ほしのくさり

余話 ~天からこぼれた物語~

家族になった夜


はじめに

※前話『家族になる日』の同じ日の一コマです。
その夜の出来事になります。
ジェイ・ゼルとハルシャが初めて家族となって迎える夜の物語です。
(一話完結)





「まだ、見ているのかい?」
 優しい問いかけを呟いて、ジェイ・ゼルが近づいてきた。
 湯上りの匂いをさせながら、彼は食卓の椅子に座るハルシャの背後にたたずむ。
 椅子の背もたれに腕を預けて、ハルシャが見ていたものに視線を落とした。

 ハルシャが眺めていたのは、結婚成立証明書だった。
 今日、発行してもらったばかりのものだ。

 いくつかの模様の中から選べるようになっていたが、ジェイ・ゼルはごくシンプルな無地のものを証明書の台紙に選んでいた。
 飾りのない方が、私たちらしいからね、と。
 二人の名前が並び、法的なパートナーであることを証明する書類。
 ジェイ・ゼルが風呂に入っている間中、ハルシャは飽きもせずに見ていたのだった。
 嬉しくて、中々書類入れにしまうことが出来ない。
 印字も真新しい書類が、二人が家族であると立証してくれているようだった。

 ハルシャがちょっと照れたように笑うと、ジェイ・ゼルは顔を寄せて、優しく唇で髪に触れた。
「そんなにしげしげと見ていたら、その内視線で穴が開いてしまうよ」
 冗談のように彼は言う。
 灰色の深い瞳が自分を包んでいる。
「今日はくたびれただろう。初めてのことばかりで、緊張して」
 労りに満ちた言葉がジェイ・ゼルの唇からこぼれる。

 リュウジとメリーウェザ先生に署名をしてもらった後、役所へ二人で一緒に届けを出しに行った。
 あらかじめジェイ・ゼルが連絡を入れてくれていたようで、時間に役所の人が自分たちを待ってくれていた。
 四十代後半ぐらいの、温かな笑顔の女性だった。
 彼女は、二人で提出した書類を優しく両手で受け取ってくれる。その上で、書類に不備が無いかを丁寧に確認してくれた。
 ハルシャは、一項目ずつ確認する役所の人の指先を見つめながら、ドキドキと心臓を躍らせてしまった。昨日、ジェイ・ゼルと一緒に書いたけれど、間違えていたらどうしようと思ってしまったのだ。
 緊張する様子に気付いたのか、ジェイ・ゼルが手を握ってくれた。

 耳元で、大丈夫だよ、と小さく呟く。
 書類は完璧だったらしい。
 お受けいたしますと、役所の人が笑顔で言う。

 その場で書類を電脳に読み取らせて、データベースに登録してくれた。
 希望するなら、証明書をすぐに発行してくれるということだったので、台紙を選んで、ジェイ・ゼルと二人、待合室で並んで待つ。
 緊張して汗が滲む手を、ジェイ・ゼルはまだ優しく握ってくれていた。
 ヴィンドース様と、名前が呼ばれ、受付をしてくれた人から、きれいに印字され、帝国印の捺された結婚成立証明書を受け取ったのだった。
 この後、名義の変更やさまざまな手続きがあるようで、後日自宅へと電脳を介して送られてくるらしい。ジェイ・ゼルと並んで説明を聞き、小一時間ほどで解放された。

 その足で、両親の墓地へと赴き、墓前で報告をする。
 父と母に見えるように、証明書を開いて示した。
 ジェイ・ゼルと一緒になったと、生前の父と母がそこにいるように、ハルシャは語り掛けていた。
 自分はとても幸せだと、両親に告げる。
 だから、安心して欲しいと。

 雪が、墓石にも降り積もっていた。
 色のない世界の中で、ジェイ・ゼルと二人並んで両親の墓を眺める。
 生きていたらどんな言葉をかけてくれただろう、と、ハルシャはふと想像する。
 もしかしたら、反対されただろうか。
 でも。
 きっと二人なら解ってくれる。
 世界の中で、ジェイ・ゼルほど自分を深く真摯に愛してくれる人は、いなかった。

