ほしのくさり

余話 ~天からこぼれた物語~

家族になる日


はじめに

※ジェイ・ゼルが刑を終えて三年と少し。帝星で二人が暮らし始めてから二年が経った、冬の日の物語です。
 本編後日談『湖のほとりの王国で』の三ヶ月後のお話になります。

※同性婚に関する記述が出てきます。苦手な方は閲覧回避して下さい。
(一話完結)





 雪が空から舞い降りてくる。
 初雪だ。


 ハルシャは空を見上げて息を吐いた。
 口から離れた途端、息が白く変わり、見るみるうちに大気に溶けていく。
 鈍色にびいろの空から、絶え間なく雪がふわりふわりと舞い落ちる。
 じっと見上げていると、体が浮き上がっていくようだ。
 心を奪われたように、ハルシャは天を仰ぎ続けていた。

「冷えるね」
 家の鍵を閉めてから、ジェイ・ゼルが歩を進めて側に立った。
 玄関先で空を見上げるハルシャに、微笑みを与える。
「外に長くいると、ハルシャが雪だるまになってしまいそうだね」
 笑いながら、髪から雪を払ってくれる。
 ぼうっと見上げているうちに、髪に雪が積もり始めていたようだ。
「初雪だ、ジェイ・ゼル」
 嬉しくて思わず彼に伝える。
 ジェイ・ゼルの笑みが深まった。
「そうだね。ここで迎える三度目の冬の季節だね」

 ジェイ・ゼルと湖の側の家で暮らし始めたのは、冬の初めの頃だった。
 降り始めた最初の雪を、二人で身を寄せ眺めていたことを覚えている。
 それから二年。
 三回目の初雪を、自分たちは一緒に見ているのだ。

 音もなく降る雪が、ジェイ・ゼルの黒髪にふわりと乗る。
 白と黒と。
 色の対比がきれいだった。
 雪はすぐにジェイ・ゼルの温もりで融けて、水滴にと変わる。水と雪を宿しながら、ジェイ・ゼルが呟いた。
「行こうか、ハルシャ。メリーウェザ医師とリュウジが待ってくれているよ」

 ハルシャはきゅっと唇を引き結んだ。
 これからリュウジの自宅を訪れる予定になっていた。
 それは――
 ジェイ・ゼルとの婚姻届に、二人の署名を貰うためだった。
 婚姻届には保証人が必要だった。
 それをハルシャは、メリーウェザ先生とリュウジに依頼したのだった。
 今日のことを話し、あらかじめ時間を告げているので、ミア・メリーウェザもリュウジのところで一緒に待機してくれている。
 二人が署名を終えた後は、その足で役所に向かい、書類を提出することになっていた。

 結婚を約束してから三ヶ月。
 ジェイ・ゼルは法的な婚姻に向けて動いてくれていた。

 実際に婚姻届を出すまでには、いくつかの手続きが必要だった。 

   帝星では重婚が禁止されている。
 なので、婚姻するにあたって互いが未婚であることを証明する「結婚適合資格証明書」を発行してもらう必要があったのだ。二人の未婚の証明があってはじめて、婚姻届が受理されるらしい。
 証明書は、電脳を使って簡単に申請できた。
 戸籍と参照して書類は問題なく発行してもらえたが、二人分の証明書を携えて、婚姻届を発行してもらうには、役所に直接赴かなくてはならない。
 本人の承諾なしに婚姻届を提出し、財産を乗っ取る詐欺まがいの犯罪が横行したための処置だと聞いている。

 ほとんどが電子化されている現代でも、未だに紙媒体が使われているものが、いくつかあった。
 紙幣と権利書と、そして婚姻届だった。 
 仕事が忙しいハルシャのために、ジェイ・ゼルは一人で役所に行き婚姻届を手に入れてくれていたのだ。

