としてではなく、『愛玩人形ラヴリー・ドール』としての扱いだったのだ。
 肉体的な交わりがないと、彼女の精神は不安定になる。
 持ち主と離れると、彼女の心は苦痛を覚える。
 そんな風に――
 作り出したのは、自分たち科学者だった。
 その罪深さを、思い知った。


 容体の安定したシトリンを、私は研究所から自宅へ運んだ。
 その夜、彼女を自分は一人の女性として、抱いた。
 本来彼女のあるべき姿のように――
 涙を流しながら彼女は必死に自分に縋っていた。
 かつてない充足感を覚えたように、寝台で私に身を寄せながらシトリンは眠りについた。

 だが――
 彼女はそのまま、目覚めなかった。

 長い飢餓の後、得た快楽が彼女の中の『細胞死のプログラム』を急速に発現させてしまったらしい。
 本来ならあと二十年は生きられるはずのシトリンは、たった十八で命を終えた。
 自分の腕の中で、幸福そうに微笑んだままで。
 命の失われた身体を抱き締めて、私は涙を流すことが出来なかった。

 幸せです。

 眠る前に彼女が呟いていた言葉が、耳の中で渦巻いていた。

 あなたが私を選んで下さって、幸せです。
 たくさんの人の中で、あなたは私を見つけて下さった。
 幸せです。とても。

 上司が無断欠勤を気にして家に来るまで、私はただ、命の失われたシトリンの体を抱き締めたまま動くことが出来なかった。

 シトリンを殺したのは、自分だった。
 誰よりも『愛玩人形ラヴリー・ドール』のことが解りながら、私は与えなくてはならない快楽を、彼女に与えようとしなかった。
 自分の罪深さから、目を逸らそうとしたことの罰を、受けたのだ。
 肉体を介さない愛情は、彼ら『愛玩人形ラヴリー・ドール』には何の意味も持たない。私の傲慢なふるまいは、シトリンにとっては愛を注がれていないも同然だったのだ。
 愛されないと想い続けた十年は、シトリンにとってどれだけ辛かったのだろう。
 そのためだけに生まれてきた存在を、私は否定し続けてきた。
 ようやく想いが叶った時に、彼女の身体は全ての機能を止めてしまった。
 待ち望んだ幸福の絶頂で。
 まるで――これ以上不幸になることを、恐れるかのように。

 彼女の死に衝撃を受け、魂が抜けたようになった私に向けて、上司が静かに言葉をかけてくれた。

 彼女は、規格外だった。性能自体が不安定だったのだ。
 自死プログラムが早くに発現したのも、そのせいかもしれない。
 君のせいではない。もう、自分を責めるな。

 慰めるように、なだめる様に。
 本来なら四十年は生きられるはずのシトリンは、半分の寿命でこの世を去った。
 その意味を、私は考え続けた。

 そして、『愛玩人形ラヴリー・ドール』が自己の宿命から逃れられないのなら、精一杯長く、幸せに生きられるようにと、祈るように基礎設計を引いた。

 畢竟の傑作と呼ばれる『アダマス』を作り上げたのも、この頃だった。
 彼は、快楽によって瞳が七色に変わる。
 極めて希少な『愛玩人形ラヴリー・ドール』だった。
 瞳が虹色に変化すれば、持ち主は愛育せずにはいられないだろう、という観点から彼を作り上げた。
 あまりにも複雑なプログラムが必要なために、この一体しか成功していない。

 そして。
 次に取り組んだのは、双子というコンセプトだった。
 単体で売りに出されれば、『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、持ち主から見放された時に非常な不安を覚える。
 だが、最初から男女の対として生み出し、なおかつ彼らを一組として売り出せば、互いを支えとして彼らは生きることが出来る。
 同性の双子なら、作るのは簡単だった。
 一つの受精卵を、途中で分裂させればいい。
 だが、男女の双子は、性染色体だけを別に組み上げる必要があった。
 二十三対、合計四十六個の染色体の内、性染色体以外は全て同一の塩基配列にする。それに、性染色体だけを別枠で作り上げて、組み合わせる。
 とても手間暇のかかる方法だが、あえて私はその面倒な制作を試みた。

 彼らの眼の色は、鮮やかな緑にした。
 黒髪に緑の瞳は、とても魅力的だ。

 そして――彼らには、密かに私は特別なプログラムを仕込んだ。
 誰にも気づかれずに、悟られないように。そこのところだけは、自分だけで組み上げたのだ。

 『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、本来、自分から相手を求めない。
 選ばれるために存在する彼らは、自分から誰かを欲さないように、慎重に規制がかけられている。
 自分から相手を求めてしまえば、逃亡する危険性があったからだ。
 だが。
 私はその禁忌を、あえて破った。

 今回作り出す男女の双子は――自ら、最適の遺伝子を持つ相手を、選ぶようにプログラムを組んだのだ。
 自分の遺伝子から割り出される最高の相手を、その体臭や肌触りから感じ取り、強力に求めるように――人類が本来本能的に持つ能力を、極限まで高めた形で仕込んだのだった。
 ある意味、『愛玩人形ラヴリー・ドール』としては、破壊行為に等しい衝動を彼らは身の内に持っている。
 自分に最適の相手を見つけると、求めずにはいられないように――。
 それは、自らの運命を、自分たちの手で選び取って欲しいと願ったからかもしれない。

 『愛玩人形ラヴリー・ドール』は、受け身でしか生きられない。
 選ばれる生、与えられる生。
 もし。
 それが、自らの人生を選ぶ自由を得られたとしたら――
 彼らの悲しみは少しでも薄らぐのかもしれない。
 長い試行錯誤の結果、私はそんな結論に達していた。
 たぶん。
 これは、シトリンへの自分の贖罪なのだ。
 自らの人生を選べなかった彼女への。
 彼女を選んでしまった自分への。
 慟哭のような贖罪。

 美しい緑の瞳を持つ、男女の双子。
 彼らに『ジェイド』と『エメラーダ』という至高の名を与えることが、もう会議で決定していた。
 彼らが幸せな人生を選ぶことができるのなら、規格外として処分されようとしたシトリンの人生も、救われるのかもしれない。
 欺瞞に過ぎないと解っていても、自分が作り出す『愛玩人形ラヴリー・ドール』が幸せになって欲しいと、心から想う。

 魂を悪魔に売り飛ばし、名誉と地位のために人工生命体を作り続ける自分の。
 それがたった一つ、愛したシトリンに出来ることだった。
 彼女に続く『愛玩人形ラヴリー・ドール』たちが幸せであるように。
 一度も見ることの出来なかった、快楽を得た時の彼女の金色の瞳を、そっと胸の中に思い描く。
 腕の中で微笑んでいた姿と。
 最初に、出会った時に、自分を見つめ返した灰色の瞳の美しさと。

 彼女への想いを抱き締めて、私は今日も、醜悪な惑星アマンダで『愛玩人形ラヴリー・ドール』を、作り続ける。
 見えない鳥籠の中に囚われたままで、一生抜け出せない地獄の中で。
 慟哭のように、祈りのように。
 たった一つの、贖いのように。
 生みだされた彼らの、幸せをただ、祈りながら。
 今日も私は、遺伝子を組み上げている。




(了)










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