 長い沈黙の後、ハルシャは傍らに立つジェイ・ゼルに視線を向けた。
 白い息を吐きながら、両親に結婚成立証明書を見てもらえて嬉しかった。連れてきてくれてありがとう、と素直な気持ちを伝えた。
 何かを言いかけて、彼はふと、口をつぐんだ。
 言葉の代わりに、静かな笑みが顔に浮かぶ。
 彼は視線をハルシャから、両親の墓石へと向けた。
 無言で両親の名を見つめてから、彼は静かに墓石に向かって頭を下げた。

 伏せられた睫毛の先が、微かに震えていた。
 その姿に胸の奥が、切なく痺れてくる。
 二人の命を奪った原因を作ったことを、今でもジェイ・ゼルは悔いていた。
 どうしようもない過去の罪を、それでも彼は逃げることなく受け止め見つめ続けている。
 その潔さと、深い愛情がただ、胸を打った。

 しばらくそうしてから、ジェイ・ゼルはゆっくりと頭を上げた。

 行こうか、ハルシャ。雪の中に長居をすると、身が冷えるからね。
 また、来よう。

 柔らかな笑みを浮かべて、彼はそう言った。

 帰る道は、手を繋いで下っていく。
 朝から降っていた雪は、午後になって止んでいた。
 雪の中、墓参りに来る人もいないようだ。
 ハルシャとジェイ・ゼルの二人の足跡だけが、新雪のヴァルティナ墓地に残されていた。

 家に戻ってからは、夕食の準備を二人で始めた。
 作ったのは、ラムチョップステーキと、タラのトマトスープ。
 ラグレンで、初めて二人で料理をしたメニューと同じだった。

 過去が巻き戻されるようだった。

 材料を見た時、彼の想いが伝わってきた。
 共に過ごしてきた時間の全てを、彼は宝物のように大切に感じてくれていたのだ。
 彼の想いを受け止めた時、ハルシャは思わずジェイ・ゼルを抱きしめていた。
 この料理は、最初に一緒に作ったもの。
 そして今、家族になって初めて共に口にするもの。
 重ねる時間を、ジェイ・ゼルは慈しんでくれていた。

 心を震わせながら、ジェイ・ゼルと二人で和やかに料理を作る。
 出来上がった料理を前に、向かい合って座り、ささやかな二人だけの祝いの席を持つ。
 食事をするジェイ・ゼルを見つめながら、もう、自分とジェイ・ゼルは、銀河帝国で認められた家族なのだと、実感が湧き上がってくる。

 嬉しかった。
 彼ともう、他人ではないと言うことが、ただ、嬉しかった。

 食事の後、ジェイ・ゼルが片づけをしておくから、先に風呂に入りなさいと言葉をかけてくる。
 彼は、墓地で長居をし、ハルシャの身体が冷えていないかひどく気にしていた。
 言葉に甘えて、ハルシャが先になり、交代で風呂に入る。
 ジェイ・ゼルが出てくるのを待つ間、ついハルシャは嬉しくて、結婚成立証明書を飽かず眺めていたのだった。

 後ろから抱き締めながら、ハルシャが見つめるものを、ジェイ・ゼルも見ている。
 ふっと小さく彼は笑った。
「でも、そうだね。紙一枚のことなのに、やはり嬉しいものだね」
 再び、髪に唇が触れる。
「ハルシャがそんなに眺めたいのなら、君の祖先の詩の横に、額に入れて飾っておこうか」

 ラグレンから持ってきた、ファルアス・ヴィンドースの詩の額は、居間の日の当たらない壁に、大切に今も飾られていた。
 ジェイ・ゼルが位置を決め、壁にかけてくれたのだ。
 シルガネン湖のほとりの我が家に、偉大な祖先の詩がある。
 その意味を噛み締めた時、ハルシャは流れる涙を止めることが出来なかった。

 この詩は、ジェイ・ゼルが守ってくれたものだった。
 ハルシャにとって、何が一番大切かを理解して、私費を投じて買い取ってくれたのだ。そのことを一言も告げず、借金が終わる時まで、彼は大事に保管をしてくれていた。彼の思いの深さを、改めて感じ取る。
 額を見つめ、涙をこぼすハルシャを、黙ってジェイ・ゼルは抱きしめてくれていた。