 昨日。
 二人で内容を確認しながら、記入を終えていた。
 本人の自筆が原則なので、それぞれの枠内に自分の手で必要事項を書き込む。
 自分の字の横に、ジェイ・ゼルの繊細で華やかな文字が並んでいるのを見つめて、胸が熱くなる。
 いよいよ届を出すのだと、感慨が迫ってきた。
 あとは書類の下部にある「保証人」のところに、メリーウェザ先生とリュウジに名前を書いてもらえば完成する。
 その書類は今、ジェイ・ゼルが傍らに抱える鞄の中にあった。

 眼差しを交わし合う沈黙の間にも、雪がはらはらと空間を滑り落ちてくる。
 ジェイ・ゼルが微笑んだ。
 もう一度手を挙げ、ハルシャの髪から雪を払おうとして、ふとその動きを止めた。
 視線が髪の上を滑る。
 微笑みが優しいものになった。

「君の髪の色に、白い雪が映えて、きれいだよ」
 愛しげな声で呟く。
「純白のヴェールのようだ」


 視線が絡む。


 婚姻にあたって、式も何もする予定はなかった。
 書類を一枚提出して、夫婦となる。
 家名を残すために、ジェイ・ゼルは彼がヴィンドース籍に入ると言ってくれた。自分はこだわらないから、と。
 これから、ジェイド・ラダンス・ヴィンドースが彼の名になる。
 婚姻後、帝星では別姓のままでも認められるが、せっかく家族になるのだからと、彼は戸籍の名を変えてくれたのだ。

 一枚の書類を役所に出して、名義を変更していく。
 それだけで、生活は変わらない。
 けれど。
 今日から、自分たちは法的な家族になるのだ。

 きっと。
 ここに至るまでに、ジェイ・ゼルは相当迷い、悩み、思案を繰り返したのだろう。
 その上で、覚悟を決めて自分と離れないと言ってくれているのだ。
 家族になろうと。

 灰色の瞳を見つめて、ハルシャは微笑んだ。

「ジェイ・ゼルの髪にも雪が乗っている」
 水滴に変わりながらも、ふわりと新しい白が彼の黒髪を彩る。
「とてもきれいだ」

 二年を過ごした家の前で、二人で向き合って微笑み合う。

「君を――」
 呟いてから、ジェイ・ゼルはふっと笑みを消した。
 静かな眼差しでハルシャを見つめた後、彼は残りの言葉を告げた。
「私の全てをかけて、幸せにすると誓うよ、ハルシャ」

 ふわりと、雪の舞い散るシルガネン湖のほとりの森の中で、ジェイ・ゼルが静かな誓いの言葉を呟いた。
 昨日、書類を書くときは、サンプルを参照しながら間違わないようにと、明るい声で告げていたのに。せっかく書いたのに、ミスをして不受理になったら切ないからね、と、はしゃぐような口調で彼は言っていた。
 その時には見せなかった、峻厳なまでの表情で彼はハルシャを見つめる。

 少し驚いたのかもしれない。
 目をみはるハルシャに、不意に優しい笑みを浮かべると
「私のわがままで、式を行わないからね。今この時を、結婚の誓約に代えても良いかな」
 と穏やかな声で彼は言葉を続けた。
「リュウジたちの前で、とも思ったが、すこし照れくさいのでね」
 ふふと、彼は笑う。

 彼が照れるなど、初めて知った。
 また驚きを新たにするハルシャに、ジェイ・ゼルが再び笑みを消して告げる。
「湖と森と大地と……頭上に広がる宇宙が見届けてくれる」
 壮大な存在にかけて、彼は言葉を呟いた。
「二人だけの、結婚式だ」

 短い沈黙の後、鞄を脇に抱えたままで、ジェイ・ゼルが両手を伸ばしてハルシャの手の平を取った。
 静寂の中に、純白の雪が降りそそぐ。
 交わす眼差しの間を、綿毛のような雪が、過ぎ去っていく。
 繋いだ手の内側に、温もりが宿る。
 ゆっくりと息を吸い込むと、ジェイ・ゼルが口を開いた。