 記憶が、よぎる。
 自分にとって、限りなく大切なもの。
 ジェイ・ゼルと家族になった証の書類も、同じように思えた。

「それは、素敵だ、ジェイ・ゼル」
 ハルシャは満面の笑みで、身を捻ってジェイ・ゼルを見上げる。
「明日、早速一緒に、入れる額を選びにいこう」
 その言葉に、ジェイ・ゼルが笑みを深める。
「そうだね。シンプルだな台紙だから、どんな額でも似合うだろうね。相応しいものを、選ぼう」
 ちゅっと額に唇が触れる。
「今日はくたびれただろう。もう休もうか、ハルシャ」


 *


 初めてのことにいつも緊張する自分の体調を慮ってか、ジェイ・ゼルは身を合わせることを、今夜はしないつもりのようだった。
 手洗いに行くことなく、そのまま二人で寝室に入る。

 自分の浅い知識の中でも、結婚したその夜は特別なものだと知っていたが、ジェイ・ゼルは違う考えらしい。日常と同じリズムで過ごすことにしたようだ。
 ハルシャは、ちょっと残念な気持ちになる。
 けれど、自分から抱いて欲しいとねだることなど、ハルシャにはハードルが高すぎた。そんなあられもないことを、とても口に出来ない。

 想いを飲み込んだまま、先にベッドに入り、自分のために開けてくれる空間へ、ハルシャは身を滑り込ませた。
 パジャマ越しに、ジェイ・ゼルの腕がハルシャを包んだ。
 温もりを確かめるように、彼は目を閉じて身を寄せる。

「君と」
 小さな呟きが耳元に滴る。
「こんな時が過ごせると、思ってもみなかった」
 すっと瞼が動き、灰色の瞳が自分を間近で眺める。
「私は幸せだよ、ハルシャ」

「私も幸せだ」
 思いに応えようと、懸命にハルシャは伝えていた。
「信じられないほど幸せだ、ジェイ・ゼル」

 ふっと彼は微笑んだ。
 同じだね、と呟いてくれたような気がした。
 その唇を見つめてから、ハルシャは自分から顔を寄せた。

 笑みの形になっている、彼の形のいい唇に、そっと自分のものを重ねる。
 ハルシャから動いたことが、彼は嬉しいようだった。
 包む腕に力がこもり、優しく抱き寄せられる。
 ジェイ・ゼルが柔らかく唇を食む。
 慈しむような、口づけだった。
 触れ合う場所から、溶け合っていくようだ。

 彼に腕を回して、熱を身に受ける。
 一心に唇を合わせていると、背中に廻されていたジェイ・ゼルの手の動きが、変わった。
 自分を求めてくるときの、動きだった。
 そのことに勢いを得て、ハルシャは丁寧に彼の唇を探った。
 彼がこのまま休むつもりだとしても、何とか炎をかきたてたいと、普段は思わないことを懸命に心に願う。
 口に出来ない言葉の代わりに、ハルシャは態度でジェイ・ゼルを求め続けた。

 抱いて欲しい。
 本当の家族になった、最初の夜に。

 長く唇を食みあった後、理性を総動員させたように、ゆっくりとジェイ・ゼルが顔を離した。
 濡れたような灰色の瞳が、ごく近い場所で自分を見つめていた。
「君は」
 吐息のようにジェイ・ゼルが呟く。
「いつでも、私の忍耐を試してくるね」

 忍耐。
 彼は――辛抱していたのだろうか?
 本当は、自分を抱きたいのだろうか?

 疑問を口にする前に、彼はさらっとハルシャの髪を撫でると、そこに唇を落とした。
「君に、渡したいものがある」
 呟いて、彼は動いた。
 身を伸べるようにして、ベッドの脇にある小卓の引き出しを開ける。
 そこから小さな箱を取り出すと、ハルシャの側に再び身を沈めた。

 手にした箱は、上品な紺色をしている。
 ハルシャに見せるように、彼は横たわったまま箱を目の前に持ってきた。
 何だろう?
 問いかけるように首を傾げると、ジェイ・ゼルは微笑んで、その小箱をハルシャに差し出した。
「開けてごらん、ハルシャ」

 言われるままに受け取り、小さな箱を開ける。
 箱の中には、金色の指輪が、二個並んでいた。

 目にした瞬間、驚きが湧き上がって来た。
 ふっと、ジェイ・ゼルの笑い声が耳元で響いた。
「形式ばったものは、どうかと思ったけれど」
 きれいな指が動き、金色の輪の内、一つを台座から外した。
「君の金色の瞳と、この指輪が似合うかと思ってね」