「私、ジェイド・ディ・アマンダは、ハルシャ・ヴィンドースを生涯の伴侶とし、いついかなるときも誠実であり、彼を愛し抜くことを誓う」

 ジェイド・ディ・アマンダ――
 初めて耳にした、彼の真実の名前。
 惑星アマンダで作られた時の、本当の名を告げて、彼は永遠の愛を誓ってくれていた。

 ハルシャは細かな身の震えを抑えながら、ぎゅっと彼の手を握り返した。

「私、ハルシャ・ヴィンドースは」
 包み込むような灰色の瞳を見つめて、言葉を続ける。
「ジェイド・ディ・アマンダを伴侶として――幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、傍らにあり続け、彼を慈しみ、生涯愛し続けることを誓う」


 森羅万象に見守られながら、愛を誓いあう。
 たった二人の結婚式だった。


 眼差しを交わす。
 雪がジェイ・ゼルの髪を、髪飾りのように彩っていた。
 本当に、白いヴェールのようだ。
 握り込まれた手がほどけ、ジェイ・ゼルの手の平がハルシャの頬を包んでいた。
 身を寄せ、唇が触れ合う。
 そっと、優しく。
 微塵も情欲を感じさせない、清らかな口づけだった。

 触れ合っただけでジェイ・ゼルが顔を離し、優しく微笑んだ。
「――誓いの証文だよ、ハルシャ」

 時が逆流する。
 今ここに居る時間から、初めて出会った瞬間まで。
 凄まじい速度で過去がよぎる。

 傷つき、傷つけあったかつての自分たちが、眼差しの奥から互いを見つめていた。
 最初に出会った時も、今この瞬間も。
 ジェイ・ゼルの眼差しは変わらない。
 初めて出会ったときから彼は――ひたむきな愛情を、自分に注いでくれていた。
 胸が、震える。
 父親の借金を取り立てに来た地獄の使者と思っていた人は――真実自分を愛してくれる人だった。
 運命が引き裂こうとしても、必死に抗い、懸命に手を伸ばし続けた。
 全てを乗り越えて、自分たちは今、ここに向き合っている。
 そうして――もう二度と繋いだこの手を離さないと、宇宙の中で誓い合った。

「愛している、ジェイド」

 無意識に呟いたハルシャの言葉に、ジェイ・ゼルの笑みが深まる。

「私もだよ、ハルシャ」

 そっと右腕に包み、軽く抱き締められる。雪の宿る髪に唇を触れてから、ジェイ・ゼルが身を離した。

「行こうか」
 肩を抱かれて動き出す。
「メリーウェザ医師と、リュウジが待っているよ」

 歩きながら彼の腰に手を回して、温もりを分かち合う。
 空から絶え間なく降り注ぐ雪に、深い緑の森の木々は、梢の先を白に染め始めていた。

「天から花が降るみたいだね」
 ジェイ・ゼルが静かに呟いた。
「私たちの結婚を、祝福してくれているようだ」

 ハルシャは、ジェイ・ゼルを見上げた。
 彼の頬が、ほんのりと色づいている。これはきっと、寒さのせいではないのだろう。
 眼差しをハルシャへ落として、彼は微笑んだ。
 少年のような、無垢な笑顔だった。

「きっと」
 ハルシャは彼の瞳を見つめて呟いていた。
「宇宙からの贈り物だよ、ジェイ・ゼル」

 心からの笑みが、ジェイ・ゼルの顔に浮かんだ。
「そうだね。私たちの結婚式の立会人だから、特別にプレゼントをしてくれたのかもしれないね。純白の花びらを惜しみなく――君が一番きれいに見えるように、かな」
 ちゅっと音をさせて額に唇で触れると、ジェイ・ゼルは微笑みを浮かべたまま前を向いて歩きだした。

 寄り添い飛行車までの距離を歩む。
 彼の温もりを感じながら、ハルシャは熱い塊が込み上げるのを、懸命に堪えていた。
 きっと。
 宇宙は許してくれたのだろう。
 二人のこの想いを。
 