 まだ驚きの余波から立ち直れないハルシャの左の手を、ジェイ・ゼルがそっと自分に引き寄せた。
 静かに、左の薬指に、艶やかな金色の指輪がはめられていく。
 ジェイ・ゼルの優雅な指の動きを、ハルシャは時間がひどくゆっくりになったような感覚を覚えながら、見つめていた。

 結婚指輪だ。

 時間の間隙があったように、ハルシャはようやく認識する。
 いつの間に、ジェイ・ゼルは用意をしていたのだろう。
 驚きに目をまん丸にするハルシャに、彼は優しい笑みを与えてくれる。
「私の指にも、はめてくれないか、ハルシャ」

 穏やかな笑みをしばらく無言で見つめてから、はっと、ハルシャはジェイ・ゼルに依頼されたことの意味を悟る。
 手にしていた箱から、一つ残った金色の輪を取り出す。
 空になった箱を、ジェイ・ゼルはハルシャの手からそっと外して、邪魔にならない場所に置いていた。

 細い彫金のある金の指輪を、ドキドキしながらハルシャは指先で保持していた。
 にこっと笑うと、ジェイ・ゼルは自ら動いて、左の手をハルシャに託してくる。
 手の平で彼の手を受けて、ハルシャはその細く長い薬指に、震える手で指輪を通した。
 二つある関節を通り抜け、結婚の証である金色の輪が、ジェイ・ゼルの左の薬指の根元に収まった。

 なんだろう。
 感動で、目頭が熱い。

 ジェイ・ゼルが、こんなことをするとは思わなかった。
 彼は、形式的なものはあまり好きではない。
 けれど。
 それでも、指輪を用意してくれたのだ。

 両親の左の薬指にも、揃いの指輪があった。
 そのことを、思い出す。
 日常の暮らしの中で、少し鈍い色になったその指輪は、二人の幸せな結婚生活そのものに思えていた。
 その両親と同じものを、自分も今、左の薬指にはめている。
 最愛の人との、結婚の証として。

 ジェイ・ゼルの手が、頬をそっと拭った。
 見上げると、涙がほろりと目からこぼれる。
 いつの間にか、自分は泣いていたようだ。

 視線を交わすと、一瞬、痛みを得たようにジェイ・ゼルが眉を寄せた。
「幸せだ」
 彼の表情を解きたくて、ハルシャは言葉を絞っていた。
「あなたに出逢えて、恋に落ちて――私は、幸せだ。ジェイド」

 言葉の代わりに、唇が覆われていた。
 優しく。
 そっと。
 壊れ物でもあるかのように、ジェイ・ゼルがハルシャを抱きしめた。

 長く唇を合わせてから、互いの熱で心が解れたのか、ジェイ・ゼルは口を離した。
「今日は、このまま、休もうか。ハルシャ」
 自分自身に歯止めをかけるように、ジェイ・ゼルが呟いた。
 想いを受け取って、ハルシャはうなずいていた。
 目の奥に情欲の炎があるのに、彼は懸命に自分自身を抑えているようだった。
 何かのために、努力をしているのだという気がした。
 だから、素直に従って、ジェイ・ゼルに身を委ねる。
 眠る態勢に入り、彼の腕を枕にして、布団の中に収まった。
 近い場所で、ジェイ・ゼルがじっと自分を見つめていた。

「私はね、ハルシャ」
 囁くような声で、彼が呟いた。
「君からたくさんのことを、教えてもらった」

 心の内側の秘密を滴らせるように、彼が呟く。
 これは、特別なことだなのだと、ハルシャは直感的に悟る。
 ジェイ・ゼルは、ほとんど自分の感情を言葉にしない。
 内に渦巻く想いを、誰にも押し付けずに、いつも一人で処理をしている。
 だから。
 こんな風に、自分の思いを口にするのは、とても特別なことだった。

 ジェイ・ゼルは片手を浮かし、そっとハルシャの頬を手の平で包んだ。
「私はずっと、一番大切なのは肉体の関わりだと叩き込まれて生きてきた。けれど、君に出逢って、その考えが間違っていたことを思い知った。本当に大切なのは――」
 灰色の瞳が、自分を見つめる。
 きれいな緑の色を内側に秘めた、深い瞳が、自分を包む。
「この肉体の奥にある、魂なのだと……君が、私に教えてくれた」

 静かに、彼は微笑んだ。

「私は――『愛玩人形ラヴリー・ドール』として作り出された。求められたのは肉体の反応だけだった。心など必要とされていなかった。だから、自分には人間のような心などないと、思い込んでいた。
 けれど、君に出逢い、抗いがたく惹かれているうちに、自分の内側にも、誰かを愛する心があるのだと、初めて気づかされた」
 頬に触れる手が温かかった。命の温もりを分かちながら、ジェイ・ゼルが言葉をこぼす。
「君が――私に……肉体しか意味を持たなかった私に、心を与えてくれた」

 無言で見つめ合う。
 触れるジェイ・ゼルの手が、新しく滲んだハルシャの涙を、そっと拭う。

「君が、私を本物の『愛玩人形ラヴリー・ドール』だと言ってくれたから、憎み続けていた自分の生を、私は許すことができた。
 君と出会うために、私は生まれてきた。君を愛し、君と生きるために――そのために、作り出されたのだと、思うことが出来た。生まれてきたことに、今は感謝している」
 涙を拭いながら、ジェイ・ゼルが微笑む。
「君のお陰だ、ハルシャ」

 無言で、ジェイ・ゼルを抱きしめていた。
 触れる場所に涙をこぼしながら。

 生まれたときに、永劫の呪詛をかけられたのだと、彼は遠い昔、呟いていた。『愛玩人形ラヴリー・ドール』であることは、ジェイ・ゼルにとっては呪いそのものだったのだろう。
 忌まわしい過去を乗り越えて、彼は生まれたことに、感謝していると言ってくれた。

 身を震わせるハルシャを、優しくジェイ・ゼルが抱きしめた。

「今日は、君の魂を腕に包んで眠りたいんだ、ハルシャ。それだけで、私は幸せになれる」

 かつて、彼は肉体を合わせることが、唯一相手を幸せにすることだと思っていたと呟いていた。
 でも今は、魂が触れ合うだけで、幸せだと彼は告げている。

 ジェイ・ゼルと自分は――ほとんど初対面のとき、体を重ねることから関係が始まった。自分にはそれがどうしても納得できなかった。
 心を置き去りにした関係が、辛くて仕方がなかった。
 けれど。
 それが彼の愛し方だったのだ。
 『愛玩人形ラヴリー・ドール』であるジェイ・ゼルは、そんな愛情のありかたしか教えられていなかったのだ。
 肉体の快楽だけを教え込まれ、信じさせられた彼は――
 本当に大切なのは心なのだと、自分自身で気付いたのだ。

 だから。
 魂を触れ合わせて、眠ろうと彼は告げている。
 肉体の内側にある、目に見えない美しいもの。
 それを絡め合って、一つになろうと、彼は言っているのだ。
 本当の家族になった、この夜に。

 ああ――
 自分たちは、ここまで来たのだ。

 ぎゅっと抱き締めて、ハルシャは呟いていた。
「あなたに触れるだけで、とても幸せな気持ちになれる。それは」
 言葉を切ると、涙の滲む目を細めて、ハルシャは微笑んだ。
「この身の内側に、ジェイ・ゼルの魂があるからなんだね」

 この上なく、きれいで繊細で優しく、美しい――
 ジェイド・ディ・アマンダの魂が、この内側に秘められているから――

 無言で見つめ合った後、ハルシャは笑みを深めて微笑んだ。
「愛している。私のジェイド。あなたの傷も、過去も、全て――私の宝物だ」


 お父さま。お母さま。
 どうか。
 この人の罪を、お許しください。
 あなた達の死に携わった罪を……どうか。
 この身をかけて、償いをします。
 煉獄の炎も、共に浴びます。だから。
 この人を愛し抜き、共に生きることを、お許しください。


 ハルシャは再び自分から、ジェイ・ゼルの唇を覆った。
 優しく触れ合った後、二人は身を寄せ、眠りについた。
 同じ金色の指輪が飾られた左の指を、握り合いながら。


 昼には止んでいた雪が、夜になって、再び降り始めた。
 音もなく、花びらに似た雪が、天から降り注ぐ。

 安らかな寝息を絡ませる二人の住む家を、雪は、夜の内に、純白に染め上げていた。




『家族になった夜』 了



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