「届けを出したら」
 不意にジェイ・ゼルが呟いた。
「ヴァルティナ墓地にその足で行こうか、ハルシャ」

 驚きにハルシャは顔を上げた。
 ヴァルティナ墓地は、帝都ハルシオンの郊外にある。
 カラサワ家の歴代墓陵が置かれている場所だ。
 もう惑星トルディアに戻らないと覚悟を決めた時、リュウジのアドバイスもあって、両親の墓を帝星へと移動していた。リュウジは自分の祖先の墓陵があるヴァルティナ墓地に、ヴィンドース家の土地も用意してくれたのだ。見晴らしのいい高台に、ダルシャ・ヴィンドースとシェリア・ヴィンドースは眠っている。
 彼の意図を汲み取って、ハルシャは胸の震えが止められなかった。

 黙って見上げるハルシャに、ジェイ・ゼルは視線を落とすと、静かに微笑んだ。
「ハルシャのご両親に、ご挨拶をしなくてはね」

 何かを言いかけて、言葉にならず、ハルシャは無言でジェイ・ゼルの身を抱きしめていた。

 かつて――
 ラグレンで借金を負っていた五年間、自分とサーシャは一度も両親の墓を訪れることが出来なかった。
 親戚にも縁を切られた状態だったので、両親の墓は放置されたままだった。
 ハルシャはずっと、そのことが心に引っかかっていた。
 大事な両親なのに、不義理をしているように思えたのだ。
 危惧をリュウジに相談すると、彼はなるべく早く墓所に参りましょうと、力強く請け合ってくれた。
 けれどもなかなか状況が許してくれない。現職執政官コンスルの突然の逮捕劇に世間は騒乱状態で、渦中の人物だった自分たちは、身軽に動くことができなかったのだ。

 結局、墓地を訪れることが出来たのは、惑星トルディアを離れるギリギリの時になってからだった。
 相当荒れているだろうと覚悟をして訪れた両親の墓は、とてもきれいに整備されていた。
 驚くハルシャに、墓地の管理人がその理由を教えてくれた。

 ジェイ・ゼルだった。
 彼が五年間ずっと管理料を支払い、手厚く保護してくれていたのだと。

 衝撃が身を襲った。
 極限状態で暮らす自分たちの代わりに、彼は密かに両親の墓地を守ってくれていたのだ。
 その上彼はこの五年、両親の命日には必ず花を捧げていたとも、聞かされた。

 告げられた真実に、涙があふれて止まらなかった。

 一言も告げることなく。恩に着せることなく。
 自分たちのために黙ってジェイ・ゼルは心を尽くしてくれたのだ。
 想いの深さが、胸を締め付けた。

 彼が守ってくれた両親の墓は、今、帝星へと移動している。再会してからそのことを告げると、それは良かったね、と彼は優しい声で呟いていた。
 ハルシャたちの近くにいれば、ご両親も寂しくないだろうね、と。

 そして、今。
 結婚の報告に、一緒に両親の墓を訪れようと、彼は告げていた。

「父も母も、喜ぶと思う」
 彼の服に顔を押し付けて、絞り出すようにようやく言葉を呟いた。
「ありがとう、ジェイド」

 呟いた言葉に、腕を回してジェイ・ゼルが抱き締める。
 無言で彼は佇み、ただ、温もりでハルシャを包んでくれていた。


 沈黙の中に、雪が降り積もる。

 この世の醜いものも、罪も過ちも、全てを覆いつくすように。
 音もなく雪は舞い落ち、清浄な白に世界を染め上げていく。

 初めて出会ってから十五年の時を経て――
 今日。
 ジェイ・ゼルと、本当の家族になる。

 いつになっても。
 どんなに時が流れても――
 この日を忘れない。
 握り合った手の平の温もりを。
 交わした眼差しの優しさを。

 祝福するかのように天から降る、花びらにも似た雪のことを。



『家族になる日』 了



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